105 賭けの勝敗
兄は革張りのソファから、向かいに座るイヴリンを舐める様に見ている。鼻歌でも歌いそうな程に機嫌のいい兄は、わざとらしくため息を溢した。
「アリアナ・ヴァドキエルは、蛆の悪魔の所有になる事を望んで地獄へ堕ちた。……これじゃあ、お嬢ちゃんと契約していた「アリアナ・ヴァドキエルを此方へ連れてくる」事が出来なくなったわね?」
あの時、アリアナ・ヴァドキエルは蛆の悪魔と共にある為に、神に与えられた命を汚し、悪魔の所有になる事を同意した。愛する人間を手に入れた蛆の悪魔は歓喜し、そのまま地獄へ共に堕ちた。今頃あの女は、骨の髄まで蛆に愛されているだろう。
だがその結果、私とイヴリンとの契約は達成できない。娘は契約の通り、アリアナ・ヴァドキエルの代わりになり、一晩の所有を此方に与える事になる。まさか兄と私が、二年前から切望していた事がこうも簡単に叶ってしまうとは。
契約の内容も見ずに拒否されたあの時から、自尊心を傷つけられた兄はイヴリンに復讐する事しか考えていない。普通の人間であれば直ぐに果たせただろうが、娘は隙がなく全く手出しが出来なかった。それに既に娘と契約している悪魔達も此方の行動に気づいたのか、逐一妨害が入り私達の邪魔をされる。たかが人間一人を嬲る為に必死に耐え、時には苛立ち賭けで得た人間を代わりにした。……だが今となってはどうでもいい、こうして娘を嬲る時間を得られたのだから。
娘は下を向き、小さな体を震わせている。かつて自分達を嘲笑った娘が怯えているのだ。兄も私も表情を取り繕えない程に歪み、興奮を隠せない。甲斐甲斐しく世話をしていたあの悪魔達はさぞ悔しいだろう。その証拠に今日は一段と魚臭い。それでもあの悪魔達は「あの方」の使者だ。違反なく契約した私を殺して、娘を助けるなんて行為はしないだろう。彼らの忠義と自尊心がそれを許さないのだから。
兄は立ち上がり、娘の前まで歩みを進めた。目の前で立ち止まれば、娘の耳元で艶やかに囁く。
「今からアンタは、アタシ達に犯され喰われて、それを汚い豚声出しながら耐えるの。……大丈夫よ。夜明けには「女王様達の家畜にしてください」って自分から無様に堕落するわ」
はなから私達は、この機会を一晩で終わらせようとしていない。所有権が此方にあるのだから、一晩は何にも縛られず娘を好き勝手が出来るのだ。娘の邪魔な自尊心や崇高さも全て潰して、体に教え込んでやればいい。拷問でも何でもして娘の口から「所有の同意」を得られればいい。そうすればサマエル達の契約も白紙に戻り、イヴリンは蝿の女王と私のものになる。それが「あの方」の決めたルールだ。
イヴリンの後ろで立っていた私は、娘の側へ歩く。女王は此方に気付けば柔かに微笑んだ。
「アンタは今回の功労者だし、最初に手を出していいわ」
「おや珍しい、何の気まぐれです?」
「何よ、じゃあアタシが最初でいいのかしら?」
「そんな事言ってませんよ」
恭しく場所を譲られれば、私は哀れな娘の前に立つ。
手を差し出し、震える娘の華奢な首へ触れる。手は次第に力を強くしていき、娘の首を絞め上げていく。顔は下げているので見えないが、呻き声と共に娘が苦しそうに悶える姿が堪らない。あまりの絶景に呼吸も荒くなっていく。
「この細い首を!!力の限り絞め上げたくて堪らなかったんですよ!!!」
嗚呼最高だ、やっと復讐が出来る。この人間への憎しみが、首にかける手が強まる度に癒えていく。只の喰われるだけの豚が、悪魔と対等な訳が無い。豚は豚らしく、家畜として悪魔に飼われていればいいのだから!
