103 馬鹿な女 【上】
私が産まれてすぐ、自ら命を絶ったお母様。屋敷に飾られている絵で顔を知った。
私とよく似た顔つきの、藍色の髪を持つお母様。元は辺境伯家の生まれで、お父様とは政略結婚だったらしい。
お父様は私に「愛してる」と言ってくれる。小さな頃はただ純粋な家族愛だと思っていたが、やがて私が悪魔の対価になると教えられた時、その言葉の意味は「使える道具として愛している」という意味なのだと分かった。……私のお母様は、それに病んで死んでしまったのだと。
屋敷に飾られている絵の中で、お母様は美しい細工の髪飾りを付けていた。長く家に使える使用人に聞けば、とても大切にしていた髪飾りらしい。お母様は「贈り物」だと言っていたそうだが、お父様は贈り物をする人ではなかったし、一体誰から贈られたのだろう?
幼い私は、触れた事のない母の温もりを恋しがって、死後も放置されていた母の部屋を何度も訪れた。その度にあの髪飾りを探していたが、結局見つからなかった。……使用人が覚えている程に大切にしていたのだ、もしかしたらお母様と一緒に埋葬されたのかもしれない。何度も探しているうちにそう考えるようになり、何年後かには髪飾りの存在も忘れていた。
だが、その考えは間違っていた。私がずっと探し求めていた髪飾りは、私の婚約祝いのパーティーで叔父様に贈られたのだ。
「偶然見つけたんだ。受け取ってほしい」
そう言いながら、私を日頃から気にかけ、可愛がってくれている叔父様は微笑んだ。
小さな箱の中には、あの絵に描かれたものと同じ髪飾りが入っていた。何処で見つけたのか聞いてみると、それははぐらかされてしまう。……どうして叔父様が持っている?私があれ程にまで探していたのに、偶然見つけられるものなのか?私は嬉しさと動揺で、うまく叔父様に笑えなかった。
その時、私達の姿を見ていた隣国の客人が、叔父様を私の父親と勘違いして挨拶をした。慌てて否定すると客人は驚いていた。……確かに、私と叔父様は髪色が同じだ。でもそれは先代ヴァドキエル侯から引き継がれたもので、叔父様はお父様と兄弟なのだから似ているに決まっている。
「私はこの子の叔父です」
そう言いながら、叔父様も客人へ勘違いだと否定した。でもその表情は、とても悲しそうだった。
……ずっと、私は叔父様に聞きたかった事がある。
どうして貴方は、お母様の肖像画の前を通る度、あんな愛おしそうに見ているの?
どうして時々、それと同じ表情を私へ向けるの?
パーティーの騒々しさに疲れた私は、会場から離れ外廊下の椅子に座っていた。
会場の中の賑やかさとは違い、少し離れるだけで随分と静かだった。手には先程受け取った髪飾りがある。月明かりに照らしながら、その髪飾りを眺める。
「おい、何してるんだ」
「きゃっ!?」
突然声が聞こえた。驚いて隣を見れば、我が家と契約を結ぶ悪魔がいた。
普段は使用人として紛れ込んでいるが、彼は初代ヴァドキエル侯から契約している蛆の悪魔だ。五歳の頃、この家の女に産まれた宿命を聞かされた時、信じる事が出来なかった私は、にやけた表情でこの悪魔の身体中から蛆が出てくるのを見せられて大泣きした。
やや長い茶褐色の髪を後ろで結び、使用人服を着た彼は、頬杖を付きながら私へ無愛想な表情を向けていた。彼はため息を吐きながら、再び口を開いた。
「今日の主役だろ?此処にいたらフォーレンに怒られるぞ」
愛想のない声で、悪魔は静かに私を窘めている。……昔からずっとそう、こうやって一人でいると、この悪魔は突然現れる。
口や目から蛆を出して驚かせてきたり、手を差し出せと指示され言う通りにすれば、大量の蛆を持たされた事もある。最初こそ恐ろしくて泣いていたが、やがてそれが彼なりの慰め方なのだと分かれば、今度は私が彼に近づいていった。
この悪魔に近づけば近づく程、この悪魔が人らしさを出す程。
私の初めてを、この蛆に捧げるのは悪くないと思った。
今夜は私達だけ、他には誰も来ないだろう。私は背伸びをして、夜空を見ながら深く息を吐く。
「ねぇ、どうしてヴァドキエル家と契約したの?」
「はぁ?そりゃあお前……家と契約した方が、いちいち契約をしなくていいから楽なんだよ」
「処女を奪うのが?」
私の言葉に、悪魔は眉間に皺を寄せた。
「……言っておくが、お前が嫌がろうが契約は契約だ。もうお前は同意をしてるし、俺は十八歳になったらお前を犯すぞ」
どうやら、自分に処女を奪われる事を嘆いていると思われたらしい。吐き出す様に伝えられてしまったが……別にそんな事、これっぽっちも思っていない。それを言ってもこの悪魔は信じてくれないだろう。
心配性な悪魔に、私は精一杯の笑顔を向けた。
「そんな事、言われなくても分かってるわよ」
私が抱くこの想いは、知られたとしても報われない。だってこの蛆の悪魔は、私の事を対価としか思っていないのだから。
でもそれでいい、私と彼の使命は違う。私はヴァドキエル家の道具として、家の為に王太子妃となり、彼と国を支える。蛆の悪魔はこれからも永遠にヴァドキエル家を支える。
でもせめて、私が捧げるまでの間……この悪魔は、私しか見ないでほしい。
それ位は許してくれるでしょう?
