search & seek 5
一方、廊下に立たされたリックはというと、睡魔に襲われていた。
そんな場合でないことは分かっているが、こればかりはどうしようもない。
軍人といえど平和な日常に慣れた貴族のお坊ちゃまは、徹夜など滅多にしないし食事を抜くこともないのだ。
今なら立ったまま寝られるな、などと半分しか動いていない頭で考えていると、遠くから自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「大尉〜!マトリーズ大尉〜!」
「ん……なんだ、ルゼール…」
「緊急事態です!…って、何でこんな所に?お客様は?」
はて?公爵夫人のお相手をしていたはずでは?
ルゼールは自室の前でボーッと突っ立っている上官の姿に首をかしげた。
「中にいる。内緒話がしたいんだとよ。それより緊急事態って、今度は誰が来たんだ?」
「いやいや、誰も来てませんて。例の赤髪の二人組の件ですよ」
「あぁ、どうだった?」
「それが、逃げられたみたいです」
「逃げられた?」
リックは眉間に皺を寄せて聞き返した。すると背後から
「逃げられた?」
「逃げられたの?」
「あらあら逃げられてしまったの?」
と同じように聞き返す声がした。
言わずもがな、約束の5分が経ったのでリックを呼び戻しに来た乙女達3人だ。
「わっ!ビックリした〜。コホン、こんにちは、アメリィ様、エレナさん。それから初めまして、レディ・リリサ。俺は…」
「待てルゼール。こんな所で挨拶を始めるな。で、内緒話はもう良いのか?」
「うん、お待たせ。入って良いよ〜。あ、ルゼールさんもどうぞ」
「は〜い、お邪魔します」
我が家のように招き入れるエレナと大人しく着いて行くルゼールに、リックはため息をついた。
「はぁ…だから俺の部屋だっての」
ルゼールはおそらく彼女達の味方になるだろう。
優秀な副官は素直で純粋なリックの足りない部分を補うように「ずるがしこさ」も備えている。
もはやリックに主導権はなくなった。
部屋に入るなりルゼールはビシッと敬礼をしてリリサに向き直った。
「では改めまして。お初にお目にかかります。ルゼール・ファブレスと申します。お会いできて光栄です、レディ・リリサ」
「リリサ・トゥソールですわ。よろしくお願いいたしますね」
「ルゼールさんもお茶飲みます?」
「いえいえ、お構いなく。報告が済んだらすぐ戻りますので。というかエレナさんがそんな事しなくて良いんですよ。誰か呼びましょうか?」
「ううん、良いの。それこそ、お構いなく。それよりどうぞ報告してください」
3人は当たり前のようにソファに座りお茶を飲み始めた。帰る様子は全くない。
「エレナ、お前が仕切るんじゃない」
「だって気になるんだもん。ねぇルゼールさん、逃げられたって誰のことですか?もしかしてシャルル様?」
「シャルル様ってアシュレイ公爵ですよね?違いますけど…公爵どうかしたんですか?」
ルゼールがリリサに視線を向けて尋ねた。
リリサは初対面の彼に話して良いことか迷ったが、姉妹が心を許しているようなので大丈夫だと判断した。
「実は置き手紙を残していなくなってしまいましたの。それで最近仲良くしてらっしゃるマトリーズ大尉が何かご存知ないかと伺った次第です」
「そうでしたか。…公爵は確か青髪…なるほど、それはナイス判断ですね。流石レディ・リリサ、聡明でいらっしゃいます」
ルゼールは感心したように頻りに頷いた。
ついでに色々と納得もした。
明らかに人為的な目的の分からない「噴水事件」、「上」の管轄となった「青髪の貴族」、リックが受け取った手紙、そして急に話に出てきた「赤髪の二人組」。
良く回るルゼールの頭はそれらをすぐに結びつけた。
「ルゼールさん何か知ってるみたいですね」
「教えて貰えませんか?リックってば何にも教えてくれないの」
姉妹は、軍人にしては緩いというか色々と軽いルゼールに期待の眼差しを向けた。
リックの副官という立場上、彼と会う頻度は高い。
そこそこ仲良くしているつもりなので何とかなりそうな気がしている。
が、リックもそこは分かっているので先手を打つ。
「おいルゼール。余計な事を言うなよ」
「え、ダメなんですか?」
「軍事機密だ。それも「上」のな」
「「上」ならむしろ良いじゃないですか。公爵が不在ってことはレディが今は当主ってことですよね?なら「上」も「上」、逆に俺たちの方が部外者です」
