genius 2
広い実験場をラティオは迷いなく直進した。
砂埃は既におさまっており視界は良好、数メートル先に大きな穴が見えた。
おそらく先程の揺れはそれが原因だろう。
探し人もそこにいるはずだ。
「これじゃぁ地割れというより地盤沈下だな」
穴に近付くと、ため息と共に沈んだ声が聞こえた。
姿は見えないので穴の中にいるのだろう。 だというのに、その声色は平時と変わらない。下手したら大怪我する所だった、なんて考えはないようだ。
ため息をつきたいのはこちらの方なのだが。
「地盤沈下っていうか陥没じゃないの?」
「ラティオ・クローツ?」
声をかけると、探し人、フィリウス・ウィンディアは不思議そうにラティオを見上げた。
長い前髪に隠れて片方しか見えない薄茶色の瞳が丸くなり、実年齢より幼く見える。元々の童顔もあって、10代の少年のようだ。
「貴方、授業は?」
「その言葉、そのまま返すよ、『先生』」
肩を竦めて答えて、穴の大きさを図るようにラティオは縁に沿って歩く。
深さはフィリウスの身長と同じくらい…170センチといったところだろう。直径はおおよそ5m。
一瞬で地面にこれほど大きな穴を開ける古代魔法に驚くべきか、はたまたそれを使うフィリウスに驚くべきか。
「何故ここに?」
「お客様が来たから案内してきたんだよ。可愛い妹さん達と可愛くない軍人さん達」
「軍人?」
フィリウスは思い切り顔を顰めた。
軍人と学者は元々相性が悪いのに加えて、誰が来たのか予想できてしまったからだ。
「リック・マトリーズですか…」
「正解。嫌だろうけど早く出てきて。外で待たせてるから」
心底嫌だけれど会わないわけにはいかない。
フィリウスは重い足取りで穴を登ろうとして…
落ちた。
「ちょ、大丈夫?」
「…問題ない」
「大ありでしょ。ほら掴まって…って待って何で両手で掴むの?!あー!足突っ張るのやめて!膝を曲げるの!無理無理引き上げれないって!自力で登って!待って待ってそれ俺も落ちるやつ!」
フィリウスは差し伸べられた手を両手で掴み、両足揃えて壁面に立っていた。
普通は片手で相手の手を掴み、もう片方の手は壁の凹凸を掴む。
そして足は片足ずつ一歩ずつ登るのが正しいのだろうが、そういう頭は回らないようだ。
「そんな一度にあれこれ言わないでください!僕が運動神経ないの知ってるでしょう?!」
「運動神経の問題じゃなくて…!うぁダメだ落ち…あぁぁぁぁ」
案の定というべきか、穴に落ちた二人は地面に寝転がり空を見上げた。
実験場から一番近い棟にて授業をしていたアディ・ジェインは、大きな音と僅かな揺れに驚き肩をビクつかせた。
その衝撃でチョークを取り落としてしまい、慌てて拾う。
「び、びっくりしましたね…皆さん落ち着いてくださいね。大丈夫です。たぶん実験場で誰か何かしてるんだと思います」
「分かってるよ〜。てか先生ビビりすぎ」
「落ち着いてないのは先生だけですわ」
「そ、そうですか…。じゃぁ続きを…」
言葉の通り、落ち着き払っている生徒達の様子に恥ずかしくなってアディは黒板へ向き直った。
はて、どこまでやったんだったか…。
と、何事も無かったように授業を続けようとしたが、生徒達はもう既にその気は無いらしい。
「先生、行かなくて良いんですか?」
「私達は構いませんことよ?」
「え、行くって、どこへです?」
「実験場に決まってるでしょう」
生徒達が一斉に当然のような顔で頷いた。
音と窓からチラリと見た様子から判断するに、避難や助けが必要な事故じゃなさそうだった。当事者だけで何とかなる規模だろう。
「いや、そんな大事でもなさそうだし警備員さんもいますから、僕が行かなくとも…」
「そうじゃなくて。たぶんだけど、ウィンディア先生の仕業だと思うよ」
「仕業だなんて言い方はどうかと思うけれどね。僕もそうだと思います。実際、少し前にそこの実験場に続く道を彼が通るのを見かけました」
「えっ、ウィザー・ウィンディアが?!」
思わず弾んだ声を出してしまった。
何を喜んでいるんだ。ダメだダメだ。
と、アディは軽く首を振って自身を戒め、口を引き結び正論を口にする。
「で、でも彼は授業中では?」
「いやいや、そんなの今に始まった事じゃないじゃん」
「自習にしたんでしょ。常習犯ですよ」
呆れを通り越して諦めている顔で生徒達が苦笑いをした。
それはフィリウスに対してだけではなく、あからさまにウズウズしているアディにもなのだが、本人は気付いていない。
「気になるんでしょ?見に行ってきなよ」
「そうですよ。新しい魔法でも発明したのかもしれませんよ?」
「そうそう。授業はどうせあと10分くらいで終わるしさ。俺たちの事は気にしなくて良いから」
「え、ほ、ほんとに?」
「「「ほんとに」」」
「どうぞ行ってらっしゃいませ」
授業を放り出して実験をする教師もどうかと思うが、それを許す、というか笑顔で勧める生徒達も如何なものか。
なんて考えたのは一瞬で、アディは満面の笑みで自習宣言をして教室を出ていった。
フィリウス・ウィンディアとアディ・ジェイン。
タイプは違えど、二人とも所謂「天才」と呼ばれる人種であった。
「学院始まって以来の天才」やら「100年に一度の天才」などと使い古された言い方をされているが、それは冗談でも誇張でもなく純然たる事実だ。
