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098 その錬金術師と雑貨~和紙編~

 作中での季節は冬。ようやく紙の製造です。


 紙には幾つかの種類があるが、その中でも作りやすいのは和紙だろうか。

 手漉てすきと呼ばれる手法が一番有名で、作り方は知らずともなんとなくで思い浮かべられる人も多いかと思う。

 作業工程が多いのと、専用の道具が必要な事を除けば、初心者でも手を出しやすいとも言える作り方だ。


 詳しいやり方としては、灰汁等のアルカリ性の溶液を使って煮た原料を叩き、不純物を取り出した後の食物繊維を網や簀の子を使って漉いてから水分を抜き、乾燥させれば完成となる。

 途中で色味となる材料を継ぎ足してやれば、様々な色紙だって作れるし、勿論、漂白したりして真っ白な紙に仕上げる事だって可能だ。

 素人でも作りやすい反面、残念な事に量産には向かないのが欠点だと言えるだろう。原料がコウゾとか三椏ミツマタである為に、栽培が難しかったりするので、量産体勢が取れないのだ。

 そうして、和紙を作るのが冬だと、もう一つの問題点がある。

 それが、


「冷てえっ。」


 主に原料を水洗いする際や漉く際、どうしても冷水で濡れる事だった。

 冷水で手が痛むんだが、俺が作った紙漉き場は川から引いた水を直接使っている為に非常に冷たい。このせいで、指先からどんどんと感覚が失われていく羽目になって辛いのだ。

 結果的に手がかじかむんだが、そんな手先では作業が覚束ない。作業が覚束ないので、度々休憩を挟む。結果、一向に終りが見えずに時間ばかりがかかってしまっていた。

 その上、毎日やっていると確実にあかぎれなんかになるんだよ、これ。おかげで手の保護が必須となっていた。


「作っておいて良かった傷薬。マジでスライムに感謝だな。」


 以前作っておいたスライム油脂を基剤にした傷薬が大活躍で、切れてしまった指先などへと塗り込んで治していく。

 軟膏タイプなので手の保護にもなるし、傷薬だからあかぎれで切れた指先を治すのにも使えて一石二鳥なのだ。

 魔法薬ポーションの類は大半が液状なので、治すのには向いていても手の保護までは効果が無い。この辺りを一度に解決するには、軟膏タイプの傷薬の方が効果が高いと言えた。

 それにしても、


「和紙作りは冷たいし痛いし、それ通り越すと感覚も無くなるしで、幾ら暇でも冬に作るもんじゃ無いな、これ。」


 和紙を作るなら、夏にでもするべきだったかもしれない。

 少なくとも、これが冬に向かない作業なのは間違いが無いだろう。

 冬場の水の冷たさは予想以上だ。まだ凍り付いていない時期でも、身を切るような冷気に紙漉き場自体が冷え込んでいてとても寒い。

 煮炊きした時の竈に火が残っていなかったら、既に風邪でも引いていたかもしれん。


「ああ、冷たい。冷たすぎてもう感覚が無い。めっちゃ辛いぞ、これ。」


 愚痴愚痴と文句を垂れながらも、漉けるだけは漉いてしまおうと、休憩を挟みつつせっせと手を動かしていく。

 そうして、全部を漉き終わったのは、作り始めてから三日目の昼の事だった。

 量産出来たのはいいんだが、かわりに手が酷い事になってしまっている。当分、冷水に手を浸すような作業は避けた方がいいだろう。


「あー、痛い。」


 真っ赤になった手をブラブラと振りつつ、原料を煮る際に炊いたかまどに向かう。そこで暖を取りつつ手を温めれば、ホッと吐き出した白い吐息が空気中に滲んで消えていった。

 傷薬を使って尚も酷い有様な両の手。酷使し過ぎた為なのは分かりきっている事なので、労りつつも新たに傷薬を塗っていく。

 その間、口から出ていくのは愚痴と白い息だけだった。


「暇潰しに丁度いいかと思ったんだけど――まさか、ここまで辛いとは思わなかったぜ。」


 パックリと裂けたあかぎれは、量産しておいた傷薬を塗り込めば、たちまち皮膚がくっついて見えなくなっていく。

