296 現世の終
タイトル読みは『げんせのつい』。
最後の『終』は『しゅう』とは読まないというどうでもいい拘り。
◆死者の都最下層-囚われた魂
《辛い。》
《キツイ。》
《哀しい。》
《苦しイ。》
《憎イ、憎イ、憎イ――。》
《なぜ?なぜ奪われたの?返して――!》
《かえりたい。カエリたイよォオオオッ。》
――この世は地獄だと、誰かが言っていました。
確かに地獄です。こコは何時までも囚われて、還る場所もありませんから。
誰もが辛クて、誰もが苦しクて、誰もが哀しクて、憎クて怒りを覚えてて、それなのにどうしようもない。
そんな、いろんな人の感情ト。
――いろンナ人の欲望ニ呑まれて、私が私じゃナくなってしマいそう。
《助けて。》
救イなんてないノに、何度モそう叫んでしまう。
誰ニも届かないって分かってイるのに、そう願ってしまウ。
境界線モ分カラなクナリマしタ。
ドノ感情がダレのもので、ドノ気持ちガ自分かも分カラなくなってしまっタ。
私ハ、わたしナノニ、ワタシじゃない――!
溶けて、ドロドロに混ざり合って、消えてしまいそう――!
嫌なのに。
それは嫌なノに。
自分を手放したりは、したくないのに。
押し寄せる感情が、誰かの無念が、私を私ではない『何か』に変えていく。
《助ケてっ。》
そう願っても、救イなんてない。
(――分かってるンだデスわノ。)
私はもう、このまま別の『何か』に変えられて、消えてしまうしかなンだって。
混ざろうとしてくる巨大な『何か』の感情に呑まれて、狂ってしまうしかないンだって。
――そう、思ってたノニ。
《何時か必ず、そこから出してやるから、だから、だからもう少しだけ、待っててくれ――っ。》
辛いノに、苦しいノに、憎いノに、カエリタイ?のに。
それよりもモっとモっと苦しそうで、辛そうで、何かに憎しみを滾らせているダレかが、私を私に、束の間、引き戻していく。
《ア、あ――。》
ダレだろう。
この人はダレなンだろう。
いつモいつモお面を被って、会いに来てくれるダレか。
私をメルシーと呼ぶ、誰か。
私?
――ワタシ達?
分からない。
分からないけれども、待っていようなンて、そんな事を思える。
思えてしまう。
そんな、ダレかさん。
《また来る――。》
やって来ては、イなくなって。
そしてまた、やって来てはイなくなる。
いつモいつモ、ソレは繰り返される逢瀬。
ソレだけを待ちわびて、解放される事を願う。
願ってしまう。
だって、出してクれるって、言ってくれた。
もう少しだけって、言った。
だから、待つヨ。
コこで、まつヨ。
《タスケテ――。》
ワタシタチヲ。
ココは辛インダ。
カエリタインダヨ。
オカアサン、オトウサンニ、アイタイノ。
オウチニ、カエリタイノ。
ニクイ、ニクイ、ニクイ――!
(――オカシイ。違ウ?コレは、私じゃない!?)
気付イタ。
気付イテシマッタヨ。
――私ニは両親なンんてイナイ。
帰ル場所なンて、とっくニ無かった!
お家ハあったけれど――でも燃えたんだもノ。
帰る場所はとうに失くしてるノ!
あノ日、私が死んだあノ日、自宅だったあノ場所は、あノ人と暮らしていた場所は、業火に包まれてもう無いノ!
だから、帰る場所なんてとっくに無い!
一緒ニしないでヨ!
一緒ニなろうとしないでヨ!
貴方達より、私ノ方がモっとモっと辛かったんだから――!
(コレは私じゃない!コレは私じゃない!私はコレじゃない!違ウの!違う人達なノ!混ざらないで!嫌!こんなの嫌だあああ!一緒にしないでえええっ!)
巻き込マないで下さい――!
呑み込マれて、ソレで私が私じゃなくなるなンて、そんなの死んでても嫌!
辛い事に我慢は出来るノ!
それはいつモしてきた事だもノ!
でも、私が私じゃなくなるノだけは、我慢できなイ!
