104 馬鹿な女【下】
長いです。二話分です。すいません、許してください。
東の国境沿い。馬車の外では、農民が作物にかかった霜を取り除いている。大きな街はなく、馬車を持つ者も少ないのか、此方の姿を見て喜んで手を振る子供達も見えた。
この場所はアリアナの母、アガサ・ヴァドキエルの故郷だ。今ではその弟が家督を引き継いで領地を収めている。すぐ近くが隣国な為、国境を守る辺境伯として国でも重要な立ち位置にいるが……アレクが国王となってからは戦争もないので、穏やかな田舎街となっている様だ。
馬車の向かいに座るベルフェゴールは、此方を柔和に見つめている。うちの悪魔達よりも礼儀正しいが、腹の底では何を考えているのやら。
サリエルには奴にしか出来ない別件を頼んでいる。お供であるフォルとステラは私の隣に座り、ベルフェゴールを不機嫌そうに睨みながらくっついている。……どうしよう、昨日の中年紳士フォルが衝撃すぎて、この可愛いフォルの姿を脳内で紳士に変換してしまう。中年が不機嫌で頬膨らませてるみたいになってる。雑念を払うために首を振ってから、目の前のベルフェゴールへ顔を向けた。奴は此方へ笑いかける。
「ご主人様、この土地で蛆の気配がします。どうやら正解かと」
「そりゃよかった。……で、結局アリアナ様を対価にした契約は結ばれてないんでしょ?見つけても手出しできないんじゃないの?」
「その通りです。しかしアリアナ嬢との契約が終わった今、女王は次の契約が出来る状態です。今度こそヴァドキエル侯と正式に契約するつもりですので」
「へぇ……っていうか、私が欲しくてこんな大舞台を用意したのに、随分あっさりしてるね」
「この前もお伝えしましたが、最近の貴女は隙まみれです。また機会はあります。今の貴女なら簡単に契約できると分かっただけ十分です。メインは最後に、今回は前菜で結構」
さも当たり前の様に伝えてくる悪魔に、私は小さく舌打ちをした。
辺境伯家、ウィルド家の正門には男が仁王立ちしていた。恐らく当主のキール・ウィルドだろう。この屋敷は高台にあるし、馬車が此方にやってくると分かったのだろうか?此方に獣の様な眼光を向けている。私は三人の悪魔に姿を消すように命令した。小娘一人で来たと思ってくれた方が警戒心も緩むだろう。
馬車から降りると、ウィルド伯は一人で来たと思ったのだろう。やや動揺して周りを見て、やはり一人だと分かれば恐る恐る口を開く。
「もしかして、アリアナのご友人か?突然あの子がやって来て「数日匿ってくれ」と言われているんだが……理由を教えてくれないんだ。侯爵家で何があったんだ?」
その言葉で、やはりアリアナはこの屋敷に匿われているのだと分かった。恐らくアリアナの様子を見て、侯爵家で何かがあったのだと察したのだろうか?そして馬車がやって来たので、アリアナを連れ帰りに来たと思ったのだろう。もしヴァドキエルの馬車だったら、こんな事をすれば辺境伯なんてすぐに潰されるだろうに……人がいい伯爵だ。
ギデオンがヴァドキエル夫人に贈った髪飾りは、もしギデオンがこの髪飾りだけを見ていれば、この街を思い出すものだったらしい。……しかし、その隣にコインが置かれていた事で、彼はそちらに意図があると思ったのだ。複数人の欲望が渦巻くと、以外に単純だった事件も複雑になってしまう。本当に面倒だ。そう考えていた時の表情は、相手を馬鹿にした様なものだったらしい、ウィルド伯はやや目線を鋭くさせた。
「おい、聞いているのか」
「…………ベルフェゴール」
