Unkown World 2
マルコット王国は階級社会である。
全人口の約一割を占める王族・貴族などの所謂「特権階級」が国の政治を行っており、その他の九割の国民…平民達は彼らの支配下に置かれている。
支配というと語弊があるが、多くの国民達はその事に大きな不満もなく、それを当たり前として受け入れ日々を過ごしていた。
身分の違いは「差別」ではなくあくまで「区別」だ。
はっきりと線引きはされるものの、そこに人としての優劣はない。
「貴族だから優れている」
「平民だから劣っている」
そんな風に、貴族が無条件に、生まれながらに平民よりも優れていると考えられていたのは昔の話だ。
今現在この両者を分けるのは「地位、権力、そして財力と血筋、文化」のみである。
前者二つにおいては貴族が圧倒的優位にいる。
それはこの社会の基礎と言える部分だ。
故に覆ることはない。
(もしそんな事があるとすれば、それは恐らく現王政が崩壊する時だろう)
けれど後者三つは少しづつ変容してきていた。
まず財力。
王都ではあまりないが、商業、つまり平民がその手腕によってどんどん栄えていき、いつしかそこらの地方の下級貴族などよりも財力のある者も現れ始めた。
没落寸前の貴族が商人ギルドから金を借りているなんて話もあるくらいだ。
血筋に関しても、昔ほど重要視されなくなってきていた。
子供が出来なかったり、いたとしてもそれに足る能力が身についていなかったりなど、跡継ぎに関して問題のある家では養子縁組をする場合がある。
それでも昔は親戚など多少なりとも血を同じくする者を選んでいたが、近年では能力重視の傾向が強い。
まだ数は少ないが平民から貴族の養子になった例もある。
因みにフィリウス自身も元は平民だがその頭脳が認められて貴族の養子となった身だ。
そうやって貴族達の中で平民を認める風潮が高まってくると、今まで全く別物であったそれぞれの文化が混じり合うのも必然だろう。
金銭的に余裕のできた平民達は貴族の真似事をして嗜好品や遊戯に手を出すようになり、優雅ながらも平坦な日々を過ごしていた貴族達は新たな刺激を求めて平民言葉を喋ってみたり平民と同じ食事を楽しんでみたりするようになった。
同じ街に住みながらも異なる文化を持っていた両者がお互いに近付きあい混ざり合う。
文化的な面での隔たりは少しづつ、けれど着実になくなろうとしていた。
財力、血筋、文化。
貴族と平民の距離は昔に比べればかなり近付いたと言えよう。
とはいえ平民が貴族に虐げられていた過去があったのは事実。
彼らの中には未だ貴族に対して悪感情を抱く者も少なくない。
革命や暴動などという目に見える大きな動きはなく、内心はどうあれ表立って貴族に逆らおうとする者も殆どいないため分かり辛いが、小さな火種は確かにあるのだ。
そんな中、リリサ達のような世間知らず且つどこか天然な若い女性貴族がのこのこと平民街へ出向けばトラブルは避けられないだろう。
流石に危害が加えられる事はないだろうが、騒ぎになれば社交界での立場は悪くなるし家名にも傷がつく。
それこそ「国家の危機」と戦うシャルルやリックの邪魔となる可能性もある。
それはリリサとて本意ではないはずだ。
というような事を、フィリウスは数日前に彼女達から平民街へ行くと聞いた時に語り聞かせ説得を試みた。
まるで授業のようだと思ったけれど、これは初等教育の内容であり、フィリウスが普段教鞭をとっている大学でするようなことではない。
(初耳のような顔をしているエレナに不安を覚えたが)その時はみな揃って「分かった」と頷いたのでフィリウスは安心したのだが、それはどうやら勘違いだったようだ。
彼女達が頷いたのは「諦めた」の意味ではなく、「じゃぁ貴族だとバレなければ良いんじゃね?」の意味だった。
「身分を隠して平民の振りをして行くという事は、家名を宛にできないという事ですよ?」
「もちろん分かってますわ。例えそこで何かがあっても『アシュレイ公爵家もウィンディア子爵家も預かり知らぬ所で起こった』という事にしなければいけないのですから。私はただの『リリサ』として振る舞うつもりです」
「後ろ盾が何も無いという事は、お得意の貴族パワーが使えないという事です。本当にお分かりですか?」
少し語気を強めてフィリウスが問うが、リリサも妹達もピンと来ていない様子だ。
「「貴族パワー?」」
「権力や財力に物を言わせることだよ。力でねじ伏せるやり方が通じないと言ってるんだ」
フィリウスの不穏な言い方にリリサは「まぁ」と口に手を当てた。
「ねじ伏せるだなんて...」
「そうですね…すみません、言い方を間違えました。それが『お仕事』ですしね」
思わず嫌味のように言ってしまったが、ある程度は仕方の無い事だ。
自領の民や家名、地位、権力に財力、そして面子やプライド。貴族が守るべき物は沢山あるのだ。
