Unkown World 5
飲み屋街は南北に通る大きな道が二本平行しており、どちらの道も両側に飲み屋がズラリと並んでいる。
それぞれ東通り、西通りと呼ばれており、件のバー『カサブランカ』は東通りのほぼ真ん中にあった。
そこは飲み屋街の中心地、そしてあの時間帯もまた一番活気のある頃合だった。
故にあの時飲み屋街にいたほとんどの人間が噴水を目撃していた。
浸水被害もバーのある東通りだけでなく、西にも及んでおり、なかなかの騒ぎとなっていたようだ。
「な、なんだか緊張して参りましたわ」
「大丈夫かリリサ?余計な事を言わないでくれよ」
「余計な事?」
「俺たちは噴水事件の事は『何も知らない』設定なんだ。常に『初めて聞いた』って態度を貫いてくれ」
「合点承知之助ですわ」
「…それは平民でもあまり言わないからやめなさい」
「あら、そうでしたの?私この言い回しを少し気に入っておりましたのに」
「また口調戻ってる」
「あらあら」
「本当に気を付けてくれ。ここからは特に、だ。いいな?いくぞ?」
フィリウスは段々と痛くなる頭を抑え、小さく「よし」と気合いを入れ直した。
手始めに四人は手頃な喫茶店に入った。
娯楽の少ない地区だ、あれだけの騒ぎがあれば数日経った今でもその噴水の話題で持ち切りだろう。
わざわざ聞き込みなどせずとも自然と耳に入ってくるかもしれない。
「コーヒー四つ」
フィリウスはカウンターにいるマスターへ適当に注文をし、入口近くの壁際のテーブルへ座った。
(本当なら真ん中の席の方が周りの話を聞きやすいのだが、目立たない事と逃げやすい事を重視した)
三姉妹は初めて入った喫茶店に興味津々でキョロキョロしていたが、フィリウスがわざとらしく咳払いをして窘めた。
カバンを足元に置くことに困惑している三人をスルーし、フィリウスは視線だけで店内を見渡した。
中年の男三人のテーブルが一つ、同じく中年の女二人のテーブルが一つ、そして老年寄りの中年男がカウンターに一人と、少し離れたカウンターに身なりの良い若い男が一人。
客は少なめだが盗み聞きには調度良い。
女性陣は旦那や子供の愚痴で忙しそうだし、カウンターの若い男は見るからに余所者なので除外し、中年男性グループの方へ耳を傾けた。
「なぁ、あれからスティーブに会ったか?」
「あぁ、心配だったから自宅まで様子見に行ったよ。思ったより元気そうだった」
「へぇ。店があんな事になって落ち込んでんじゃねぇかと思ったが、それなら安心だ」
「まぁ、何か妙に深刻に悩んでるっぽかったけどな。落ち込んではなかったぜ」
「そりゃ落ち込んでる暇はねぇよな。家族を養わねぇとだし、店を再開させるのか他の仕事探すのか、深刻にもなるさ」
「いや、多分そういう悩みじゃない」
「あぁ?じゃ何だ?」
「ここだけの話、スティーブのやつ実はあの時の貴族に金貰ってたんだよ。詳しくは言わなかったが、ありゃかなりの大金だな。店を建て直すくらい余裕な上にしばらく働かなくても暮らせるんだとよ」
「貴族って例の青髪のか?」
「あぁ、例の『犯人』だ」
「何だそれクソ羨ましいな!金貰えるんなら俺の店も壊して欲しいもんだぜ」
ここだけの話、と言いながら声が大きいせいで店中に聞こえていた。
もちろん、聞き耳を立てるまでもなくフィリウス達のテーブルにも話の内容はまるっと届いている。
「スティーブ、というのが恐らく例のバー『カサブランカ』の店主のようだな。で、お金を渡した貴族ってのがシャルル様で間違いないだろう」
三人が頷くのを確認して、フィリウスは続ける。
「しかしシャルル様…『青髪の貴族』は本当に堂々とやらかしたんだな。いきなり目撃情報にぶち当たるなんて、この調子じゃ町中が知っててもおかしくない。追いかける側の俺たちからすれば有難いが、色々と大丈夫なのか?金を払ったとしても器物破損は立派な犯罪だぞ」
「おそらくですが、わざとですわ。彼が本気を出せば誰にも知られず何も痕跡を残さず、完全犯罪をやってのけるでしょう」
「実際、リックに手紙を出してるしね。誰かに何か伝えたい事があったんだよ、きっと」
誰かに何か。
それが今回の鍵だろう。
彼の目的も、今起きようとしている『国家の危機』とやらも、そこに繋がっている。
何となく、そんな気がした。
「伝えたい事があるなら分かりやすくしてもらえると助かるんだがな」
フィリウスがため息をつくと、丁度コーヒーが運ばれてきた。
見慣れない客に不信感を抱いているのか、マスターは小さく「お待ちど」と無愛想に呟いた。
「まぁ、真っ黒ですわ」
「うわ黒いね」
「黒い…」
三姉妹は同じ感想を同時に口に出し、初めて見る未知の液体を凝視した。
貴族の飲み物といえば紅茶かアルコールだ。
コーヒーの存在は知っていても実際に飲んだことはないのだろう。恐いような楽しみなような、複雑な顔でカップを覗き込んでいる。
「苦いから気を付けるんだぞ。くれぐれも驚いて吹き出さないように」
「そんなはしたない事しないもん」
「毒ではあるまいし、一度口に入れた物を出すだなんて有り得ませんわ」
「毒と間違うくらい苦いんだよ」