私はウィルド伯の言葉には答えず、代わりに姿を消しているベルフェゴールへ声をかけた。伯爵は此方に怪訝な表情を向けたが、その直後姿を表したベルフェゴールに驚く。離れようとする彼よりも早く、ベルフェゴールはウィルド伯の耳元で何かを囁いた。
すると伯爵は茫然とした表情に変わり、私達への反応もなく門の外へ歩いていく。……恐らく、先代のレントラー公が悪魔に掛けられた術と同じものだろう。
「可哀想だから、後で解除しておいて」
「承知いたしました」
「ご主人様は優しいんだからぁ」
「そうだよー!あんな奴そのままにしておけばいいじゃーん!」
姿を消した悪魔達がぐちぐち言っているが無視だ。私はそのまま三人の悪魔達を引き連れて、辺境伯邸へ足を踏み入れた。
《 104 馬鹿な女 【下】 》
「まさか、貴女が来るとは思わなかったわ」
屋敷の扉を開けると、正面ホールには鋭い目線を向けるアリアナがいた。ここから探すのに手間がかかると思っていたが、まさかご本人が出迎えてくれるとは。普段の豪華な装いとは違い、私と同じ様な質素なドレス姿のアリアナへお辞儀をする。
「お茶会ぶりですね、アリアナ様。……屋敷の使用人がいない様ですが、逃がしたんですか?」
「ええ、貴女がキール叔父様と話してるのが見えたから……ここに来るって事は、お父様に依頼されたって事でしょう?はべらせている悪魔達にこの場所を教えてもらったの?」
成程?アリアナは私が悪魔と契約しているのをご存知らしい。故に二人で逃げる事が不可能と察し、この場にいないケビンを逃して時間稼ぎをしているのだろう。随分とあの悪魔に御熱心らしい、哀れな女だ。
「いえ、ギデオン閣下に聞きました。閣下が「髪飾りが私宛なのなら、ここだろう」と」
そう言い、私はハンカチに包んでいた髪飾りと、質素な封筒の手紙を差し出した。アリアナは閣下の名前と、髪飾りを見て一気に顔を歪める。
「閣下より、髪飾りを預かってまいりました」
歪んだ顔で、ゆっくりと手を差し出し受け取ったアリアナは、髪飾りを慈しむ様に撫でる。そして手紙を開き、中に書かれていた内容を見た。しばらく経つと、手紙を握りしめている手が震え出す。
「……あの悪魔は、お父様と契約していなかった……?」
「ええ、ベルゼブブは「ある目的」の為に、ヴァドキエル家を駒として使っただけです」
「なら!ケビンはお父様に殺されないの!?」
「そもそも、ケビンを殺そうとしているのはベルゼブブです。ですが、ベルゼブブはアリアナ様が見つかった際には、今度こそ侯爵様と契約を結ぶつもりみたいですが」
伝えるのは酷だが、それが事実なのだ。偽っても彼女の為にならないだろう。……まぁ、流石に私と契約する為に駒として使ったとは言わないが。
アリアナは震える唇を噛み締め、髪飾りを強く握りしめた。
「叔父様は……どうして来てくれなかったの?」
「何故閣下がここに来なくてはならないんですか?」
どうやら、アリアナは自身の出生の秘密を知っている様だ。……だがギデオンがこの土地に来る事はないだろう。ギデオンがこの地へやって来て、アリアナを連れ帰る。そんな事をしてしまえば、当然髪飾りの秘密も解き明かされ、ギデオンとヴァドキエル夫人の関係を疑われてしまう。
髪飾りには、この地でしか咲かない花が硝子細工で作られ飾られていたのだ。侯爵家の世継ぎを産む為にも、ろくに自由な行動ができなかった夫人は故郷を恋しがっていた。それを聞いたギデオンが贈った代物だ。……義理の弟にそんな話はしないだろうし、そんな髪飾り、ただの義理の姉に贈らない。証拠が簡単に掴めてしまう、馬鹿な贈り物だ。
