第十五幕 内裏・飛香舍(夜)
帝が中宮に寄り添っている。
村上天皇「苦しいのか? 苦しいよな。すまない、安子」
中宮 「人間、を……陰陽師を……壊せ。こわ、せ……秩序を。破滅と、混沌……を」
村上天皇「なぜ、こんなことになってしまったのだ……」
中宮 「うぅ……帝?」
村上天皇「安子!? しっかりしろ! 今、安倍晴明がこちらに向かっている。彼がくるまで気をしっかり持て!」
中宮 「晴明? 安倍、晴明? っ奴を、奴を殺せ!」
村上天皇「どうした?! 落ち着け、安子! ああ、早く……。早く晴明を……」
晴明と道満が登場し、頭を垂らす。
晴明 「帝、お待たせして申し訳ありません。中宮様のご様子は?」
道満 「くそ、俺のオオクニヌシが切れてる。ギリギリ縛術は保っているが……。恨みが引き金になって、わずかに残ってた自我を完全に壊されたか」
村上天皇「晴明! 助けてくれ、安子を……私の、妻を……!」
中宮 「安倍晴明! 閻魔様の敵! うう……! 術を解け! 陰陽師!」
晴明 「帝、中宮様、失礼します」
暴れる中宮。
晴明と道満が中宮に近づく。
晴明 「……これは、妖に呑まれて既に鬼と化してしまっている。例え鬼を完全に祓ったとしても、中宮様は……」
村上天皇「そんな……」
道満 「最強の陰陽師が聞いて呆れるな」
晴明 「やれるだけはやるさ。帝、ここからは立ち入らず、御殿でお待ちください。女房殿、帝をお連れしてくれ」
女房1が登場する。
女房1 「かしこまりました」
村上天皇「断る。私は、ここを離れん」
道満 「先ほどのように術を止める気ですか?」
村上天皇「何もしない。もう、邪魔はしないと誓おう。だから、ここに……安子の側にいさせてくれ。頼む」
晴明 「わかりました。女房殿、では人払いだけを頼む」
女房1 「かしこまりました。……中宮様を、よろしくお願いいたします」
女房1が捌ける。
道満 「一応、何があってもいいように帝の周りに結界を張っておくぞ」
村上天皇「信用がないのだな……」
道満 「そうではありません。鬼を払い損ねると、奴らは柔い人間に再び取り憑こうとするんです。それを防ぐためですよ」
村上天皇「そうなのか。すまない」
晴明 「道満、助かる」
晴明 「……気色悪い。お前が礼なんかするな」
晴明 「そうか。なら、仕事に取り掛かろう。……トカゲ、いるか? ……返事はないか。式神呼応」
道満 「式神の力がいるのか?」
晴明 「いや、あれは少し特殊なのだ。いないならいないで構わない。外にいるならそれなりの仕事をさせるまでだ」
退魔の儀。
晴明、札に文字を書き付けて中宮に貼り付ける。
晴明 「添霊力願賜。……星々五芒のかしこみて 祓い給え 清め給えと かしこみ申す」
中宮 「晴明! 憎らしい、安倍晴明!」
中宮が苦しむ。
村上天皇「安子、頼む……。元に戻ってくれ!」
晴明 「諸々の禍事 穢れ有らむをば 祓い給え 清め給えと かしこみ申す」
道満 「帝、そのまま中宮を呼び続けてください。自我を取り戻すきっかけになる」
村上天皇「分かった。安子! 目を覚ましてくれ! もう一度、私の名を呼んでくれ!」
中宮 「いやあ!」
中宮、苦しそうに悶える。
晴明 「きた……! 悪鬼討滅、急々如律令!」
中宮 「ぎゃあああ!」
中宮、大人しくなる。
村上天皇が中宮の元へゆっくりと寄る。
村上天皇「……安子、大丈夫か? 晴明、中宮はどうなったのだ?」
晴明 「妖は滅しました」
村上天皇「そうか……。お前には、感謝してもしきれない。本当に、ありがとう」
村上天皇、中宮の傍に座り込む。
