9 不器用な男
レントラー公はあの街で、気に入った生娘を自分の欲の為に使った。アルバートやスザンナの母親達の様に、子供を身籠った娘も出てきてしまうが、公爵は決して認知をしなかった。
だが貴族に平民は何も出来ない、それに鉱山を閉鎖されれば街が終わる。あの街の住民達は、公爵が望んだ相手を差し出し、そして屈辱を受け入れてきた。
最初こそ夫人も、娘達を哀れだと思ったから手助けしたのだろう。スザンナが望んだのは「公爵と公爵家を潰してほしい」で、夫人やパトリック個人への復讐は契約していない。公爵家と、自分の父親である公爵は憎んでいても、長年自分と母を気に掛けてくれた夫人とその息子は、そこまで憎んでいなかったのかもしれない。
だが、アルバートの母親は違った。夫人の亡くなった長男の名前を付けてやるほどに慕っていた夫人が、自分の息子と男女の関係だったのだ。アルバートの話を聞く限りでは両方とも同意の上の様だが、信じていた夫人に息子を汚された時の彼女は、きっと自分が公爵に汚された時を思い出してしまったのかもしれない。
……まぁ、ここまで全て私の想像。悪魔と契約し対価となった二人に、真実を聞く事はできないのだから。
パトリックはソファに力無く座り、頭を抱えながら下を向いた。
やがて肩が震え、小さく嗚咽が聞こえる。……私は彼の前に立ち、その場でしゃがみ込んだ。私の存在を感じたのか、何度か深呼吸をして小さく息を吐いた。
「……俺は、両親の愚行も何も知らずに。のうのうと、生きていたんだな」
小さく呟く様な声と共に、床に涙がこぼれ落ちる。私はその姿を、静かに見つめていた。
今回の事件は自業自得、その言葉が一番しっくりくるものだった。
だが両親が悪いのであって、息子のパトリックは何も悪くないし、なんならこの事件の被害者の一人だ。
そして彼は、差別主義でも高慢でもない。貴族として、人の上に立つ者として、真面目に不器用に生きていただけだった。だからこそ両親を許せないし、それを知らずに生きていた自分も許せないのだろう。
パトリックは顔を上げ、子供の様に涙をいっぱいに溜めた瞳を見せた。その表情が、何故か愛おしく感じてしまい目を細める。真っ直ぐにこちらを見る彼は、吐き出す様に質問した。
「俺は、これからどうすればいいんだ」
どうすればいい?……そんなの、何も変える必要はない。
何も変えずに、ただこのままでいればいい。
「……どうって、今まで通りです」
パトリックの普段とは全く違う幼い姿に微笑んで、持っていたハンカチで濡れた頬を拭ってやる。普段なら嫌がるだろうに、弱ってしまった彼は受け入れるものだから、ちょっと可愛いとも思ってしまった。
「……今まで通り」
「そうです。今までのまま……皆を守るために生きる、素晴らしいパトリック様のままでいいんです」
そう言いながら涙を拭く私に、パトリックは目を大きく開いて見つめた。涙を全て拭き終わると、そのまま立ち上がり後ろにいるサリエルを見た。
「サリエル、お願い」
「かしこまりました」
サリエルは頷くと、ゆっくりと歩き出し、パトリックの目の前で立ち止まる。無表情で彼を見ると、頭の上に手を置いた。パトリックは何かを察したのか慌てて離れようとするが、サリエルは頭を掴み離れるのを阻止した。
「今回の事件、悪魔に関する事だけ消させてもらう」
「あ、悪魔って……スザンナの事か?」
慌てながらも冷静に言葉を出すパトリックに関心しながら、私は苦笑いを向ける。
「いやぁ、普通スザンナみたいな存在見たら、発狂したり気絶する人が殆どなんですけどね。パトリック様、普通に受け入れて普通に対抗するんですもん」
今まで三十年間、事件を解決する際に現れる悪魔に、ここまで冷静に判断し、対処する依頼者は初めてだった。相当頭の回転が良いのか、もしくは度胸があるのか。何だが今までパトリックに嫌われていたのは、私が悪い気がしてきた。
悪魔の存在が知れ渡るのはサリエル達も、そして彼らの上司?も望んでいないそうだ。だからこうして毎回、お付きになった悪魔に記憶を消してもらっている。明らかに動揺しているパトリックへ、私はガッツポーズを向けた。
「大丈夫です!「犯人は、夫人の侍女スザンナだった」と書き換えるだけで、悪魔の所だけ消すだけなので!」
「ちょ、ま、待て!!!」
慌てるパトリックを尻目に、サリエルは記憶を消すために息を吐く。
いつもならそこで相手は気絶してしまうが…………パトリックは気絶せず、サリエルの手を頭から離そうと必死になっていた。
その光景に、珍しく目を大きく開き驚いているサリエルは、すぐに表情を戻し暴れるパトリックを見つめる。