それに夫人は、アリアナを産んだ事を病んで亡くなったのだ。そこには年頃になれば、悪魔の生贄になる事への恐怖もあったのだろうが……ヴァドキエル侯を裏切った事への後悔も含まれていたと思う。裏切りを象徴する様な赤子の赤髪は相当に堪えただろう。
何にせよギデオンは兄を裏切り、無謀に愛した女を守れなかったのだ。アリアナがどう思おうとも、ギデオンは姪以上の情はあっても、アリアナを娘と思う事はない。それが彼のけじめであり、滑稽な男の本性だ。
「閣下は、貴女の叔父です。それ以上になろうなんて考えていない」
「………っ」
アリアナは目に涙を溜めながら私を睨みつけている。……本当に馬鹿な女だ。長年侯爵に道具の様に扱われているのを、ギデオンは見てみぬフリをしていた。その時点で、助けを求めても無駄だと理解すればよかったのに。人間を誑かす悪魔を助ける為にこんな事をして、結局何も得られない。
……だが、そんな馬鹿な女は嫌いじゃない。
突然、横から突風が起きた。其方へ向けば、茶褐色髪の男が殺意を込めた目線で剣を向けている。その切っ先は私の喉を狙っていた様だが、寸前の所で姿を表したベルフェゴールに素手で剣を掴まれている。奴の手から溢れた血が床に落ちているが、本人は気にせずに男に冷たい目線を向けた。
アリアナは突然現れたベルフェゴール、ではなく剣を持つ男に真っ青な表情を向けた。
「どうしているの!?逃げてって命令したじゃない!!」
その叫びを聞いて男、ケビンは舌打ちする。
「五月蝿い!!!」
掴まれた剣の柄から手を離し、ケビンはベルフェゴールから距離を取った。どうやら蛆の悪魔はお姫様を助けに来たらしい。……「あり得ない仮説」だと思っていたものを、こうやって実際に目にすると感動だ。まさか、悪魔と人間が愛し合っているなんて。
切っ先から手を離し、柄を握るベルフェゴールはケビンに嘲笑った。
「まさか、蛹になれなかった蛆が抵抗するなんて。余程その人間が大切なんですね」
その言葉に、姿を見せたフォルとステラが可愛らしい笑い声をあげた。
「ねぇねぇ!早く殺しちゃってよぉ!」
「そうよ!そんな蛆、地獄にもどしても意味ないよー!殺しちゃえー!!」
幼い子供達の酷い声掛けに、アリアナは顔を真っ赤にして震え、再びケビンへ逃げるよう叫んでいる。
私はそんな彼女の元へ歩みを進めた。此方へ眼光鋭くさせているアリアナへ、唱えるように声をかける。
「さぁ、アリアナ様。どうするんですか?」
その言葉にアリアナの瞳が動揺で揺らぐ。ギデオンと同じだ。私は手を差し出し、言葉を続けた。
「この先を、貴女は選択ができます。決めるのは自分自身です」
ここまでの舞台は与えた。ここからの物語は彼女が決める。
私の問いに、アリアナは下を向いた。……暫くすると、小さく笑い声が聞こえる。それは悪魔共には聞こえない、近くにいる私だけにしか聞こえない程の、小さなもの。
「……私、貴女の事嫌いよ」
「残念、私は結構好きになってきたのに」
「その声も、顔も。……私の居場所も、ただの平民の癖に、何もかもを奪った貴女が嫌い」
「奪ったつもりありませんけどね」
「そうよ、貴女自身は何も奪っていない。でも周りは貴女に与えていった。のうのうと生きているだけなのに……私の方が、何十倍も頑張ったのに」
小さく、小さく囁かれる罵倒に。
私は目を細めて笑った。
「……で、そんな惨めなアリアナ様は……何を望む?」
「……………私は」
