使われた剥製屋
次の夜、マユと会えたのは、いつもより遅い時間だった。
「その子(鶏)まだ居たのね」
鶏は聖の膝で寝ている。
「うん。昨日の夜はアレだろ。それで今日は事情聴取。とても岩上神社に行く元気は無かった」
白いヨウム(マユが宿っている)の
羽根の乱れに気づき、修正する作業もあった。
「もうすこし此処で預かってもいいんじゃない?……犯人達から入手先を聞けるかも」
「あ、そうだよね。急がなくてもいいんだ」
「セイ、嬉しそうね。そんなに好きなのね」
「まあね……」
嬉しいのは、マユに会えたからだ。
昨夜、悠斗が見た白い鳥はマユに違いない。
自分の危機を察し、救ってくれたのだ。
あんな力が有ると知らなかったが。
どれほど犠牲を払うのかも知り得ない。
剥製のヨウムが傷ついているのを目にして
マユがと……胸が痛んだ。
急いで修正したのだが……夜が更けてもマユは姿を見せない。
とても怖い思いで、待っていたのだ。
「マユ。あのさ、」
助けてくれたのかと、確かめたかった。
「あとはカオルさんの仕事でしょ。セイ、アニメの続きが気になるよ。ほら、人類滅亡の後、ロボット3体調査して猫が出てきた、続き……見せてよ。」
マユは質問させなかった。
「おわったのよ。今夜は、まったり過ごしましょう」
優しい顔で優しい声で言うのだが
逆らいがたい響きであった。
結月薫から<おころび座事件>の新情報を聞く前に
あらましはネットニュースで知った。
座員は12人。
元は東京の劇団仲間7人。
残る5人はメンバーが誘い込んだ……どこかの劇団員だ。
<おころび座>の始まりは15年前。
始まりは金沢で広島、愛媛でも興業。そして奈良には今年来た。
「具体的な犯行は、まだ書いてない」
聖はマユに記事を見せている。
「15年前、って『熊吉』の店長が奈良に戻った頃ね。やっぱり首謀者なのかな」
「金沢、広島、愛媛だろ。奈良から日帰りで通える」
「そうよね……いまのところはっきりしている犯行は『公演に来た奈良県の男性を集団で襲った』、だけなのね」
「7人は黙秘。残る5人は回復を待って取り調べ……だって」
「まあ、相当酷い怪我したのね」
「だろうな……重体とは書いてない。まだ良かった」
聖はそれが嬉しい。
死人が出るのではと、心配していたのだ。
「桜木さん、ちゃんと手加減していたわ。……トラはマックスだったけど」
見ていたように言って、マユは微笑んだ。
「マスコミは情報を求めているね」
「『おころび座』に行った人が名乗り出るとは思えないけど」
「そうだよね。『始末して欲しい人物の名前を書いた、その後、その人物は事故で死んだ』とは言えないよ」
数日後、結月薫から電話。
クリスマスイブだった。
雪も降らない。暖かいイブだ。
「セイ、鶏さんは、まだおるんやな?」
と。
東天紅鶏は結局、ずっと工房に居た。
「その子、どこの子か分かってんで。県内の神社や。……電話して今日連れて行くと言うてしもうたんやけど……ええかな?」
申し訳なさそうに言う。
「県内の神社。それって岩上神社?」
やっぱり、という思い。
「え? なんで?……しやで(そうだよ)T市の岩上神社や。……セイ、知っていたの?」
何で黙っていたと言いたげ。
「ネットで色々調べて……可能性あるかと」
「なるほどな、ほんなら場所わかるな、午後2時に現地集合で頼みます」
慌ただしい感じで電話は切れた。
「2時って……あと3時間もないじゃん。急な話だな。えーと国道混むな。1時間半はみとかなきゃ」
慌ただしく昼食をシロと食べ、
シロを山田霊園事務所に連れて行き、
(悠斗に一言かけ、トラの居る柵の中にいれた)
鶏の餌(車中でお腹空くかも)を用意。
T市は滅多に行かないエリア。
T教の独特の建物群に魅入ってしまい、
(T市はT教の街)
おかげで路に迷う。
駐車場が分からず手間取って
約束より15分遅れる結果になった。
参道の途中
鳥居の前で
バイク用のジャケットを着た薫が
鶯色の作務衣(綿入り)を着た老人と
立っていた。
白髪ロン毛を後ろで束ねた
痩せて背の高い仙人のような老人だ。
聖は、白衣の上にダウンコートを羽織り
鶏はコートの中に抱いていた。
「よお、お帰りなさった」
と、作務衣の老人が声を掛けた。
鶏は
「くけ、くき」
と返事のように鳴く。
そして、地上に舞い降りた。
「どれどれ。なになに……ほう。なんやら、ええ働きしはったみたいやな」
言ってから
老人は鶏の嘴に触れる。
「そうですねん。犯人逮捕は、この鶏さんの手柄とも言えます」
薫は老人に頭を下げ
任務終了、退散の気配。
