106 後始末
突然、父上は「アリアナを覚えていないか?」と俺に聞いた。
そんな名前の人物は知らないと答えると、父上は酷く焦った表情で母上や、自身の部下に聞いて回った。だが誰も「アリアナ・ヴァドキエル」なんて人物は知らなかった。そもそもヴァドキエル家では、ここ数十年女は生まれていない。俺が何度それを伝えても、父上は信じず混乱するばかりだった。
そんな中、突然家にイヴリンが執事と共に訪ねて来た。わざわざ辺境の地から来た理由は、どうやら父上に話があるらしい。応接室にいる彼女の元へ駆け足で向かった父上は、部屋の扉を開けて開口一番に怒声を浴びせた。
「貴様!!アリアナを何処へやった!?」
そのままイヴリンへ襲い掛かろうとする父上を、俺は慌てて後ろから止めた。何とか止める事はできたが、少しでも力を緩めれば振り払って娘に掴みかかろうとしている。父上は一体どうしてしまったんだ?
目の前で暴れる父上へ、イヴリンは逃げる事なく苦笑した。
「アリアナ?……さて、一体どなたでしょうか?」
「ふざけるな!!貴様にアガサの故郷を伝え、髪飾りを渡しただろう!?」
アガサ、その名は恐らくアガサ・ヴァドキエル夫人の事だ。何年も前に病で亡くなったと聞いている。義理の弟である父上とも親しかったと聞いているが……その夫人の故郷が、今回は何か関係あるのだろうか?
イヴリンは少し考える素振りを見せたと思えば、思い出したかの様に手を叩く。
「ああ、あの髪飾りか。申し訳ございません、どうやら堕としてしまった様で」
髪飾りを落とした。そう悪びれもせず言いのける娘へ、父上は怒りで顔を真っ赤にしながら、鼻息荒くイヴリンを睨んだ。
「娘は何処だ!!!」
……娘?なんの事だ?父上は自分で吐き出した言葉に動揺し、俺へ顔を向けた。その表情があまりにも怯えているものだから、益々意味が分からなくなった。……一体、父上はイヴリンに何を依頼したんだ?
父上がここまで怒りを露わにするのは珍しい。家の使用人達も怯えた表情で見ている。だが怒りを向けられているイヴリンと、彼女の執事は表情を変えない。
「……閣下、何を言っておられるのですか。貴方に娘はいないでしょう?」
「わ、私は……」
諭される様に声を掛けられ、父上は動揺で瞳を揺らす。まるで憑き物が落ちた様に力を落とした父上に、イヴリンは小さくため息を吐いた。
「どうやら、閣下は疲れている様だ。……また日を改めます」
「あっ、ああ……悪い、イヴリン」
俺が謝罪の声を掛ければ、イヴリンは此方へ微笑んだ。そして背を向け、ゆっくりと歩みを進める。……だが執事によって開けられた扉から出る前に、娘は再び此方へ振り向いた。
「そのまま、どうぞ一生苦しんでください」
そう魔女は、無邪気に笑った。
《 106 後始末 》
まさか、今回も違法悪魔絡みではなかったとは。……最近ちょっと、多すぎやしないか?ノイズの性能を上げて、本当に違法悪魔にしか反応しないとか出来ないのか?
今回の女王様達なんてもう最悪だった。私の素晴らしい機転と舌の犠牲によってどうにかなったが、次も解決するとは限らない。ただでさえ天使やら聖女認定やらで大変なのに、これ以上私を苦しめないで欲しいんだが?
「は〜〜〜めんどくせ〜〜〜」
「さっきから、間抜けな顔して何考えてるんです?」
呆れた声と共に、思いっきり顔に湯を掛けられる。突然の攻撃だったので、驚き鼻に湯が入ってしまった。鼻つーんってしてる。
じっとり目で攻撃を仕掛けて来たサリエルを見ると、奴は無表情で此方を見つめて、濡れた髪を掻き上げていた。湯船に浸かる奴の体は、顔面と同じく素晴らしいものをお持ちの様で。目線に気づいたのか、サリエルは顔色を変えずにため息を溢す。
「ご主人様、見過ぎです」
「いや見ちゃうでしょ流石に」
「では、見てもいいのでご主人様もタオル外して、僕に体を見せてください」
「嫌だね、お前舐める様に見てくるんだもん」
「阿婆擦れが……」
「おい聞こえてるぞ脳筋」
タオルを掴まれ一気に剥がされたので、脳筋に湯船のお湯を無くす勢いで掛ける。剥がしたタオルを湯船の外へ投げ飛ばした奴は、掛かる水を忌々しそうに振り払う。
「これが懸命に働いた使用人への態度ですか?今回僕が何人記憶を消したと思ってます?」
「うるせー知るか!その対価を今払ってるんでしょうが!」
今回、サリエルには一人を除いてアリアナの記憶を消してもらった。彼女へ送った手紙の選択はどれもその必要があるのと、アリアナ失踪を私の所為にされる可能性も捨てきれなかったからだ。好んで悪魔の女になったお嬢ちゃんの犠牲になんてなるか馬鹿め。
ある人物の記憶を消す、それは狩猟大会で違法悪魔が行っていた事だ。今回はその方法を使わせてもらった。
で。その対価で、サリエルは「一日二人っきりで過ごしたい」と願い出てきた。やや理解に苦しむ対価だが、私がとやかく言う事はできない。屋敷には他の悪魔たちがいると拒否されたので、今私達は中央区にある観光客向けのホテルに来ている。
スタッフの接客態度もいい素晴らしい所だ。このホテルの建設にエドガーが関わっているのは知っていたので、一度来てみたいと思っていたが……できれば一人で。
……で。サリエルくんが「一緒に風呂に入りたい」と抜かし、何故か共に風呂に入る事になり、熾烈な湯の掛け合いを終わらせた私達は、入る時よりも疲れた表情で風呂から出た。
お互い冷める前に体を拭き、ホテルで用意されている寝巻きを着る。ご丁寧にサリエルに髪を拭いて貰えば、私は疲れた体を癒やす為にベッドに寝転がった。うちのベッドよりも大分質がいいのか、体は包み込まれるように沈んでいき最高だ。エドガーに欲しいって言ったらくれるかなこれ?