「お前までそんな屁理屈を…。確かに貴族階級でいえば公爵は「上」だが今は軍の「上」の話だ」
少し前に聞いたような屁理屈に何とか反論した。けれどおそらく意味は無い。
「そんなの、同じことですよ」
ルゼールは目を鋭くし吐き捨てるように言った。嫌悪感を露わにした、リックが見た事のない顔だ。
けれどそれも一瞬で、リックが何か言う前にすぐにまたヘラりと笑って見せた。
「公爵がいなくなったなんて一大事じゃないですか!それにレディがわざわざこんなむさ苦しい所までいらっしゃってるんですよ。その気持ちを汲んで差し上げないと」
「…民間人を巻き込むわけにはいかない」
「公爵だって民間人ですよ?何らかのゴタゴタに巻き込まれて行方不明になったのならそれこそ軍の出番です。善良な民間人を助けるのが我々の務めでありますよ」
ルゼールはわざとらしくニヤけて敬礼をした。
少し前と全く同じ展開になってきてリックは顔を顰めた。
ルゼールの方が軍の内情を知っているだけにやりにくい。
「そうだ、捜索願を出しましょうか?そしたら俺たち全力で公爵のこと探しますよ!」
ルゼールが「思い付いた」と言わんばかりに申し出た。そんなこと出来るわけないと知っているくせに、だ。
「いえ、折角のお申し出ですが、出来ればこの件は内密にしておきたいのです。ここだけの話にしてください」
「あ〜、そうですよね。当主が理由も告げずにいなくなったなんて色々マズイですもんね」
「えぇ、こちらの都合で申し訳ありません。それと、私は彼を探してほしくて来たのではないんです」
「え、違うの?」
エレナが驚いて尋ねると、リリサは吹っ切れたような笑顔をみせた。
「最初はそうでした。いえ、今でも会えるのなら会いたいと思いますわ。言いたい事が山ほどあるんですもの。でもそれよりも、私は自分の役目を果たすべきだと考え直したのです」
「「役目?」」
姉妹が揃って首を傾げた。
そんなこと考えたことない。
貴族令嬢の役目といえばせいぜい、家を守る程度のことだ。
「公爵の役目は国を守ること。そして私、公爵夫人の役目はその夫を支え助けることですわ」
リックとルゼールに向けられた視線は真っ直ぐで毅然としていた。
普段のおっとりした微笑みではない、強い意志を持つ笑みだ。
彼女はもう揺るがない。
「愛する国に危機が迫っているのなら、私はあらゆる手段を使いましょう。持てる力全てで守りますわ。たとえ彼の行く道が茨に覆われていようと私はどこまでも着いてまいります」
「リリ姐…」
「流石リリ姐」
エレナは半ば呆然と呟き、アメリィは口の端を上げて頷いた。
「大尉。もう教えてあげましょうよ。ここまで仰ってるんですよ?公爵家の力があるなら我々に不利になるようなことはないでしょ?」
「そういう問題じゃない。俺は…」
「分かってます。大尉はそんな事を気にするお方じゃない。ただレディ達が心配なだけなんですよね?守りたいからこそ黙ってるんでしょう?」
「……何かあったらシャルルに顔向けできんだろ。それに軍人として、俺が俺を許せない」
「だったら尚更ですよ」
ルゼールはニッと笑ってリリサに向き直る。
「レディ・リリサ、このまま大尉が何も話さなかったら貴女はどうされます?」
「そうですわね…私一人でも何とかして調べることになりますわ。それこそあらゆる手段を使うでしょうね」
リリサは少し考えて、ルゼールの意図に気づきニッコリと答えた。
ルゼールもそれに満足気に頷き更にリックに捲し立てる。
「ほら、あらゆる手段、ですって。何をするつもりなんでしょうね?もしかしたら、危険な所にフラフラと突っ込んで行くかもしれませんね。更にもしかしたら、そこが敵のボスの隠家かもしれませんね。でもそれは仕方ないですよね、だってレディは何も知らないんですから。大尉が教えてあげないんですから、知らなくても仕方ないですよね」
「あー!もー良い!分かった!分かったっての!ったく、良く回る頭と口だ」
「え、それ褒めてます?」
「頭の良さだけは褒めてる」
「ふふ、それで十分です」
ルゼールは満足そうに笑い敬礼をした。
2人の関係性を垣間見たリリサ達は顔を見合わせて微笑んだ。
自分が彼らに協力するのか、逆に協力してもらうのか、どちらなのかは分からないが、彼らとなら良い関係を築ける気がした。