96 賭博場
中央区は流通の街、北区は学問の街、東区は食の街、南区は罪の街。そして今から向かう西区は宗教の街だ。この国の民が大半信仰しているルドニア教の総本山があり、多くの信仰者達がこの区へ祈りを捧げにやって来る街。国民にとっては神聖な街のようだが、無宗教の私には関係ない。
「ハエさん元気かなぁ?」
「二年ぶりだもんねー」
そんな神聖な場所でも、馬車に乗る悪魔達は何も変わらず楽しそうにしている。……私の元いた世界での価値観なら、悪魔ってのはこういう場所に弱いと思っていたが、そんな事はない。むしろ場所によっては人の欲望や執着が多く居心地がいいのだそうだ。故にあのコインの出所の様な、悪魔の為に存在する場所が数多く存在する。
……まぁそれでも、街関係なく聖人、もしくは大勢が聖人に祈りを捧げる場面に出くわせば、体調が悪くなるようだが。教会とて、あの教会支部の様な者たちもいる。お優しい信仰心だけで出来ている訳じゃない。国中が聖人アダリムへ祈りを捧げる聖誕祭なら兎も角、少々の信仰心だけなら悪魔は平気だ。本当に弱点が限定的すぎる。ニンニクとか十字架とか効けばいいのに。
道を馬車で進んでいると、何故か人々がこの馬車に向かって拝んでいる。……どうやら御者のいない、巨大な馬の引く馬車の持ち主を知っている様だ。あーやれやれ。魔女の次は聖女だなんて、本当にやめてほしい。
窓から呆れてその光景を見ていると、やがて知った道が見えてくる。どうやら到着した様だ。この場所に来るのも二年ぶりだろうか?あの時は相当儲けさせて貰ったので、恨んでいないといいが。
同じく窓の外を見ていたサリエルが、何かに気づいたのか此方へ声を掛けてきた。
「ご主人様、どうやら迎えがいる様です」
サリエルの見ている方向を見れば、確かに男がいた。
薄紫の整えられた髪に、黄緑の目。サリエルと同じような執事服を身に纏う男。馬車が男の目の前で止まり扉が開けば、男は妖艶に微笑みながら手を此方に差し出す。
「ミス・イヴリン。ようこそお越しくださいました」
「久しぶり、女王様はいる?」
「ええ勿論、ご案内いたします」
この男はベルフェゴール。賭博場の副支配人を務めている悪魔だ。姿も所作も品があり、執事服を着ていなければ、どこかの貴族の子息だと思ってしまうだろう。ベルフェゴールの手を借りながら馬車から降りれば、続けてフォルとステラ、サリエルも馬車から降りた。
馬車がたどり着いた場所は、西区にある倉庫場のある一つだ。周辺にもいくつか大きな倉庫が並んでいるが、目の前にある倉庫はその中でも特に古い。やや崩れた煉瓦で作られているのに、やけに扉だけ重厚な作りだ。
目の前の倉庫の扉にベルフェゴールが触れると、重厚な鉄で作られた扉が、瞬きの間に豪華な金の扉に変わる。……何度もこの光景を見ているが、やはり面白い仕掛けだ。触れた人物の「資格」によって行ける場所が変わる入り口なんて。
扉を開けながら、ベルフェゴールは此方を見ないままで口を開いた。
「ところでミス・イヴリン。本日は「賭け」をされに来た訳ではありませんね?」
「そう、ちょっと女王様に話があって」
「それは残念だ……二年前貴女が自分の血を賭けた時は、うちでも相当儲けさせて貰いましたので」
此方も相当儲けさせて貰ったが、と言おうとしたが、そこから薦められてまた賭け事をしそうなのでやめた。この悪魔はヨイショが上手いのだ。しかめっ面をする私へ乾いた笑い声を出しながら、ベルフェゴールは扉を開く。
扉の向こうには、倉庫の埃ではなく葉巻、それと血の匂いが充満していた。
