113 デボラは見ていない
北区自警団から受け取った二年前の記録、そこにはデボラ・シュナイザーの行動を証言した生徒の名前が書かれていた。
証言をしたのは九人、ここ数週間で「デボラの呪い」を受けた者達だった。
……だが、一人だけ違った。それがジミー・フォルトだ。
彼の家へ向かった所、既に学校へ向かったと告げられた時は嫌な予感がした。故にレヴィスに第四の契約を使い、ジミーの行方を探してもらったのだ。……それは正解だった。見つけれずにいたら、最悪の展開になっていただろう。
扉へ体当たりしていたジミーは、腕の骨折などなかったかの様に捕らえるレヴィスへ暴れてみせた。彼の怪我は嘘だったのだ。
ジミー・フォルトはレヴィスに捕らえられ、その後連絡した自警団に身柄を引き渡した。犯行を阻止された事で相当暴れていたが、今では放心状態となってしまったそうだ。歩く事もままならない為、取り調べは学校の空き部屋で行われるらしい。
やってきた自警団の中にベリル団長がいたのは驚いたが、どうやら彼女は私が出て行った数時間で証言者の身元を確認し直し、再度九人の証言者へ話を聞いていた様だ。苦笑いをしながら置き土産の様に証言者達……そしてジミー・フォルトの話をしてくれた。
「ジミー・フォルト。孤児院で育ち、裕福な伯爵家の養子となった少年です。デボラ・シュナイザーも同じ孤児院で育っています」
椅子に座りながら、冷めた珈琲を手に持つユベールへ静かに伝えた。グラスの縁をなぞりながら、彼は小さく口を開いた。
「彼が、僕を襲ったのは……」
「二年前に亡くなった、デボラ・シュナイザーを目撃した生徒達の真相を聞いて、殺したのが貴方だと思ったからでしょう」
「僕は彼女を殺していません」
「では誰が?」
私の問いかけに、ユベールは下を向いたまま顔を険しくさせた。その行動が、彼が真実を知っているのだと教えてくれる。
「貴族と孤児では身分が違うので、学校では二人は関わりがなかった様ですが……二人が孤児院にいたときは、まるで姉弟の様だったと」
「…………」
この国では身分が全てだ。社会より多少は緩和された学校の中でも、それは確かに根付いている。
元孤児で、仲が良かった過去があっても今のジミーは貴族だ。その貴族の支援により奨学金を得て、学校へ通う孤児である自分が友と呼んではならない。だからデボラはジミーと関わらなかったのだろう。もう立場が違うのだから。
けれど、ジミーは違った。関わりがなくても、彼女を友と思う気持ちは変わらなかったのだ。
ジミーが一体、何処でデボラの死の真実を知ったのか分からない。証言者の名前など、何処で知ったのかも分からない。それは今後の彼の発言で明らかになっていくだろう。だが彼はある日、デボラの真実を知った故に行動を起こしたのだ。
恵まれた生活を捨ててでも友を想い、友の仇としてユベールを殺そうとした。……それは友情とは違うかもしれない。彼にとっては伯爵家ではなく、孤児院で共に過ごしたデボラが家族だったのだ。
先程、これまでの全てを伝えたベリル団長の指示により、二年前に証言をした生徒九人が取り調べを受けた。……その結果、彼らは予想外の回答をした。
「ユベール先生。二年前にデボラ・シュナイザーを目撃したと証言した生徒達が、成績と引き換えに「屋上へ一人で向かうデボラを目撃した」と嘘の証言をする様、貴方に命令されたと自警団へ発言しています。……何故その様な事を?」
「……どうして君に答えると?」
「先生は、生徒の質問に答えるものでしょう?」
グラスを持つ手が強くなった。これ以上は聞くな、そう彼の声が聞こえた。
だが踏み込ませて頂く。私は私の為に真実を知る必要があるのだから。
「……生徒達は、被害を受けた後暫くして、ジミー・フォルトに「自分が被害を受けたとき、デボラ・シュナイザーを見た」と話しかけられていた様です。二年前成績の為に嘘の証言をした生徒達は、最初こそ怪しんだようですが……彼の話を聞けば聞く程、ジミーの言葉に恐れ、それ以上に興味を抱く。そして腕を折られた彼を、自分と同じ立場の人間だと勘違いした」
「……ジミー・フォルトも証言をした仲間だと勘違いしたと?」
「当時、証言をした人間は公にはされていませんから、そう思うのは致し方ないかと」
とっくに亡くなったデボラを見た、そう告げるジミーに生徒達は最初こそイカれていると思っただろう。……だが、それを勘違いだと言い切れず信じてしまったのは、その名前に後ろめたい理由があるからだ。
「仲間だと勘違いした生徒達は、ジミーに昔話をする様に当時を話し、やがて彼がデボラの亡霊に被害を受けたなら、同じく自分もデボラに被害を受けたと思い込んだ。それは被害が広がる程に真実と勘違いされていく。……この事件に恐れたり、武勇伝の様に語られた被害者の話には尾鰭がついて、やがて「デボラの呪い」なんて付けられるようになった」
生徒達は皆、デボラを見ていないのに彼女に襲われたと思い込んだ。デボラは学校で、急速に都市伝説の様な存在になった。
だが今になって被害にあった生徒達は皆、実はデボラなど見ていないと語り始めたのだ。それはまるで、洗脳が解ける様に。
怪我の度合いも、一番被害を受けたのが骨折をしたと偽ったジミーであり、それ以外は軽いものだった。
彼らは被害が少なかった為に、ジミーの言葉に恐怖と同時に好奇心を与えられた。そして事件にもっと刺激を付け加えた。その結果が「デボラの呪い」だ。
