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110 熱い頬


 父上が寵愛を与える、恐ろしい辺境の魔女。そう母上は幼い僕へ、唇を噛みながら教えてくれた。


 得体の知れない力で父上を救い、その栄光を笠に着てのうのうと暮らしている。王族の寄生虫の様な忌まわしい存在、そう彼女を蔑んだ。この優しい母上がここまで言うのだからきっとその通りなのだと、出会った事のない彼女を浅ましくも軽蔑していた。


 数年後、僕が父上と同じ病に倒れた時、母上は有名な医師や神官を呼んだ。父上は自分と同じ病なのだから、魔女を呼ぶべきだと説得しても聞く耳を持たず、僕を城の東塔へ隔離して独自の治療を続けていた。

 体の筋肉が無くなり動けなくなっても、視力が無くなっても。母上は魔女でなくても助ける事は出来ると信じていた。……いや、信じたかったのかも知れない。



 もう自分が生きているのか、死んでいるのか分からない程になった時……ふと、唇に落ちる雫。それが唇から舌へ、喉へ入れば血なのだと気づく。


 鉄錆の味が体の中へ染み込んでいけば、暗闇だった視界がどんどん明るくなっていく。手足の感覚が戻り、体に体温が戻っていく。



 そして目の前に、優しく僕を見つめる天使がいた。



『殿下、もう大丈夫です』


 黒茶色の髪、夜の様な漆黒の瞳。珍しい顔立ちをした、僕とそう年齢が遠くない女性。彼女は囁く様に僕へ語り、軋んだ髪を優しく撫でてくれた。感覚が無くなっていた僕へ、温もりを思い出させてくれる様に。


 美しい、慈悲深い天使様がお迎えに来てくれた。だから病が癒えたのだろう。そう自分の死を受け入れようとした時、遠くから泣き叫ぶような声が聞こえた。



『卑しい魔女が!!!私の息子に触るな!!!』



 その声に反応した天使様は、小さくため息を出しながら撫でる手を離した。名残惜しくて止めようとしたが、体がまだ上手く動かせずに空気を掴んでしまう。

 段々と覚醒していった僕の意識は、漸くここが天国ではなく城の東塔の中なのだと気づいた。



 暫くして、あの天使様が母上から聞いていた魔女だった事。魔女の血で病が治癒したのだとおばあ様から教えてもらった。









 西区の教会本部には、国の王子として幼い頃から何度も足を運んでいた。ここでは先祖であるアダリム・ルドニアを聖人としているし、国民の大半、王族も勿論信者だ。

 幼い頃と変わらない厳かな光景、穏やかな信者達の表情が荒んだ心を鎮めてくれた。


 今はその一室で、ある神官へ昔話を語っていた最中だ。

 鉄黒色の短い髪、熟れた苺の様な赤い瞳の男。彼は僕の話を聞き終われば、感銘を受けたように恍惚な表情を見せた。

 

「貴重なお話を聞かせて頂き、有難うございます」


 そう感謝をする神官へ、僕は首を横に振り苦笑した。


「いいや、随分長く昔話を語ってしまったね」

「そんな事ございません。なんならもっとイヴリン様についてお話を聞きたい位です」

「なら父上に話を聞くといい。……あの方は、僕よりもイヴリンをよく知っている」


 つい、悔しさで吐き出す様に声を出してしまった。だが神官はやや引き攣った様な表情をしながら、テーブルに置かれたティーカップを取る。


「残念ながら国王陛下は、イヴリン様について一切お話しして下さいませんでした。聖人の子孫であるのに、教会をよく思っておられない様です」

「……それは残念だ」

 

 口ではそう言っているが、神官の言葉は正解ではないと分かっている。父上は教会をよく思っていない訳ではない。彼女を求めるのは自分だけでいいと思っているだけだ。


 神官はティーカップに入った紅茶を一口飲めば、こちらへ小さくため息を吐いた。


「早くイヴリン様を聖女としてお迎えしたいのですが……無礼を承知で言えば、教会関係者の中では「本当に聖なる血を持つ方なのか」と王太子殿下の話を信じきれない者も数多くいます。……それに、権力者の方々からの異議の申し立ても」

