六話:静まり返り、その男を見よ。それは手の届かない一種の
「聞いたかよ、アンリさんが死んだって噂」
大衆酒場の会話の主軸にいるのは、いかなる場所でも冒険者と呼ばれる者の話である。ある時は自身の倒した屈強なる魔物の話、あるときは自身の救った村の話、またある時は危険な、ダンジョンと呼ばれる魔物の巣窟で起きたことの話。
しかし今は違った。悲運な運命をたどった、とある冒険者の話で彼らは盛り上がっていた。
「ああ、今朝聞いたぜ。首と体をぱっつりと切られてたって話だろ? あれここから結構遠くない村の話らしいぜ」
がたいの大きい男が、自身の持つ人ほどの大きさの槌をなでながらそう告げる。片手に持った木樽ジョッキをグイっとあおった。
話を振った細身の虚弱そうな男が、若干顔を青くしながら同じくジョッキをあおった。
「でもよぉ、おかしくねえか? アンリさんが持ってた宝剣は無事だったっていうし、アンリさん自身も別に食い荒らされてたってわけでもないらしい。魔物にしても、どっかの盗賊にしても、目的がわかんねぇよ」
酒場は多種多様な話でもし上がるのが常であるが、今ばかりは同じ内容の会話がそこかしこであふれかえっていた。それほどまでに死んだ冒険者は、彼らの注目を集める人物であった。
大柄な男が、からになったジョッキを、とろりとした表情をしながら指で傾ける。
「――――死神、とかかなぁ」
「なんだそりゃ」
「だって、そうだろぉ? そうじゃなきゃ何だってんだよぉ。銀等級冒険者アンリだぞ? 俺らが束になっても傷一つ付けられないような人物だぞ? そんなもん相手にするってんなら金等級以上か、もしくはそんくらいのバケモンしかないだろぉ」
言い終わると大柄な男は、ジョッキを置いたテーブルに顔をうずめた。表面の冷たさを味わい、ゆっくりと登ってくる眠気に抗いもせずに目を閉じた。
その男の上気した頬とだらしなく伸びた四肢を見ながら、細身の男がちびちびと自分の酒を飲む。
「金クラスの化け物はいねぇよ。でもまぁ、確かに、仮に、金等級が犯人なら、この国には五人しかいないわけだがよぉ」
――――その男のたった一言を境に、酒場は一瞬静まり返る。細身の男は背筋にひやりとしたものを感じた。
「な、なんてな! 国を守護する金等級冒険者様が、そんなことするわけねえよな! きっとアンリさんが死んだってのも、何かの間違いだったんだ!」
わざとらしく、細身の男は酒場に声を張った。危ない危ないと細身の男は口の中でつぶやいた。酒場は元の活気を取り戻した。
すると、細身の男の隣。並んだ席二つ、空いていたそこに二人の客が座る。不思議とその客ふたりは、どちらも顔を覆い隠すフードをかぶっていた。
「店主、なんでもいい。高い酒を持ってきてくれ。三つだ。俺と、こいつと、こいつだ」
声を上げた客の方は、太い男の声だった。もう一人は声も出さず、じっと下を見つめているのみだ。
おかしなことに、フードの客は三つの酒を頼んでいた。自身と、もう一人のフードの人物と、細身の男の分。
「え、俺の分もか、俺そんな金ねぇぞ?」
細身の男は不審げに、隣に座ったフードの男の方を向いた。
するとフードの男は隠した顔で愉快そうに、
「心配すんない! ここは俺がおごってやっからよ! はっはっは」
と、豪快に笑い声をあげた。
細身の男は注意深くフードの男を見やった。騙されているのではないか、そんな不安が胸中に渦巻くが、しかし細身の男の冒険者としての勘は、フードの男に対して好意的だった。悪いやつではない、どうにもそんな気がした。
細身の男はジョッキを一気にあおった。高い酒が出てくるのだと思えば、安値の幸せは一瞬にして味わってしまったほうがいい。
「あんたいったいなんだ。いや、疑ってるわけじゃねえんだ。でも楽しみに来たって割には、随分な格好してるみたいだしよ?」
気分を良くした細身の男は、思い切ってフードの男に尋ねた。
するとフードの男は、細身の男に肩を回し、密着して耳元で小さく、
「やぁなに、死神って単語が聞こえてきたもんでよ。そう言ったもんに興味があるんだ、俺たちは。まあ、どうだい? これも何かの縁。せっかくうまい酒を飲むんだ。肴にそんな話でも聞かせちゃくれねえかい?」
なんだそんなことか、と細身の男は肩を下ろした。てっきりもっと恐ろしい話題が出るものと思って少し覚悟していたのだ。
無用だったようだ、と細身の男は酒の匂いの混じった深い息を吐いた。だがしかし、
「わかった。話そう。だが、興味があるってのはあれか? あんた冒険者かなにかか? だとしたら先に忠告するが、今回の山はやめた方がいい。なにしろ金等級が動くかもしれねぇような案件だ」
「それはすげえぇな。はっはっは、こいつは腕が鳴る」
「いや、聞いてたか? 金等級がだな――――」
細身の男が再度話を始めようとしたとき、店主の威勢のいい声と共に、木樽のジョッキが三つ届いた。
すると細身の男が話を戻そうと再び話始めるより早く、フードの男がジョッキを手に持った。
なみなみと注がれていたはずの酒は、グイっとそれをあおった男の、フードに隠された顔の中に吸い込まれていく。数秒ののち、からになったジョッキが酒場にがつんと音を立てておかれた。
「店主! 同じのもう二杯くれ!」
細身の男が身震いするほどのいい飲みっぷりだった。
そうして細身の男がフードの男を、ぽかんとした顔で見ていると、その男はいきなり立ち上がり、フードをバッサリと脱いだ。
――――刹那、男の素顔がのぞかれたとき、先ほど細身の男が失態をおかしたときとは比べ物にならないほどの静寂が、あたりを包み込んだ。
短くまとまった金色の髪。天に向かって伸ばされた、きれいに整えられた口ひげ。真っ赤な瞳は火竜を思わせ、その剛腕には聖十字の紋章が刻み込まれている。
それは誰もが目を見張らなければならないような事実であり、気づいたときには息をのみ、畏怖の感情が湧き上がっているのだった。
男は口を開いた。その凶器のように鋭い眼光で世界を凍り付かせた。
「心配すんなぁ、細いの。俺たちがその金だ」
野太い声が、不思議なほど店内に響き渡った。