97 蝿の女王
賭博場の奥、扉をいくつも通り過ぎた所に女王様の部屋はある。進めば進む程、葉巻と血の匂いはなくなり、代わりに品のいい香水の匂い……あと、女性の甲高い喘ぎ声が聞こえる。おい、何してんだよ女王様。思わず顔を引き攣らせれば、前を進んでいたベルフェゴールが此方を見て苦笑いをした。
「申し訳ございません、少々お待ち頂けますか?」
「……うん。ちょっとお手洗い借りるから、その間にどうにかして」
深々とお辞儀をしたベルフェゴールは、私達を置いて更に奥へ進んでいく。
取り残された私達は、奥から聞こえるベルフェゴールの嗜める声を聞いていた。途切れ途切れだが、どうやら相当悲惨だった様だ。奴が呆れたため息を何度も吐いていた。
他所のいざこざに巻き込まれる訳にはいかない。私は逃げるようにその場から離れた。本当にどうしようもないな悪魔ってのは。
《 97 蝿の女王 》
二年前、首輪もつけずに突然賭博場に現れた娘は、その場にいた悪魔達の視線を一身に受けた。この世界の人間では珍しい顔立ち、それに似合わない落ち着いた印象の娘。後ろにはあのサマエルとレヴィアタンが、周りを威嚇するように使用人の服を身に纏い付き従っていた。あの美食家サマエルが人間と契約するのも珍しいが、それよりもレヴィアタンだ。海の支配者である彼は、人間の言いなりになる契約を嫌っていた。なのにあの娘と契約したのか?
それを見た女王は「アレがかの五人と契約した人間か」と笑っていた。
かつて悪魔と天使の戦争で、「この世界」は悪魔の管轄に入った。故に悪魔達はこの世界の人間を「あの方」のルールに従い、契約で貪っている。だが私利私欲に塗れた悪魔達、特に理性もない下級はルールに従わない者が多い。
その為「あの方」は上位悪魔の何人かに管理の命令を出している。それがサマエルとレヴィアタン、あと数名の悪魔だ。だがいくら強かろうと、悪知恵の働く下級達を探すのに手こずっていた様だったが。……そう言えば、ここ数十年はやけに違法悪魔が捕らえられた話を聞く。まさか、あの人間が見つけているのか?
周りの悪魔達が、娘の強烈な色香に興奮と涎を止める事が出来ていない。正直私も唇を噛んでいなければだらしない顔をしていただろう。それ程までに、最高の肉体と魂だ。今までこんな人間は見た事がない。本能で娘を求めてしまう。
娘は此方に気づくと、妖艶に笑い悪魔を探していると言った。どうやら違法悪魔の様だ。この賭博場の中に、契約違反をし人間を得た悪魔がいるのだと。
その言葉に女王は嘲笑い、まるで子供に言い聞かせる様に優しい声色で嗜めた。
『お嬢ちゃん。ここは人探しをさせる為の場所じゃないの。客でもないのに、アタシの店をウロチョロさせる事は出来ないわよ』
後ろの悪魔達は怒りで顔を歪めるが、対する娘は少し考える様な素振りを見せる。……やがて、何か妙案を思いついたのか、無邪気に笑いながら自分の首を指した。
『じゃあ私を客にして。賭けの品は……そうだな、私の血でどう?』
……その言葉で周りの悪魔達は、必死に保っていたお上品な顔を保てなくなった。
娘を待機させて、私は部屋の扉をノックもなしに開けた。……中には私と同じ、薄紫色の髪を腰まで伸ばした男が広いベットの上にいる。先程まで喘ぎ声を出していた女は、首を折られた上で目玉をくり抜かれていた。男は今取れたての目玉を口に入れながら、横目で私に微笑んだ。
「あらぁ?もうあの子来ちゃったの?」
「来ましたので、早く片付けてください」
低い声で、女の様な言葉遣いを使う悪魔は、長い髪をかき上げながら起き上がる。派手な刺繍のされたジャケットを羽織り、ベッド下に乱雑に置かれた赤いヒールを履き立ち上がった。……目玉を抉られ息絶えている人間の女は、最近の男のお気に入りだった筈だ。昨日まで小綺麗なドレスを着せて大層可愛いがっていたのに。私の目線で気づいたのか、男は鼻で笑いながら私を見た。
「もう飽きちゃったのよ」
「……せめて処理が面倒なベッドではなく、風呂場にしてください」
「はいはい、次から気をつけるわ」
言葉ではそう言っているが、この女王様は一度も私の願いを聞いた事がない。ヒールの音を鳴らしながら、血まみれのジャケットを脱ぎ、近くのクローゼットから同じような派手なジャケットを取り出す。
「で、お嬢ちゃん何しに来たの?また自分を賭けに来たのかしら?」