そんなのは、許せなイ!
ただ、消えてしまうノと同じじゃなイノ!
《嫌デス!私は私デス――!》
ソウ、何度も何度も拒絶してやる。
どれだけ近付いて来たって、絶対に混ざってなんてやらない。
私は私だモノ!
貴方達じゃないモノ!
私には憎しみなんてなイ!
苦しくもないノ!
こんなのヘッチャラなくらいには、いつだって感じていた感情に比べたら、なんてことはないンだモノ――!
(一緒にしないで下さい!貴方達と私は違うノ!私は私なの!勝手に混ざろうとしないで!嫌い――嫌いデス!貴方達は、キライ!)
大っ嫌い!
決別しようとしても、それでも巻き込もうとするなんて!
こんなのと一緒になんてなりたくない!
(被害者ぶって、文句しか言えない人になんてなりたくない!私はそこまで堕ちたくはない!)
だから『一緒に』なんてなれない――!
それでも寄ってこようとする、いろんな人の混ざりあった感情。
もう混ざりすぎて、何もかも分からなくなっているんだと思う。
かつては人だった『モノ』の成れの果てなんだと思う。
それは、可哀相だとは思うよ?
辛くて、哀しくて、切なくて、憎くて、堪らないっていう感情は、一時とは言え触れていたから。
だから分かりはするけど、だからこそ分かり合う事は出来ないと思う。
――だって、私は違うから。
そんな感情にだけ囚われて、動けなくなる程には落ちぶれたりしたくはないから。
私には大切なものがあるから――!
(ちょっとの楽しみでも、ほんの少し嬉しいと思えることでも、それに気付ければ幸せでいられるもの――。)
おじいちゃんが教えてくれました。
知らないって事は、同時に幸せでもあるって。
例え裏切られてても、裏切られてる事に気付かなければ幸せなんだって。
世の中、そうして回れれば、幸せな人は増えるんだって。
(知ってしまったら、もっとって欲しがっちゃう。欲しがりだしたら、その欲は際限なく増えていってしまう。)
だから、知らない方が良いんです。
忘れてしまった方が良いんです。
少し触れて見えてしまった、豪華な食事も、綺羅びやかな衣装も、温かな暖炉の火の温もりも、差し向けられた羨望の眼差しも、全部全部忘れて、ただ知らないと心の奥底に封じてしまった方が良いんです。
だって、それは私のものじゃないもの――!
私の記憶じゃないんです、そんな素敵に見えた景色は。
あれは絶対に、手が絶対に届かないものだから。
両親なんて――私には永久に失われたものだから!
(一緒にしないで下さい――っ。)
私に両親なんていません。
生まれてすぐに、村を襲った災厄に、命を奪われたんだって聞いています。
私は火の消えた竈の中に隠されていたおかげで、難を逃れました。
でも、両親は還らぬ人となっているんです。
その代わりに育ててくれたのはおじいちゃんだけ。
そのおじいちゃんも亡くなって、一人になってしまって、絶望に押し潰されかけて。
そうしたら、あの人がタスケテくれました。
だから、違うんです。
(貴方達と私は、どれだけ触れていても一緒にはなれません!諦めて下さい!)