 その手をゆっくり曲げ伸ばしすると、若干肌の引き攣りを感じたが、日常生活に支障が出る程では無いし、その内消えるので放っておく事にする。

 ここから先は乾燥の作業だ。今までみたいに冷水に手を浸す作業が無いので、凄く嬉しい。

 一枚一枚を丁寧に木の板に貼り付けて、水魔術を行使していく。


「【脱水】。」


 普通なら火で炙って乾かすところなんだが、今の俺は魔力量が上がっている。

 それに【脱水】は水魔術なので得意な属性だ。一気に魔力を浸透させて水分だけを抜き取り、カラリと仕上げていく。


「【脱水】、【脱水】、【脱水】――。」


 和紙の枚数だけ水魔術を行使して、乾いた傍から積み上げていく。

 以前に紙を漉いたのは春だった。それも、雪解け水ですらない多少冷たく感じる程度の温度で、今みたいな凍える程の冷たさは味わっていない。その為に時間がかかるだけで、簡単だという認識があったのだ。

 その時の感覚で冬にやろうとしたのが失敗である。まさかここまで辛いとは思わなかったが、覚束ない手で無理をした為に、紙の厚みが均等じゃなかったり、不純物が残っていたりして品質が悪い。

 到底売り物には出来ない粗悪品が多く混ざっている状態に、俺はそっと溜息を吐き出した。


「あー……。これ、冬に作るのは諦めた方が良いな、もう。」


 幸い、紙なら貿易都市に行けば、品質が劣るものの藁半紙くらいなら大量に手に入る。

 金の工面だけに気を付けていれば、作らなくても大抵は何とかなるだろう。


「ティッシュペーパーとかも売ってたしなぁ。最低限、生活に必要な物は何とかなりそうだ。」


 魔物の氾濫であるスタンピードと勘違いして逃げ出した領民が多くいたが、王都から戻ってくる際に、共に行動した行商人のおっちゃんみたいに留まった商人も居たのが過去の貿易都市である。 

 それから危険性が去り、安全という謳い文句が流されて、今では以前とは比べ物にならないくらいの活気に満ち溢れていた。

 元のさやに収まっただけともとれるが、とにかく物価も安定しているようだったし、金の工面さえ出来れば買い込むという手も使える。無理してまで作る必要性は無いだろう、きっと。


「そうなると、やっぱり冒険者として活動した方がいいのかねぇ?」


 おれが戦闘で活躍するとか、余り思い浮かばないんだが。

 まぁ、ゴブリンとかスライム相手なら、属性次第では無双出来るけどさ。あいつらは魔物の中では雑魚として最下層に位置するし、倒せるのはある意味当然だろう。


「魔法使いがスライムにやられるとか、何の冗談って話になるしな。」


 グラトニー・スライムみたいな、馬鹿みたいにデカくて、触手の群れで片端から人を飲み込めるような化物なら別だ。

 しかし、そこまで進化するスライムはまず滅多に居ない。最弱故の寿命の短さがネックで、知能も低い。この為に本能の赴くままに行動しているから、そこまで進化出来る確率は極端に低いだろう。

 それに、


「討伐以外にも出来そうな仕事はいっぱいあったしなぁ。」


 中でも採取なんかは、俺の得意分野だとさえ言える。

 錬金術師として素材に関する知識は沢山あるし、多少の違いは王都で片端から本を読み漁ってメモも取ってあるので、間違える事は多分無いだろう。

 持ち運びも【空間庫】を利用すればいいので、大量に採取して大量に納品してしまえる。

 自分が使う分と、納品用と分けて受けるなりすれば、本職へも影響は少ないと思われる。


「悪くは無いか。」


 そんな事を思いながら、乾燥させる事数時間。

 三時になったら音が鳴るように設定しておいた時計のアラームで、この日の作業を終えた俺は、ここ最近ずっと来るようになったリルクルへ向けた菓子とお茶の準備に作業を切り替えて、台所へと場所を移していた。


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