「父上は止めてくるだろうと思ったが、まさかレントラー公爵も相手にするとは思わなかったよ」


 現在のレントラー公爵、エドガー・レントラーは中央区を牛耳る大商人だ。教会へ何度も巨額の寄付金を払っている彼は、イヴリンを聖女にする事に異議を申し立てている。教会も最大の支援者の発言を軽く見る事は出来ない。

 ……今回の行動が気になり調べた所、どうやら彼はイヴリンと随分親しい仲らしい。彼の家にイヴリンが何度も足を運ぶ姿を目撃されている。


 その報告を聞いた時、僕はエドガー・レントラーの激しい嫉妬と同時に嬉しさが込み上げた。

 ほら見ろ、やはり父上はもう彼女に見られていない。それに彼女は清らかではなく、欲を持った女なのだ。美丈夫を相手にして、情を交わす事も出来る只の女だ。




 他の誰が居てもどうでもいい。今度こそ僕は天使(イヴリン)の手を掴む。

 掴んで離さないで、天に飛べない様にしてしまえばいい。嫌がる声を塞いで、自分が天使ではなく、只の喘ぐ女であると分からせればいい。僕以外を選ぶ道はないと、教えればいいのだ。



 そこまで考えた所で、自分にこんな欲があったのかと驚き、思わず吹き出してしまった。神官は僕の姿に怪訝そうな表情を向けるが、僕は彼へ向けて口を開く。

 

「心配しなくていい。打開する方法は考えてあるんだ」


 僕の淡々とした言葉に、神官は目を大きく開いて驚いた。

 だが暫くすると、その表情は破顔したものへ変わる。


「では、私達は新しい聖女様を迎える準備をしなくては……嗚呼、本当に楽しみです。早く聖者の足に口づけして、永遠の忠誠を誓いたい!」


 無邪気な笑みで、神官は新たに愛を捧げる相手が出来る事を喜んでいる。その姿に狂気を感じてしまうが、度の過ぎた信仰者とはこうなってしまうのだろう。


 神官は立ち上がり、枢機卿のみ身に纏う事を許された真紅の祭服を揺らす。





「その為なら、私ラファエルは殿下の力となりましょう」





 熟れた赤い瞳は、僕を歪ませて映している。





 




 《 110 熱い頬 》








「ご機嫌ようミス・アノニマス!年越しパーティーぶりですね!」


 解剖記録を受け取り教室へ戻れば、用事を終わらせたパトリックが既に居た。だが一人ではなく、友人のギルバート・マゼランとその他男子生徒も側にいた。パトリックは小難しそうな顔をしているし、彼の両肩には男子達が肩を組んで此方へニヤついている。……嫌な予感しかしない。


「同級生ですので、敬称も敬語も不要です」

「ではイヴリンちゃん!パトリックとコソコソ何してるのぉ!?」

「やっぱり敬称と敬語戻してください気持ち悪いです」

「編入してきたのも驚いたけどさぁ!昼間は二人で食べてるし、午後はいないし!絶対に何かあるでしょー!?告白でもされたー?」

「君も都合の悪い話を無視するタイプかな?」


 どうやら思春期の少年達には、私とパトリックの行動が色めいたものに見えたらしい。先に戻っていたパトリックは散々な目にあっていた様だ。難しい顔でどうにか誤魔化しているが、耳も首も真っ赤なので相当な事を言われたのだろう。やーいやーい馬鹿面してやがるぜー。


 我々の間に微塵もそんな事はないのだが、そう否定しても思春期男子には通用しない。……さて、一体どうしたものか。


 思春期男子筆頭、ギルバートくんはニヤけながらパトリックの頬を突く。


「いやー!年越しパーティーの時は、イヴリンちゃんとランドバーク先生がデキてて、コイツが叶わぬ恋をしてるかと思ってたけどなぁー?」

「ギルバート!!!」

「おいおいパトリックぅ?そんな可愛い顔で怒っても意味ないぞー?」


 ギルバートくんの言葉に同調するように、周りの男子も「そうだそうだ!」とか「観念しろ!」などと笑っている。恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていくパトリックが可哀想になってきたが、そもそも上手く交わせない童貞が悪い。


 ……致し方ない。ここは適当に同意して場を収めよう。事件が終われば学校へ行く事はないし、そんで適当に別れた事にすればいいのだ。童貞は荷が重かったですとか言っておこう。



