95 コインの出所
アリアナが行方不明となった。それも屋敷の自分の部屋から突然、侍女が目を離したほんの数分で。
屋敷で唯一の出入り口である正門にいた番人も、彼女の姿を見ていないと証言している。残されていたのは、シーツを繋いで作られた縄が部屋のベランダから外へ垂らされていただけ。そこからの痕跡が一切見つけられなかった。
ヴァドキエル侯は激昂し、父上が団長を務める自警団や、自身が指揮する軍の一部を使ってまでアリアナの行方を探した。……けれど、二日経った今も見つかっていない。
自身の指揮する軍人に、新たな痕跡すら見つけれない事へ怒りを露わにするヴァドキエル侯を見ながら、父上は俺に「イヴリンを連れて来い」と命令した。
確かにあの娘は賢い、だが前回のように北区からの希望もないし、他にも賢い者はいくらでもいる。……父上はあの日から、娘と共にヴァドキエル家に行ってから何かが変わった。……一体、あの日何があったのだろう?
……だが、今はそれどころではない。
「ねぇねぇ!アーホーは何歳なのぉ?」
「に、二十六歳だよ……あとアーホーじゃなくてアーサーだから」
「うわー!アーホー若いねー!肉もよさそー!おいしそーだねー!」
「肉って……あと、俺はアーサーだから」
御者のいない馬車の中、俺は両側から美しい子供達に質問責めにあっている。
出身地から年齢は勿論、好きな食べ物から最近の交際関係まで。質問の内容は子供らしいが、答えた後に出てくる子供達の返答に戸惑う。大暴れしながら両側から自警団服を引っ張られるので、だらしなく乱れてしまった。
そんな俺達を向かいから、同じ人間と思えない程の美青年執事が無表情で見つめている。濡れたような漆黒の黒髪を整え、まるでルビーの様な真っ赤な瞳でこちらを見てくるものだから、同性なのに心臓が煩い。両側の子供達も負けじの美形なので、イヴリンは顔で使用人を選んでいるのだろうか?
この美しい使用人達の主は、こんな大暴れの事態で一体何をしているのかと言うと……執事の膝の上で気絶している。顔が真っ青で唸っている。
屋敷から出る際、見送りに来た料理人が恐ろしい形相をしながら「お供を脅して決めさせるのは卑怯だ」と執事に怒鳴った。それに対して執事は、今まで料理人がイヴリンへ行った破廉恥な事よりマシだと言い始め、それに反論する様に料理人が、執事がイヴリンへ行った破廉恥な事を暴露し始めた。正直全て聞きたくなかった。こんなのが聖女認定されそうなんてあり得ない。
その暴露大会に慌ててイヴリンが仲裁に入ると、今度は二人が「阿婆擦れな主人が悪い」と怒りの矛先を娘に向け、両側から二人に掴まれ娘は再び屋敷の中へ引き摺られていった。
何かを察した子供達と、麗しの想い人、ミス・ケリスに庭で茶を再びご馳走になり暫く、イヴリンは今の状態で戻ってきた。……何が起きたのかは知らないが、気絶している娘から唸り声と共に「このど変態共め」とか「脅せば何でもできると思いやがって」とか呟いている。あの屋敷でのイヴリンの立ち位置がわかった気がする。
もうすぐヴァドキエル邸へ付く。流石に気絶した娘を連れて行く事は出来ない。俺は恐る恐る目の前の執事へ伺ってみた。
「……あの、サリエル君……イヴリンは無事か……?」
「お気になさらず、到着しましたら意識を戻しますので」
そっけなく返されたが、そんな事できるのか?そう質問したいがこの執事が恐ろしくで出来ない。
うちの自警団員がイヴリン暗殺を企てた際、皆拷問され殺されたと言っていた。両側にいる子供達や、姿も心も美しいミス・ケリス以外がやった筈。……となれば、この目の前にいる執事と、あの背の高い料理人だろう。慕っている主人の為とはいえ、何て恐ろしく酷い事を。使用人を顔だけで選ぶなイヴリン。そんなだから痛い目を見るんだ。
自身の膝の上で気絶しているイヴリンを見て、執事は指で頬を突いている。……その時の表情は、まるで天使の様に慈悲深いものだった。すぐに見ているのに気づかれて、睨まれたが。
《 95 コインの出所 》
地下室に連行された私は、白骨の友人ジョンの目の前で縛られ拷問をされた。拷問と言っても暴力とかではない、精神的なやつだ。
契約で悪魔達は、私に危害を加える事は出来ない。故に最近では弱みを握り脅したり、意識朦朧にさせた上で私に「許し」を得てから事を進めている。だが私とて、そんな何度も脅され言う事を聞く訳が無い。例え目の前でジョンを粉々にされようとも、耳元で恐ろしい言葉を掛けられようとも屈しない。何せ言わなければ危害を加える事が出来ないのだから、馬鹿がキャンキャン吠えていると思えばいいのだ。
私が脅しが通用しないとわかれば、先程大喧嘩していた癖に地下牢の端で話し合っている。お前ら仲良いのか悪いのかどっちだよ。
やがて二人はある事を思い付いたのか、レヴィスは下品面、サリエルは背後に花畑出して再び側にやってきた。あっ、これは面倒な事になる予感がする。慌てて逃げようとしたが縛られているので不可能だ。そのままサリエルくんは頭を掴んできて………ああ、その後は思い出したくない。