「…………悪魔の術が効きません」
「え!?」
悪魔の術が効かない人間がいるのか!?サリエルはパトリックの頭から手を離した。手が離れた途端、真っ青になりながら勢いよく壁際に離れるパトリックを暫く見ている。
「恐らく、この男の祖先で悪魔と交わった者がいるのでしょう」
「…………って事は?」
「悪魔の血を持つ者には術は効かない。記憶を消せません」
えっ、じゃあどうするの?と声を掛けようとしたその時、サリエルは一瞬でパトリックの側に行き、彼も気づかぬうちに思いっきり殴り飛ばしていた。
………殴られ気絶し、床に無残に倒れたパトリックを、サリエルは体を持ち上げ俵担ぎした。そして無表情で私を見る。ここまで五秒。
「行きましょう」
「待てーーい!!!何してんじゃーーーい!!!」
「記憶が消せないので、殺して屋敷の庭に埋めます」
「いやいや!?その人公爵家の人だし!っていうか!簡単に人を殺そうとするな!!」
慌ててパトリックを奪おうとするが、簡単に躱されてしまう。しかし止めなくてはならない。公爵家の人間を殺して、万が一見つかったら私は大罪人だ。契約中は悪魔達が命を保障してくれるとはいえ、せっかくの悠々自適な屋敷生活が一変、逃亡生活なんて絶対に嫌だ。私は目の前の脳筋悪魔を睨む。
「け、契約の四番目を使う!パトリックを殺さないで!」
「……四番目は、助言もしくは手助けの」
「じゃあパトリックを殺さない方法を一緒に考えて!これでいいでしょ!?」
畳み掛けるようにサリエルへ怒声を浴びせる。私の提案に、サリエルは顔を下にして暫く黙っていたが、やがて小さく声を出した。
「では、また舌をしゃぶらせてください」
「おうおう!しゃぶれしゃぶれ!!逃亡生活に耐えるよりマシだわ!!」
正直もう一生したくないが、背に腹はかえられない。胸を叩き鼻息を荒くして答えると、サリエルは勢いよく顔を上げた。無表情のままなのに、背後にお花畑が見えた気がした。
「殺しません。しかし男は今夜屋敷に来ていただきましょう。流石に、口約束だけでも今日中にさせなくては」
「分かった!屋敷で皆に脅してもらおう!!」
サリエルは公爵家の執事に術を掛け、パトリックは今夜仕事で家に帰れない事にさせた。私達はこっそり自分の馬車へパトリックを運び、そのまま公爵家から出て屋敷へ向かう。
「あぁあああ〜〜〜疲れた〜〜〜」
ここまでの様々な出来事で、余りにも疲れすぎて馬車の椅子にもたれる。あーよかった、後もう少しで私の人生は終わりそうだった。屋敷についてもまた忙しくなるだろう。着くまでの時間はある。少し眠ろうと目を閉じた。
だが、突然唇に柔らかい感触が押しつけられる。柔らかく、目が覚める様な冷たさに驚いて目を大きく開けば、サリエルの顔が至近距離にあった。どうやら口付けをされている様だ。おいせめて声かけろ、私は主だぞ。
驚きすぎて腰が抜けそうになったが、サリエルは無表情で、両脇に手を入れて持ち上げる。そのまま彼の正面、膝の上に座る。
「では、舌を出してください」
先ほどの命令の対価を望んでいる様だが……えっ、隣で伸びてるパトリックさんの前で?起きるかもしれないのに今やるの?顔を引き攣らせながら、私はサリエルに声をかける。
「屋敷に帰ってからじゃ駄目?」
「今回は前回を超えて、意識を飛ばす程にしてみせます」
「いや、パトリック様が起きるか分かんない中でするのはちょっと……」
「できれば、ご主人様も前回以上に、舌を思いっきり出して頂けると嬉しいのですが」
「聞こえてるよね!?絶対に聞こえてるのに無視してるよね!?」
私の盛大なツッコミに、サリエルは一瞬眉を顰めた。
だがすぐに元の無表情に戻ると、彼は革袋のついたままの手で口を無理矢理こじ開けてきた。舌を抜けそうな程に出してくるものだから、顔を歪めて抵抗するが全く効かない。
「おごごごごごご!?」
「では、失礼致します」
愉快そうに声を出して、大きく口を開けたサリエルは、二度目の私の舌を楽しんだ。……そりゃあもう楽しんだ。楽しみすぎて、馬車が揺れる位には。
目覚めた私に、側にいたフォルとステラが頬を膨らませていた。
どうやら屋敷に着くとサリエルは足取り軽く、私とパトリックを両肩に俵担ぎして降りてきたらしい。それを見て何が起こったのか知った他の悪魔達の所為で、馬車が壊されたそうだ。何で。
フォルは上せた私の額に冷たいタオルを置き、ステラは捲れた布団をかけ直す。
「だから言ったのにぃ!サリエルが一番変態だって!」
「もー!そのうち処女奪われちゃうよー!」
………本当にその通りで、何も言えなかった。
次でパトリック編は最後です。