古い洋館の大広間の様な場所、上には年代物のシャンデリアの灯りのみで薄暗い。そこにひしめき合う様に大勢の身なり美しい人間……いや、悪魔達がいる。私はその光景に苦笑いをした。
「相変わらず繁盛してるね」
「有難うございます」
悪魔にも貴族の様に階級が存在する。殆どが下級で、姿形は人とは程遠い者達が多い。故に人間と契約し理想的な身体を手に入れる。中級以上になると姿を自分の術で変える事が出来るが脆い。傷つけばすぐに素の中身が出る。
そして上級、彼らは姿を自在に変える事が出来る。傷つけば人と同じ様に血が出て、腹を割れば内臓が出る。完璧に化けることができるのだ。……で、ここにいる者たちは、殆どが上級と呼ばれる悪魔達。多少の知恵と理性のある、面倒な化け物達だ。
数多くあるテーブルの上では、そんな悪魔達がトランプを持って楽しそうに賭け事をしている。そこだけ見れば普通の賭博場だ。だが違うのは、悪魔達は皆鎖のリードを持っている事。その先には、光のない人間が、裸の姿で首輪を付けられている事だろうか。
ここは蝿の女王が支配人を務める、悪魔の為の賭博場。賭けるものは契約し得た「人間」もしくは「金」のみ。人間の血、腕、目玉。時には全てを賭けるのだ。運が良ければ所持している人間よりも質の良い肉が手に入る、もしくは金が手に入る。それがこの賭博場の利点だ。実に悪魔らしい下品な娯楽施設だ。
奥で人間の叫び声が聞こえる。どうやら誰かが負けて、賭けていた人間の腕を引きちぎられた様だ。血飛沫が見えて、周りの悪魔は自分にかかった血を舐め取り喜んでいる。
近くで、光なく床に座り込んでいた人間達は、皆身体中を震わせながら自分の出番がない事を祈っている。……一瞬の欲で簡単に悪魔と契約して、まともに契約書を見ないからこうなるんだ、馬鹿な人間達め。
「女王は奥の部屋でお待ちです。どうぞついて来てください」
ベルフェゴールが先に進むので、私達はその後をついて賭博場を歩いていく。悪魔達は私を見るなり目を見開き、恍惚な表情で鼻を動かしている。……だが、誰一人として私の元へ来ようとしない。否、出来ないのだ。
私の両手を握るフォルネウスとステンノー。そして後ろにいるサマエル。三人の上位悪魔に勝つ事ができないと本能的に分かっているのだろう。皆此方を食い入る様に見つめて、涎を垂らしながら漂う色香を嗅ぐ事しが出来ない。だが三人から少しでも離れれば、私は確実にこの悪魔達に襲われ無理矢理契約させられるだろう。稼げるが面倒な場所だ。
奥まで来れば、先ほど悲鳴をあげていたであろう人間の女が見えた。両腕がなく、胴体からは血が溢れ出ている。すでに意識はないのか、顔を真っ青にさせながら床に倒れている。……あのままでは死ぬだろうが、別に死んでも賭けには使えるので持ち主の悪魔は無視して此方へ涎を垂らしている。あの人間に、血も価値があればもっと丁寧に扱われるだろうが……よほど質の悪い血肉なのだろう。
「ご主人さまぁ?」
「どうしたのー?」
思わず足を止めてしまっていた様だ。両側で手を握っているフォルとステラが、可愛らしく首を傾げて此方を心配そうに見ている。サリエルは私が止まった理由が分かるのだろう、私の背中側からため息が聞こえた。
……これ以上立ち止まっても、別にあの女を助ける事ができる訳ではない。それに私はアリアナとケビンの手がかりを探しにきたのだ。これといった手がかりがない今、時間を有効に使わねば。
「なんでもない、行こう」
再び私は、先へ進んだベルフェゴールの元へ歩き出した。