《 103 馬鹿な女【上】 》
ヴァドキエル家と契約した理由は、もう何百年も前だから覚えていない。だが一人の人間の栄光を与え続ける代わりに、此方に怯えながら「同意」した初物の女を穢せるのは最高だ。
蛆なんて、存在する悪魔の中でも一番多い下級種だ。上級の奴らと違って僅かな力しかない。そんな俺にしてはいい契約をしたとつくづく思う。
そんなヴァドキエル家で、数十年ぶりに女が産まれた。そりゃあ喜んだよ、久しぶりの獲物だ。娘の母親は病んで自殺してしまったらしいが、そんな事知ったこっちゃない。
アリアナと名付けられた娘は、五歳になった時に自分の使命を伝えられた。最初こそ俺が悪魔なんて有り得ないと非難していたが、体から蛆を出せば大泣きして信じた。あの時の泣き顔は最高だった。
あの娘は自分の立場をよく分かっている。父親を失望させない様に馬鹿みたいに必死になって、そして疲れれば一人で泣いていた。……そんな調子でいれば、母親と同じように自ら命を絶つかもしれない。そう思い泣き顔をみるついでに監視していたのだ。
最初こそ唆る泣き顔を見せてきたが……段々慣れてきたのか、逆に向こうからやって来る様になった。来るたびに「蛆を出せ」とせがんで来るのは本当に煩かった。何度追い払ってもやって来るし、本当に意味がわからない。監視の仕方を間違えた。
そんな馬鹿みたいな努力が報われて、アリアナは王子様の女に選ばれた。光栄な事だ、あのお綺麗な王子様よりも早く、アリアナを好き勝手出来るなんて。最高の対価だ。……本当、笑える。
だが突然現れた魔女の登場で、全てが変わってしまった。
術で隠しても分かる、最高の肉と魂を持った魔女。その側には地獄でも指折りの悪魔達。過去に国王を癒した魔女は、今度は王子を癒し信頼を勝ち得た。自分の居場所を奪っていく魔女への恐怖で、アリアナはどんどん狂っていった。
やがて魔女の従える悪魔達が、俺なんかじゃ太刀打ち出来ない程の存在と分かれば、フォーレンは勝手に失望していた。
その時点で嫌な予感がしていたが、ある夜突然アリアナが俺の部屋にやってきた所で、それは正しかったのだと知った。
「お父様が貴方を殺そうとしているの!一緒に逃げて!!」
俺の肩を掴み、アリアナは泣きながら俺に叫んだ。
意味が分からず理由を聞けば、どうやらフォーレンは俺を殺して、新たに上級悪魔ベルゼブブと契約し、対価でアリアナを与えるつもりらしい。
アリアナは俺に処女を奪わせてからだとフォーレンから聞いていたし、まさか俺を殺す事が必要だと知らなかったと。……それを全て、ベルゼブブから聞いたと言った。
そしてアリアナはそのベルゼブブと契約し、俺を逃がそうとしている。対価は「コインを必ず誰かが気にかける様に置く」事。……あの蝿の悪魔が、たったそれだけの対価で手助けするなんて可笑しい。だがアリアナは既に契約を結んでいる。
アリアナはコインと共に、母親の形見だと言っていた髪飾りを置いた。自分の部屋ではなく、俺の引き出しにこの髪飾りを置けば必ず叔父が気づくと。
「叔父様なら……きっと場所に気づいて、貴方を助けてくれる」
そう呟けば、茫然としていた俺に手を差し出した。
何年か前の、一緒に夜空を見た時と……同じ笑顔を、俺に向けた。
「貴方だけは、絶対に死なせない」
そう俺に強く言い放ち、ゆっくりと上げていた手を無理矢理掴んで、アリアナは俺と共に逃げた。
なぁ、アリアナ。お前は本当に馬鹿な女だ。
どうせお前の事だ、俺を逃したら自分だけ侯爵家に戻って、父親の契約の対価になっちまうんだろ?お前はそんな奴だもんな。
お前は悪魔を何も分かっちゃいない、あのベルゼブブがこんな簡単な対価で手助けするなんて有り得ない。……あの野郎は、はなから俺もお前も遊び道具としか見ていない。この契約だって何か裏があるんだよ。馬鹿正直なお前は知らないだろうけど?
でも俺は騙されたフリをして、殺される前に逃げるさ。遠慮せずお前だって使ってやるよ、そうやって俺は生きてきたんだから。
……なぁ、アリアナ。
こんな馬鹿な事までして、俺を守ってくれたんだな?
今まで散々いい女になったお前を揶揄って、怯えさせて。魔女に酷い目に遭ったお前の敵討ちも出来なくて。
こんな弱い蛆の俺を、お前は守ってくれようとしたから、悪魔なんかと契約したんだろ?
…………なぁ、アリアナ。
俺は……自惚れていいんだよな?お前に愛されてるって。
次回【下】です。次話のタイトルも「馬鹿な女」だなぁと思いまして……このような次第に。