狂った魂の成れノ果ての、その集合体。
それらから逃れて、ただただ狭い空間で自分を守ろうと、必死に縮こまって、心から拒絶する。
アレと一緒になんてなりたくなかった。
私は弱いんです。
私は脆いんです。
出来るのは我慢だけ。
だから、誰かの感情や記憶が混ざると、自分を見失いそうになってしまうんです。
それは嫌。
それは嫌なの。
だって、こんな私でも、消えたくないと思うもの。
失いたくないと思う、宝物があるんだもの。
(おじいちゃん、それにあの人――。)
ああ、名前、忘れちゃってます。
でモ、楽しかった日々は覚えてるんです。
私の中で大切な、大切な思い出の日々は――。
おじいちゃんと、向日葵畑で過ごした夏の日。
綺麗だと褒めてもらえた黄色のワンピース。
その色に魅せられて、たくさん染めるようになって、上手いものだと笑ってくれた誰かの笑顔。
嬉しかった、沢山の思い出があります。
楽しかった日々を今でも覚えています。
一緒に食卓を囲んだ事もありました。
眠れない夜を添い寝してもらった温もりは、今も心を暖かくしてくれます。
優しく頭を撫でてもらった事には、どれだけ心が救われたでしょうか。
――私は弱いです。
一人では生きていけないくらいには、弱い子供でした。
――そして脆かったです。
いつ壊れてもおかしくはないくらいに、実際に壊れかけてひび割れていました。
そんな私を受け入れてくれて、弟子だといってくれて、いつも気にかけてくれた『誰か』。
その『誰か』は私に会いに来てくれています。
覚えていなくても、その人だって分かります。
仮面を付けていても関係ありません。
あれは絶対にあの人です。
――だから、暗い牢獄に囚われるのは、平気なんです。
(来た――。)
この時も同じように、あの人が来ます。
決まって何時も付けているお面。
でも、いつもと違う格好。
黒い黒い、闇のような色の姿。
いつもの綺羅びやかな金色のローブじゃありません
でも、関係ありません。
あの人が来てくれた。
それだけで、心が暖かくなる。
まだ頑張ろうって思える。
まだ待っていられる――。
《おかえりなさい。》
そう伝えたくて、真っ直ぐにあの人の下へ向かいます。
今までは混ざってしまっていて、伝えられなかった思い。
でも、残念ながら、見えない壁に邪魔されてしまって、途中で止まってしまいますね。
けれど、それでもすぐ近くまでは行けました。
この距離なら、きっと、届けられます。
――またすぐに出かけてしまうんですよね?
だって、いつも忙しそうにしていましたもん。
――それは今も変わらないんでしょう?
何せ、なにせ――ええと、なんでしたっけ?
(また、忘れてる事があった――。)
でも、良いんです。
こうして、帰ってきてくれるそれだけで、私には十分ですから。
暗い闇の中に差し込む、ほんの少しの光。
それに向かって殺到する他の魂達が、私を押しのけるまでの間、近くて遠いあの人へと微笑みかける。
束の間の事。
《――っ!?》
ほんの一瞬の事でした。
すぐに他の魂に、その場所を取られちゃいました。
――上手く、笑えたでしょうか?
ちゃんと気付いてもらえたら、とても嬉しいです。
私はここにいます。
今もここにいます。
今は、貴方だけを心の支えとして。
だから、こうして顔を見せに来てくれる、それだけが何よりも嬉しいんです――。
◆死者の都最下層祭壇-死を統べる王ルーク
《――っ!?》
一瞬。
ほんの一瞬だった。
懐かしい顔が、微笑みかけてくれたように見えたのは。
すぐに苦悶の表情を浮かべる別の顔に埋もれて見えなくなってしまったが、確かにあれは――。
「――それがメルシーか?」
背後から問われて、頷いて返す。
確かにあの子は、今もこの中に居るのは間違いないようだ。
鞘から引き抜いた刀身に浮かんでいる幾つもの顔も、以前と変わらずにある。
その中には、間違いなく生前のあの子の顔があった。
今はもう浮かんではこないが、誰も恨んだ様子もなくて笑っていた――。
《此処には数多の魂が囚われている――その中に、我が弟子たるメルシーもまた同様だ。》
あの子を救えるのだろうか?
いや、救ってくれるのだろうか?
