Unkown World 1
「姉様、これなんてどう?」
エレナ・ウィンディアは自室の姿見の前でクルリとターンして姉・アメリィを振り返った。
彼女の着ている淡いオレンジ色のドレスは、袖と襟にフリル、胸元にリボンが付いただけのシンプルなデザインだった。
宝飾なども殆どなく、普段着ている物と比べるとかなり地味と言える。
アメリィは妹を上から下までじっと見て「良し」と満足気に頷いた。
けれど、それに水を差すような冷めた声がかかった。
「どこも『良し』じゃないんだが?」
ドアから顔をのぞかせたフィリウス・ウィンディアは呆れたように溜息を吐いた。
「兄様!」
「おかえりなさい」
「忘れ物を取りに来ただけだ。すぐ大学に戻るよ。それより、本気で平民街へ行くつもりなのか?」
「もちろん!だってシャルル様の手がかりはそこしかないんだもの」
「リリ姐一人で行かせられない」
姉妹はやる気満々で答えた。
あれから数日、リックは軍内部での手回しと「赤髪の二人組」探しの方が忙しいらしくシャルル捜索は滞っているらしい。
逆にリリサの方は一先ずの公爵家の仕事が落ち着いたとかで、やっと本腰入れて探せるようになったとの事。
そこで昨日、三人は今までの情報確認と今後の作戦会議を行い、シャルルが噴水事件を起こした平民街へ直接行こうという事になったようだ。
「そのための衣装よ。ほら、平民ぽく見えるでしょ?」
エレナはドレスの裾を摘み上げ、優雅に一礼した。
平民たち、特に事件のあった飲み屋街にいる者たちは貴族に対して良い印象を持っていない。
故に平民のフリをして乗り込もうという作戦だ。
今日はそのためのドレスを選んでいるのだが、いかんせんこの姉妹…というか貴族達は基本的に平民と関わる事がない。
「平民ぽい」言動も服装も勝手な想像でしかなかった。
「全くもって平民には見えないな」
「えぇ〜?!ちゃんと地味なドレスにしたのに!」
「そうそう。ほら飾りが一つもない。色も薄い。丈も短め。踵も低め。完璧」
「そういう問題じゃない。そんなんじゃすぐバレるぞ?やはり止めておいた方が良い。同じ街でもこことは別世界だし常識が違う。何より危険なんだ」
「そんなの分かってますよーだ。ちゃんと勉強したんだから」
「うん、すごく勉強した」
えっへん、と姉妹はよく似たポーズでドヤった。
けれどフィリウスにはどうにも的外れな気がして「例えば?」と尋ねた。
「例えば…馬車が通れない道があるんでしょ?大きな石があったり水が溜まってたり」
「そうそう。ゴミが落ちてたり道の真ん中に穴がある事もあるのよね。あと灯りがない建物があったり、扉の木がささくれてたり窓が割れていたりするから素手で触っちゃいけないの」
「あとは、お店の中は狭いからぶつからないように歩くのが大変なんでしょ?ぶつかったら大きな声で罵られたりするから気をつけなきゃいけないんだよね!」
未知の世界に「怖いね〜」なんて言いながらはしゃいでいる妹達に、フィリウスは
「うん……そうだね」
と遠い目をした。
「こうやって聞くと兄様が心配になるのは分かるけど、だからこそリリ姐一人で行くなんて危ないでしょ?」
「リリ姐は私達が守る」
全く何も分かっていない妹達をどう説得しようか。
フィリウスが考え始めた時、メイドが来客を告げにきた。
「アシュレイ公爵夫人がいらっしゃいました」
普通なら一度別室で待ってもらうのが礼儀だが、今日は到着次第まっすぐにこの部屋へ連れてくるよう言っていたらしい。
下級貴族の習慣に公爵夫人のリリサが慣れつつある事に、フィリウスは兄として若干の責任を感じつつある今日この頃だ。
「お邪魔致します」
