熊吉
<おころび座>は商店街から消えていた。
悠斗が送ってきた画像には
ノボリも張り紙も無かった。
鮮明な画像は、妨害装置も外されている証だ。
「逃げ足が速いというやつ、やな。……どこに行きよったんやろ。行方を追う理由は無いけどな」
一座は参考人でも容疑者でもない。
そもそも犯罪がないのだ。
事故死を犯罪と立証する手立ては今のところ、無い。
「カオル、俺が余計なコトしちゃったから、捜査が入りそうだと、感づかれたんだ」
聖は、申し訳なさで酔いが瞬時に醒めた。
「なんや青い顔して。違うで。セイが公演に行けば、何らかの反応があると期待してたんや。場違いな若い男。警戒しよるかもしれんと」
「……じゃあ、トンズラも想定内?」
「うん。しやで。思ったより敵の動きが速かっただけや。そこは俺のミス。けどな、逃げよったんで、はっきりしたやんか。『おころび座』は人殺し集団や」
薰は、 この件から手を引く気は無さそう。
「カオル、まだ俺に出来るコトある?」
「うん」
「何でもやるよ」
「一緒に『熊吉』へ行ってくれるか? 朝定食やなくて、夜に」
「いいよ……あ、そうか。目的は、店長のお母さん、だよね?」
「そうや。あの婆さんは『おころび座』に行ったんや。しかも何回か通ってる」
(奥さんに、ご利益があると聞いたので<おころび座>に行ってみた。
ところが、無くなっていた)
そんな風に話を始めれば、あの婆さんは喋ってくれるかもしれない。
見たコト、聞いたこと、些細な情報でも欲しい。
<おころび座>は既に商店街から消えている。
息子の店長は、強く口止めしないのでは?
「怪しまれないように皆で行って、飲んで騒いで、酔っ払いになって自然な感じで話聴いてみよう」
「皆で?……鈴森さんも誘うんだね」
「もちろんな。ほんで、悠斗もや」
「悠斗さんも?(なんでだろ)」
「悠斗はミナミの……そうやなワインバーの店長とか」
「な、何それ?」
「『おころび座』の噂を聞き、尋ねて来た人物が、おった方がええやろ」
「なるほど。飲食店のオーナか店長が要るんだ」
「俺とセイは除外や」
「見えないよね」
「うん。ほんで悠斗。水商売のオーラがあるやろ」
「たしかに……でも悠斗さん、やってくれるだろうか」
あの実直で堅物な男が、ややこしい役割を引き受けるのか?
「なんにも演技せんでええやん。黙って酒飲んでたらええ。愛想せんとな。誰も気さくに話しかけたりせんよ。あれはな、近寄りがたいイケメンやで」
悠斗の話の最中
ノックに続いて本人が戻ってきた。
シロとトラも一緒に。
冷たい風と入って来た。
「雪が降ってきましたよ。ぼたん雪だけど」
爽やかな笑顔を2人に向ける。
シロは薰にじゃれつく。
トラは……テーブルの上の牛カツにまっしぐら。
咥えそうになる寸前
「トラ、駄目」
悠斗が叱る。
叱っているのだから微笑んではいない。
滅多に見ないちょっとキツイ横顔。
聖は間近でしっかり見た。
まさにギリシャ彫刻。
ミケランジェロのダビデではないか。
……近寄りがたい、レベルかも。
宴会は続き、ゲームになり
翌朝、それぞれの仕事に戻った。
夜、マユは早い時間に出現。
聖が昨夜戻らなかったので、コトの進展を聞きたがっていた。
「あの桜木さんが、よく引き受けて呉れたわね」
「カオルが言いくるめた感じかな。とにかく黙って飲み食いしてればいいって。カオルはその場で山田社長に電話して了承を得たんだ」
「社長がOKじゃあ、桜木さん断れないわね」
「カオルは強引だから。あ、でも社長は面白がっていたみたい。悠斗さんの衣装は用意するって。念の為名刺も用意するって」
「まあ、そうなの。ちょっと見てみたいわ。セイ写真撮っといてね」
マユはぷっと笑った。
イケメン悠斗がどんなに格好良くなるかを、見たいのじゃ無い。
あの派手な鈴子が、どんな衣装をチョイスしたのか見たいのだ。
「セイ、『おころび座』は犯罪集団に違いないね。カオルさんの言う通りだわ。やましい事が無ければ、逃げたりしない。舞台から鶏を盗んだ男を放っておかない」
(鶏はシロにもたれて寝ている)
「あの時、追いかけてくると思って全速力で走った。でも追っ手は無かった」
梓のママはすぐに会場を出ている。
聖のリアクションの直後、幕が下りたと推測できる。
「彼らは接触を避けているのよ。芝居は無言劇、よね?」
「うん。(芝居じゃ無いけど)」
「声を聞かれ素性がバレるのを警戒してる。細心の注意を払い危険を回避。さすが、幻の一座と呼ばれるだけのことはあるわ」
「……あ、でもさ。ロープウェイの3人、手袋、帽子、マスク、で地味な服着てたのに、なんで鶏を連れていたんだろ。目立つし、現場に居合わせた人の記憶に残るよね」
後になって、鶏は儀式の生け贄と分かった。
それならば、なぜ連れ歩いていた?