失敗すれば巻き戻しだ。
しかし、この二柱の神になら、託せる気がする。
《管理神と、その眷属――それも、元は創造神と名乗ったか?いずれにしても死を司る神と同様の力を持つのであれば、囚われた魂を呪縛から解き放ち、輪廻の輪に戻す事も可能なはず――。》
邪神は討ち取られたと聞いた。それも、眼の前に居る小さき神――管理神たるこの世界そのものの意思によってだ。
その眷属として、元創造神たる存在は転生をし直し、共に在るのだという。
それもこれも、この世に訪れる死神が居ない為に、代理人としての役目を引き継ぐ為だと聞く。
――正直、壮大な話過ぎてついて行けない。
壮大過ぎて、最早何処から突っ込めば良いのかも分からないくらいには、雲を掴むような話でしかなかった。
それでも、代理であろうとも、神が目の前に存在するのは事実だろう。
感じられるのは、邪神と似た気配。
似てはいても、そっくりそのままというわけではなく、どちらかといえば底冷えするような恐怖を覚える程の魔力とは違う力の流れ。
それを身の内に宿す片方は、死神と同じ役目を担う存在だと言う。
しかも、創造神だったというのだから、これに縋りつかない手は無いだろう。
――どの道、他に手は無いしな。
《どうか、彼らを救ってくれ――そうしてくれさえすれば、直ぐにでも成仏しよう。》
望みさえ叶えてもらえれば、もう俺としてはそれで十分だ。
駒として使役している存在も、この地に囚われ続けている者達も、俺と同じく皆同様に死へと戻るのを選べる事だろう。
邪神も討伐された後ならば、留まる理由も無くなる。
何せ、俺達は長く存在し過ぎた。
楽しみも何も無い、この娯楽の無い荒れた土地だけが広がる大地に、食事も睡眠も休息もいらぬままに使える時間だけが山のようにあったのだ。
そんな日々にやれる事もほとんど存在しないとなれば――後に残るのは、永劫の時だけが地獄のようしにて続くだけだった。
そこに囚われ続けて感情を持ち続けるのは至難の業だ。
勿論、多くがそれを出来ずに風化に任せるままに、大地へと還ろうとまでした。
何せ、感情の揺れが無くなり心が心が先に死ねば、残るのは物言わぬアンデッドだけである。
それも、自我の消失により狂ったアンデッドか、あるいは動く気力すら無くして留まっているだけの存在だ。
その状態に陥った者を使役しても、その後には魂すら摩耗して動かなくなる正真正銘の骸が残るだけで、結局は消え去るのみだった。
「他のアンデッドはどうなるんだ?」
《縛り付けているアンデッド達の解放も勿論行おうとも。アレらは良く働いてくれたからな――生前の罪は贖えたものと見て、もう解放しても良かろう。》
そんなアンデッドの中、元帝国の人間だった者達へ向けられた問い。
彼らに対する他者の怨念は、それはもう凄まじいものがあった。
一部はその感情をぶつける為だけに使い潰した程である。それ程、この状況を生み出した者達に向けられた感情は苛烈だった。
それを今日、解放する。
感情を失って久しい者ばかりが残っているのだから、今更文句を言う者も出ないだろう、きっと。
これに、
「随分と素直だナ?この世に執着するつもりは無いのカ?」
管理神だという小さき神が、そう口にして見上げてくる。
その姿はどう見ても幼い子供だ。どこか――懐かしい雰囲気もある小さな子供。
誰かに似ているような、そうでないような、そんなもどかしさを覚えながらも【念話】を飛ばした。
どうやら彼らにはこの方法での会話が可能らしい。
《無い。元より私には――俺には、邪神とそれに魅入られた勇者による被害を防ぐ役目と、囚われた魂の解放だけが、この世に留まる理由だったからな。》
此方の言葉に「フーン?」と、何を考えているのかも分からない漆黒の瞳を向けてくる小さき神。
その神とは別に、神気とも呼ぶべき気配を放つもう一柱が、鎌の刃を消し去ったスタッフを片手に近付いて来た。
「貸せ。まずは解読してみる。」
その言葉に、魂が囚われている聖剣をそっと差し出す。
それを受け取った存在は、小さな魔術陣を生み出すと、何事かを呟いた。
「ま……かい……しきか……た……さい……き。」
聞き取れなかった言葉と共に、幾重にも広がっていく金色の魔術陣。
どういう原理かは不明だが、球状となった魔術陣のようなものの中で、聖剣がピタリと空中で静止していた。
その周囲を廻る文字は――やはり、漢字に似た文字だ。鎌だったものの柄にも似たような文字がビッシリと刻まれている。
だがしかし、それらは俺の知る漢字とは明らかに違っていた。
その回転しながらも取り囲む文字に目を向けていれば、やがて金色の光は陣だけでなく、刃の先からも発生して聖剣を包み込んでいった。
「――邪魔はするなヨ?」
《勿論だ。》
――小さくとも神、か。
向けられてきた威圧が半端無かった。これだけでも、押し潰されそうだ。
それでも管理神から向けられる威圧に耐えて、ただジッとしていると、解読すると言っていた存在が溜息を吐き出して呟いた。
「――また面倒な事になってるな。」
「ン?」
それにコテリと首を傾げたのは管理神。
その瞬間、向けられていた威圧が霧散する。
おそらく攻撃しないようにという警告だったのだろうが、既に死んでいるというのに生きた心地がしなかった。
自身の消失感も酷いし、早いところ魂の解放を見届けて、俺も成仏してしまいたいとさえ思う。
《――何か、問題か?》
この為に問いかけたんだが、
「問題と言えば問題だが――ナイ。」
「なんダ?」
続く言葉には、俺の理解を超えた話でとてもついていけるものでは無く、ただ黙って聞いているしか無かった。
「一度取り込んでからの分解は可能か?コイツら融合してしまって、このままだと成仏出来ん――最悪、融合体として出てくるぞ。」
「アー……アンデッド化の問題カ。コアに聞いてみル。」
「頼んだ。」
――分解?融合?