「リリ姐、いらっしゃ〜い!ねぇ見て見て!」
エレナは待ちきれないとばかりに駆け寄って早速ドレスを見せようとした。
「コラ、エレナ。挨拶が先でしょ。愚妹が失礼しました。ご機嫌麗しゅう、リリサ様。お越し頂きありがとうございます」
「いいえ、構いませんわ。こちらこそお招き頂きありがとうございます」
二人が優雅に礼をし合うとエレナはつまらなそうに肩を竦めた。
「はいはい、様式美」
「レディ・リリサ、妹がお世話になっております」
「こちらこそ、ですわ。私としてはフィリウスさんとも仲良くさせて頂きたいのですけれどね」
「いいえ、滅相もございません」
フィリウスはニコリともせず即答し頭を下げた。
因みにこちらは「様式美」ではない。
彼はこれが平常運転だ。
「では、私は大学へ戻らねばなりませんので、失礼致します。二人とも、レディに迷惑かけるんじゃないぞ」
平民ファッションについて言いたい事は沢山あるしそもそも妹達の平民街行きを考え直させたいのだが、リリサが一緒にいてはやりにくい。
というよりも正直に言うとフィリウスは彼女が苦手だった。出来れば関わりたくない。
なので話は帰ってから改めて、とそそくさと部屋を出ようとしたが姉妹がそれを慌てて引き止めた。
「「待って兄様!」」
「…なんだ?」
「言い逃げはないんじゃない?」
「そうよそうよ。散々文句言っておいてさ。聞いてよリリ姐!兄様ったらこのドレス全然ダメなんて言うの!」
「まぁ。とても可愛らしいのに。どこがダメなんですの?」
「そーだそーだ、エレナは可愛い」
「……可愛いかどうかは問題ではありません。平民のフリをして平民街へ行くには適さないと言っているのです」
ドアに手をかけたまま冷たく言い放つと三人は顔を見合せ首を傾げた。
「どういうことですの?」
リリサが興味津々で聞き返して来たのでこれは逃げられそうにないと、大学へ戻るのは諦めてフィリウスは渋々三人に向き合った。
「その前に、レディ・リリサ、本当に行かれるのですか?あそこは貴女が思うよりずっと危険な所なのですよ」
「分かっておりますわ。それでも私は自分で夫を探したいのです」
真っ直ぐフィリウスを見つめてリリサは頷いた。覚悟を決めた、しっかりと意思の宿った目だ。
それでもフィリウスには彼女が本当に「分かっている」とは思えなかった。
妹達も同じだ。「勉強した」と言っているが所詮は知識、というよりは噂だけ。
その実態の半分も知らないだろう。
「平民出身の使用人に行かせれば良いではありませんか。公爵家に使える方は皆とても優秀だと聞いております」
「そうは参りませんわ。危険な所だと言うのなら私の我儘で行かせられません。それに我が公爵家の使用人は皆貴族出身なのです。きっと誰も平民街など行ったことありませんわ」
「えっ、そうなの?!流石公爵家…」
「当たり前。ウチとは違うんだから」
エレナが驚きの声をあげ、アメリィは少し呆れて肩を竦めた。
いくら「友人」として付き合っていてもウィンディア家は下級貴族の子爵。公爵のアシュレイ家とは格が違う。
「それならウチの使用人に……いえ、何でもありません」
フィリウス達ウィンディア家に仕える者達には平民出身も何人かいたはずだ。
そう提案しようとしたが、行く理由が理由なだけに簡単に任せられるものではない。
シャルルが行方不明なのは極秘事項だ。
そんなスキャンダルネタ、然るべきところに売れば一生遊んで暮らせる金が手に入る。
平民出身者などに教えられるわけがない。
彼らはあくまで金のために働いているのであって、主人に対しての忠誠心も仕事に対するプライドも持ち合わせていないのだから。