003 その錬金術師は周囲の惨状を知る
「いやぁ、ひでぇのなんの……。」
それは、道中で見た地下の惨状である。
見つけた保存食は、最早何の物体か分からない程に変色と変形を成していた。水は汚泥らしきものを残すのみで、最初は海水でも混ざったのかと思ったが、どうやら時間経過によるものらしいと知って愕然とした。
腐ってその先へと進んだ『ナニか』は凄いとしか言いようの無い物に成り果てていたのである。
「何が一番凄いって、匂いだよな。」
ついうっかりで嗅げるものじゃない。アレは兵器だ。殺人兵器だ。臭さで評判のある発酵食品なんて目じゃないぜ。
しかも地下というほぼ密室に近い状態の場所で開いたせいで、逃げ場を失ったその臭いはその場で留まり続けるという悪夢に出くわした。おかげで一つ、俺はまた賢くなってしまった。
「いらん知識なんだが。」
臭いもの、もしくはそう思えるものは地下では開いてはいけない。そんな、どうでも良い知識である。
王都で学び舎に居た頃ならば、まず間違いなく嗅がなかっただろう匂いだったが、硫黄よりも酷かった。
卒業後に師事した師匠が面白半分で俺に嗅がせない限りは――やはり生涯嗅ぐような事は無かっただろうという臭いである。
「辛い。そして、色々と酷い。」
それは、今の現状を雄弁に表わす言葉だ。
水や食料の状態からすると、かなりの時が経っている事が分かる。そうして、長年放置されていたという事実も、否応なく自覚するしかなかったのである。
これにより、俺は誰かに発見される事も無く、かなりの期間忘れ去られていたという事実に直面してしまった。
つまりは、救助隊とか諸々は何も無かったと見て良いのだ。死んだものとして扱われたと見て、ほぼ間違い無い事だろう。
「忘れさられるとか、酷いだろ、もう……。」
これでもそれなりに町へは貢献してきたつもりである。疫病が発生した時なんて、ほぼ無償で治療薬と予防薬の制作に明け暮れていたくらいだ。それがどうしてこうなった?
冗談抜きで、誰も助けてくれなかったのだ。地下にいたのに、誰かが訪れた形跡も無い。つまりは、そのまま放置という憂き目にあっているのである。
なんてこった。辛い通り越して切ないぞ。
「泣いていい?泣いていいよね?俺の存在って、その程度だったって事だよね?マジで酷いよ、グスン。」
これでも王立学校を主席で卒業したエリートだった俺。国が傾いてさえいなければ、割りと偉い地位にあったかもしれないのだ。努力した記憶は――まぁ、師匠の元で師事した頃にしか無いが、それでもエリートには違いないだろう。
だがしかし、無情にも結果は、今現実のものとして目の前に広がっていた。
「誰もいない――っていうよりも、もうなーんも無ぇな。」
恐る恐る地上へ帰還を果たしたのだが、そこにはもう、廃墟と化した町並みしか残っていなかった。
ここには、かつては港町として栄えた貿易の拠点があったというに、今じゃそんな頃の面影なんて、ほとんど無いに等しいくらいに何も無い。
否、最早これは、町の跡地とでも呼ぶべきだろうか?僅かに区画分けされた土台だけを残して、津波は全てを攫っていったらしい。本当に何も残ってはいなかった。
「あー、でも、死体が無いのは助かるかぁ。ここ、アンデッドとか沸きそうな感じだしな。」
アンデッドというのは、動く死体とか生前の姿を残した霊体とかだ。それが出てきそうなくらいには、何とも嫌~な空気である。
そんなアンデッド達の徘徊しそうな廃墟というものは、怖がりながらも何故か行きたがるという、一種のマニアという謎生物が喜ぶものらしい。
だが、生憎と俺にはその良さは分からなかったし、今後とも一生、その感性は理解出来なくて良いと思っている。それは勿論、現在進行系でだ。
(誰が好き好んでアンデッドを見に行くんだよ!)
アンデッドと言えば死体か霊体だけだ。死体なら漏れなく腐ってるか骨だし、霊体にしても、生前の清い姿ならまだしも、狂っていると血まみれだったり首だけだったりと悲惨な姿をしている。それはもう、完全にホラーである。
そんなアンデッドを喜んで見に行く奴らが廃墟マニアに多い。奴らは廃墟が好きなのかアンデッドが好きなのか正直理解出来ないし知りたくも無いが、一時はそういったツアーまで組まれていたと聞く。
俺にはその良さなんて全くもって分からんから参加しなかったが、今現在廃墟を彷徨く羽目に陥ってて笑えない状況だ。なんかそのツアーに放り込まれたんじゃないかという気分にすらなってくる。
「やだなぁ、この状況。」
大体、そんなマニア共が見たら喜びそうな光景が、何故か俺の前に広がっているというジレンマが存在しているのだ。
その上、俺の格好が完全にアトラクションに出てくる係員みたいな感じである。ここにアンデッドまで湧いてきたら、最早完全なツアーガイドが組まれるだろう、きっと。尚、安全面は考慮されておりません。
「どうせ広がるのなら、そういうのを求めてる奴のところにしてくれよなぁ、ったく。」
少なくとも俺は望んでない。
そうでなくても、今は精神的なダメージが大きいのだ。勘弁願いたい思いだった。
俺の住んでた店舗兼住宅、それに工房。更には畑まで津波に攫われてるんだよ。そんな事実、無かった事にしたい。
いや、もう、マジでさ。完全に無くなってるとか辛いわ。俺、これからどうしたらいいの?