苦しむ娘は、突然震える体をピタリと止めた。そのまま固まってしまうが……可笑しい、まだ殺す程に絞めていない筈だ。ショックで気絶でもしたのか?手を離し、意識を確認する為に髪を掴み顔を上げる。
顔を上げると、イヴリンは目を開けていた。
だが表情は破顔しており、灰色の目を此方へ向けている。
次の瞬間、娘の姿は……海の悪魔の姿へ変わった。
「俺の首の絞め心地、どうだった?」
レヴィアタンは、私へ穏やかに笑いかけた。
《 105 賭けの勝敗 》
目の前で、ベルフェゴールが驚愕の表情を向けている。間抜けな顔で声を出そうとしているが、それを顔を掴む事で止める。奴は悶え暴れているが、どれだけ強かろうと俺には関係ない。この位なら下級も上級も同じだ。
ベルフェゴールの顔を掴んだまま、俺は立ち上がりベルゼブブの元へ向かう。奴は何かに気づいたらしい。辿り着けば眼光を鋭く、吐き出す様に声を出した。
「……最初から、アタシ達はお嬢ちゃんに騙されていたってワケ?」
「あの主が、そう簡単に契約すると思ったのかよ?魚臭い所で気づくべきだったな」
アリアナ・ヴァドキエルが失踪したとなれば、蛆の悪魔が黙っていないし、むしろ大いに関わっている可能性がある。万が一の捜索も考え、娘は一度蛆の悪魔を探知した俺もお供に入れていた。ただ俺はあの悪魔に警戒されているので、念の為内密に、サリエル達にも伝えていなかった。
案の定、事件には過去に恨みをもっている蝿の悪魔達も関わっていた。何をされるか分かったもんじゃないので、ベルフェゴールが一度離れた際に娘に化け入れ替わった。
……まさか、あのスカしたサリエルが全く気づかずに、後ろから抱き寄せるとは思わなかった。素の顔を見せた時の奴の表情は最高だった。娘は入れ替わり戻った後、サリエルと話を聞いたフォルとステラも交えて、ベルフェゴールの目を盗んでは小言を言われ顔を引き攣らせていた。
「俺は化けるのが得意なんだ。服も変えれるし、フォルがあの姿で保てるのも俺が特訓したお陰なんだよ。……まぁそれでも、流石に匂いは騙せないからな。そこは主に協力してもらったよ」
娘に「匂いを少しでも誤魔化す為」と言い、短いながらも濃厚に貪れたのは役得だった。手洗い場の外にいるサリエル達に気づかれない様に声を我慢して、必死に受け止める姿は思い出すだけで息が荒くなる。
そろそろ手が疲れた。ベルフェゴールを掴んでいた手を離し、ベルゼブブへ投げ飛ばす。どうやらやり返しすぎたのか、奴の顔からは目玉が飛び出ている。その目玉を苛立ちながら無理矢理手で戻したベルフェゴールは、激昂した表情で俺に叫んだ。
「ふざけるな!!悪魔と悪魔の契約なんてあり得ないだろう!?」
「いやぁ、俺もどうなるか心配だったさ。……でも契約は結ばれた。まぁ「あの方」は面白い事が好きだからな」
そもそも、契約とは悪魔が人間を貪る為の手段だ。それを悪魔同士でやるなんて今まで誰もいなかっただろう。契約書に自分の名前を書いた時、青い炎に包まれた時は思わず笑いそうになったものだ。
「さて……何だっけな?俺の可愛い主を犯して喰って、豚声出させて家畜にさせるだっけか?」
自分で言葉にしているのに、脳内から血管が切れる音が聞こえる。床は既に海水で濡れており、ベルゼブブ達は今更気づいて顔を歪めた。怯え方は下級も上級も変わらない。
そんな哀れな悪魔達へ、俺は穏やかに笑ってやる。
「悪いけどさ、イヴリンは俺のなんだよ」
精々、あの時の選択を後悔すればいい。
◆◆◆
もしも私がアリアナの立場だったら、あんな芸当出来ただろうか?
一度の命ではなく、全てを好きな者に与える事が出来ただろうか?……考えるまでもない、出来ないだろう。そこまで他人へ無償の愛を捧げれない。過去アレクを想っていた私に聞いても同じ事を言うだろう。
そんな事を考えていると、後ろからの抱きしめられる力が強くなる。腹が潰される様な強さに吐き出しそうになるが、必死に耐えて後ろを振りむいた。
「レヴィスさんや、私を絞め殺す気か?」
馬車の移動中、私を膝に乗せたレヴィスは恍惚とした表情ですり寄っている。色気のある吐息を溢しながら、奴は私へ目を細める。
「んー?……なんか今、クソ国王の事を考えてた気がしてさ」
「…………レヴィスの事しか、考えて、ないよ」
そう言ってやればご機嫌になったのか、レヴィスは腕を緩めてくれた。ふーやれやれ、迷惑彼氏系使用人を持つと苦労する。
ベルフェゴールとの契約では一晩の所有権だったが、正体がレヴィスと分かれば即刻契約破棄を願われたらしい。……が、奴は拒否して律儀に対価を払った。
早朝迎えに行けば、賭博場の入り口で血塗れのレヴィスさんが待っていたのだ。所有権を持っていたとしても、小ヤギが狼相手に手出し出来る筈がない。蝿の女王様達はこの男に相当弄ばれたらしい。……ベルフェゴールは何やかんや私守ってくれたし、可哀想になってきた。