「えっ、そんな物どうして飲んでるの?」
「美味しいの?」
「これがクセになるって人もいるんだよ。嫌なら飲まなくて良いぞ。何も注文しない訳にはいかないから頼んだだけだ」
「「「嫌とは言ってない」」」
三姉妹は何故か覚悟を決めた顔で綺麗にハモった。
「あそ、ご勝手に」
フィリウスは付き合いきれぬと頬杖をついてズズとコーヒーを啜った。
久しぶりに飲んだそれは確かに美味しくないが、フィリウスの舌にはどんな高級な紅茶よりも馴染み深いものだった。
「で、あの小屋は何なんだ?」
中年グループの一人、小太りの男がここからが本題だとばかりに緊張感を漂わせ問いかけた。
カサブランカの跡地に建てられたという掘っ建て小屋の話だろう。
軍人が見張っていたせいでチラとしか見えなかったが、空き地の奥に土地の四分の一ほどの面積しかない小さなボロ屋があった。
(三姉妹はまだコーヒーをスプーンで掬ってみたりかき混ぜたり匂いを嗅いだり忙しそうだ)
「あぁ、あれな。俺も気になってスティーブ本人にも聞いたんだが、どうも要領を得ないんだよ。新しい店って感じじゃないよな。あの大きさじゃキッチンどころか便所しかねぇし」
スティーブに会いに行ったという男が腕を組んで首を傾げた。
それに対し、目つきの鋭い長髪男が人差し指をピッと立てて呟いた。
「……それじゃね?」
「それ?」
「だから『便所』」
「あぁ、大工だか軍人用の…」
「じゃなくて。お前ら忘れたのか?カサブランカの便所っつったら…」
「「開かずの扉か!」」
「それ」
二人が声を揃えると、長髪男は満足そうにニヤリと笑った。
「開かずの扉…?」
明らかに怪しい単語にフィリウスは眉を寄せた。そこだけ聞くと胡散臭い都市伝説のようだが、今の状況では『何かある』と言っているようなものだ。
「ってことは、まさかその扉のために小屋作ったのか?」
「さぁ?スティーブの奴はあの小屋は軍が作ったから自分は関係ねぇの一点張りで詳しい事は何も言わなかったんだよ」
「はぁ?軍が何で?」
話が段々と核心に迫ってきてフィリウスは聞き漏らさぬよう集中する。
「それがよ……」
「あの〜、その話、私にも聞かせてもらえませんでしょうか?」
顔を寄せ合い深刻そうな顔で声を潜める中年男達に場違いに呑気な明るい声が割って入った。
先程までカウンターにいた若い男だ。
真っ白なフリルブラウスに胸元の小さなブローチ、ジレとパンツはシンプルな黒。
どれも仕立ての良い高級品のようだ。
山吹色の髪と瞳は平民の特徴だが、このボロい店では明らかに浮いている。
「何だアンタ、この辺の奴じゃねぇな?」
「あぁっ!これは失礼しました。私はここから遥か彼方の田舎でギルド運営などを致しております、ディクと申します。王都へは仕事で来ていたのですが、そちらが一段落しましたので観光も兼ねて物珍しさ故にこちらへ足を運んでみたところ、面白そうなお話が聞こえてきたので、不躾とは思いましたがお声がけさせて頂きました次第です」
ディクと名乗った青年は商人らしくペラペラスラスラと若干早口に、けれど綺麗な発音で聞き取りやすく明快に弁明をした。
嘘か誠かは置いておいて、身元を明かされて男達は張り詰めていた空気を緩めた。
身なりだけ見れば貴族にも見えるせいで警戒されていたのだろう。
ここの住民は余所者、特に貴族に対して良い印象を持っていない。
ギルドという分かりやすい肩書きをさっさと明かしたのは賢明な判断だ。
「私、こういう噂話が大好物でして。あぁ、もちろん野次馬根性などではありませんよ。あくまでビジネスです。世の中、何がどう転ぶかは分かりませんので」
ディクは爽やかにニッコリと笑った。
お手本のような完璧な営業スマイルだ。
胡散臭いとも言えるが、フィリウス達にとっては好都合だ。
軍が関わっているのなら、今回の件にも何らかの関わりがあるかもしれない。
その調子で男達から「開かずの扉」の話を聞き出してもらえると有難い。ばっちり盗み聞きさせてもらうつもりで心の中でディクにエールを送る。
「開かずの扉だって。なんだろうね」
「面白そう」
「扉が開かないだなんて、さぞお困りでしょうね…」
世間知らずなお嬢様三人は軍やシャルルと関係があるとは思わなかったようで、ただの噂話として興味を持ったらしい。ソワソワと男達のテーブルに釘漬けだ。
フィリウスはため息をコーヒーと共に飲み込み成り行きを見守る。
「もちろん、ビジネスですからタダでとは申しません。そうですね…ここは私が奢る、という事でいかがでしょうか?あぁ、よろしければ何か追加注文されますか?遠慮は無用ですよ?」
男達は顔を見合せ一瞬考える素振りを見せたが、すぐに笑みを浮かべてディクを歓迎した。
「ま、そういう事ならご馳走になろうかね。兄ちゃん、ここ座んな」
「おぅ、お近付きの印に乾杯といこうや」
「マスター、何か軽く摘めるモン頼むわ」
余所者に対する警戒心はあるが、「開かずの扉」の事を知られた所で彼らには何の損もないのだろう。
自分とは関係の無い噂話を聞かせるだけでタダで飲み食いできるとあれば断る理由はない。
彼らは宴会でも始めるかのように上機嫌で乾杯をした。