Unkown world 9
「あの、フィリ…怒ってる?私たち余計な事言ったよね、ごめんなさい」
「そうだな」
「見かけない顔って言われたから、観光客の振りをしなきゃって思ったのだけれど、見当違いでしたのね。ごめんなさい」
「そうだな」
「『良い喫茶店』って『美味しいコーヒーのお店』だと思ったの。ごめんなさい」
「そうだな」
落ち込んで口々に謝る三人にフィリウスは淡々とした相槌だけを返した。
「もういいよ。この話は終わりだと言っただろ」
「そうはいきませんわ。先程も申しましたが、私は公爵家の人間として…」
「国を守る義務がある?」
「そ、そうですわ」
フィリウスが鋭い視線を向けるとリリサは少し怯んだが、グッと胸元で手を握りしめてハッキリと頷いた。
なかなか引き下がりそうにない彼女の様子を見てため息をつき、フィリウスは被っていたフードを取った。
そして姿勢を正して真っ直ぐにリリサに向き合う。
「守るって何からです?犯罪?貧困?差別?どうやって?生まれながらの貴族の貴女が、『平民のフリ』すら出来ていない貴女が、何も知らない貴女が、何をすると言うのです?」
フィリウスは畳み掛けるように問い詰めた。
口調や態度こそ普段の貴族としてのものだが、その言葉は平民としての言葉だ。
「それは…まだ、分かりませんわ。ですが、知ったからには動かなければならないのです」
「知った?何を?今日ここへ来てからのたった数時間に見聞きしただけで何を知っているのです?」
「彼らの環境、です」
「仕事がなくてお金が無い環境?ええ、そうです。それは間違いありません。けれど今日貴女が見た事は表層でしかない。だって、知らないでしょう?」
ほんのわずかな端金のために子供を売る親を。
医者も呼べず薬も買えず死んでいく親を看取る子供を。
幼い弟妹のために友人を手にかける兄を。
髪や目、内蔵を売る姉を。
そんな現実を慟哭のように叫びそうになる。
それを唇を噛んで堪えた。
今はそんな場合じゃない。
彼女たちが知る必要は無い。
続く言葉を必死に飲み込もうと顔を歪めるフィリウスを見、エレナは堪らなくなって声を張った。
「兄さ…フィリ!ごめんなさい!私たちが悪かったから。リリ姐もやめよう?ね?」
目を潤ませて二人の間に割り込んだ妹を見て、フィリウスは自分が今どんな顔をしていたか悟った。
軽く深呼吸して落ち着きを取り戻し気持ちを切り替える。
「…無礼な物言いをしました。申し訳ありません」
「いいえ、フィリウスさんの言う通りですわ。私もごめんなさい。気に触るような事を言ってしまいましたね」
「いいえ、仕方のないことですので。……今日はもう帰りましょう。この調子では大した成果はあげられない」
「いえ、今度は気をつけま…つける。上手くやるから、もう少し聞き込みしよう?ますたーの話を聞くんで、だ、よね?」
「……上手くできてないんですが?」
「じゃ、じゃぁ私は黙ってる!邪魔はしないから!」
「だったら帰ってくれた方が楽なんですが?」
「ですが…でも…」
「はぁ。……レディ。集中出来てませんよね?」
「そ、それは…」
ため息と共に指摘するとリリサは口ごもった。図星だったのだ。
「初めて見る物ばかりでしょうから、気持ちは分からなくもありません。実際、随分と浮かれておられたようですしね。ですが今はそんな場合ではないでしょう?」
フィリウスの言う通り、最初は少し観光気分だった。
シャルルを探したい、助けたいと思う気持ちはある。彼のためなら何でもする覚悟もある。
けれど、何をしたら良いのか分からない。
彼が何を考えているのか分からない。
ただ漠然とした「助けたい」という気持ちだけでは負けてしまうのだ。この未知の世界へ惹かれる気持ちに。
とはいえ、浮かれ気分だったのは最初だけだ。
自分たち貴族と彼ら平民。
その違いを、その一部だけでも目の当たりにしたのだ。
貴族に囲まれて育ち、貴族特区から出たこともない箱入りのお嬢様にはショックが大きかった。
「……私の悪い癖ね。すぐ目の前の事で頭が一杯になってしまうの。確かにフィリウスさんの言う通りですわ。今はシャルル君の事が最優先です。…『覚悟を決めた』だなんて聞いて呆れるわね」
リリサは自嘲気味に微笑んだ。
リリサの落ち込みようと、多少は言い過ぎたという自覚があるためフィリウスは彼なりのフォローの言葉を口にする。
「シャルル様を追う事も彼ら平民達のために心を砕いてくださる事も、根本は同じでしょう?国を、民を守りたいというお気持ちだけはご立派だと思いますよ」
「気持ち『だけ』…ですか。ふふ、お厳しいですわね」
「あ……いえ、そういうつもりでは」
「分かってます。嫌味だなんて思いませんわ。フィリウスさんは嘘が付けないのですね」
無意識に出てしまった本音にリリサは怒る事もなく微笑んだ。
それを見た姉妹は顔を見合せ、二人に聞こえないよう「仲直り」と呟き安堵の笑みを浮かべる。
大切な友人と兄の喧嘩など、傍で見ていて胃が痛くなる思いだったのだ。
「そうそう。兄様は嘘が下手くそなんだよ。あんまり顔に出ないように見えて結構分かりやすいんだよね」
「うん。すぐバレる」
エレナは嬉しそうに二人の手を取った。
アメリィもその隣で珍しく口角を上げている。
妹達に気を遣わせてしまった事に気まずくなり、フィリウスは冗談めかして二人の話に乗っかった。
「そんなわけないだろ。僕はどこからどう見てもクール系インテリなんだから。嘘が下手というなら三人のほうだ」
挑発的に姉妹だけでなくリリサの方へも視線を向けると彼女も乗っかってきた。
「まぁ。平民のフリをするのと嘘を付くのは違いましてよ?これは言わば芝居ですわ」
「あーそうですか。なら、とんだ大根役者ですね」
「「「大根?」」」
「……何でもないです」
「あー!兄様、今ちょっと説明めんどくさいって思ったでしょ!」
「あら、そうなんですの?是非教えてくださいまし。平民の言葉なのでしょう?面白いわ」
「だから、どうしてそう、どうでもいい言葉ばかり覚えようとするんだ…」
大人しく淑やかでのんびり生きてると思ったら大層な覚悟をして未知の世界である平民街へ自分たちだけで行こうとしたり。
いざ来てみると真剣に調査するのかと思えば観光気分だったり。
貴族お得意の自分中心な理論をかましてきたと思ったら、反省と謝罪は意外と素直だったり。
やはり貴族の感覚はよく分からない。
やる気があるんだかないんだか。
そう呆れながらも何だかんだと絆されていくフィリウスであった。