とか再び考えていたら、レヴィスに頭を掴まれ無理やり後ろを向かされる。首捥げる、サリエルよりも容赦ねぇ。
「主、まだ俺対価もらってないよな。舌しゃぶっていいか?前にサリエルよりも快くしてやるって言っただろ?」
響く低い声で、色気の権化が囁き掛けてくる。
言い換えれば、色気で誤魔化して下品な事囁いてくる。
「何言ってんの、手洗い場の個室でご丁寧に与えてやったじゃん。気絶したんだぞこっちは」
「あれは正体を隠す為だろ?対価じゃない」
「よく言うわ!あんな楽しそうにしてやがったのによぉ!?」
「いいや対価じゃない。そもそも対価か否かは主が決める事じゃない」
ああ言えばこう言う!と怒鳴ってやりたいが、中々痛い所を突かれてしまった。確かに対価を決めるのは悪魔達であり、私に拒否権はない。
悲しい事に、例え対価が「裸で逆立ちしろ」でも従わなくてはならないのだ。まぁ契約内容に「ある程度の対価」と「過度な痛みを感じさせる行為は禁ずる」とある為に、処女奪うとか命奪うとかは出来ないが。舌打ちされまくるのに半泣きで耐えて、三日掛けて契約内容決めて本当によかった。
考えを察したレヴィスは、ゆっくりと指で私の唇をなぞった。官能的なため息を吐けば、私へ呟くように声を出す。
「イヴリン、愛してるよ」
「…………こんな主人思いの使用人を持てて、私は幸せだー」
「何時までそれ続ける気だよ?」
「何時まででも?」
不機嫌に睨んでくるが、これも自衛なのだ。
「悪魔が人間を愛する」今回の事件でその事実を私が理解した途端、レヴィスは二人きりになる度に愛を囁く様になった。普段も口説いてはいたが数倍過激になり、何なら今みたいに名前を呼んでくる。……思えば、今までは口説いても茶化している様に聞こえたり、隙を与えてくれていた気がする。この悪魔なりの優しさだったのだろう。
まぁ、何だ。知った途端に本気で口説いて来ているんだ。単純に考えればつまりそういう事だろうが、例え想いに応えなくても「ソレ」を認めてしまえば確実に面倒な事になる。他の悪魔達との関係も悪化するし、私を陥れる為の偽物の好意かもしれない。こんな事で私の三十一年が無駄になる訳にはいかないのだ。
私は必死に表情筋を動かして、今にも攻め落とさんとする悪魔に社交辞令の笑顔を向けた。その表情を見たレヴィスは、非常に不満げな表情をしながら、唇に触れていた手を動かし口を開かせる。
「極上の男に求められてるのに、そんな態度取るのアンタ位だよ」
「自分で言うな」
そのまま対価を受け取ろうとしているのか、レヴィスの顔が近づいてくる。致し方ないので目を瞑って迎えた。
……だが、そこから一向に唇の感触が来ない。代わりに荒い息は当たる。
どうかしたのかと目を開ければ、レヴィスが熱を孕んだ灰色の目を向けていた。驚きすぎて体を離そうとするが、腕がきつく回され無駄だった。化ける為に香水を付けていない奴は、本来の生臭い匂いを纏わせている。一体どうした?対価変更か?……すると、レヴィスは漸く口を開いた。
「耳、赤くなってる」
「えっ」
……確かに言われてみれば、耳が熱い気がする。自分でも確認しようとしたが、その前に耳をおもっきり齧られた。
「痛っ!?」
「なぁ、何だこれ?……もしかして、俺に口説かれてこうなった?」
「…………違う」
「嘘だな。自覚して顔も赤くなってる」
吐く息は煙が出ているし、目がイッてる。これはイカン、大興奮している。待て、絶対今口付けしたら火傷するだろ。
確かに何十年もレヴィスに口説かれ続けていたが、照れていたのは慣れない最初だけだった。今では適当に返事をしているだけで、むしろ言われすぎると引くし、冷静に対処をしていたが…………………
…………ちくしょう、そりゃあそうだろう?こんな極上の美形に、もしかしたら本気で愛されているかもなんて自覚すれば、気持ちなんてなくても誰だってこうなる。私だけじゃない。
だがそんな事はこの悪魔に関係ないのだろう。奴は後頭部を掴んで逃さない様に捕らえてしまう。時間を置いてもらおうとしたが、奴は瞬く間に唇を合わせ堪能した。勢いよすぎてむせた。
……どれくらい経っただろう?
一度唇を離したレヴィスは、脳の処理が追いつかず朦朧とする私へ、優しく諭すように毒を吐いた。
「さっさと堕ちちまえ」
そこからはもう、狂った様に対価を支払わされた。
最悪だ、まだサリエルの対価の分も待っているのに、こんな顔絶対見せられない。
98話では、イヴリン視点の会話ではなくレヴィスです。故に会話以外では「私」とは名乗っていません。イヴリンはサリエルの紅茶淹れるの遅いとか考えていません()
100話でのケリスとの会話にて、レヴィスが一度だけ一人称を間違えているのは、イヴリンに化けていた反動です。誤字脱字報告していただいた方!!本当にすいません!!!間違いじゃないんですすいません!!!(土下座)