genius 3
「先生、もうちょっと体力つけた方が良いよ。そんなんじゃこれから生き残れないってホントに」
「はぁ…はぁ…よけいな、おせわ…です…はぁ…」
「世話したくもなるって。放っておくと野垂れ死んでそうだし」
「失礼な…貴族の、坊ちゃんよりは…はぁ…生活能力、あります…はぁ…」
「そんな息も絶え絶えに言われてもね」
実験場のど真ん中あたりに空いた大きな穴の中で、探し人達は寝転んで空を見ていた。
あれから何度か脱出を試みたものの上手くいかず、フィリウスの体力が限界を迎えのだった。
「…何をしてるんだ、お前は」
穴の縁に仁王立ちしてリックはフィリウスを睨みつけた。
「客を待たせてお昼寝とは良いご身分だな」
「客が貴方だと知っていたからこそですよ、リック・マトリーズ」
睨み返しながらフィリウスは半身を起こした。
リックに弱みを見せたくない一心で何とか呼吸を整え言い返す。
「あ〜も〜、2人とも喧嘩腰やめて!兄様、大丈夫?」
「エレナ。あぁ、大丈夫だ。待たせてすまないな」
「ううん。ラティオ様も大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。ねぇ軍人さん、喧嘩してるとこ悪いけど、助けてくれる?」
「え、あぁ、はい」
リックは水を掬うようにゆっくり手を持ち上げた。
するとラティオとフィリウスの足元に柔らかい風が吹き、小さな渦となり二人を浮かせる。
風は人間二人を乗せているとは思えないほど穏やかに、彼らを上まで軽々と運び緩やかに地に下ろした。
ラティオはリックに「どーも」と軽く手を挙げ、フィリウスは意外なことに素直に礼を言った。
「で、どういう状況ですか?妹達と軍人様方はともかくレディ・リリサとウィザー・ジェインまでいらっしゃるなんて」
「あ、俺は別件です。爆発音が聞こえたから来てみただけで、彼らとは入口で会ったんです」
後ろの方にいたアディがスっと手を挙げて簡単に説明した。
フィリウスが「入口?」と不思議そうに呟くのでラティオが補足する。
「俺がそこで待つように言ってたんだ。アディが中まで連れてきたんだね」
「あ、ごめん、ダメだった?」
「いや、もう大丈夫。むしろ助かったよ。一生穴から出られないかと思った」
アディは『もう』という言葉が気になったが、あえて聞かないことにした。
貴族のゴタゴタに巻き込まれるのは避けたい。さっさと逃げよう。
と思ったが…
「ウィザー・ジェイン、実験の話ですよね?すみませんが、後回しにさせてもらっても?」
「はい、もちろん。お客様優先で」
「ありがとうございます。では少々お待ちください」
「え、いや俺は後日改めてとかでも…」
「いえ、出来ればそのまま待ちください」
「あ、ハイ」
逃げられなかった。
何か言いたげなアディを押し切りフィリウスは軍人御一行様へと頭を下げた。
「レディ・リリサ、妹がいつもお世話になっております。貴女は何故ここに?」
「こちらこそ。それについては、まずは大尉のお話を先に聞いてくださいまし。その方が話が早いですわ」
「…わかりました。では大尉殿、ご要件は?」
「時間があまりないから単刀直入に言うぞ。生徒の名簿を見せて欲しい」
「は?」
フィリウスの顔に険しさが増した。
そんな個人情報の極みたいなものをホイホイ見せられる訳が無い。
分かっていて堂々と言ってくる軍人様に腹が立った。
けれど後ろで申し訳なさそうな顔で控えているリリサの存在に、幾分か苛立ちが抑えられ冷静に答える。
「…出来る訳ないのは分かってますよね?」
「あぁ、承知の上で言ってる」
「なら事情を説明してください。場合によっては名簿など見せずとも解決できるかもしれません」
「ほんとに?!」
「流石、兄様ですわ」
リックの背後から姉妹が顔を出しキラキラした目でフィリウスを見つめた。
(アメリィが余所行きの笑顔になっているのに少し驚いたが、とりあえずスルーした)