「あ〜〜疲れた」
「ご主人様が暴れるからです」
「最初に主人に暴言吐いたの誰だよ」
ベッドの素晴らしい質感を堪能していると、隣から軋む音が聞こえる。やがて背中に温かい感触がふれると、そのまま後ろからサリエルに抱きしめられた。自分と同じ匂いがする。まぁそりゃそうか、同じ石鹸使ったんだし。
首筋に息を吹きかけて、甘える様に擦り寄って来るので非常にくすぐったい。そして右手は私の頭を優しく撫でてくれるのが心地いい。……っていうか、何だよ二人っきりになりたいって?レヴィスも大概だが、サリエルも最近可笑しいぞ。
「ねぇ、これ対価になるの?今回は結構働いてくれたし、腕の一本や二本喰われると思ってたんだけど」
「そうですね、それも考えました」
「じゃあ何でこれ?二人っきりになって、サリエルにいい事あるの?」
サリエルの顔を見る為に後ろへ寝返る。奴は相変わらずの無表情で此方を見ていた。……近くで見れば見るほど、本当に美しい顔だ。人を欺き堕落させると言っても、何もここまで美しくなくてもいいだろう?
私の目線に気づいたのか、やや目線を逸らしたサリエルは、そのまま呟くように声を出した。
「……ご主人様が仰ったんじゃないですか」
「えっ」
「頭を撫でられたり、可愛がられるのが好きだって」
「……どっ」
何処でそんなことを!?と聞こうとしたが思い出した。この前の拷問部屋で術をかけられた時か!確かに言ったなぁ!とんでもなく恥ずかしい事をよぉ!?
まさか、この脳筋がそれを覚えて対価で実行しようとするとは。あまりの恥ずかしさで顔が熱い。目線を逸らしていた奴は、私の表情を見てやや目を見開いた。……が次には目を細めて、やや苛立ちながら舌打ちをされた。ひどい。
「何ですかその顔、抱かれたいんですか」
「何なんだよ最近!?どうしたんだよ!?」
顔が近づいたと思えば、額に軽めの口付けをされる。そのまま顎を持たれ瞼やら頬やら勿論唇にもしてくる。あっ、甘すぎる!!胸焼けしそう!!!
羞恥心で逃げたくても、ここは屋敷ではないので部屋は一つだし、気づけば腰に尻尾が巻き付けられている。悲しい事に逃げられない。
「は、はなしっ……てっ!!」
「嫌です」
なんて事だ、体を貪られるよりも恥ずかしい。あまりの甘さで何かを吐き出しそうだ。私が悶えているのが相当嬉しいのか、背景の花畑が薔薇園になっている。尻尾の先も楽しそうに揺らしてやがる。おお、楽しいかいサリエルくんよ?そりゃあよかったねぇ?
漸く体を少し離したサリエルは、私の表情を見て嬉しそうに笑った。……なんだ、笑うと結構可愛いな。
「これから精々沢山愛されて、さっさと虜になってください」
「…………」
「僕の番になりましょうね、ご主人様」
どうやら、サリエルもレヴィスも非常に厄介な感情が芽生えているらしい。それだけは理解した。
だがこの言葉に返事をすれば、私の人生が終わる。なのでそのまま黙っていると、今度は唇を思いっきり齧られた。痛い。
これにて「西区の女王蝿」編は終了です。まともな恋愛書けて楽しかったです!アリアナさんはきっと地獄で、ケビンにでろでろに愛されていることでしょう。
作者風邪ひきました。数日ちょっと更新停滞するかもしれません。