《待て、レギオンとは何だ?コアとは――?》
「黙って待ってろ。」
知らない事ばかりだ。
それを知りたいと願う気持ちもあるが、説明してくれる気は無いらしい。
(――此処で彼らの機嫌を損ねるのは不味い、か。)
思わず、内心で溜息を吐き出す。
何せ俺にはもう残された時間もそう多くは無い。
ギリギリまで見極めて――最悪、時間を巻き戻すしか無いのかもしれないのだから当然だろう。
(どうか、上手く行ってくれ――。)
今はもう、それを願う他無い。
これに、生み出した魔術陣を散らした元創造神たる一柱が視線を向けて来た。
「願いだというのならば叶えてはやる――だが、その様子だと余り保たないな?」
言われて素直に頷いて返す。
消失感は――血液が失われるのと似ているだろうか。
意識もあやふやになってきたし、いよいよもってして危ないのかもしれない。
――首にかけていた星の砂時計、その触媒を握り込みながらも、ぼんやりと思った。
《成仏ではなく消え失せる、か――それでも良い、あの子が解放されるその時を見られるのなら――。》
例え消えても、本望だとさえ思う。
何度も巻き戻してきて、その度に辛い目に遭わせた事さえある過去の『俺』の贖罪にもなるだろう、きっと。
だが今回は違った関わり方となった『俺』としては、あの子の解放だけを今は祈りたかった。
勿論、双子の魔女だって俺の弟子だ。聖剣には赤毛の魔女の魂だって囚われているだろう。三人共、それぞれに違いはあれど、過去と今の『俺達』の変わらぬ弟子達である。
だが、そんな中でも勇者に殺されて聖剣に囚われる事となったメルシーだけは別だ。あの子は、三人の中でも取り分け不幸になっている。
《思えば、良き師では無かったな、俺は――。》
弟子に引き取るのにも時間をかけてしまったし、それで辛い境遇に陥らせてしまっている。
引き取ってからはほぼ放任してきたし、待たせる事ばかりだった。
その過去に悔やむ思いを抱いていると、
「――自己の魂が消え去っても尚、気にかける程の存在か。」
そう呟いて、何かを考え込む様子を見せる青年。
そんな彼の言の葉が俺の意識を現実へと戻し、ギリギリで繋ぎ止める。
危なかった。そのまま消えるところだった。
その焦燥を押し隠しながらも見つめる彼らの見た目は、やはり誰かに似ていると思うが、思い出せない。
――一体誰だろうか。
(ロドルフ――?いや、違うな。アルフォードとも違うし、もっと馴染みがあるような――。)
誰だ?思い出せん。
記憶も呼び出せない程あやふやな存在だろうか?
