position 2
柔らかな日差し、爽やかな風、目に彩やかな新緑と花々。
そしてお気に入りの紅茶にスコーンと苺のジャム。
貴族女性の朝は優雅で穏やかで贅沢だ。
今日も今日とて、リリサ・トゥソールはバルコニーでのんびりと朝のティータイムを過ごしていた。
「あら、池に花が浮いているわ。何て花かしら?」
「ルーウィの花でございます。昨日、庭師が用意いたしました」
独り言のような呟きに、傍に控えた専用侍女アンヌが即座に答えた。
「そう。とても綺麗な色ね。もっと近くで見たいわ。あとでお散歩に行きましょう」
「本日はオラクル公爵家主催の昼食会の予定ですが…」
「……そうでしたわね。では、お散歩はその後にしましょう」
「承知しました」
「昼食会」と聞くやいなや眉間に皺を作ったリリサにアンヌを含め周囲のメイド達は僅かに苦笑いを浮かべた。
このどこか幼い主人は社交場が苦手らしい。
行けば完璧にこなすものの、好んで行きたい場所ではないようだ。
なんでも、居心地が悪い、とのこと。
自分たちには分からない貴族のアレコレがあるのだろう、と彼女達はあまり口を出さないようにしていた。
「ところで、シャルルくんはまだかしら?」
カップを置いて、彼女はその特徴的な白銀色の眼をドアへと向けた。
「はい。今お起こしに伺っているところでございます」
「何の予定もないから良いけれど、もう少し早起きして欲しいものですわ。私、もう一杯飲み終わりましてよ?」
全くもう、とプリプリしている様はやはり幼く見えて仕方ない。
これで「公爵夫人」なのだから分からないものだ。
とはいえ、同じ歳の平民達と比べてみれば大して違いはない。
「おかわりはいかが致しましょう?」
と声をかければ嬉しそうに頷いた。
シャルルが寝坊助なのは今に始まった事でもなし、本気で怒っている訳ではない。
16歳で嫁いで4年、共同生活に慣れと諦めは肝心だ。
「し、失礼します!あの、アンヌ様!」
シャルルを起こしに行ったメイドが息を切らせてバルコニーに駆け込んできた。
優雅で穏やかで贅沢、とは対照的な、青ざめ震えた様子に緊張が走る。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「それが、シャルル様が…、あの、いえ、私の勘違いかも、ですが、も、もしかしたら、シャルル様が…」
「待って、何を言っているか分からないわ。シャルル様が何?はっきり言いなさい」
「す、すみません…えっと、」
「落ち着いて下さいませ」
アンヌの強ばった表情と声音で余計に緊張感が増す中、リリサの平素と変わらない穏やかな声がかかった。
「深呼吸いたしましょう。ほら、すってー、吐いてー…さぁ、皆さんも。すってー、吐いてー…どうかしら?」
バルコニーにいた全員で深呼吸をし、その滑稽さに少し気が緩んだ所でメイドはゆっくり話し始めた。
「いつもの様に寝室に伺ったらシャルル様がいらっしゃらなかったのです。今、皆で探しているところなのですが、外套やカバン、履物も無くなっていたので既に外に出られたのではないかと。それと枕元にこれが」
『親愛なる リリサ・トゥソール様』
渡されたそれをリリサはその場で開封した。
穏やかにみせて内心やはり狼狽えていたのだろう、彼女らしくなくペーパーナイフなど使わず指で破った。
読み終わるとリリサは一旦目を閉じて「ふーっ」と長く息を吐いた。
そして立ち上がった彼女は「公爵夫人」らしい顔付きでメイド達に指示を出す。
「残念ながら、ティータイムは終わりですわね。名残惜しいですが片付けてくださいまし。それから明日以降のシャルル君のスケジュールの確認を」
「かしこまりました。公爵家の昼食会はいかが致しましょう?」
「もちろん参加するわ。予定通り、支度して。それから、皆さん。分かっていると思いますが、この事は口外無用です。そうね…シャルル君はしばらく体調不良で籠るという事にしておきましょう。宜しいですわね?」
リリサの凄みのある笑顔にメイド一同、声を揃えて返事をした。
「そういう事、だったのね」
昼食会用のドレスに着替えながら、リリサはポツリとこぼした。
声に出したつもりはなかったが、傍にいたアンヌが反応して顔を上げた。
何でもない、と言おうとして、やはり聞いてもらおうと口を開く。
「少し前、シャルルくんと庭のお散歩をしたでしょう?実はね、彼の方から誘ってくれたの」
「シャルル様が?!」
アンヌは目を丸くして驚いた。
自分の知る限り、そんな事は初めてだったからだ。
「デート」をした事も、ましてやシャルルの方から誘う事なんて一度もなかったはずだ。
「ふふ、そうなの。珍しいでしょう?…その時点で気付くべきだったのかもしれませんわね。きっと、あの時にはもうこうする事を決めていたのでしょう。最後の思い出作り、と言った所かしら」
