鶏は知っている
「大将、連れが『おころび座』に興味があるいうて」
鈴森は悠斗を見ながら言う。
「おころび座、でっか」
愛想のいい顔が、一瞬強ばる。
藍色の板前服。
手には前と同じ薄手のゴム手袋。
店長は(若い男)店員に
「あがってや」
と声を掛けた……。
店員が出て行くのを待って
薫は話し始める。
「連れが、厄介な客を、何とかしてくれる幻の一座やと噂を聞いたことがある、言うてね。でも、もう、無くなってましたなあ。ノボリが無かった。せっかく来たのに残念やった」
悠斗に酌をしながら、語る。
「まあね」
と、悠斗が呟く。
「そうでっか……、どっか行ってしもたんですか。知らんかった」
店長はカウンターに腰掛けた。
「大将、まあ一緒に飲んでください」
鈴森はカウンターの中からコップを取り、店長にビールを注ぐ。
「ほんで、ハリウッドから来はったみたいな友達は……レストランか何か、したはんの?」
聞かれて、悠斗は胸ポケットから名刺入れを出す。
店長はすっと立ち上がり側に行き、丁寧に名刺を受け取った。
「道頓堀(大阪市の繁華街)で、ワインバーでっか。山田悠斗さん。これはこれは、よくおいで頂きました。あ、山田ビル? ……へっ、もしかしたら山田不動産のご親族?」
まるで有名人に会ったように嬉々とした顔になる。
鈴子は自社が所有するビルの
実在するワインバーの名刺を作ったのだ。
「まあ、そんなところです」
あいまいに悠斗は答える。
若すぎる店長。それが山田不動産の親族なら有り得る。
これも鈴子の計らい。
「そうでっか……ややこしい客に困ってはるんやね。藁にもすがりたい気持ちはわかりまっせ。うちも、えげつない奴に難儀してました。ほんで、お袋がね……おかん、ちょっと来て」
厨房に声を掛けた。
思惑通り、母親から話が聞けそうだ。
呼ばれて出てきた母親は、まず4人の客に頭を下げ、視線は悠斗で止まる。
「熊さん、この、ごっつい男前は、だあれ?」
と。
目のなかに星。
店長が手短に説明し、
<おころび座>の話をするよう促す。
「『おころび座』の名前は死んだ亭主に聞いて知ってましてん。商店街でノボリを見た時はまさかと思うたけど、アイツに苦しめられてましたから、ダメ元で行きましてん」
「入場料6万って書いてましたなあ。どんな芝居やったんですか?」
薫が聞く。
「芝居、ちゃいます。白装束の3人が、チャボ捕まえて刀で首を落とすんです。吹き出る血を3人が浴びますねん。それだけ。3回とも同じ」
「かあちゃん、3回も行ったんか」
店長は初耳らしい。
「5月6日と7月6日と8月6日、やで。ほんで9月やったか、アイツは川に落ちて死によった。オトリサマが悪い奴を成敗してくれはったんやで」
「かあちゃん、それは偶然やて。……気味の悪い偶然やけど」
店長は怖いモノを見たようにブルッと身体を震わすリアクション。
「まあ、熱いの、飲みましょ」
鈴森は熱燗の酒を湯飲茶碗に注ぐ。
店長はゴム手袋をつけたままの手で受けとった。
「オトリサマ、でっか。ところでお母さん、誰を始末して欲しいかは、聞かれたんでっか?」
薫が何気ない風に聞く。
「紙に書きますねん。すぐに燃やすんや。そんでも神様やからわかるんやね。アイツは連れから『やっさん』て呼ばれてた。しやから『S井市のやっさん』って書きましてん。自転車で来てたからね。近所に住んどると。当てずっぽで。それだけで始末してくれはってん。さすが神様や」
「なんとまあ。『S井市のやっさん』だけでわかったんでっか?」
鈴森が驚く。
「うちはお客さんのプライバシーは聞きません。な、熊さん、そうでしょ? 熊さんはうちでは熊さんや。そんでええ。……きっかけも、それです。この店のルールを破りよったんです。役所勤めのお客さんに絡みよったんですわ。窓口業務の人で対応が気に入らんかったと。俺の税金で飲んでるとか、言うてね。失礼すぎたんで、出入り禁止にしたんです。それから、店の前で、ション便しよる。大便を置いたりも……。警察に届けた方がいいと、常連さんは言ってくれた。けど、アイツの名前、知りませんやん。どうしようもなかった。……大雨の夜に、安田という男が川に落ちて死んだ。それから『やっさん』は来なくなった。あの『やっさん』やと人に聞きました。偶然やと思いはるでしょ? 『おころび座』が、S井市のやっさん、で誰かわかる筈がないでしょ?」
店長は自分の言葉に自分で頷いて、茶碗の酒を飲み干した。
「嫌な事思い出させて。無粋なコトで、スンマセン……雪はやみそうにないな。……そろそろ引き上げたほうがいいな」
