position 3
ここマルコット王国において貴族は全人口の1割程度とごく少数だが、一言に「貴族」と言っても立場や役割、権力、財力など上級から下級まで様々である。
アシュレイは公爵家、つまり王族に次ぐ高位の身分であり、その当主シャルル、そして夫人のリリサは「そこそこの」力を有している。
権力も影響力も財力もあるが、その分、仕事も責任も義務もプレッシャーも、「敵」も多い。
そんな彼らと一線も二線も画した子爵という身分のウィンディア家。
すべての面において「それなり」の家柄であり、その令嬢であるアメリィの生活は「それなりに」お気楽なものであった。
学ぶべき事は多々あれど、それを差し引いてもやはり有り余る時間…つまり暇を持て余した彼女は、今日も趣味の読書に没頭していた。
ふわふわとした桃色の巻き毛は飾りもなく後ろで一括りにされ、乱雑に結ばれたドレスの胸元のリボンも左右で長さが違っている。
ソファの背もたれには「背」ではなく後頭部をもたれさせており半ば寝ている状態だ。
最初は普通に座っていたはずだが、本に熱中している間に段々とズルズル沈み込んでいったようで、スカートも捲れかけている。
そんな貴族の令嬢らしからぬ格好をしているのは、ここが彼女の私室で部屋の扉に「立ち入り禁止」の札をかけているからだ。(流石に家族といえど人前で晒して良い格好ではない事くらいは分かっている)
「あー、姉様また沈んでる。その体勢、首痛くならない?」
唐突にソファの後ろから声が掛かりアメリィは緩慢な動作で顔を上げた。
相手が誰かは分かっているので特に驚きはしない。
「言っておくけど一応ノックしたんだからね!」
そう言って向かいのソファに腰掛けたのは妹のエレナだ。
アメリィとよく似た桃色の巻き毛だが、彼女とは反対にキチンとハーフアップにし絹のリボンを結んでいる。
もちろんドレスも完璧だ。
「別に良い。それで、どうしたの?」
無表情に淡々と、けれど僅かに不思議そうにアメリィは尋ねた。
遠慮のない妹だが「立ち入り禁止」の札を無視するのは珍しい。
何かあったのだろう、と読み掛けの本を閉じた。
「リリ姐の遣いが来てるの。姉様に会いたいんだって。それも急ぎで」
「急ぎ?リリ姐が?」
アメリィは驚いた…といっても普段からあまり仕事をしない表情筋。
傍から見れば少し目を見開いた程度だ。
リリ姐ことリリサとは親しい間柄ではあるが、こんな風に急に遣いを送ってくることは今までなかった。
「うん。なるべく早く会いたいんだけど、いつが良いですか?って。遣いの人、門の所で待ってるんだよね。すぐ返事が欲しいみたい」
「そう…」
呟いてアメリィは立ち上がり、本を片付けながら考える。
普通アポイントをとる場合、遣いは要件だけを伝えて一旦帰り、後日こちらからも遣いを送り返事をするのがこの国での礼儀だ。
その場で遣いが返事を聞いてくるなんて事はない。
と言っても、それを厳密に守っているのは上級貴族ばかりでアメリィなど子爵の、しかも令嬢などは色々と手順をすっ飛ばす事もある。
友人ともなれば特に、だ。
しかし、上級も上級の公爵夫人であり「親しき仲にも礼儀あり」といつも礼儀正しく規則正しいリリサがこんな事をするなど青天の霹靂。
余程の理由があるに違いない。
「珍しいよね…リリ姐いつも面倒くさいくらいキチンとしてるのに。何かあったのかなぁ?姉様どうする?」
エレナは心配そうにアメリィを見上げた。
立場は大分違えどリリサの事は「友人」だと思っているし、何かあったのなら力になりたい。
それは姉妹二人とも同意見だ。
「緊急事態ってやつかもしれない。すぐにお会いすると伝えて」
「さっすが姉様!…あ、でも待って。すぐっていつ?明日?明後日?ちゃんと間に合う?」
ぱぁっと明るくなった表情をまた曇らせてエレナはアメリィに詰め寄った。
緊急と言いながら結局は明後日などになってしまうのは「貴族あるある」だ。
それでは助けられないかもしれない。
「私は今日のつもり。あとはリリ姐次第」
「リリ姐次第って…それ絶対明日になるやつじゃん」
「うん。リリ姐の事だから、緊急事態でも最低限の礼儀とか何とか言って明日になるね」
エレナが頬をふくらませるとアメリィも不満そうに眉間に皺を寄せた。
この時間からなら急げば最短でティータイムに間に合うかどうか、といったところだが、あくまで「最短」だ。
