99 同意
イヴリンが再びヴァドキエル邸へ戻って来た。が突然に眉間麗しい男がもう一人増えた事に、息子アーサーが顔を引き攣らせていた。そんな事もお構いなしに、イヴリンは平然とその男を指さす。
「さっき雇いました」
「そ、そんな簡単に……?」
「ベルフェゴールと申します。よろしくお願い致します」
アーサーは新しい使用人をまじまじと見て、やがてイヴリンへ悲惨な表情を向けた。
「イヴリン、顔で選ぶのはやめなさい」
「…………」
見た目は息子と同じ位の年齢だが、恐らく悪魔だろう。あの娘の使用人の条件は、悪魔である事なのだから。……しかし、ベルフェゴールと名乗る男を雇うことは、イヴリン以外の使用人は不服な様だ。娘の後ろで男を睨みつけている。もはや殺意に近いので、あの男は相当嫌われ者らしい。
私の目線に気づいたのか、次にイヴリンは此方を見て、そして早歩きで向かってきた。アーサーも付いてこようとしていたが、息子には付いてきて欲しくない様で、思いっきり睨みつけて止めさせていた。その目つきはまるで猫の威嚇だ。
娘はコインの出処への調査も自分に任せろと言うし、おそらくこの事件には悪魔が大いに関わっているのだろう。息子にはこの事を話していないので、先程の失礼な発言と、アーサーを悪魔に関わらせない為故の態度なのだろうが……やや乱暴すぎて、アーサーがどうすれば良いのか分からず慌てている。
自分よりも幼い外見の娘になんてザマだ。お前は雛か。
「閣下、アリアナ様の部屋を見せてください」
私は言葉の代わりに頷く。アーサーへ自警団員達の元へ戻る様に伝え、私は姪の部屋に向かうために歩みを進めた。
……その時、また違う殺意を横から感じた。その方向を見れば、兄がイヴリンを見つめている。軍神と名高い兄が、初めて見せる悔しさを出す表情に驚いた。
何故イヴリンがそんな見られ方をされている?心当たりがないか娘へ振り向けば、娘もまた兄を見ていた。
だがその表情は睨みつける……ではなく、嘲笑うものだった。
私が娘に出会う前、思い描いていた魔女の姿そのものの表情。娘は何も語らなかったが、すぐ側にいたベルフェゴールが小さく呟く。
「……不相応な目線だ」
その言葉の意味が、虫ケラの様に見られている理由が分からない。
だがそれでも唯一……兄は悪魔にとって、滑稽な存在なのだと理解した。
《 99 同意 》
ベルゼブブの話が真実なら、ノイズの原因である違法悪魔はケビンだ。自分が捨てられる存在だと知り、アリアナを攫い腹いせに純潔を奪った。そう仮説を立てる事ができる。
だが残念な事に、ケビンは「ヴァドキエル家」と契約しているのだ。個人ではないのでいつもの様に契約者から辿り見つける事が出来ない。特に年代物の契約となれば尚更だ。五人の悪魔達の契約も「契約者もしくは違法悪魔を見つける」の為、今回の場合は違法悪魔であるケビンを見つけなくてはならない。……地道に手がかりを見つけて探すしかない。全くもって面倒だ。
だが少々気になるのは、アリアナの部屋にあったとされる即席の縄だ。もしも立てた仮説が正しいのであれは、あの縄はケビンがアリアナを攫うために使ったのか?あんなものなくても悪魔なら簡単に攫えるだろう。何故必要なんだ?それともアリアナを脅して自分の元へ呼んだのか?
この事件は、簡単なフリをしてもっと根深い気がする。もっと根本的な所、何かを間違えている気がする。……まぁ、それが分からないのだが。
「イヴリン、着いたぞ」
そんな事を考えていると、前を進むギデオンが止まり此方に振り向いた。意識をそちらへ移せば、ギデオンの側にはアリアナの部屋に繋がる扉があった。
重厚感のある扉には、聞いた事のある名前の画家の蝶の絵が飾られており、それもあって扉だけでどれだけ価値があるのか気になってしまう。
そんな私に苦笑いを向けて、どうぞお先へ、と言わんばかりにギデオンが扉から離れていく。扉をサリエル……ではなくベルフェゴールが開けた。奴は妖艶に此方へ笑いかける。
「ご主人様、どうぞ」
「うん、有難う」
どうやらサリエルは出遅れた様だ。後ろから小さく舌打ちが聞こえる。せめて、主人に気づかれないようにして欲しいんだが?