聖は鳥居の先に目が行く。
ここまで来たんだ。
……見たい。
鶏が放し飼いの境内を、見ないでは帰れない。
薫の存在も忘れ、心惹かれる方に足が向く。
……居た。
チャボが、東天紅が
あっちにも、こっちにも。
参拝客も数人、鶏と一緒に写真を撮っている。
あたりの空気が……違う。
澄んでいる。
馴染んだ山の空気よりも、澄み切っている。
此処は……日本最古の神社のひとつ。
紀元前から、この場所は聖域だったと、改めて思う。
それで、空気が違うのかも。
きれいな空気を頂こうと深呼吸。
なんとなく身体が軽くなった気がする。
「大腿骨複雑骨折のがな、はきよった」
そばで薫が言う。
「怪我人の事情聴取も、始まったんだね」
「うん。他の奴は完全黙秘や。……黙秘と言うより一切口をきかん。顎砕けた奴は除外して(喋りたくても喋れない)」
「無言劇を続けているのか。けど1人でも喋ってくれて良かったじゃん」
「そいつは『ノダ』という50才の男やねん」
ノダは(熊吉店長)フカモトとタレントスクールで同期だった。
タレントスクール卒業後、同じプロダクションに所属。
オーディションに備え、定職には就かなかった。
プロに写真を撮って貰ったり、それなりの服装を揃える為に出費は多かった。
しかし、ほぼ書類選考落ち。素人バイトに混じってエキストラ程度の仕事しか無かった。
「ちゃんとした芝居が、演技がしたかったんやて。ほんで劇団を作った。バイトで金貯めては公演。いつかスカウトされプロなれると夢見て。それを10年余り続けた。結果、売れるチャンスは無かった。年とってきてバイト先も選べなくなってきた」
「……東京ではよくある話なのかな?」
「そうなんかな。ほんで15年前、フカモトが奈良に帰ることになった。あの男だけは板前としてそれなりに稼いでいた。劇団活動を休んで板前修業の時期もあったらしい。調理師学校にも在籍していた。家業も好きやったんかな。そんで劇団仲間の中ではダントツに金持ってた。その金を、ほとんど劇団につぎ込んでた」
「スポンサーでもあったんだ。それが実家に帰っちゃう。お金出す人が居なくなれば劇団は困るよね」
「そうや。解散の流れになった。残された仲間は、金が無いから次の公演の目途も立たんかった……けど、なにはともあれ、まずはフカモトの送別会と、なった」
それは解散会、でもあった。
劇団仲間であった時代は終了。
夢破れ、芝居の世界から去って行く、
悲しい宴。
「酔っ払って、これが最後というのもあり、遠慮も無くなり、フカモトは皆に責められたんやて」
「なんで?……ずっと、出資してたんだ。感謝されるべきだよ」
「妬み、やろな。実家に戻れば居酒屋の経営者やんか。店の他に、大阪に貸ビルも持ってるしな」
「不動産業も。それで『山田不動産』知ってたのか」
「そうかもな。若かったら他人の経済状態を、そう妬まないやろうけど、当時で30代後半や。世間の厳しさは、充分知ってたやろ」
ノダは高校卒業後、俳優を夢見て上京。
親に高い授業料を出して貰ってタレントスクールに。
だがプロへの門は想像以上に狭かった。
つぎ込んだモノや時間が大きすぎて
後戻りもできなかった。
テレビや映画に出れなくても
自分は<劇団員>、すなわち俳優だと思える状況を、なんとか維持してきた。
それが……むしり取られる事態となった。
肩書きもプライドも、もうこの手に握っていられない。
ほかに肩書きは無い。
手に職もない。
これから何者かになるために、必要な金は無い。
若さも無い。
ノダ以外の連中も、似たり寄ったりの境遇であっただろう。
「お前はいいよなあ、って皆に言われて……その時にな、フカモトが『おころび座』の話をしたんやて。父親から聞いた、幻の劇団の話を」
「……なんでだろ?」
「ふと思い出して……話題を替えられると、それくらいの感じやったと、ノダは言うてた」
フカモトは<おころび座>になろうなどと、夢にも思っていなかった。
二度と会うことの無い芝居仲間に悪態をつかれ
悲惨な宴会に落ちていく流れを変えたかった。
ただそれだけだった。
藁にもすがりたい
切羽詰まった連中の目の前に
<希望>という餌を差し出したと
まさか思いもしなかった。
<おころび座>の話を聞いていた、数人の目玉が、ぎらついた。
この話に、喰らいついてしまった。
(それ、演ろう、幻の旅一座になろう、ヒミツ結社、正体不明の処刑人集団……人間のクズを始末するのはどうだ? 完全犯罪、完璧なストーリー。最高の台本……俺たちなら、演れる)と。
地獄の淵を見ていたのが
いきなり天上人になった気分。
で?