ヴァドキエル邸へ付いたので、羞恥心で気絶した私はサリエルに起こされた。起こされたというか、悪魔の術で無理矢理覚醒させられた。術で痙攣しながら起きる私に、アーサーは女のような甲高い悲鳴を上げていた。ごめんて。
ヴァドキエル邸は自警団や軍人が大勢おり、アーサーと共に私が降りると皆、驚いた表情をしていた。まぁ、確かにアリアナとは呪いを掛けただ、陥れただ……散々な関係として見られているだろう。左右で手を繋いでいたフォルとステラが、周りの視線を見て笑った。
「ご主人さま、すっごく見られてるぅ」
「どけどけー!ご主人さまがとおるぞー!」
「来てくれた事は有り難いけど、その発言はやめなさい」
本当にフォルとステラも来てくれてよかった。私が泡吹いて気絶しながら、上機嫌のサリエルとレヴィスと共に戻って来たのを哀れと思ったらしい。哀れでも何でもいい、変態執事と二人きりになるのは絶対に嫌だ。
視線を無視しながら進んでいると、正面玄関近くに作られた天幕にギデオンがいた。此方に気づくと彼は周りの団員へ何か伝えてから、私の元へ向かってきた。
「朝一番に向かわせたのに、もう昼過ぎだぞ?」
「申し訳ございません、しかし女性は支度が長いんです」
「確かに。世間で話題の聖女様は、さぞ周りから見られているだろうからな」
そう言いながらニヤけるギデオンへ、私は顔を引き攣りながら笑顔を向けた。
「で?今日呼んだのは、そんな事を言う為ではありませんよね?」
「勿論、話はアーサーから聞いているだろう?」
「聞いています。なので先ずはアリアナ様の部屋、そしてあの使用人と話をさせてください」
あの悪魔はヴァドキエル家と契約している。アリアナは次の対価だし、逃す事はしないだろう。であれば万が一の事も考えて、追跡が出来る様にしている筈だ。
そう思い提案したのだが、ギデオンは表情を険しくさせた。どうしたのだと首を傾げれば、彼の代わりに後ろにいたアーサーが答える。
「もしかして、《ケビンの事か?》」
「……名前までは知りませんが、茶褐色の髪を後ろで結んだ男です」
「《それならケビンだろう。》奴はいない」
いないとはどういう意味だ?何故ノイズが反応する?
もう少し分かりやすく説明を求めようとしたが、ギデオンが突然ため息を吐いた。
「アリアナが行方不明となった後、あの使用人も行方が分からなくなったんだ」
「えっ」
その返答は衝撃的だった。……そう言えば、屋敷で私が駆け落ちかとアーサーに言った時、彼は否定していなかったが……まさか、攫われたのか?
そう伝えた後、ギデオンは自分の胸ポケットを探り、それを私の前で手を開いて見せた。
手には、一枚のコインがあった。国が発行した金貨ではない、安っぽい金メッキのもの。そのコインに描かれた紋章を見て、私は目を見開く。
「ケビンの部屋には特に事件に関わるものはなかったが……《このコインだけがどうにも気になった。》調べてみだが、どこの国の通貨でもなければ出所も分からない。ただの玩具かもしれないが……」
私が手を差し出すと、ギデオンはコインを掌に置いてくれる。そのコインの表裏を確認して、そしてフォルとステラ、サリエルにも確認してもらう。三人ともコインを見て、私へ頷いた。
「蝿の所のですね」
「ハエさんの所のだぁ」
「ハエさんだー!」
「……やっぱりか」
「知っているのか!?」
私達の言葉に、ギデオンとアーサーは目を見開く。例え自警団と軍が総動員したとて、このコインの出所に気づかないだろう。何せ、これは普通の人間が行く場所ではないのだから。
私は苦笑いをしながら、コインをギデオンに返した。
「詳細は言えませんが、このコインの出所は知っています。……ですが、此処へは私と、私の使用人達だけで行きます」
私を表情を見て察したのだろう。ギデオンは険しい表情をしながら、返されたコインを握りしめた。
「……任せていいんだな?」
「お任せください。閣下達は引き続き捜索をお願いします」
「分かった」
正直アリアナがどうなろうと知った事ではないが、契約違反をする訳にもいかない。ノイズはアリアナとケビンの事で反応している。
もしもケビンが、契約違反でアリアナを十八歳になる前に手にかけた場合、このノイズの元凶はケビンだ。だが何年何十年と甘い蜜を啜っていた奴がそんな事をすると思えない。あと三年辛抱すればいいだけなのだから。……となれば、別の理由で違反する必要があった、もしくは巻き込まれた事になる。
まぁいい。取り敢えず「蝿の女王様」の元へ行こうじゃないか。……正直、マルファスよりも面倒臭い奴と場所だが……致し方ない。これも自分の来世の為だ。
私はサリエル、フォルとステラへ顔を向けた。
「お前達、賭博場に行くよ」
フォルとステラは元気よく手をあげ、サリエルは小さく頷いた。
「はぁい!ご主人さま、ぜったいに離れないでねぇ?」
「ぜーったいに一人にならないでねー!」
「かしこまりました。……リード、付けましょうか?」
「いらんわ!!!」
「西区の女王蝿」編が始まります〜。