031 その錬金術師は暮らしを謳歌する
素晴らしい。
何が素晴らしいかってここでの暮らしだ。
一歩家を出れば、そこは自らが手がけた薬草園が広く広がっている。森から腐葉土は幾らでも手に入る為、水はけと風通しの良さ、それに気温と湿度へ注意して植えれば、後は勝手に育っていってくれるのである。つまり、余り手間がかからないのだ。
植えられているのは最初に見つけた茴香だけでなく、加密列や立葵、矢車菊と様々だった。植生に若干の変化があって最初は驚いたものの、今では最高の環境だとさえ思っている。
森には茸や栽培に向かない薬草なんかもあるんだ。しかし、それらを気軽に採りに行けるというのがまた良い。季節さえ合っていれば誰も立ち入らないこの森では、獣もいないのでそれらが確実に入手出来るのである。
「今だけかもしれんが――取り放題とか最高だよな。本当に。」
近くには清流が流れていて、飲水にも生活排水にも事欠かない。川底を洗えば硝子瓶を作るのに使われる砂が原料として大量に手に入るし、錬金術師としてはまさに最高だ。
周囲には山葵なんかもあったし、群生しているのか、引っこ抜けばその周囲が全部山葵だった――なんてくらいにはあったのである。魚が蛋白質源になってる現状では嬉しい事だ。
粘土も少しだが採取出来たし、ゴロゴロした岩なんかが森の中にはところどころに落ちていて石材にも困らない。木材に至っては豊富過ぎる程に豊富だろう。
塩は海辺まで取りに行く必要性があるが、それだって些細な問題だろう。大量に精製するなりして空間魔法の空間庫へ放り込んでしまえば、幾らでも手に入るからな。
「これであとは動物が戻ってくれば、もう言う事は無いな。」
目覚めて一年経った今も、狩りは出来ていない。
だが、その代わりに家畜として鶏を二羽手に入れているし、今は卵から雛が孵っていて柵の中は賑やかになっていた。その内、食肉としての加工も出来るようになるだろう。
問題は、現時点では乳製品と肉、皮なんかが手に入らないって事だろうか。
まぁしかし、他はほぼ入手可能だと言えるのだし、余り贅沢言うのも我儘ってもんだろう。蜂蜜なんかも、蜂はいたので少量だけ入手出来ているしな。
「甘味も食料も薪も道具も最低限どころか大分余裕あるんだよなぁ。家もあるからのんびり暮らせて最高だし、一応、メルシーちゃんのところとの交流もできそうだし。」
以前持っていった染色済みの布は、かなり受けが良かったように思える。確か服に仕立てると言っていたし、そのまま広告塔にでもなってくれそうだ。
「うん、次は加工も済ませて持っていくのも有りか。」
ワンピースとか女性が着る平民服は、割りと作りは簡単だ。それに飾り紐とかをちょっとしたアクセサリーに付けてやれば、田舎なら売れ行きはそこまで悪くは無いだろう。勿論、男物も作るし、自分の服だって染色したり作ったりしてある。
仮に売り物として持ち込んだ品が売れ残っても、再利用してしまえばいいからな。違う色をした服の生地を合わせて縫い直すとか、デザインを変更すれば、売れ残りだった物でも真新しさが出てくるし。
それでも売れ残ったら、それこそ俺の作業着なんかに作り変えればいいだろう。キルト生地として使うのも有りだ。冬場とか、それに綿を詰めれば暖かくなるから布団でもクッションでも使い道は一杯ある。
「いやぁ、生産職の真髄、ここで発揮できちゃってる気がしないでもない。」
港町に居た頃は、店番と調合と畑の管理で何時もバタバタしていた。出来る事と言えばそれくらいだ。しかし、それ以外は何も出来なかったとも言える。
あの頃は金さえあればほぼ何でも手に入ったし、悪くないと言えば悪くない環境ではあっただろう。だが――それでも現状と比べたら今の方が暮らしやすいのだ。
何せ、金が無くても欲しい物は原料を拾ってくればいいんだからな。それを加工する少しの労力で、全てがタダで手に入るのである。
「うん、割りかし現状は錬金術師としては最高って断言出来るな。」
防虫に効果のある苦艾は、乾燥させて衣類の中へと放り込んであるし、それを入れている箱は桐製だ。茉莉花――ジャスミンとも言う――なんかで香り袋なんかも別途作って入れてると、その芳香が移って実に良い香りだ。
ローゼルやローズヒップなんかもハーブティーやジャムなんかにできたし、ダンデライオンは珈琲代わりになった。飲料系もかなり充実してきてるし、言う事なしだろう。
料理に使う薬草としては、バジルやローズマリー、クレソン、大蒜とか。アーティチョークなんかは芋みたいな風味と触感が若い蕾の芯にあって美味い。ミントとかは割りかし有名だよな。エシャロットなんかも玉ねぎみたいで美味いぜ。
今あげたのは割りと栽培しやすいやつばっかりだ。
他にもバニラに似た香りのヘリオトロープとか、名前そっくりな香りを出すアップルミントなんかも栽培しやすいだろう。後者は入浴剤として一日の疲れを取るのに使ったりもしている。
「うん、やっぱり最高だな。しかも、自分一人でほぼ完結出来てる。」
これで人恋しくならなければ、誰とも接点作らずに森で一人暮らしていくって線もあったかもしれん。
まぁ、俺の精神はやっぱりウサギだったんで、その線は無くなったんだが。
「次は何持っていくかなぁ。」
染色した布を使って作る衣類は勿論、食用になる茸や山菜、薬草も候補だろう。それに、加工した薬草茶やジャムも良さそうだ。
案外、冬に使いきれずに残った薪なんかも売れるかもしれんな。持ち運びは空間庫に入れればいいし、かさばる心配も重さを感じる心配も無いし、運ぶのは楽だ。
香水とかは――流石に田舎じゃ売れないか。交換するにしても見合う品が多分無いだろう。
「うん、色々持っていって、物々交換を愉しむとしよう。」
金?稼いでもあそこで買える物は多分ほとんどないから意味が無いな。
かといって、都市に向かうのも微妙だ。商人が戻ってきてるか分からんし、仮に戻ってきていても、領主の命で捕まったりとかしたら目も当てられない。籠の鳥再びは勘弁だぜ。
「しばらくはまだ、隠居生活でいいかー。」
今の所、特に不満も何も無い。むしろ最高な暮らしなので、たまに開拓村を訪れるだけでいいだろう。
そんな能天気さで、俺は春の森に足を運んだのだった。
ここからしばらく時間軸が前後します。
大体森に拠点を築いて畑を作り出した辺り~翌年の春くらいまでです。
先に交易を書いていますが、そうなった辺りの下り等も入ってくる予定です。所謂生産編です。
主人公の過去とかもちょろっと出てきたりこなかったり。
興味が無い、面白くないって方は目次から~○○編~を飛ばしてお読み下さい。
ある意味、主人公が森の外へ出るようになるまでの準備期間だと思われる。
~○○編~の文章量は短めです。