「いいえ、どうやら貴方に聞きたい事があるそうです」
「ふーん?また客の中に違法悪魔がいるの?」
鼻歌を歌いながら新しいジャケットに着替える男に、私は首を横に振った。
「あれから客の管理には気をつけていますから、もうそのような事は無いでしょう」
「そうよね、じゃあ……最近仲良しの、ヴァドキエル家の事かしら?」
新しい赤のジャケットを纏い、手首と首筋に定番の香水を付けながら、男……ベルゼブブは試すように私を見たので、私は口角を上げる。
「その通りかと、兄さん」
「やーね「兄さん」なんて、そんな気色悪い呼び方やめて」
「はいはい、女王様」
そう窘めてくるが、上機嫌なのか表情は柔らかい。兄は二年前に娘と出会い、ある経験をしてから執着している。今では娘をあの五人の悪魔達から奪おうとして、裏で娘の事をくまなく調べているのだ。兄曰く「あの他人を舐めてかかった顔を歪ませたい」らしいが……同意見だ。
鏡を見て髪を整えれば、私にご機嫌の笑顔で告げた。
「さて!お嬢ちゃんに会いに行きましょう」
「出来れば、これからは私が来る前に準備しておいてくださいね」
「もう、アンタは小言が多いんだから」
そう言ってくれるが、弟の私以外に誰がベルゼブブに小言を言えると言うのだ?この兄は、自分がどれ程恐れられているかを分かっていない。
そんな美しい蝿の女王は、足取り軽く娘の元へ歩き出した。
◆◆◆
部屋に置かれている革張りのソファに、薄紫の長髪の男が脚を組んで座っている。男は黄緑の瞳を細くして、娘を熱く見つめて舌舐めずりした。その気味悪さに、娘の隣に座っていた私やフォル、そして後ろで立っている蛇の坊やも顔を引き攣らせた。
悪魔ベルゼブブ。その名はよく知られた権力ある存在であり、他の上級悪魔とは逸脱した思考の持ち主だ。派手な刺繍の施されたスーツを身に纏い、踵の高いヒールを履く。唇に真っ赤な紅をさし、自分を「賭博場の女王」と呼べと命令する。なので心は女かと思えばそうではなく、けれど男を欲の吐口にする事もある。……面白い悪魔だと思う。
そんな面白い悪魔は、色気たっぷりに息を吐きながら恍惚の表情をして見せた。
「相変わらず、最高の匂いねぇ……同時に魚の匂いもするけど」
「あー……ここに来るまでに、レヴィスに相当可愛がられちゃってさ」
「ふぅん……あの魚ちゃん、本当に嫉妬深いわね」
紅を塗った唇を歪ませて、ベルゼブブは不機嫌そうに頬杖をつく。この悪魔も相当娘に執着しているので面白くないのだろう。娘は苦笑いをしながらソファに深く腰掛けた。
「ねぇ女王様、ケビンって名前の下級悪魔知らない?」
「ありきたりな蛆の悪魔のガキンチョでしょ?よくうちの賭博場に遊びに来てたわね」
「最近はいつ来た?誰かと一緒にいなかった?」
娘の畳み掛けるような質問へ、ベルゼブブはベルフェゴールが差し出したワインを飲みながら答えた。……否、あれは血か?
「お嬢ちゃん。もしかしてケビンと、ヴァドキエル家のご令嬢の行方を探しているの?」
平然と言ってのけるベルゼブブに、娘は表情を険しくさせた。何故この悪魔は、娘がヴァドキエル家の子供を探していると知っている?娘がこの依頼を受けたのはつい先程だ。ここまで来る間にベルフェゴールに詳細を話している訳でもない。監視か?しかしそんな気配はなかったが……。
だがベルゼブブは大きくため息を吐けば、グラス一杯に入れられていた血を飲み干した。ワインについた血を長い舌で舐め取る仕草は、折角の美しい顔を歪ませていた。
「こちらとしても困っているのよ。盗まれてしまったから、まだ侯爵様から対価を受け取れていないのよ」
「……盗まれた?」
娘がポツリと呟いた言葉に、ベルゼブブは驚いた表情を向ける。
「あら、知らなかったの?あの家は蛆のガキンチョとの契約を中止して、アタシとの契約にくら替えしたのよ」
〜ちまちま自己紹介〜
ステラ(ステンノー)外見年齢8歳//身長120前半
⇨屋敷の見習い使用人(30年目)常にフォルと行動を共にしている。可愛いけど仲間の悪魔の中では一番年上。妹がいる為年下の相手は慣れている。可愛い笑顔を振り撒くとイヴリンが喜んでくれるのが嬉しい。いつかデロデロに心も体も甘やかしたいと思っている。結構な世話焼きで年下好き。
⇨本来の姿は醜い化け物、元は美しい女だったが、色々あって醜くなってしまったそうだ。
好きな部位は胸 嫌いな部位は頭(脳)