どんな芝居を?
普通じゃない、謎めいて……怖くて。
客(クズを始末して欲しい)は?
水商売に絞るのが安全じゃないか。
「話は膨らみ、口々から細かなプランが出た。宴会の締めは『唯一無二の劇団』と、皆で唱えたんやて」
「その場限りの戯れ言で終わらなかったのか……あのさ、店長は良い人っぽいじゃん。首謀者では無かったんだね?」
「そう。引きずり込まれたんや。言い出しっぺに、されてしもうた。もっぱら金出す役割やったらしい。座員が数年だけ暮らすアパート、シェアハウスの家賃、払ってたんやて」
「あの人は、実行犯でも無いのかな」
「ノダの供述では、人殺しには加わってない。店の仕事で手一杯やからな」
「そう、なんだ」
聖は何故かほっとする。
店長のビニール手袋に隠れた手に、<人殺しの徴>は無かったのだ。
「店長、逃げ腰やったらしい。そんで、他の仲間は、あえて『熊吉』の迷惑客を殺し、セイも殺そうとしたんや。店長への脅しやな」
資金源のフカモトが抜けるのを警戒し
目と鼻の先に、芝居小屋を持って来た。
店長の母親が、<おころび座>に行くように、そそのかしもした。
「ノダは脚本を書いていた。つまりな、あいつ1人の証言で全て事足りるんやで」
台本は幾通りもあった。
1人殺すのに何回もチャレンジしていた。
一度で成功と想定していない。
未遂で終わった件もある。
殺せなくても、なにも問題は無い。
大金で殺人を請け負ったプロではない。
人1人、事故に見せかけて殺すのは難しい。
だからこそ、
成功時の達成感は大きな快感であった。
「そいつ1人、ペラペラ喋ってるんだね。秋田犬に襲われたのがショックで頭の中に大きな変化が起きたのかな。洗脳が取れた、みたいな」
「それも、ある……けど、一番怖がってたんは犬より鶏やで」
「鶏……あの子?」
「うん。儀式で使う鶏は主に四国の農家から買ってたんや。ノダが調達係やった。奈良の近場で綺麗な鶏が放し飼いと知り、盗みに来たんやて。1人で」
「夜、捕まえたんでしょ?」
「うん。虫取る網で。ところが勢いつけすぎて、鶏は捕らえたが、死んでしもうた……」
「へっ?」
あの鶏の前に、別の一羽を殺してしまったと?
「間違い無く死んでた、言うねん。……ほんでも綺麗や。どうせ儀式で首を跳ねるンや。客に姿見せるのは一瞬。細い針金で細工すれば、立ってる格好に、生きてるようにできる。そう考え死骸を持ち帰った」
「持って帰った……あの鶏の……話なの?」
「そうやで。怖いやろ」
「気絶してたんだ。鶏はショックで気絶するよ」
「ちゃうで。内蔵出して綿詰めて針金いれて、剥製みたいなモンにした言うてた」
「あの子?……ホントにあの東天紅鶏?」
「K城山にも持って行った。そして儀式……首跳ねる寸前、男乱入。略奪の瞬間、ノダは間近におった。白装束の1人やってん。ほんで見たんやて。内蔵の無い鶏が、羽ばたいて乱入男の胸に飛び込むのを……」
「へっ。……へっ。嘘だろ。信じられないよ」
「『おころび座』の他の連中も信じなかった。見てないからな。錯覚と済まされた」
「中身からっぽ?……いっぱい食べていっぱい、糞して……」
「怖いやろ」
「怖いっていうか……いや、有り得ないでしょ」
「ノダは神様の鶏を盗み、殺してしまった……祟りやと怯えている。山で怪物に殺されかけたのは祟りやと」
「カイブツ?」
それって悠斗とトラ?
