シガーキスよりキスしたい
美人だな。
キャンギャルを引き連れてバックヤードから入ってきた女性の美しさに一瞬惚けた。
大体ディレクターは男性が多いから、それも目を引いた理由かもしれない。
彼女はテキパキと仕事をした。
什器の設営から、風船のアーチ。配布用のノベルティの確認。チラシの設置。
普通はキャンペーンガールにも一緒にやらせるものなのに、彼女は一人で殆どの作業を終えてしまっていた。
十一時からの始業開始で、三十分まえには店舗に到着して、時間ギリギリに出て来るキャンギャル達。
キャンペーンガールが正しいよ、ちゃんと残業代出てんのか?と心配になった。
彼女は実に働き者だ。
来店した総ての客にキャンギャルに声を掛けに行かせるが、店のカウンター業務の邪魔にならないように配慮されているし、条件を満たした客の事はそっと付箋で知らせてくれる。
それを確認して僕らスタッフが声を掛けると、持ち前の専門知識でフォローしてくれる。
はっきり言って異常なくらい売れた。
もうね、うちの店の男どもは全員彼女に惚れたよね。既婚者の店長もクネクネしてた。ポッと染まった頰を隠す三十男。気持ち悪いんじゃあって皆に汚物みたいに扱われてたな。
皆いつもよりテンションが高かったな。
仕方ない。
あんな美人で、真面目で、セールストークも卓越してるなんて反則だろう。
彼女らが退勤の時間になり、明日もよろしくと声を掛けて裏口から出て行った。
ふらふら付いて行こうとする新人の田口に仕事を言い付けて僕も裏口から出た。
彼女が空を見上げながら吹かす煙草。
ジャケットが汚れるのも気にしないで壁に預けた背中。
さっきまでの彼女が出していた、張り詰めた空気は霧散していた。
心細そうな表情。
やっぱり美人だ、と思った。
僕はポケットから煙草を一本取り出し、ライターごと残りを仕舞った。
「お疲れ様です。火、借りていいですか?」
彼女はさっきまでの完全無欠なまでの営業スマイルはどこかに捨ててしまったのか、慌ててポケットを抑えてライターを探している。
なんだ、彼女は可愛い女性だったのか。
僕は少しだけ揶揄いたくなって、
「こっちでいいですよ」
と、彼女の煙草の穂先に意地悪くシガーキスをした。
本当は、もうキスしたかった。
焦った彼女の表情が堪らなく可愛かったから。
「今日売れましたねー、ありがとうございます」
何でもないという風に彼女から離れて言うと、彼女は納得して頷く。
「確かに今日のキャンギャルはレベル高い子達でしたからね」
「えっ?それ本気で言ってます?」
苦笑しながら返すと彼女は慌てて僕を見た。
「はっ?え、ええ」
戸惑う仕草に、彼女が手付かずの花だと確信めいたものを感じる。
「プライベートの端末の番号です。気の迷いでもなんでもいいので、掛けてください」
呆然と僕のプライベート端末の番号が書き加えられた名刺を受け取る彼女を見てから、僕はバックヤードに戻った。
裏口から入ると、店長以下、男性スタッフのジト目に迎えられた。
「いつも真面目な副店が、いっけないんだあ」
僕は溜め息を一つ。
「彼女には手を出すな」
今度は皆が溜め息を一つ。
「出せませんよ、副店恐いもん」
田口、生意気になったな。
「明日も売れるといいな」
僕が言うと各々閉店作業に戻っていった。
ナンパなんて初めてだったけど、妙に清々しい気分だった。
美しい彼女を僕の手で可愛く彩りたい。
そんな気持ちを抱えて閉店作業に戻っていった。