地下室が多少無事なだけでも、現状を見渡すと、奇跡に思えてくるくらいには何にも残ってないのだ。それくらいには、ここの現状は、俺を絶望的な気分に陥れるだけのものがあった。
「見事にまぁ――全滅だな。」
建物は流されたのか、土台すら残っていないところも多いが、俺の店舗もそれは同様。畑なんて塩害を受けて尚、どういうわけだか雑草が青々と茂っている。
通りだったはずの場所の石畳は、どうやら流されてしまったらしい。遠く見える町の外壁に瓦礫が山積みになってるのが見えた。多分、あれがその残骸の一部だろう。
そして、そんな門の外へ逃れようとした者もいたはずなので、あの下には命を落とした者もいるはずだ。
「しっかし――何で、雑草だけが生き残ってんだよ?」
ムカつく事に、何の役にも立たない雑草が俺の畑の跡地には生い茂っていた。こんなもの、せいぜいが干し草にする程度しか利点が無い。
家畜の餌にしろってか?その家畜も流されてていねぇよ、チクショウめ!
「あー、クッソ!イライラするな!【凍結】!」
足元の雑草はイラッと来て凍らせた。後悔も反省もしていない。むしろちょっとスッキリしたくらいだ。
俺はそんな畑から目を逸らし、朽ち果てた地下室が覗く、自身の住んでいた場所と、この町の惨状を眺めつつ、門の向こう――木々が生い茂って見える地点を眺めた。
そこには鬱蒼と茂っている木々が見える。かつての面影なんて全くもって見当たらない。なんだありゃ?
「んー……、ほとんどが流されてるし、ここに残るのは意味が無いな。あと、町の周りは、これは森か?森なのか?一体、どんだけ時間が経ってるんだよ?」
全くもう、とブツブツ呟きつつも、町の中と港近くを軽く探索してから、森へと足を踏み入れてみる。
地下で火を炊いたまま寝てしまったせいか、目を覚ますタイミングをかなり逸脱しているようだ。本当なら、誰かが起こしてくれるだろうと期待していたのだが、そんな期待は木っ端微塵に吹き飛ばされている。
――侘しい。
「忘れ去られるって、悲しいな……。」
そのおかげで、今が王朝歴何年かすら不明である。せめて、津波が起きてから百年以内である事を祈るが、周囲の木々の様子やら何やらから、最早数百年は硬そうな雰囲気だった。
「絶望しかないのか。絶望しかないのかここは!?」
町の周囲は小さな林と草原が広がる地だったはずである。それが、鬱蒼と茂る森に飲まれかけようとしていたのだ。これが絶望でなくてなんだというのだろう。
そんな中で唯一の良かった点としては、今の俺の酷い格好を見られなくて済む、という点と、今のところ魔物の気配が無いという事くらいだろうか。
あれ?それだけだと微妙だな。
「どっちみち、襤褸だったしなぁ、これ。着替えたいのに何も残ってないとか、最早どうしようもないじゃんか――まぁ、元から残ってる衣類も、襤褸かったが。」
国が機能しなくなって即座に滅亡したわけじゃないし、割りとしぶとく生き残れた気はする。何せ、民草は上がどうだろうと助け合ってやっていけるのだ。下に寄生していた上とは違うのである。
だが、その結果として、極貧生活よりも酷い日々になっていたのは間違いない。それは年々悪化の一途を辿っていたくらいだ。
まだ俺が住んでいた所は、領主が見捨てなかったおかげで――ある意味、誰も逃げ出せないという状況には陥ったが――延命措置が取られた分、マシだったのだろう、きっと。
それが良かったと言えるし、悪かったとも言える。何せ、今こうして俺は生き残れているのだから。まぁ、着の身着のままだが、生きてるだけ良い方だろう。
ただ――それ以外は多分全滅だと思われる。眼の前の問題も、今は目を逸らしときたいくらいには、状況は悪いものがあった。
「あーぁ。」
振り向けば、今まで暮らしてきた町が見える。それは最早廃墟となってしまっていた姿だ。そこを襤褸を纏った状態で徘徊し、今は森の中へあるのが今の俺の現状である。
これではどこのアンデッドだと勘違いされる事請け合いだろう。更には、速攻燃やされると思われる。とっとと、この状況を打破しないとならない。割りと危険だ。
「うん。下手に復興してて、目を覚ましたら自分の店があったところに誰かが住み着いてる、なんてのじゃなくて良かった。もしそうだったら、間違いなく土地問題とかで揉めていただろうし、誰も居なくて再建不可能なのは、それはそれでこの格好を見られなくて済んだんだしな。」
なら、ここで心機一転、もう頑張るしか無い。状況は良くも悪くも無いし、多分だがそこまで危険も無いだろう。
どうせ、店も家も畑も流された後だ。一文無しなだけでなく、工房にあった道具も何も残ってはいない。
今更、それらをどう言ったところでどうしようもないのだし、閉じ込められていたのが解放されたんだと思う事にしとこう。
「目下の目標は、衣類の調達と安全な場所の確保ですかね――後は、安定した食料と水を得る事か?」
地下の保存食は期待を裏切って食い物以外の何かに変わってしまっていたのだから、もうしょうがない。
当ての無くなった今では、師匠の下でかつて修行と言う名のサバイバルをしていた事が、何となく嬉しい誤算となっている気がするのが救いだろう。
――これだけでも割りと、何とかなりそうな気がする俺だった。
2018/12/04 誤字修正しました。ご指摘下さった方、ありがとうございます!