リリサは目を伏せて自嘲気味に笑った。
理由も何も知らされず置き手紙1つで片付けられるなんて。
そう憤るべきなのかもしれないけれど、感情の整理がつかず笑うしかなかった。
というより、感情を抑えているというのが正しいのかもしれない。
心の奥には怒りや呆れや悲しみや、言葉では表せないような感情が渦巻いているのだと思う。
けれど、それを直視してしまえば自分はもう動けない。
蓋をして忘れた振り、気にしていない振りをしなければ何も出来なくなってしまう。
だからそれらは一旦「置いといて」。
やるべき事をやらなければ。
「アシュレイ公爵夫人」としてのやるべき事、そして「シャルルくんの妻」としてのやるべき事を。
『アシュレイ公爵家当主、シャルル・アシュレイの失踪』
このままいけば数日後にはそんな新聞が出て街は大騒ぎになるだろう。
根拠のない噂話が尾ひれ背びれを付け広がり、町人達には珍しい娯楽となるに違いない。
まぁ、それは良い。問題は貴族だ。
彼らにとってこれは良い暇つぶしであると共に格好の『ネタ』だ。
王家に最も近いと言われるアシュレイ家の若き当主のスキャンダル……使い道はいくらでもある。
「1週間くらいは何とかなるかしら…」
体調不良で通せるのはそのくらいが限度だろう。
長引けば見舞いだの医者だのと余計な事を言う輩は増える。
公爵家に取り入りたい者、陥れたい者、どちらも多いのだ。
「そうですね…我々が全力で誤魔化します」
「ごめんなさい、アンヌ。面倒をかけますわね」
「いいえ、お気になさらず。むしろ家の事は私達にお任せ頂いて、リリサ様はご自身の仕事に集中してください」
アンヌは胸に手を当てしっかりと頷いた。
主人であるリリサを支えるのが自分の役目。
アンヌはそれに誇りを持っていた。
彼女の強い意志を持った目を見て、リリサは一つ決心した。
8割がた決めていたものの僅かな迷いがあったのだが、これで心は決まった。
「ありがとう、頼りにしてますわ。早速なのだけれど、ウィンディア邸に遣いを出してくださいませ。アメリィさんに至急お目にかかりたいの」
「承知しました。…あの、理由をお伺いしても?」
「ふふ、あのね、大人しく帰りを待つだけなんて私らしくないと思いませんこと?」
「はい、もちろん。…という事は、探すんですか?シャルル様を」
驚いて聞き返したアンヌにリリサは力強く頷いた。
「実は少し迷っていたの。他にすべき事もあるし、何よりシャルルくん自身が探して欲しくないんじゃないかって。でも、何だか心が落ち着かなくて、自分でも怒れば良いのか泣けば良いのか分からないのよ。だからいっそシャルルくんに責任とってもらおうって思ったの。それに、その方が私らしいでしょう?」
リリサは悪戯っぽくウインクした。
相変わらずグチャグチャの感情は心の奥にあるけれど、それも含めて全てシャルルに丸投げしよう。
彼に会って、それから整理整頓して怒るなり泣きわめくなりすれば良いのだ。
「もちろんです!探しましょう!シャルル様に気を遣う必要などありません。相談もなしに勝手に出ていったのはシャルル様の方です。こちらも勝手にして何が悪いのです?見つけ出して文句の一つや二つや五つや十くらいと、ビンタの一発や二発はくれてやりましょう」
グッと拳を握りアンヌは鼻息荒く捲し立てた。
自分より乗り気なアンヌにリリサは若干引くと同時に頼もしくも感じた。
「ちょっと多くないかしら?…こほん、ビンタするかどうかはその時に考えるとして。とにかく見つけましょう。ありがとう、アンヌのおかげよ」
「いいえ!それでこそリリサ様です!」
公爵夫人などという大層な肩書きになったが、本来はワガママな末っ子姫。
多少お転婆くらいが丁度良いのだ、この主人は。
アンヌは心の内で拍手喝采を送った。
「ところでリリサ様。シャルル様を探すのは分かりましたけど、アメリィ様に遣い、というのは何故です?」
アメリィ・ウィンディア。
ウィンディア子爵の長女で、リリサとは立場は違えど歳も近く以前から親しくしていた。
お互いの屋敷を行き来したり買い物をしたり、悩みを打ち明けあったり…社交界で唯一信じられる「友人」だ。
とはいえ今回彼女を頼るのは相談するためではない。彼女の人脈を使わせてもらうためだ。
「あら、忘れたの?アメリィさんの婚約者が誰なのか」
「婚約者、ですか…?あっ!なるほど、流石リリサ様です!」
「ふふふ、くだらないパーティでも出ていた甲斐があるというものでしょう?さ、昼食会まであまり時間がありませんわ。急ぎましょう」
察しの良い侍女に嬉しそうに笑うリリサは開き直った様子で、昔のお転婆な末っ子だった頃を思い出させた。