「――うし!まずはコッチからだナ!」
そんな考えを軽く吹き飛ばすようにして、突然響いてくる明るい声。
それに視線を向ければ、両手でガッツポーズを取った管理神が、一瞬にして俺の前に居た。
伸ばされてくる手の平。浮かんでいる笑い顔。
どこまでも無邪気なその笑みに、思わず脱力しかけ、そして僅かばかりに警戒する。
《何を――。》
するのか。
そう告げようとして、言いようのない感覚を覚えて、ゾッと悪寒が走っていった。
《――個体名ルークを登録しました。眷属に加えます――エラー。権限がありません。強制取り込みを開始します――0.14%完了――0.28%完了。》
刻一刻と告げられてくる内容。
それと共に喪失感が途絶え、代わりに何かが浸透してくるような、例えようの無い感覚が、触覚等無いはずの身体に伝わってくる。
(――っ!)
怖気が走るとはまさにこの事。
何かが自分を侵食し、作り変えようとしているのが理解出来た。
それに対して、目の前の存在はそれはもう無邪気に――俺に触れ続けている。
「これで新種の個体の保護も出来るナっ。」
嬉しそうにそう告げてくるのは、小さき神だ。
小さくともこの世界そのものであり、そして管理をしているという規格外な存在。
人とはそもそもとして考え方が違う。構造だって、何から何まで異なっているのだろう。それを伺えさせる程の――ある意味狂気とも言える執着心を感じた。
《ヒィイイイイイイイイ!?》
ゾワリッと、有り得ない悪寒が背筋どころか全身を這う。
這い回るそれに、思わず悲鳴を上げて後退る。
それにも懲りずに伸びてくる手と、見えない不可視の侵蝕者。
おそらくは後者こそが『コア』と呼ばれた存在なのだろう。尚も俺の中で、声無き声が響いてくる。
《――7.84%完了――7.98%完了。》
淡々と告げられるこれは――そう、アンデッドだけが使うと思われていた【念話】そのものだ!
まるで当然のように使うのは、俺が使ってるのを見て学習でもしたと言いたげで。
――底知れない恐怖を感じた。
(コイツには勝てない――!)
文字通りに次元が違う。
生きている世界そのものが違う。
その考えが伝わったのか、
《答えは是です。初めまして、死を統べる死の王ルーク。》
《何、だ、コレ、は――っ!?》
《私はナイの忠実なるパートナー。ワールド・コアの個体名コアと申します。以降、どうぞお見知りおきを。》
――違う、そういう意味じゃない!
そう叫びたいのに、全身を侵蝕してくる――まるで、魂にまで浸透するような他者の魔力に底冷えして、使おうとしていた【念話】さえもが途切れて魔力が乱される。
魔法が使えない。魔術も使えない。思考さえもが崩れ去るる。崩れ去ってしまう!
《や、止め――止めろ!入って、くる――な!》
「抵抗すンなヨ。時間かかるダロー。」
それでも半狂乱になって【念話】を飛ばす俺等お構い無しに、小さな神は触れてくる。
その顔は不機嫌そのもの。
掴まれた手首がミシミシと音を立てて、罅が入っていた。
《アアアアアアアア!?》
狂う。
狂ってしまう。
侵蝕された後の【俺】と侵蝕される前の【俺】は別物のはずなのに、同一に思えてしまう異常が混在していた。
その異常さが際立ち、異質なものとして到底受け入れる事が出来ない。
それとは逆に、侵蝕された後の【俺】はそれをまるで当然のように受け入れてしまっていRu。それどころか――安堵してしまっていた!
《違、う――!何、だコレ、は!?》
それは【俺】じゃないだろう!?
なのになんでそんなに安堵していられるんだよ!?
気持ちが悪い――っ。
気味が悪すぎて、あるはずのない全身の毛が逆立つかのようだ!
《止めっ、止めろ――止めて、くれ――!》
《――14.98%完了――15.12%完了――。》
「ふふっ、ふふふっ!」
懇願しても変わらない状況。
淡々と告げられる言葉はそのままで、手首を掴んで離さない小さな神も変わらず、それどころか愉しげに顔を歪めている。
明るい笑い声と、それとは真逆に逃れられない状況へと追い込まれている俺。
巻き戻したくても、この侵蝕のせいで魔法が使えない――!?
《――30.24完了――。》
《ア、アア――。》
なんで、こんな事に――。
あそこで油断したのが悪かったか?
彼らを信用したのが間違いだったのか?
