006 その錬金術師は季節に当たりを付ける
煌めく水面に浮かぶ木々の葉。
その中に花びらが混ざり出し、それでも尚進めば、花びらで埋め尽くされた水面が広がる場所があった。
「――湖、か?池にしては、手が入れられた様子も無いしな。」
川の中流、見つけたのは淡い桜色の花びらが埋め尽くす場所だった。
芳しい香りと、薄っすらと色付いた花弁。それが澄んだ水の上に溜まって揺れている様は、何とも言えない幻想的な光景を作っている。
「これは桜、か――なら、春と見て間違いないと思っていいのかね?」
植生が間違っていないのならば、この花樹は春にだけ、花をつけるはずだ。地面に生えている茸や山菜とは違い、樹齢数百年はありそうなこの幹の太さなら、植生への変異は早々無いだろう。
――まぁ、多分でしかないのだが。
「うん、春って事にしとこう。もう、そうする!」
些細な違和感は気にしない。もう気にしないって事にする。
今はそれよりも、次の問題だ。熱中症対策だ。あと毒虫対策だ。
出来れば、海以外で塩はさっさと見つけておきたい。だが、そうなると問題になるのは港町から下流へ向かわずに、こうして上流に向かって来たという点だろうか。
「最悪、岩塩も見つからなければ戻ってくるしかないもんなぁ。」
それはそれで面倒臭い。そして、非常に時間の無駄となりかねない。
一応、ここに来る前に海水から塩は精製済みなんだが、それをまたやらなければいけないというのは御免こうむりたいところだった。何とか回避策を入手したい。
「こういう時に、飛行系の魔法習得しとけば良かったって思うんだよな。」
見上げれば青い空。そんな上空から眺める景色の方が、周囲を把握するのには有利である。
以前から師匠にも口酸っぱくして言われて来た事だが、俺には風への適性が余り無いのもあって飛行魔法を修練せずに逃げていたのだ。
それが祟って、今こうして勘で歩き続ける羽目になっている。人間、後悔は先に立たないようだ。
「ああ、俺ってば勿体無い――覚えておけばよかった。」
魔術なら喜んで飛びつくのだが、魔法となると難易度が高い事もあって、途端にやる気がなくなる。それくらいには難しいのが魔法だ。
俺はそんな魔法への適正は余り無い。むしろ低いくらいだろう。それでも得意とする属性だけは何故かやたらと上達が早かったので、気付けば高難易度の魔法さえ習得していたが。
しかし、得意でない風や火は別である。いや、火は得手不得手というよりも単に精神的に苦手なだけだが、風は全くもってうんともすんとも言ってくれなかったのである。そよ風を覚えるのですら、一ヶ月を要した程だ。
そんなこんなで、気付けば俺の知識と技術は偏りに偏ってしまっていた。錬金術に関係するものだけは、どれも満遍なく知識と技術を磨いたので、苦手な分野が無い事が救いだが。
「けどなぁ――仮に魔法薬を作ったとしても、今の俺では意味が無いし、売り込む先も無い。そもそもとして、作る為の道具も保存する容器も無いんだよな。まぁ、それ以前に人が居ないわけなんだが。」
おう、これはまさに無い無い尽くしだ。しかも、そんな状況下で希少な薬草や素材を見つけたとしても――今みたいに素通りするしかないわけで。
「勿体無ぇなぁ。せめて、籠がもう一つくらい欲しい――けど、食料運ぶだけで余裕が無いし。両手塞がるのは不味いしな。」
悲しい事に、研究者体質とも言える俺の肉体は、ヒョロリと痩せていて筋肉がほとんどない。獣の解体ですら、割りと重労働なのだ。
それでも昨夜何とか作った蔦製の籠は、見事なまでに不格好だが食料を入れる分には何とかなっている。だが、その程度の代物である。間違っても、希少な薬草を入れるわけにはいかなかった。入れたら、すぐに傷んでしまう事だろう。
「本当、勿体無ぇなぁ。」
今もまた、上級ポーションを作る為の素材を見送ったところだ。
眠りに就く前なら、借金してでも買い取りそうな代物である。それがどうしてこうなったのやら。
「あれ一束で、一体何本作れる事か――あ、こっちは毒消しになる実だ。」
こっちはそのままでも使えない事はないし、いざという時の為にも持っておこう。傷みにくくて持ち運びも可能だ。
他の素材と合わせて加工すれば、食当りなんかにも一発で効く。現状から考えてみても、悪くはない物だろう。むしろ、植生がおかしい現状ではあった方がいいとさえ言える気がする。
「うん、ガラス瓶が欲しいな、切実に。あとは、すり鉢とかすりこ木とかマドラーとか色々と。」
それらを再び揃えるのに、一体どれくらいかかるだろうか。
金貨が幾つあればいいのか、考えるだけでも頭が痛い。
「そして、肝心の金を稼ぐ手段が初めから無いと言うね。」
俺に出来る事って、現状あるのか――?
そんな事を思っていたからではないだろうが、この時近付いてくる微かな物音を俺は聞き逃していた。
次の回(007)に少しだけ戦闘が入ってきます。戦闘シーンは大幅カットで今後しばらくは進むので、冒険編に突入するまでは詳しい描写は滅多にないと思って下さい。
あくまでこの作品は、生産>>>越えられない壁>>>冒険=交易なので。恋愛は何度も言いますが無いっていう。