「それなら兄様や大学に迷惑かからないね!良かったね、リック」
「事情、話しますわよね?ここで妙に隠すのは得策ではありませんことよ?」
リックが話すつもりがないのを悟って姉妹が先手を打つ。
彼がアメリィのこの余所行きの態度を苦手なのも織り込み済みだ。
「わ、分かってる。話すよ」
「わー。大尉、弱いですねぇ」
「うるさいぞ、ルゼール」
冷めた目で見る部下を軽く睨んでから、リックはフィリウスに向き直った。
「不法入国者だ。ここの生徒の振りをしている可能性があるから確認する必要がある」
「不法入国者…なるほど」
一応、名簿を見せろというリックの要求は納得できた。と同時に、それなら見せる必要は無いとも判断する。
「それならウィザー・ジェインに聞けば早い」
「ふぇっ?!お、俺ですか?」
急に話を振られたアディは驚き素っ頓狂な声を上げ、他の面々は首を傾げた。
「彼の頭にはこの学校の生徒全員の顔と名前が記憶されています。ですよね、ウィザー・ジェイン?」
「え、あ、はい…です」
「はぁ?そんな馬鹿な…」
アディの控えめな肯定とリックの否定の声が被った。
「ここの生徒は千人を超えると聞いてるんだが?」
リックの指摘する通り、ここ王立大は王国一の生徒数を誇っている。
ついでに言えば試験の度に退学者が数十人出るし編入生も常に受け入れているので毎月のように入れ替わりがある。
それを全て把握していると言われても俄には信じ難い。
「そうですね。でも数は関係ありません」
「どういう意味だ?」
リックらがまた首を傾げてアディに注目すると、アディは慌てて「それはですね…」と説明しかけた。
が、長くなる上に難しい話になる気配を察知したラティオが
「つまり凄く記憶力が良いってこと」
とかなり端折った。
「で、その不法入国者の名前は?」
「あ、それは俺が。『フロウ・ディノア』と『ルーシェ・ディノア』ですね」
フィリウスが話を戻すと、まだ納得できていない様子のリックに代わりルゼールが答えた。
「ウィザー・ジェイン、心当たりは?」
「えっと、名前からしてヴァンデス帝国の方ですね。…うん、ウチの生徒じゃありません」
ほんの一秒ほど考えて、アディは即答した。
「だそうです。要件は以上ですか?ならさっさとお引き取り下さい」
「ちょっと待て。そんなので納得できるわけないだろ」
「ウィザー・ジェインが嘘をついていると?」
「いや、そうじゃない。ただ実際に名簿を確認もせずに即答されると…」
「だから、その名簿が彼の頭にあると言ってるんです。分からない人ですね」
「はぁ?!」
「バカみたいに大声出さないでください」
「お前が癇に障る言い方ばかりするからだろ!」
「僕は事実を述べているだけです」
「言い方だっつってんだよ!」
「スト〜ップ!二人とも冷静に!」
また喧嘩腰になっている二人を見兼ねてエレナが割って入った。
これでは話が進まない。
「…分かりました。なら僕とウィザー・ジェインの連名で一筆書きます。それで良いでしょう?」
「そんなのは証拠にならない」
後ろでアディが「え、俺も?」と呟いたのは無視し、リックはまた反論する。
学校側からの「公式」な文書がなければ軍としては動けないのだ。
「は?それはどういう…」
「ちょっと良いかな?」
青筋を立てたフィリウスが言い終わる前に今まで黙って聞いていたラティオが割り込んだ。
その声色には僅かな憤りと圧が込まれており、特段大声というわけでもないのに全員の注意を引き付けた。
「部外者がごめんね。でも軍人さん、ウチの先生達をあまり舐めないでもらえるかな。アディが『いない』と言うなら『いない』し、フィリウス先生が『保証する』とサインをした物は公文書と同等の力を持つことになる。君がどう思ってるのか知らないけど、この二人は『そういう人達』だよ」
ラティオは軽薄そうなイメージからは遠い鋭い眼差しでリックを見据えた。
リックとて彼の能力を認めていない訳では無い。