フィリウスは元が平民ゆえにその辺の認識がまだ甘かった。
それを自覚し素直に謝るが、リリサは逆に申し訳なさそうな顔をした。
「いえ、言われても仕方の無い事ですわね。そうする事でしか守れないのは事実ですから」
「ならばお分かりでしょう?平民の振りをするという事は、それが使えないという事。つまり貴女にはご自身を守るすべがないのですよ。あの街では、命の保証ができないんです」
フィリウスがあえてキツい言い方をすると、リリサはグッと言葉に詰まってしまった。
彼女とて自身の無力さは痛感している。
けれど、それでも、シャルルを諦められないのだ。
彼には自分の助けなど必要ないだろう。
それどころか足でまといになるかもしれない。
それでも、それでも.....。
「兄様、お願い。行かせて。私達ならリリ姐を守れる。そうでしょ?」
アメリィがリリサを庇うように一歩前へ出た。
「それは、魔法を使うって事か?」
「そう。私達の魔法は『特別』。それは兄様が証明してくれた」
「そうだよ、兄様!今使わないでどうするの!」
妹達に詰め寄られ、今度はフィリウスが言葉に詰まった。
確かに彼女達の言う通りだ。
二人の魔法ならば平民達が何をしようと防ぐことが出来る。
その特殊性ゆえに自分からは絶対に魔法を使いたがらない姉妹が、友人のために使いたいと言っている。
もうその意志を曲げるつもりはないのだろう。フィリウスも腹を括るしかないのを悟った。
けれど今一つ言わねばならない。
平民と貴族、どちらも知る者としての忠告を。
「そうだな。それは一理ある。でも、傷付くかもしれないよ。心に一生消えない傷を負うかもしれない」
諭すように優しく、フィリウスは三人をしっかりと見て言った。
妹達は頷き、それから背後のリリサを心配そうに伺う。
たぶん、1番傷付くのは彼女だから。
「フィリウスさん。お気遣い、本当に感謝致しますわ。貴方の仰ることは全て正しいのでしょう。私は平民についても平民街についても、何も知りません。甘いという自覚はありますわ。けれどその上で、決めました。私は夫を探しに行きます。例え一人でも。ですからアメリィさん達は...むぐ」
姉妹はリリサにこれ以上言わせないよう、手を伸ばして彼女の口を塞いだ。
「言うと思った」
「絶対言うと思ったよ」
「「でも言わせない」」
キョトンと目を丸くするリリサに姉妹はニィッと口端を上げた。
「私達も決めたから」
「うん、とっくに決めてるからね」
そんな二人を見てフィリウスは呆れ顔で肩を竦めた。
こうなると思った。
結局、フィリウスも妹には甘いのだ。
止められない事も分かっていた。
「分かりました。黙って行かれるよりはマシですからね。でも、条件があります」
「「「条件?」」」
「あちらでは単独行動は禁止。出来る限り僕の傍から離れない事。良いですね?」
「えっ、兄様の傍?」
「僕も行くってこと。三人だけで行かせられるわけないだろ?」
腰に手を当て、フィリウスは「仕方ない」と言外に滲ませつつ降参した。
「まず、そのドレスは片付けなさい。どれも平民が着る物じゃないからね」
「それさっきも言ってたけど、具体的にどの辺がダメなの?」
「根本的に」
「根本的?」
「はぁ.....そもそも、平民はドレスなんて着ないんだよ。ワンピースにしなさい。あとエプロンでも付けて...」
「「「わんぴーす?」」」
「.....いや、いい。服は僕が用意します。二日ほどお待ちください。その間にレディは平民らしい言動を覚えて頂けると助かります」
平民ファッションについて細々と説明するよりもフィリウスが用意した方が楽そうだ。
目立たない、実用性重視の(いざと言う時に逃げやすい)物を適当に見繕う事にした。
それよりも問題は彼女達の言動の方だ。
一朝一夕で直るとも思えないが、やるだけやってもらうしかない。
「僕は一旦大学に戻ります。自習にしてきてるだけだし休みの手続きもしないといけないので」
「あら、そうでしたのね。お引き留めしてごめんなさい」
「兄様ありがとう!」
「早く帰ってきてね」
「はいはい。ではレディ、失礼します」
部屋を出てドアを閉めると、中から楽しげな笑い声が漏れ聞こえた。
どうにも緊張感がない。
フィリウスがいかに言葉を尽くして伝えようと、やはり実感など湧かないのだ。
貴族と平民、今はまだその違いを本当の意味で理解などできないのだろう。
本来なら、理解などする必要も無い。
この平和な貴族社会で、何不自由なく幸せに暮らせば良い。
血の繋がりはなくとも妹達の幸せを願うのはフィリウスの本心だ。
それと同時に、関わって欲しくないとも思う。
それは彼女達の兄としてではなく「元平民」として、だ。
貴族が平民に関わるとろくな事がないのは身に染みているのだから。