晴明 「……いえ、礼には及びません。元々は私の甘さが招いたこと。それに、中宮様は……」
道満 「晴明。わざわざ口に出さなくても良いだろ」
村上天皇「良いのだ、道満。安子の顔を見れば、なんと晴れやかなことであろう。これは、覚悟をした者の目だ」
中宮 「成明様、申し訳ございません」
村上天皇「何も言うな。こうして、そなたが戻ってきてくれた。それだけで私は嬉しいのだ」
中宮 「ありがとうございます、成明様。そして晴明、道満。お前たちにも迷惑をかけました。特に晴明。私はお前が憎らしかった。帝の関心を一身に受けるお前が……。そのせいで、やすやすと鬼に魂を奪われてしまった。己の心の弱さを申し訳なく思います。道満にも、嫌な思いをさせてしまいました」
晴明 「人の心とは、難しいものです」
道満 「そうですよ。それに、こいつが怪しいのは仕方がないことですから」
中宮 「ふふっ。帝、晴明、道満。私の願いを、最後の願いを聞いてもらえますか?」
村上天皇「もちろんだ」
晴明 「なんなりと」
道満 「俺で叶えられることならば」
中宮 「ありがとうございます。では、私の子を取り上げてはもらえませんか? 確かに今、私のお腹の中で生きているのです。しかし、私には産む力がもう残っておりません。ですから、どうか……なんとしてでも……」
村上天皇「分かった。すぐに匙を呼んで……」
中宮 「いいえ。それでは間に合いません。私の腹を裂いて、赤子を取り上げてください。男なら、未来の帝になるのです」
村上天皇「それは……」
晴明 「承知しました」
道満 「晴明、お前……」
晴明 「私は平等に願いを聞き届ける。そうして、都も民も守ってきた。中宮の願いも、きちんと聞き届けなければ合わす顔がなくなる」
村上天皇「駄目だ。そんなこと、認められるか。晴明、道満。お主らは優秀な陰陽師であろう? 安子を、子供と共に助けることができないのか? 私にできることなら、地位でも名誉でも、金品だろうと、望みは全て叶える! だから、二人を助けてくれ……」
村上天皇、晴明と道満にすがりつき、崩れ落ちる。
晴明 「帝、陰陽師は万能ではありません。死をなくすことは出来ません」
道満 「中宮が意識を取り戻しただけでも奇跡なんだ。命を永らえさせるなんて、それこそ神の御技だな」
中宮 「成明様、貴方は帝なのですよ。もっと、堂々としていなければなりません。でないと、この子が立派な御子に成れないではありませんか」
村上天皇「安子……」
中宮 「さあ……」
右大臣と左大臣が登場する。
中宮に駆け寄る右大臣。
右大臣 「安子! 安子、無事か?!」
村上天皇「右大臣……。お主、どうやって安子の無事を知った?」
道満 「……晴明、お前まさか式神を使って知らせたな?」
晴明 「娘の死に目に会えないのは親として悲しすぎるだろう。トカゲが戻らないのは気になるが、それも今は瑣末なこと」
道満 「それもそうだな」
中宮 「父君。私はお先に旅立ちますが、生まれてくる子のことをどうか頼みます」
右大臣 「どういうことだ? 娘は助かったのではないのか?」
晴明 「右大臣殿、中宮様は……」
右大臣 「そんな……。帝、娘を、安子は助からないのですか? 道満! 晴明! どうなのだ!」
村上天皇「右大臣よ。安子の子を、助けるので精一杯なのだ……」
右大臣 「なんという事だ……」
右大臣が崩れる。支え慰める左大臣。
中宮 「すみません。父君、成明様。しばしのお別れです。……晴明、お願いします、ね」
晴明 「……道満、刀を」
道満 「ああ」
道満、刀を渡す。
暗転。
SE 赤子の泣き声。