このままなら早くて明日の朝食…果たしてそれは「急ぎ」と言えるだろうか。
それは彼女の助けになるのだろうか。
答えは否だ。
ならばどうすべきか。
半分答えは出つつ尚も考え続けるアメリィにエレナが「はい!」と手を挙げた。
「はい、エレナさん」
「今から行くってのはどうでしょうか?!」
「今から??」
「うん、今から。だってどうせ暇でしょ?」
と、エレナはあえて空気を読まずに笑いながら提案した。
別に本気でそんな事をするつもりはない。
姉があまりにも深刻に悩むものだから和ませようと言ってみただけだった。
のだが。
「…アリかもしれない」
姉の意外な返事に「なんちゃって」と続くはずだった言葉は飲み込まれ、代わりに「へ?」という間抜けな単語にもならない音が出た。
「エレナ支度して。馬車の用意も」
言うが早いかアメリィは隣の衣装部屋へ続く扉を開け、訪問着を物色し始めた。
「な、え、ちょっと待って姉様、冗談でしょ?ホントに行くの?」
「エレナが言ったのに」
「冗談のつもりなんだけど?!」
「私は本気」
「えぇぇぇ…何かまた変なスイッチ入ってる〜」
エレナは脱力してソファに沈みこんだ。
頑固な姉はもう何を言っても聞かないだろう。
覚悟を決めて怒られるしかない。
「リリ姐は大丈夫でも父様はどうするの?良い感じの言い訳、考えてる?」
「リリ姐のピンチって言えば良い」
「それで納得するとは思えないんだけど…」
「多分リリ姐が何とかしてくれる。『公爵夫人』が一緒なら父様もお説教なんて出来ない」
「それはまた大胆な…姉様たまにこういう事するよね」
「格好良い?」
「きゃーステキーカッコイー…って遊んでる場合じゃない!私も支度しなきゃ」
パッと立ち上がりエレナは慌ただしく出ていった。
リリサはアメリィとの面会を望んでいるようだが、当然のようにエレナも行くつもりでいる。
それはアメリィも、おそらくリリサもそう思っているだろう。
特別仲良しという事もないけれど、リリサと会う時は必ず二人一緒だった。
「一人で」と言われない限りは共に行くのが常だ。
今回も特に何も言われていないので大丈夫だろう。
アメリィから本人には絶対に言わないけれど、正直、エレナがいることで大分助かっている。
主に「円滑なコミュニケーション」という部分で。
アメリィは子爵令嬢、それも長女として社交場に出ることが仕事の一環として頻繁にあるものの、それでも人と関わる事に苦手意識が拭えないでいた。
無理矢理作った笑顔の仮面で、心にもない形式だけの言葉を並びたてる事には慣れてきた。
そういう意味で公の場で失敗したことはない。
けれど「友人」は仕事とは別のコミュ力が必要となる。
それがどうにも上手くできない。
そもそも、アメリィはあまり表情筋が動かない。
口数も少ないし話も淡々としていて素っ気ない。
塩対応の極みである。
対してエレナは本当に自分の妹かと疑うほどのコミュ力で、大抵の相手とすぐに仲良くなってしまう。
羨ましい反面、助けられる場面が多い。
けれど、彼女のようになりたいとは思わない。
人には向き不向きがあるし、それぞれ役割も立場も違うのだから。
とりあえず2人の役割としては、「友人」のリリサを助けること。
ある意味正反対だけれど、それぞれの立場とやり方で出来る事をするだけだ。
突拍子もない事を思い付きはするものの、思うだけで動けない妙に真面目な妹。
そんな彼女を持ち前の度胸と勇気と大胆さと少しの腹黒さで背中を押し、時には手を引き共に行く。
今はそれが姉であるアメリィの役割だ。
アメリィは手近にあった着替えやすいドレスを引っ張り出し、使用人も待たずに服を脱ぎ始めた。
手土産のアップルパイを持ち2人揃って門に向かうと、公爵家の遣いの青年はギョッとした顔で馬車から降りてきた。
普通は使用人が言伝を預かってくるものだ。
まさか本人が出てくるとは思わず、慌てて居住まいを正しい頭を下げた。
アメリィは片手でスカートの端をつまみ、にこやかに軽く礼をした。
「お待たせしてしまって大変申し訳ありません。アメリィ・ウィンディアですわ。これは妹のエレナ」
「は、はい、存じ上げております。あの、これは一体…」
「驚かせてしまって申し訳ありません。ですが一刻を争うと聞きまして」
ええええええええええ!!!!言ってない!!一刻を争うなんて!!言ってない!!!