部屋の中は、高位の貴族の令嬢らしい豪華なものだった。一級品の家具達に、質の良さそうな寝具。バルコニーに繋がる窓からは、中庭の美しい景色を見る事が出来る。前の世界の中世のお城、そのお姫様の部屋によく似ている。何とも優雅な生活だ。
私は部屋を見回っているベルフェゴールに問いかけた。
「ねぇベルフェゴール。アリアナ様は対価になる事を了承してなかったの?それって違法でしょ?」
「いいえ。アリアナ嬢は中々聞き分けのいい子で、なんの抵抗もなく受け入れました」
部屋の中、乱れたシーツの皺が気になるベルフェゴールは、目線を合わせず返答だけした。
奴の答えが真実か嘘かは分からないが……それが事実なら、何で侯爵はアリアナを監禁したんだ?彼女が逃げない為以外にあるか?
私はアリアナが失踪するまでの詳細を聞くべく、次に壁際で周りを観察するように眺めていたギデオンへ顔を向けた。可愛い姪がまだ見つからない事に苛ついているのか、腕を組んでいる指を忙しなく動かしている。
「閣下、アリアナ様はいつから侯爵に監禁されていたんですか?」
「なんでそれを……」
ギデオンは驚いた表情をしているが、私は呆れてしまった。
「即席の縄が必要な脱走なんて、扉が使えない以外あります?」
「……いや、それだけで監禁に繋げるのか……貴様、今までどんな暮らしをしていたんだ?」
「毎日見目麗しい悪魔に、匂いを嗅がれる生活ですね」
物凄い可哀想な顔をされた。息子も父親もひどいな。
ギデオンは咳払いをしながら、顔を戻して口を開いた。
「……アリアナが兄上に監禁される様になったのは、確か三日前だ」
「という事は、監禁されてすぐに失踪したのか……ベルフェゴール。侯爵様と女王が契約したのはいつ?」
「一週間前です。諸々の処理を終わらせ、昨日アリアナ嬢を受け取る予定でした」
もしもアリアナが契約に不満があるなら、侯爵は一週間前の契約初日から監禁していた筈だ。それをしなかったとなれば、やはりアリアナは契約に同意している事になる。それに今回は、あの女王様との契約だ。違反になるかもしれない、危険すぎるリスクを取るような悪魔じゃない。ベルフェゴールの言っていた通り、アリアナは一週間前には了承し、生贄になるのを受け入れていたのだ。
……あのお嬢ちゃん、自分の家の為に悪魔の生贄になるとは。自己犠牲が強いのか、もしくは幼き頃からの洗脳故なのか……取り敢えず「高飛車お嬢ちゃん」は訂正しよう。ただの哀れな女だ。
という事は、契約終結後の四日の間に何かがあり、その所為でアリアナが契約を拒否したのか?それって違反になるのか?
次に私は自分と契約している悪魔、サリエルへ顔を向ける。眉間に皺を寄せているので、先程扉を開けれなかった事をまだ根に持っている様だ。本当にどうしたんだこの悪魔は?更年期か?
「ねぇサリエル。もしアリアナが対価となる事に不満を持っていたら、女王は契約違反になるの?」
「いいえ、一度でも悪魔の前で「同意」すれば違反にはなりません」
「……って事は、アリアナは一度対価になる事を了承しているから、その後どれだけ嫌がっても違反にはならないと」
「当たり前です。その為に僕達は契約書に署名を貰うんですから」
何言ってんだコイツと言わんばかりの、虫ケラを見る目だ。主人になんて目を向けているんだ。
でもそりゃそうか、人間は心変わりする生き物だし、そんな事でいちいち対価やめられたら悪魔はたまったもんじゃない。
部屋の中を物色するが、特に気になるものはない。シーツで作られた即席の紐も既に回収された様だ。
私は外の空気を吸うために一度バルコニーへ出た。そのまま美しい景色を見ながら思考を巡らせる。
さて、ここまでの話をまとめよう。
一週間前、ヴァドキエル侯とベルゼブブは契約をした。対価になる事をアリアナは了承する。
だがその四日後、何故か侯爵はアリアナを監禁する事になった。そしてその一日後、アリアナは自分が殺されると知ったケビンに誘拐され…………
……………あれ?
「……いや、でも……」
「ご主人さまぁ?」
「どーしたのー?」
独り言を呟く私へ、フォルとステラが心配そうに側に近寄ってきた。二人の声掛けで他の悪魔やギデオンも怪訝そうに此方を見ている。だがしょうがない、今までの話を整理した時「あり得ない仮説」が浮上したのだ。
正直、これが事実ならもっと面倒な事になるが……それでも、これなら全ての辻褄が合う。
私は新たな仮説の証明の為に、ギデオンへ声を掛けた。
「閣下、ヴァドキエル侯と話をさせてください」
その要望に、ギデオンは動揺で目を揺らした。