その直後、ケビンの悲鳴が聞こえる。私達が話している間にも、ベルフェゴールはケビンを痛めつけていたが致命傷を与えたのだろう。ケビンは目玉に切っ先を刺され、そこから蛆を出し続けている。ベルフェゴールはその目に手を差し込み、音を鳴らしながら皮を剥ぐ。その光景にフォルとステラは腹を抱えて大笑いしていた。
泣き叫ぶ蛆の悪魔から噴出す蛆を見て、ベルフェゴールは醜い獣の様に顔を歪めた。目玉を刺した剣を引き抜き、今度は胸に刺す為に構えた。
「蛆なんて、どれだけ減っても「あの方」は何も思わないでしょう!?」
狂った様に叫んだベルフェゴールは、再び剣を突き刺そうと手を動かす。ケビンは震えながら、さらに増える痛みへの恐怖で目を瞑った。
結果、剣は見事に相手の胸に刺さり、そして貫通し反対側に切っ先が現れる。
だが、刺されたのは蛆ではない。
覆いかぶさる様にアリアナが蛆に抱きつき、その背中を突き刺していた。
ベルフェゴールは驚き柄を離すが、剣はそのままアリアナに突き刺さったままだ。自分に抱きつくアリアナを見て、顔の皮が捲れ、蛆の集団で形作られたケビンの口が動く。
「ア、アリア」
言葉の続きは、蛆の口がアリアナの唇で塞がれた事で声に出す事は出来なかった。潰れていない目玉が大きく開く。まるで信じられないものを見ている様だ。
やがて唇は離れ、唾液ではなく血が溢れ出す。アリアナは痛みに耐えながら、蛆へ微笑みその頬を撫でた。
そうして、愛おしい蛆へ囁く。
「……わ、私を……地、獄に………堕と……して……貴方と……一緒に……」
その囁きを最後に、頬を撫でる手は力無く落ちた。
自身に覆いかぶさるアリアナへ、ようやく蛆は震える手で彼女を包み込んだ。
体が震えている。……それは歓喜からだ。彼女が自分の所為で堕ちた事への喜びを隠せないのだ。
体を震わせながら、蛆は恍惚とした笑みを彼女へ向ける。
「アリアナ……堕ちてくれた……愛してる……ずっと一緒だ……ずっと、ずっとずットズっト!!!」
狂った様に愛を叫びながら、蛆は彼女の体を慈しみながら闇に包まれていく。
その闇と一緒に、アリアナの手に握られた髪飾りと、手紙も溶けていく。
私が書いた手紙。これまでの真相と、最後に彼女に選択を与えたもの。
「……「自分が助かりたいなら、男を捨て逃げろ。好きな男を助けたいなら、生贄になれ。好きな男と共にありたいなら、死んで地獄に堕ちると懇願しろ」とは書いたけど……まさか、最後になるとは」
今回の事件の仮説を立てた時、私は悪魔達へ「悪魔は人間を愛する事があるのか」と質問した。その答えはイエス、むしろ所有欲の高い悪魔にはよくある事らしいし、堕落させ故意に地獄に堕とす事もあるという。
だがそれは簡単ではなく、対象の人間と対価で所有を含めた「契約」をするか、もしくは悪魔の前で「所有への同意」をして、神への冒涜行為として堕落……望んで命を落とさなくてはならない。殆どは前者らしいが。
ベルフェゴールは、まさか自分達の対価になる事を拒絶しなかった、道具として育てられたアリアナの予想外の行動に驚いている。フォルとステラも笑うのを止め、引き攣った表情だ。奴らはもう二人を傷つける事は出来ない。この行為は「あの方」のルールであり、背く事は許されていない。
蛆の悪魔がアリアナの想いに応えない可能性もあった。結局アリアナだけが愛して、悪魔は犯すだけの存在としか見ていない。逃げないのだって、獲物を失う事への焦りかも。……アリアナはそれでも、蛆の悪魔へ命を渡したのだ。その結果がどうだ?
地獄の闇に堕ちて、溶ける二人を見ながら私は笑う。
「後始末は任せて、精々地獄で楽しめ馬鹿女」
二人のいた場所から闇は消え、残ったのは血の痕だけだった。