10 夢魔
パトリックを灰色の目で凝視していたレヴィスは、鑑定が終わったのかこちらへ振り向く。その表情は笑いをこらえていた。
「すごいなこいつ、四分の一がインキュバスなのに、童貞じゃないか」
「えぇ!?すごぉい!!よくこの年齢まで童貞だったねぇ!?」
「四分の一もあれば、テキトーな人襲ってそうなのにねー!」
「あらまぁ、相当な自制心の強さだこと。それかプライドが高いのかしら?」
「どっちもだろうな。父親は悪魔に術をかけられていたし、恐らく母親の血筋だろう。」
椅子に座るパトリックを囲むように、使用人達は彼をまじまじと見ている。縄で縛られたパトリックは散々の言われように顔を引き攣らせていた。
私はと言えば、彼の向かいにある椅子に座り優雅に紅茶を飲んでいた。うん、今日の紅茶も最高に美味しい。
「何なんだ貴様らは!?さっきから失礼すぎるだろ!!」
流石に言われっぱなしで腹が立ったのか、パトリックは椅子から離れる為に暴れ始める。それを面白そうに使用人達は見ているので、それに更に腹を立てたのか、顔が真っ赤になりながら怒りの表情を向けている。
私は紅茶をテーブルに置き、大きくため息を吐きながら使用人達を見た。
「皆、パトリック様が童貞だろうが何だろうが、人それぞれなんだからいいじゃん」
「お前なぁ!?」
パトリックの怒声を無視して、私は彼の目の前まで向かった。先ほどの可愛い幼子パトリックは何処へやら、普段と同じ軽蔑した目線を向けてくる。……まぁ、ちょっと信頼してくれているのか、多少は柔らかく見てくれているが。
「パトリック様。悪魔関係の事について口外しないと、今この場で約束してください。そうすれば私達はこれ以上手を出しません」
そう言って先程作成した契約書を差し出す。もちろん悪魔との契約ではない。ただの手書きの契約書だ。まぁ、この契約を破った場合、物理的に公爵家を潰すと書いてあるが。
パトリックは契約書の内容を見て、そして私を見た。その表情は動揺している。
「……イヴリン、お前は一体何者なんだ?」
「パトリック様と同じ人間です。ちょっと後ろの悪魔達と契約しているだけで」
「じゃあ、お前もスザンナの様に復讐したい相手がいたのか?」
平然と理解し、そして質問をしてくる。本当にこの男は聡い。記憶が消せないのであれば、彼を信頼させる為にも自分の身の内事情を話した方がいいだろう。私は三十年前から今までの事を、多少強引に砕けて語っていった。話を聞いていたパトリックは、段々と顔を険しくさせていく。
最後まで話し終わった所で、彼は険しい表情のまま口を開く。
「じゃあお前は、勝手に蘇らせられ、ほぼ強制で契約させられ。そして五十年間契約を守り切らなければ、後ろの悪魔共に永遠に食われる運命って事か?」
「理解早すぎて逆に怖いな」
この男、恐ろしいほど完璧に理解している。流石次期公爵なだけあると感心していると、パトリックは後ろにいる使用人悪魔達に目線を向けた。
「弱い者を陥れる、屑が」
パトリックの吐き出すような罵倒に、使用人達は表情こそ普段通りだが空気は張り詰めた。うわっこれは酷い。思わず顔を引き攣らせていると、レヴィスが私の側へ寄り、パトリックに見せつける様に耳元に口を近づける。
「主、今日の夕飯は少し変わった肉を用意しようか?」
「共食いさせる気かお前は」
普段と同じ穏やかな表情なのに、声だけドスの効いた声を出してくる。怖すぎるんだが。
その後は、パトリックを襲おうとする四人をサリエルと止めたり、パトリックが暴言を吐こうとするのを止めたりと散々だった。最初こそ貴族相手なので敬語を話していたが、段々面倒になり砕けた話になってしまった。まぁ何も言ってなかったしいいか。
最終的にパトリックは「家の事で世話になったから」と言い契約書に署名をしてくれた。悪魔と契約した私を気にかけてくれるし、何やかんや面倒見がいい男なのかもしれない。
思わぬ喧嘩勃発に時間を取られてしまい、夜遅くになったので、パトリックはそのまま屋敷に一晩泊まる事になった。この屋敷は部屋も多いし、元王族の別宅だから公爵家の彼でも心地よく過ごせるだろう。めっちゃ嫌そうだったけど。
夕食時、食事が美味いと褒めたパトリックは、作ったのが悪魔だと知ると「お前は無防備すぎる」と静かに怒られた。心配してくれているのだろうか?