この鶏は自由奔放な性質。
狭い籠に、入れる作業だけでも大変そう、と、
今は知っている。
「公演を観た人だけが、生け贄の鶏と知っている……もしかしてメッセージかも? 『おころび座』が邪を払ったと。現場に鶏が居たと、回り回って依頼主が知るかも知れないでしょ」
「知れば、都合がいいの?」
「口止めの効果はあるんじゃないかしら。『おころび座』に通った、偶然嫌な客がぽっくり死んだ、って怖くて言えなくなるでしょ」
「そっか。死は、偶然では無く、自分の願いを叶えてくれた……、それって現実になると怖いかも」
「ねえ、ロープウェイの件はね、鶏も見せたくて、わざわざ人混みでターゲットを狙ったのかもしれない」
「わざわざ……そうか。あのホストを殺すだけが目的なら、人気の無い夜の裏通り、でも良かったんだ。っていうか、そっちのが安全で楽じゃないのか」
聖はマユの推理は当たっている気がした。
「ああ、だけど『熊吉』の客は夜酔っ払って川に落ちたんでしょ。そっちは犯行時も前後も誰も見てないでしょ」
「そう、だった。でも今度カオルに話してみるよ。金沢で怪しい事故死があったって……鶏は居なかったか念の為確かめてみるよう、言うよ」
3日後、明日(金曜)<熊吉>と薰からライン。
薰と鈴森は電車で現地へ。
聖と悠斗は沢田(山田鈴子の運転手)が送迎する手配済み。
午後7時に動物霊園出発。
そして
午後8時頃に現地集合。
当日、悠斗はトラとシロを連れて
午後6時半に工房へ来た。
光沢のあるグレーのスーツに黒のリアルレザーコート。
カッコイイ。
鈴子のチョイスだけど、そう派手ではない、と思う。
全身ヴェルサーチだとは(疎いので)知らない。
自身は白衣を脱ぎ、黒いジャケットを着て、
(悠斗のコートと被るから)いつもの黒レザーコートではなく、
クローゼットから適当に白いリアルファーコートを掴んだ。
(この、亡き父が毛皮職人から貰った品物が、高価で希少と知らない。どれだけ目立つかわかってない)
「いい子でお留守番してろよ」
聖はトラと、シロと、鶏に声を掛ける。
外は風が強い。
工房の中は薪ストーブの余熱で暖かい。
数時間なら犬が凍える心配はない。
鶏はシロが暖めてくれる。
<熊吉>に、
薰と鈴森は先に来ていた。
「ユウト、セイ、先に飲んでるで」
薰は赤ら顔。
客は他に
中年男女の2人連れ2組と
カウンター席に男が1人。
その5人が暫く聖と悠斗を目で追う。
長身でイケメンの、おしゃれすぎる男2人と
友人らしき薰と鈴森を見比べている。
(薰は、着古したベージュの厚手のセータ)
(鈴森は作業服の上に、黒いダウンベスト)
薰は4人共通の戦闘ゲームについて話し始める。
この話題なら、自然に喋れるし、
4人の素性に接触しない。
牡蠣フライ
カニの天ぷら
刺身の盛り合わせ
サザエの壺焼き
次々に注文する。
厨房からは店長の声と、母親の声も時折聞こえてくる。
風の音が激しくなってくる。
窓の外、粉雪が舞っている。
5人の客は、本格的な吹雪になる前に
それぞれ店を出て行った。
新たに来る客はない。
4人だけが店に残った。
暇になった店長は
厨房から出てきた。
「これはこれは。熊さんやんか。また、お友達連れて……まいどおおきに」
薫は、こうなるように
わざわざ吹雪予想の、今夜を選んだのだ。
と、聖は気付いた。