薫が呟く。
予め決めていた沢田を呼ぶ合図だ。
悠斗は(沢田に)メールしながら財布を出す。
「お支払いはカードでっか」
店長が気配を察して立ち上がる。
「どっちでも」
と悠斗。
「現金が有り難いですねんけど」
店長は頭を下げ、伝票を持って来た。
4万7千、とあるのを
悠斗は5万出し
(釣りは迷惑料で)
と早口で告げる。
「ユウト、ごっそうさん」
と薫。
「次は自分が出す番な」
と鈴森。
「じゃあ、次の次は俺」
聖もノリに合わせる。
同じ年位の親しい友人をアピールする。
店長に怪しまれないように。
暫くしてベンツ到着。4人乗り込む。
店長は外へ出て見送った。
深々と頭を下げて。
最後に真顔で、こう言った。
「親父が言うてましたよ。『おころび座』の正体を探ったら始末されると。
深入りせんと、忘れるんが身のためでっせ」
「自分、しくじってませんか?」
ベンツが、<熊吉>を離れてすぐ、
悠斗は皆に聞く。
「完璧。問題なし」
薫が即答。
「カオル、有益な情報はあったのかな?」
聖は、目新しい話は無かったと、思っている。
店長の母親が見たモノは自分も知っているし
梓のママからも既に聞いている。
「それは後でゆっくり。山に帰ってからな」
「え?……今夜はうちに? 一緒に帰るの」
聞いてなかった。
別にいいけど。
「明日休みやから、お邪魔させてください」
と鈴森。
「自分は明日仕事なんで、今晩は寝ます」
と、悠斗。
1時間弱で山田動物霊園事務所に到着。
そこで悠斗と別れ、吹雪の山道を工房まで
聖と薫と鈴森は走って帰った。
「うわー寒かった。すっかり酔いが醒めてしもうた」
カオルは作業室に直行。
勝手にワインとグラスを持って来た。
(神流剥製工房の作業室は調理室も兼ねていた。冷蔵庫、冷凍庫には動物の毛皮と食料が一緒に保管されている。流し台も、剥製製作と調理に使っていた)
「酒のが、熱燗のが良くない?」
聖は作業室へ行こうとした。
工房の中は冷え切っていた。
シロとトラと鶏は身体を寄せ合って一塊になっている。
「酒は僕が。セイさんは暖房、お願いします」
鈴森が作業室に入った。
まず石油ストーブを
次に薪ストーブに着火。
やっと暖かくなり3人ソファに腰を下ろす。
聖はまず、犯行現場に鶏を連れて行くのはメッセージでは無いかと
マユの推理をカオルに話す。
話題の鶏は
初めて会う薫と鈴森にまず威嚇して……徐々に距離を縮め観察。
やがて……敵で無いと判断したのか
鈴森のふっくらした腹の上に乗ってきた。
「綺麗で可愛らしいなあ」
鈴森は鶏を優しく撫でる。
鶏は早々懐いている。
「わざわざ犯行現場に鶏を連れてきた、それには俺も引っかかってる。しかし『熊吉』の件は目撃者無しや……今日聴いた話では『やっさん』は、ほんまに只の事故死の可能性もある……そんな気がしてるねん」
<おころび座>が<S井市のやっさん>だけの情報で
ターゲットを特定するのは不可能では無いのか?
「カオル、『熊吉』の件は偶然、事故で死んだとしたら……結局今夜の偵察は何の手がかりも得られなかった、そういう結果、だよね?」
聖はいささか悔しい。
「いや、『やっさん』を被害者から除外することで真実に近づけるかもしらんで。とにかく金沢のホームレスが死んだ件、事故前後に鶏が防犯カメラに写ってないか調べてみる。鶏だけやない。ベビーカー女と大男もチェックやな。調べられる限り、ここ数年の、不慮の事故の現場の画像を調べてみる。……敵は去ってしまった。長く時間の掛かる作業になるが追跡してみるで」
カオルは上機嫌だった。
小腹が減った、と作業室に入り
短い時間でエビとタマネギで焼きめしを作ってきた。
「お好みで醤油かけて」
と3人分皿に盛ってきた。
「カオルさん、料理がお得意とは。うまいですよ」
鈴森が褒める
膝の上の鶏が、何故がその焼きめしを欲しがる。
鈴森は少し与えて……あっ!と。短い叫び声。
「どした?」
薫と聖は同時に聞いた。
「こいつ、どうみても東天紅……ですやん。天然記念物の。
店長のオカンは、チャボ言うてましたな。東天紅でもチャボでも、そこらで売ってませんやんか」
「あ、あ、そうか。そうやった」
薫が手を叩く……喜んでいる。
「あ、そう、ですよね」
聖も鈴森の指摘に、気分が上がる。
そこらのペットショップや養鶏場で手に入らない特殊な鶏。
入手ルートから犯人を炙り出せるかも。
「この子、派手な色合いですやん。東天紅を扱ってる業者に心当たりはあります。明日にでも、当たってみます」
鈴森は鶏を携帯電話で撮り始めた。