「実際の所、誰も「デボラ・シュナイザー」なんて見ていないのに、彼らはジミーに便乗して「デボラを見た」と再び嘘を広め伝えたんです。それは洗脳され無意識かもしれないし、悪意があるかもしれない。生徒全員に聞いてみなければ分かりませんが……」
ジミーが言葉で多少は誘導したのだろうが……なんとも滑稽なものだ。
そんな私へユベールは手の力を緩め、私へ困惑した表情を向けた。
「……どうして、彼は生徒を傷つけた?最初から証言した生徒へ、自分も証言した同じ穴の狢だと、そんな嘘を言えばいいだろう?それに何故、デボラ・シュナイザーを見たなど……友や、姉だと思っていたのだろう?」
純粋な質問なのか、ユベールは砕けた口ぶりだが……彼の考えは最もだ。ジミーがデボラを殺した犯人を見つけたいなら、傷害事件など起こさなくてもいい。「自分も二年前に証言をした」と話しかければ良いのだ。真実を永遠に隠す事は、子供には難しい。きっとすぐに同志として打ち解け答えてくれただろう。
ただ、そんな簡単にせずにあえて彼らを襲い、その後植え付けるように「デボラの呪い」だとふれまわった理由。
ありったけの好奇心を与えて、刺激を与えて、彼女を再び思い出させた理由。
「過去に彼らは、自分の人生の為に嘘をついて、現在も自分の興味の為に嘘をついて。……そして最後には「真実の証言」の所為で、貴方が殺されたのだと思わせたかった。それがジミーが望んだ、彼らへの復讐でしょうか?彼にとっての「デボラの呪い」は、彼女を陥れた者達の欲望の事だったんです」
「…………」
もしも私なら、そう考えた時に出た答えだった。ユベールは私の答えに小さく笑う。だがそれは私ではなく、自分自身を嘲笑うものだった。
「……彼女の名前を聞きたくなくて、この事件を聞かない様にしていたのが仇になったな。もっとこの事件を知っていれば、こうなる前にきっと、彼を……」
ユベールは口を閉ざした。それ以上の言葉は、罪を犯した自分に相応しくないと判断したのだろう。それは正しい、何せこの男がデボラの死を隠さなければ良かったのだから。……やや身分差別はあるが、それでも冷静に判断しているこの男が、何故デボラを殺したのだろうか?
私は小さくため息を吐いて、軽蔑するように彼を見つめる。
「……ユベール先生、もう一度お伺いします。デボラ・シュナイザーを自殺に偽装した理由は?」
偽装の理由、ユベールがデボラを殺したのならば納得がいく証拠ばかりだ。ジミーが九人もの相手に気づかれずに被害を与えるのは難しい。故にジミーが違法悪魔と契約した可能性が高い。……だから、きっとユベールはデボラを殺した。その理由を伝えるのだと思っていた。
けれど、それは間違いだった。
……そんな、簡単なものではなかったのだ。
◆◆◆
ユベールが生徒に襲われた。その知らせは朝早くに伝わった。犯人の名はジミー・フォルト。急遽行われた取り調べによって、ここ最近起きていた連続傷害事件の犯人も彼だと確定された。
部屋の窓から、自警団が窶れたジミーを連れて行く姿を見る。その光景へ険しい表情を向けてしまうが、内心は安堵していた。
……ああ、良かった。彼はユベールを殺していない。伯爵は可愛がっている義理の息子を牢屋に入れないだろうから、ジミーはすぐに釈放される筈だ。本当に、本当に良かった。
けれど私は、そんなあの子へもう声をかけてやれない。抱きしめて、もう大丈夫だと励ましてやれない。……もう、あの子と私は赤の他人なのだから。
そのままジミーの姿を見ていると、控えめに扉のノックが鳴る。中から声を掛ければ、扉はゆっくりと開いた。
扉の向こうにいたのは、私が調査の為に呼んだ魔女だった。学生服を着て周りに紛れ込ませても、彼女だけは異質な存在として皆振り向いてしまう。そんな魅力が彼女にはあった。
あのローガン・ランドバークが薦めるだけあって、彼女は私の代わりに見事やり遂げてくれた。彼女のお陰でジミーは殺人を犯さず、これからも幸せな生活を過ごしていける筈だ。
夜空よりも黒い瞳が、私を真っ直ぐ見据えている。
「学校長、お話をお聞きしても?」
「ええ、勿論。連続傷害事件を解決して頂いて有難うございます」
部屋に招き、彼女をソファに座らせる。私はお茶を用意する為に棚の扉を開けた。今日はカモミールにしよう。きっと嬉しさで騒ぐ心が落ち着く筈だから。
「ユベール先生が教えてくれました。……二年前、貴女は彼へ「デボラが口論の末、屋上から落ちてしまった」と助けを求めたと。姉を守る為に、先生は成績が低く退学候補の九人へ、成績と引き換えに嘘の証言を要求したそうです」
準備をする私の背へ、魔女は呟く様に唱える。返事はしなかったが、思わず口元が緩んでしまった。……ああ、素晴らしい。これで私は本当に救われる。
だが、魔女はもう一つ呟いた。
「デボラ・シュナイザーの墓を確認させました」
「え?」
思わず声を出し、後ろを向く。
後ろには魔女が座っていたが、その背後には美しい青年がいた。あり得ない、扉から入ってきたのは彼女だけだった筈だ。青年は愛おしそうに魔女を見れば、彼女の耳元に何かを囁く。
その囁きに、魔女は一気に険しくさせた。
魔女は「私」を見て声を吐き出す。
「ねぇ……この結末は、貴女の思い描いた通りになった?……デボラ」