彼らは生徒と変わらない歳…それどころか、むしろ歳上の生徒の方が多い程に若くして博士号を取得し教職に就いた。
そんな前代未聞の天才が同時代、同学院に二人いるとなれば、世間の注目を集めるのは当然だろう。
何かにつけて比べたり一緒くたに語られたり、コンビのように呼ばれることも多々ある。
けれど盛り上がっているのは周りばかりで本人達はそんな事は気にしない、というか気付いておらず、マイペースに自らの職務と研究に没頭する毎日だ。
特にライバル意識を持つでもなく、目の敵にするでもなく、さりとて仲が良いわけでもない。
プライベートでの交流は皆無で、あくまでも同僚として最低限の付き合いをする程度だ。
二人の性格もあってファーストネームで呼ぶような事はせず、お互い「ウィザー・ウィンディア」「ウィザー・ジェイン」と些か他人行儀な敬称付きで呼び合っている。
といっても、お互いの才能は認め尊敬し合っており、研究論文を読んだりどちらかが実験などしていれば見学に行くこともしばしばだ。
そんな二人の関係を最近では周りも理解し始めたようで、今日のように生徒からお互いの情報を聞かされることも増えてきている。
まさか見に行けと言われるとは思わなかったが。
そうして送り出されたアディは、理解ある生徒達に感謝しつつ、授業を放り出した罪悪感はスッパリ捨て去り足取り軽く実験場へと向かった。
今日は一体何の実験だろうか。
先日、図書館で古代の魔法書を読んでいたからやはり古代魔法だろうか。
実験場にいるということは何らかの進展があったに違いない。
あの爆発は意図したものだったのだろうか。
ウキウキワクワクとそんな事を考えながら走ること数分、アディは実験場に辿り着いた。
普段ならこのまま一気に柵の中へ行く所だが、どうやら先客がいるらしい。
ギャラリーがいるのは珍しいことでは無い。
けれど今日のは本当に「客」のようだ。
軍人が二人と生徒ではなさそうな貴族の令嬢が二人、そしてどこぞの夫人…何とも奇妙な取り合わせだ。
何となく物陰に隠れて近付き良く見てみると、見覚えのある顔だった。
「あ、ウィザー・ウィンディアの妹君だ…隣にいるのは確かマトリーズ大尉、だっけ。もう一人の軍人さんはファブレス家の坊ちゃんで、それからあのご婦人は…えっと、アシュレイ公爵夫人かな」
正体が分かってもやはり奇妙な取り合わせに違いない。
軍人二人は制服で帯刀しているところを見ると仕事で来ているのだろう。
何らかの事件に学院が関わっていて婚約者であるアメリィに仲介を頼んだ、といったところか。
誰かに案内されて実験場まで来たものの、爆発音がしたため案内人が中を確認するまで外で待機させられているのだろう。
と、出来の良いアディの頭は瞬時に状況を整理した。
そこまでは分かる。
けれど…
「レディ・リリサが何だってこんな所に…?」
軍とも学院とも関係ない彼女が一体何の用があるのだろう。
流石の天才もこればかりは情報がなさすぎて分からない。
「ま、いっか」
アディはすぐに考えるのをやめた。
彼らが何者で何をしようと自分には関係ない。
ここへはフィリウスに実験の話を聞くために来ただけなのだ。
挨拶だけして素通りしよう、と物陰から出るとすぐにリックが振り向いた。
「誰かいるのか?!」
鋭い目付きと剣幕に驚きアディは思わず手を挙げた。
「ひぇっ…あ、怪しい者じゃないです、ごめんなさい!」
「生徒さんじゃないですか?どちらかと言うと俺たちの方が怪しい者ですよ、大尉」
ルゼールに言われてアディのローブに付いた学院の紋章に気付いた。
リックは緊張を解き頭を下げる。
「…それもそうか。すまない、驚かせたな」
「リック、生徒じゃないよ。確か『アディ先生』ですよね?兄様がお世話になってます」
「あ、こちらこそ、お兄様には大変お世話になっております」
「「先生…?」」
自分たちと変わらない歳頃にしか見えない彼が「先生」と知り、ルゼール、リックは驚きで思わず呟いた。
けれどフィリウスの例がある事を思い出し、すぐに居住まいを正した。
「そうでしたか。これは失礼しました」
「いえいえ、良く間違われるんで気にしないでください。それであの…」
「申し遅れました。我々は…」
「あぁ、知ってますよ。皆さんお見かけした事ありますので。ウィザー・ウィンディアに会いに来られたんですよね?」
「えぇ。今、案内してくれたラティオ・クローツ様が中の様子を見に行ってくださっているのですが、なかなか戻って来られないのでどうしようかと思案していた所です」
「あ、じゃぁ良かったら僕が見てきましょうか?僕も彼に用があるので」
アディがおずおずと提案すると、エレナが「はい!」と手を挙げた。
「はい、ウィンディアくん…っと、すみません、ついいつもの癖で」
「いえいえ。先生、私も行きたいです!」
「じゃぁ皆で行きますか?その方が話も早いし」
ラティオが渋っていたのは何だったのか、アディはアッサリと中に入る事を許した。
学院のルール上の事ではなく彼の個人的な思惑があったのかもしれない。
その辺の事情は必要があれば後で聞くことにして、とりあえず「先生」に着いてぞろぞろと柵の中に入っていった。