「素性は明かしてないねん。正体不明の森に棲むモノが、剥製屋の窮地に出現した、としか言うてない」
(あの山には、イノシシ男と巨大な黒山羊がいるらしい。奈良では有名な魔界だと脅した)
「言ってないのか。そりゃあ怖いだろうね。真っ暗な森だよ。俺を押さえ込んだ直後に、トラが跳んできて噛みついた。あれは秋田犬だと教えてやらなかったら、怪物だと思っちゃうよ」
「そうかもな。ほんでも鶏の方がずーっと怖い言うてたで。……セイは怖くないか?」
「怖いとか思えないよ。アイツ、可愛かったし」
「いい子やったな。フワフワして、温かかった。しやけど一刻も早く、元居た場所に返すべきやと思った」
「それで……急いだの?」
「まあな。あ、あ、居るで、あの木の、……そこに。こっち見てるで」
指差す方に、大木の枝に、可愛いあの鶏。
「お気に入りの場所かな」
葉の陰にいるのに
陽を浴びているかのように
色とりどりの姿が輝いて見える。
「なあセイ、雄詰とは、邪を払う所作……神威、神叫び、とか書いてるで。神を騙って人殺し、しよったんや。だいそれた、罰当たりなことやで」
薫が、
携帯画面を見せた。
聖は
K城山での出会いから
自分はこの鶏に使われていたのかしらと、
ふと思う。
(なんやら、ええ働きしはったみたいやな)
さっきの老人の言葉
あれは、もしかして……俺のことか?
俺は、御神鶏に仕えた剥製屋だったりして。
「おい、俺は役にたったのか?」
鶏に聞いてみる。
「くけ、ここ、くけ、こここ。くけ」
妙な鳴き方で返事。
喋ってる?
鳥語はわからないよ。
(犬の要求鳴きは大体わかる)
「セイ、もう帰ろ。鶏と喋ったらアカン。話、聞かんときや」
薫が袖を引っ張る。
「喋れないよ。……残念だけど」
鶏はまだククケ、ケケココ、と鳴き続けている。
「確かに、俺に何か言ってるみたいなんだけどね」
「何言うてるか、分からんうちに帰ろう。……わからんで、ええねん、『知らぬが仏』いうやんか」
「ほとけ?」
神社の境内で<仏>?
「いや、違う、あれや。あれ、『触らぬ神に祟り無し』言うやろ」
言いながら、(腕を掴んでる)薫の手に力が入る。
力ずくで、この場から立ち退かせる気配。
「カオル、わかった。帰るよ」
どうして、なんでムキになってるの?
どうして、俺が此処に居ちゃあいけないの?
「熊さんがな、6時に、霊園事務所にクリスマスケーキ持って来るねん。山田社長は、それより前に、御馳走と来るねんで」
参道を下り、鳥居の外に出たあたりで
薫は教えてくれる。
「へーつ、そうか。クリスマスパーティなんだ」
「セイと悠斗には色々動いて貰ったからな。慰労会も兼ねて……2人にはサプライズやってんけど。早く帰りたいからな、喋ってしもうた」
「それは早く山に帰らないと。渋滞に巻き込まれちゃう」
「しやろ。ほな、あとで」
薫はバイクを止めてある場所へと小走りで駆け出す。
聖の関心は、不思議な東天紅鶏から、クリスマスパーティへ移る。
けど、
……視界に入っている(駆けていく)薫の後ろ姿。
……背中が、ぴくっとした。
いまのは何だろ?
怖かった、って、リアクションじゃないの?
薫は何に恐怖を?
聖は理由を探す。
「もしかして……アイツ、鳥語が少々……分かってたりして。そうだとしたら……」
その先の推理は放棄した。
知らぬが仏
触らぬ神に祟り無し
薫の言葉に素直に従った。
いつだって、結局
薫の指示には従うのだ。
「うわ、これって、俺は結月薫に仕えている、そういう立場? そゆこと?」
面白いモノを発見した子供のように
独り言の声は大きい。
静かなる参道まで、その上まで
聖の声は響き、到達した。
最後まで読んで頂き有り難うございました。
仙堂ルリコ