◆◆◆
今日は最低な一日だった。欲望のままに行動した結果、悲惨な最後を迎えている両親に絶望を感じ、そんな両親に気付けなかった自分に憤りを感じた。
悪魔なんて、空想上でしかない存在だと思っていたものが実在して、その悪魔に魂を売るほどに憎まれていた両親。母は、そして近いうちに朽ちるだろう父は、決して天国に行く事は叶わないだろう。
用意された部屋で寛いでいると、控えめにドアのノックが鳴った。……この屋敷の住人は悪魔と、そしてあの娘しかいない。内側からドアを開けると、やはりイヴリンがいた。風呂に入ってきたのだろう。寝巻き姿にカーディガンを羽織っているが、少し見える肌の血色が良くて思わず見てしまう。
「パトリック様?」
「……何でもない。何か用か?」
雑念を払いながら声を掛けたので、少し声色が強くなっていたのだろう。だがイヴリンは何も気にせず、普段通りに笑いかけてきた。
「就寝の挨拶をしにきたんです!パトリック様はお客さまですから!」
「気絶させて、無理矢理連れてきた癖に……」
娘は苦笑いをしながら頬を掻く。そのまま就寝の挨拶をしたイヴリンは、部屋のドアを閉めて自室に戻ろうとした。だが俺は娘に伝える事がある為、閉じかけたドアに無理矢理足を入れて止める。
その行動に驚いている娘へ、俺は真顔で言葉を投げかけた。
「悪かった」
「……えっ?」
「全部……今までの暴言や苦言、全部悪かった」
部屋に案内されている最中、あの黒髪の執事が言っていた。この屋敷は三十年前に譲り受けられたが、あくまで借りている状態なのだと。だがら屋敷の管理代として国から支援を受けている事。お茶会も現国王の時から続いているが、むしろ娘は自分の立場を理解し、離れようとしているがそれを阻止されている事。……結局、俺は娘の処遇を知りもせず、社交界の令嬢と同じく噂話を信じていただけだった。
「公爵家を救ってくれた恩もある。我がレントラー家は君の悪魔探しに最大限協力する。」
「………」
「本当に、申し訳なかった」
娘へ頭を下げ、最大限の謝罪をする。貴族が平民に頭を下げる事などあってはならないが、それでも今回はその規則を破らせてもらった。それほど酷いことをしていたのだから。
頭上から、小さく笑い声が聞こえた。
そこまで滑稽だったのかとやや不機嫌になりながら、頭を上げる。
だがそこには、目を細め、美しく微笑むイヴリンがいた。
「もう、本当に真面目な人なんだから」
「…………」
「じゃあ今回のパトリック様の連れ去り、これでおあいこにしましょ?」
微笑んだ表情のまま、イヴリンは就寝の挨拶を再び行い、今度こそドアを閉めた。
俺は、ドアの前で立ち尽くしていた。呆然としているとか、力が出ないとかではない。あまりにも心臓の鼓動が早すぎて、体が痙攣して動かないのだ。
どうにか動かせる頭を、ドアに軽くぶつける。一体どうしたんだ?急に体調が悪くなったのだろうか?
あまりにも心臓が動きすぎて、息も苦しい。……明日、この屋敷を出たら公爵家の駐在医師に診てもらおう。このままでは公爵家の仕事に差し支える。
翌朝、朝食を食べながらイヴリンに昨夜の話をした所、何故か娘もその後ろの使用人達も顔を引き攣らせた。無表情が張り付いた執事まで顔を引きつらせており、一体何にそうなっているのか聞いてみたが、イヴリンは「童貞を極めるとこうなるのか」とか言い捨ててきた。
だが、何故彼女を見ると胸が苦しくなる理由は、教えてくれなかった。
パトリックさんは心を許した相手のみ「お前」呼びになります。(本人自覚なし)