一話:終わりのない夜、その始まりの音を聴け
「愉快だなぁ? なぁ、人間よ。最後の時というのは特にそうなのだろう? 暖かで、冷たく、心の底を黒いもので喰いつくされるのだ。愉快でないはずがない、そうだろう、なぁ」
その男は小奇麗な四角い部屋でただそう、つぶやく。男が見下ろす赤黒い塊に、ゆがんだ笑みを流しながら・・・。
月明り。それは部屋の窓、レースのカーテンから、ぼんやりと男に光を当てる。青白く照り映えた男の横顔は、恍惚な表情を隠してはいない。
男は血にまみれた右手を、自らの額に当てた。流れる赤は額から眦へ。涙にも似た誰かの悲しみの液体は、頬を伝い、上がった口角の端から男の内側へと滑り込む。口腔が、ごくりと音を鳴らした。
ただ一つ、男の声だけしか、この建造物の中ではこだましない。それは、この男が血に染まっているからだった。いつかは小奇麗だった、男のいるこの屋敷も、今は赤と、黒と、極端な桃色に塗れている。
愉悦。その男のただその欲のため、今宵は悲しみに暮れる。
小奇麗な部屋の隅、大人ほどの伸長もある古時計が、時を知らせる。
「まだ、そこにもいたのか」
ゴーン、ゴーン、と規則正しい音色を響かせる時計。しかしそれも男にとっては腹の虫を黙らせるための格好の獲物だった。
生きているかなどどうでもいい。そういわんばかりに、男は狂った笑みを時計に向けた。
次の瞬間から、時計は叫ぶのをやめた。時が止まったかのように、永遠の静寂の中に取り残された。
男の青い影に、ゆがみが生じた。ゆがみはやがてくねり、まるで炎のようなシルエットになって、地上に形を成す。炎から登り出たのは、一人の少女だった。
少女は手を前に重ね、男に向かい恭しく一礼をした。
「主様、今夜はもう終演です。お戯れもほどほどに」
少女は白を基調としたロングドレスに身を包んでいた。スカートは、何層にも重なり、膨れ、咲きかけの花の蕾のような状態であった。
長く白い髪は月光を反射し、仕立て終えたばかりの絹のようなつややかさを醸し出す。陶器のような白い肌は、それこそ人間味を感じさせないほどに美しい。
男は少女に向き直った。
「残念だ。もったいないことだ。これからだったのだがなぁ」
月明りが音もなく、男の全身を明るみへと出した。
その男の全貌とは、どのようなものであったか。
頭蓋から生えた角は黒く、目鼻立ちの整った顔は、びちゃびちゃと赤く染まり、黒いローブは白い十字を背に刻み、ビロードの服は細かい装飾が施され、一目見て高価なものとわかるような逸品である。
男は自分を照らし出した月に微笑みかけながら、
「永久の先で待っていろ、余が殺す。余が殺す。余が殺す」
告げた刹那、少女と男の二人の姿は、夜の静けさの中、消え去った。