 思春期男子と、周りで聞き耳を立てている女子生徒に睨まれながら、私は肯定しようと口を開く。……が、声を出す前に、教室の扉が勢いよく開いた。


 驚いて扉の方向へ向けば、そこには麗しい笑顔を向けるレヴィスさんがいた。突然現れたとんでもない美形に、女子生徒から小さく奇声が聞こえる。


「ご主人様、お迎えにあがりました!」

「レ、レヴィス!?何で!?」

「申し訳ございません。馬車で待っておりましたが、一向にいらっしゃらないので心配で……」


 困った表情で私に告げているが、嘘つけ今まで後ろにいただろ!と心の中でツッコミを入れる。……恐らくこのままだと、パトリックといい感じになると慌てたのだろうか?絶対にそうにはならないが、何とも必死な悪魔だ。


 教室の生徒達はレヴィスの顔面に釘付けになり、暫くすれば主と呼ばれた私へ視線をうつした。そんな周りへ、レヴィスは何処からでも聞こえる様にはっきりと声を出した。


「ご主人様がお世話になっております。使用人のレヴィスと申します」


 その名前を聞いた途端、パトリックの右肩側にいた男子生徒が大声で叫ぶ。皆が大注目の中、生徒はレヴィスを震える手で指さした。


「この人知ってるぞ!たまに中央市場に出没してはおばちゃん達を骨抜きにして、格安で食材を買ってる「値引きの王子様」って呼ばれてる人だ!」

「おいレヴィス、クソダサい通り名付けられてるぞ」

「あそこの市場では、皆さんに相当よくして頂いていまして」


 奥にいたメガネの女子生徒がその言葉を聞けば、何かを思い出したかの様に興奮した表情を向け、メガネを忙しなく動かしている。めっちゃ鼻息荒い。


「私も知ってるわ!どんな美女に擦り寄られてもしれっと躱して「主人の体でしか反応しない」って言ってる人だわ!!」

「お前何言ってるんだよ」

「本当の事なので」


 レヴィスの話で周りが騒げば騒ぐ程、パトリックの周りにいた男子生徒達は呆然としていく。そして何かに気づいたギルバートくんは、真っ青になりながらパトリックへ顔を向けた。


「ランドバーク先生なら勝てただろうけど、あの顔面は無理だパトリック!!」

「そ、そうだそうだ!絶対やる事やってるぞあの二人!!」

「お前爵位はいいし!イヴリンちゃんより可愛い子はいるから!そっちにしとけパトリック!!」


 おお、若者とは本当に勢いがいい。パトリックは両肩を掴まれ仲間達に思いっきり体を揺さぶられている。やや私やローガンに失礼な言葉も聞こえたが、本当にその通りなので素直に何度も頷いた。おいやめろレヴィス、口から煙を出すな。


 

 仲間達にもみくちゃにされ、今までずっと難しい表情を向けていたパトリックだったが……堪忍袋の緒が切れたのか、生徒を振り払い「うるさい!!!」と大声で怒声を上げた。





「もう黙れ!!何を言われようと諦めない!!俺はイヴリンが好きなんだ!!!」





 パトリックの叫びに、周りの生徒も、勿論私も固まった。言った本人は事の重大をまだ理解していないのか、怒りで興奮して鼻息を荒くしている。おい気付け。周りを見ろ。


 ああ最悪だ、このままでは二次被害に及ぶ。本当にどうしようもない。




「………馬鹿らしい。もう帰る」



 不機嫌にそう告げれば、パトリックにも見せようと思っていた解剖記録を手に持ったまま教室を出た。後始末は知らん、好きにしてくれ。



 後ろから付いてくる足音はレヴィスだろう。嫌味でも言われるかと待っていたが、どれだけ歩いても足音だけしか聞こえない。暫くそのままだったが、突然後ろから深呼吸が聞こえる。



「……なぁ主、暫く鏡見るなよ」

「はぁ?何で?」

「何でも。見たら夕食抜きだから」


 一体どういう意味だ?意味不明な要求に呆れながら、私は自分の顔を確認する様に触れた。





 触れた頬は、何故かとても熱かった。




気付くと前半が陰気で、後半が青春になっていました。

一呼吸置いてから見るのがおすすめです(後書きに書くな)


ちなみにイヴリンのファミリーネーム「アノニマス」とは、無名、匿名などの意味を持つそうです。

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