と、遣いの青年は内心で大声で叫んだ。
完全にパニックである。
とはいえそんな事はおくびにも出さずに無理矢理に笑顔を貼り付けた。
「お気遣い痛み入ります。早速ですが、ご都合はいかがでしょうか?」
「今から伺いますわ。よろしくて?」
ええええええええええ!!!!
今から?!?!?!?!?!
青年は再び内心で叫んだ。
「今から」なんて、そんな答えは聞いたことがない。
それに今現在、リリサはオラクル公爵家の昼食会に出ていて不在だ。
「い、今からですか?申し訳ありませんが、ただ今主人は…」
「構いませんわ。入れ違うといけませんし、貴邸で待たせて頂きます」
ええええええええええ!!!!
「待たせて頂きます」?!?!?!
そんな答えは初めて聞いた!!!
青年は再び以下略。
貼り付けた笑顔は変えないまま、けれど答えに窮していると、アメリィの1歩後ろに控えたエレナがスっと片手を上げた。
「姉様、落ち着いてくださいませ。…遣いの方、姉が失礼しました。困らせてしまってごめんなさい。きっとこんな事を言うのは私達くらいでしょう?急に言われてもお返事出来ませんよね」
エレナは眉を下げて苦笑いをした。
提案したのはエレナだが、あくまで提案だ。
「エレナは」本当にする気はない。
良かった、どうやら妹の方は常識的のようだ。
と青年はホッと一息ついた。
が、それも束の間。
姉の方は諦めていないらしい。
「でしたら、お返事は不要ですわ」
「ちょっと姉様!」
「私達が勝手に来たとお伝えくださいませ。それなら貴方に迷惑はかからないでしょう?」
「それはそうだけれど…うん、そうよね。それが最善、かなぁ。えっと、遣いの方、ごめんなさい。姉はもう譲る気はないみたいです。説得は無理でした」
テヘ、と可愛らしくエレナは謝った。
常識はあるが、それだけだった。
「では、私達はこれで失礼致しますわ。さぁエレナ。馬車へ参りましょう。貴方も早く馬車を出してくださいな。流石に私達が先に着いてしまうわけにはいきませんもの」
ニコリ、と完璧な笑顔でアメリィは青年をせっついた。
青年は逆らう事もできず、というか逆らって良いのかも分からず、言われた通り馬車へ乗り込んだ。
何かあったら彼女達が責任を取ってくれるという事ならば、もう知らん。
少し開き直ってステップに片足を乗せた所で、エレナが小さく呟いた。
それは悪魔の囁きだった。
「同じ所に行くのに何だか変な感じ」
「「え?」」
アメリィと青年がハモってエレナを振り返った。
「え?や、何となく…2台連れ立って同じ所に行くんだなぁって思ったら変な感じしちゃって。別に深い意味はありません」
「……確かに」
「姉様?」
ボソリと呟いた姉の思案顔に、エレナは嫌な予感がした。
少し前に見たのと同じ顔だ。
「もし、遣いの方」
「は、はい?」
「そちらの馬車に私達も乗せてくださる?」
「「は?」」
今度はエレナと青年がハモった。
「ですから、貴方が今乗ろうとしている馬車に、私達も乗せて頂きたいのです」
ええええええええええ!!
と、今回は叫ぶ余裕もなく、青年は混乱した。
前代未聞が過ぎないだろうか。
「あーーなるほど、それは確かに手っ取り早いなーー。姉様ってば天才ねーー。」
色々と諦めた顔と棒読みでエレナは拍手をした。
ここまで来たらもう何も言うまい。
エレナは真っ青になった遣いの人に気の毒そうな視線を向け、既にステップに上がっている姉の後に続いた。
アシュレイ公爵邸に着くまでの間、アメリィは満足げに営業スマイルで過ごし、エレナは「あーぁ、知ーらない」と頬杖をつき窓の外を眺め、遣いの青年はずっと放心状態だった。