4. 恋するフォーチュンクッキー
あっという間に会議は始まったけれど、内容は何にも入ってこなかった。幸い委員長は赤城なので僕のやるべきことはほとんどなかった。でも赤城が里乃と話をするたびに里乃が作ったクッキーの味が蘇ってきて、辛くなった。あんなにお菓子作りが上手くなったのも、赤城にあげるためだったのか。この期に及んでそんな考えばかり浮かんで、そんな自分が余計に嫌になる。
「ってことで、じゃあこの企画でいきましょう」
「じゃあ今日の会議はこれで終わりにしますか」
はっと気づいたときには赤城と里乃が会議の終わりを宣言しているところだった。
「あ、そうだった。私クッキー作ってきたの、良かったら持って帰って食べてね。今日の会議お疲れ様でした、ってことで」
里乃はテーブルの端に置いてあった大きな袋をとった。そしてそれを、みんなの前に広げて見せる。僕は固唾をのむ。ついに僕の悪行が裁きを受ける瞬間が……。
しかし、てっきりモールの色に合わせて里乃が手渡していくものだと思っていた僕はあっけにとられる。
「みんな、好きなの取ってって」
文芸部員たちが思い思いにクッキーの小袋を取り上げていく。そして最後に残った一袋を、里乃は赤城に手渡した。
「赤城君もお疲れ様、ありがとうね」
そう言って里乃が赤城に渡したのは、青いモールの袋だった。
「ありがとう。お、これはフォーチュンクッキーだね?」
「そうなの、いいでしょ」
「お菓子作って上手なんだ」
「最近頑張ったんだよ」
そんな会話をする二人を見ながら、そういえば赤城の名前は晴哉で、晴れるという字には青が入っていると気が付いた。でも、じゃあ赤いモールだの袋だけ四つクッキーが入っていた理由は?僕が考えていると、里乃は大きな袋をさっさと畳んで小さくしてしまった。そしてみんなが帰るのを手を振りながら見送っていた。
全員が喫茶を後にし、残ったのは僕と里乃の二人だけだった。テーブルの角の辺りでぼけっと立っていた僕に、里乃はくるっと振り向くと、獲物を捕らえ直前のライオンのような視線できっとにらんだ。そして一歩詰め寄りながら言った。
「勝手にクッキーつまみ食いしないで!!」
里乃にずっとばれていた。ここにきて僕はそれを確信した。
でもなんで?何にも追求してこなかったのに?どこで失敗したんだろう?あれこれ考えている僕に対して、はあっと大きなため息をついた里乃。それから僕の焦りを見透かした様子で呆れながらその訳を教えてくれた。
「私がモールを結んだときには、結んだ両側がきれいに左右同じ長さになるようにしたのに、電話が終わって戻ってきたら長さが違ってたんだもの」
そうか、慌ててモールを結びなおしたから雑になっていたんだ。
「でもそれだけで、よく分かったね」
普通電話から戻って一瞬袋をのぞき込んだだけで、7つの袋の内の1つに起きた小さな変化なんてそうそう気付くものではない。でも何故か里乃は僕の発言に、さらに気を悪くしたようだった。
「おかげで予定が狂っちゃったじゃない。本当はまず聡に七つの袋の中から選ばせるつもりだったのに」
「えっ?」
里乃の意図がまったく読めずに銅像のように立ち尽くすの僕を放っておいて、里乃はバッグを引き寄せる。そしてバッグの底から大事そうにクッキーの小袋を取り出した。赤いモールで結ばれているあの袋だ。彼女が言った通り左右の長さが違っていて、雑に結びなおされている。
「でもどうして僕が赤なの?」
この場面で聞くのは場違いだとも思ったけれど、僕は尋ねずにいられなかった。すると今度は里乃が慌てている。さっきと言い今と言い、里乃の反応の意味が全然わからない。
「えっ?べ、べつに理由なんて、ないんだから」
らしくない様子に僕はますます混乱する。
「とにかく、勝手にクッキー食べてごめん。本当にごめん」
悪いことは謝らなければ。きちんと頭を下げて僕は言った。
「ほんとだよ」
里乃はぼそりと呟いた。でも別段それについては追求するつもりがないらしい。僕はつまみ食いの経緯と、このクッキーについて考えていた色の法則を里乃に話した。あろうことか里乃は途中から大笑いしていた。
「よくそんなこと考えたね。めんどくさいから、そんなことしないよ。ミステリー好きの聡じゃないんだからさ。赤色以外は全部おんなじだし、誰に渡すかも決めてなかったよ。さっき好きに取ってもらってたでしょ?」
文字通りお腹を抱えて笑っている。なんだか狐につままれた気分だ。
「勝手に盗み食いして悪かったよ」
僕がもう一度謝ると、里乃はそれ以上怒らずに、一言
「それにしても、本当に赤の袋を選ぶんだから」
と誰に言うともなく独り言のように口にした。そして
「せっかくだからここで食べてって」
と言った。僕がしたことへの罰だろうか。一瞬そんなことも思うが、そもそも僕にとって困ることは何もない。まだコーヒーも残ってるし、といっても氷も解けて随分ぬるくなってるだろうけど。僕はもう一度席に着くと、モールを解いて中のクッキーをかじった。やっぱりさっきと同じ甘くて豊かな味がした。
「上手くなったね。里乃ってこんなにお菓子作るの上手だったなんて知らなかったよ」
さっき言えなかったことを伝えると、里乃は薄くなったレモンティーを少し飲みながら答えた。
「練習したの。いつまでも揚げ物しかできない女の子じゃ、可愛くないでしょ」
調理実習で炒め物にたっぷり油を入れたときのことだろう。クッキーは本当に美味しかった。袋の中にはまだ2つ残っている。何も言わないところを見ると、全部食べていけということだろう。
3つ目に手をのばす。かじる瞬間に里乃はちらりと僕を見る。もしかして食べちゃダメだった?!と慌てるが、里乃はしばらくじっと見たあとで、また興味をなくしたようにそっぽ向いた。な、なんだろう。
3つ目も食べ終えて最後の一個を手にしたとき、彼女はあのさ、と僕に呼びかけた。僕はそのクッキーを口に運びながら、うん?と応える。
「聡、よく自転車の鍵を落としてたでしょ。小さいリングに自転車の鍵とチェーンの鍵を通してるだけだったから」
そう言われればそうだった。大きめのストラップか何かをリングに一緒につければいいのだけど、良いものがなかったのでずっとそのままだった。
「ごめんね、聡。私も一つ謝らなきゃいけないことがあるの」
ゆっくりと里乃は僕に向き直る。その表情は、僕が今まで見てきたどんな里乃とも違っていた。僕はドキリとする。
「聡にだけは今日、一時半集合って伝えてた」
ほんの少し赤くなった頬で、里乃はそう言いながら不安そうに小首を傾げた。それは幼馴染の里乃ではなく、恋する女の子の表情だった。
同時に口の中でカチャっと固いものを噛んだ感触がする。手の上に出すとそれは両面にミッキーとミニーがそれぞれ彫られたキーホルダーだった。それを見て僕はようやくいろんなことが分かった。でもすぐには信じられなくて里乃の顔をまじまじと見つめてしまう。すると里乃はさらに一刷毛頬を染めながら僕に言った。
「ハッピーバースデー」
(終)