世間の評価も普段の言動からも優秀で信頼に足る人物なのは十分に承知している。
ただリックにとってフィリウスは『婚約者の義兄』であり『気に入らない奴』に過ぎなかった。
だから分かっていても、つい、いつもの癖で接してしまっていた。そこは反省すべきだ。
特に今は私情を挟んでいる場合ではない。
「そうですね。半分身内とはいえ、失礼な事を言いました。申し訳ありません」
キッチリ90度に腰を曲げて謝罪したリックに逆にラティオが気まずくなってしまった。
プライドの高い軍人がそう簡単に謝るとは思わず、無駄に圧をかけてしまったのだ。
「あ〜、俺こそごめんね、軍人さん。そこは家族の問題でもあるもんな。言い方間違ったね」
「いえ…」
「いいんですよ、ラティオ様!兄様のこと庇ってくれたんですよね?ありがとうございます!」
リックの言葉を遮りエレナがニコニコと礼を言った。
姉妹は二人の喧嘩には慣れているし今更フィリウスがリックに何か言われても別に気にしてはいない。
けれど先程のラティオの言葉は、フィリウスが信頼されている事の証のように思えて素直に嬉しかった。
「いえいえ、先生にはお世話になってるし、好感度上げておいた方がお得かなって思っただけだよ」
「ふふ、そういう事にしておきますね」
「うん、そうしておいて。あ、そうだ。お詫びに俺も一筆書こうか。折角の『公爵』の名だ、利用しない手はないでしょ?」
普段の軽い調子を取り戻してラティオが申し出るとフィリウスは眉間に皺を寄せた。
「ラティオ・クローツ、気持ちは有難いですが、貴方がそこまでする必要はありません。面倒なことになりそうですし、わざわざ自分から巻き込まれにいくことはないでしょう?」
「そうかな?俺は面白そうだと思うけど。それに麗しのレディが困っているんだ、ここで助けないと男が廃る」
ラティオはキメ顔でリリサにウィンクを送った。口説くつもりは無いが格好はつけたい性分なのだろう。
何となく、台無しだ。
「えっ、私ですか?」
「そうですよ、レディ・リリサ。貴女がこんな所にくるなんて余程の事でしょう?僕に出来ることがあれば何でもしますよ」
男性陣がジト目で見守る中、ラティオはリリサの手を取り微笑んだ。
女性陣は僅かにトキメキ、そのスマートさと優雅さに感動を覚え、自分の周りの男共との違いを思い知った。
「あの、ラティオくん、冗談を言ってる場合じゃないと思うよ?あまり首を突っ込まない方が良いんじゃないかな」
いつの間にか隣にきていたアディがひっそりと忠告した。一応、先生として生徒を守る義務があるのと、あわよくば一緒に逃げたいと思ったからだ。
「冗談じゃないよ。だってこれって『国家の危機』ってやつでしょ?なら俺も公爵家の嫡男として国を守る義務があるからね」
「えぇっ?!国家の危機?!何でそんな話に?!」
「どういう事です?」
アディとフィリウスは驚いてラティオに詰め寄った。
不法入国者の話がどうしてそんな話になるのか、流石の天才二人にも分からなかった。
他の面々もそこまでは話していないのに何故、と声には出さないが驚いていた。
「いや怖い怖い、二人とも落ち着いて。疚しいこととかないから!」
「説明してください」
「いや〜俺も詳しいことは知らないけどさ、レディ・リリサがここにいるってことはシャルルも一枚噛んでるんでしょ?俺、シャルルとはお友達なんだよね」
二人は歳も近く、同じ公爵家ということもあって交流があるらしい。
それはリリサも知らなかったようで、少なからずショックを受けていた。
「シャルル…様、から何か聞いてるのですか?」
「だから詳しいことは知らないって。軍人さん怖い顔しないでよ。俺はただ怪しい外国人が遺跡を調べて回ってるってことくらいしか聞いてないんだ」
「遺跡?!」
思いがけない単語にその場にいた全員が異口同音に叫んだ。
そのあまりの勢いに気圧されたラティオは
「え?俺なんかまずいこと言った?」
と一歩後退った。