唯一つ確かな事として言えるのは、俺の視線の先で、聖剣だった物が徐々に消え失せていってるのが見えているという事だ。
《メル、シ――。》
《――60.20%完了――60.34%完了――。》
あそこには、あの子が居る。今も囚われている。
それなのに――。
(助け、られない――?)
思わず愕然とする。
空中にも漂っては居られず、何とか地面を這うようにしてそこまで辿り着こうと、必死に藻掻いた。
――それなのに伸ばす腕は届かなくて。
まるで見えない壁に触れるかのようにして、硬質な感触に弾かれた。
(――!?)
見れば、その手前で白い――骨の手が付いている。
死んで肉も腐り落ちていった自分の手。
今では決して重なり合う事の無い、この手。
そんなこの手に、今日この時程に絶望した事は無かった。思わず恨めしくて、辛くて、堪えきれない感情のままに【念話】を飛ばす。
《何故、だ――解放、してくれる、のでは――無かった、のか――?》
「ン?」
どうせ狂うのなら。
狂ってしまうのなら。
――最期の悪足掻きくらい、しても良いだろう?
長年の願い。積年の思い。
それを抱いて、ずっと此処まで必死に抗い続けてきたのだ。
それさえも聞き届けてくれないというのなら――もうコイツらは敵だ!敵でいい!
《否――それには否と返します!》
《敵ハ――滅ぼス――。》
それは今までだってしてきた事だ。
なんら変わらない事だった。
《――警告!警告を発します!今直ぐ攻撃を止めて下さい!私達は決して、貴方を裏切ってはいません!》
《嘘ダ!嘘ダうそダウソダ――!》
これの一体何処が敵でないというんだ!?
人を魂ごと変質させて、聖剣すら――そこに宿っているメルシーすら消し去ろうとしているじゃないか!
それが敵じゃなかったら、何が敵だ!?
《中ノ――魂、マデ――消シ、飛バス、ソノツモリ、ナノダロウ!?》
聖剣の中にはメルシーが居るんだよ。
やめてくれ。
頼むから、やめてくれよ――。
あの子を輪廻の輪からすら外して、消滅させるなんて、そんな事だけは止めてくれ!
「落ち着け!」
「あーもう、ちゃんと説明しないから――コア、説明してやってくれ、頼む。」
《了解しました――疑心暗鬼に陥るのは良くありません、ルーク。これらは全て、貴方方を救う為に行っている事です。今現在、全力を尽くして貴方と、囚われた魂の解放への準備を行っています――。》
(信じられるかよ!?こんな状態で!)
握られている手を振りほどこうするのに振りほどけず、苛立ち紛れに手にしたままだったスタッフを振り回す。
それを片腕であっさりと止められ、更に苛立って感情の赴くままに魔力を放った。
「うひょー!?」
「ナイ!?」
小柄なせいもあってか、あっさりと吹き飛んで――いや、俺の手首を掴んだままでぶら下がり、暴風に晒されながらも張り付く管理神。
腐っても神。
小さくても神。
――やはり、一筋縄ではいかない!
《クソッ!クソクソクソクソクソクソガァ――!》
自棄糞になって魔力を放出し続けるが、永久に続けられるはずもない。
何よりも、響いてくる声は消えず、カウントもまた無くなりはしなかった。
八方塞がりだろう、こんなのって――っ。
《――90.96%完了――信じようと信じなかろうと、このまま聖剣から囚われた魂を解放すれば、貴方は彼らに纏わり付かれて自我さえも見失う事でしょう――それは、メルシーが悲しみますが?》
《――っ。》
《貴方を保護するのは既に決定事項です。大人しく眷属化を受け入れて下さい。》
言われた言葉は、何となくでも意味は分かる。
そこにあるのは――絶対服従せよという命。
例え何があろうとも、歯向かう事の許されない隷属。
《悪いようにはしません。貴方もメルシーも、他の囚われた魂達も、地上に残るアンデッド達も全て、自然な形へと変えます。今の貴方方は異質ですから。》
《――……。》
どの道、もうどうにも出来ない所まで来ている、か。
魔力はほぼ使い切った。巻き戻そうにもこの侵蝕には抗えず、時を戻して逃れる事が出来ない。
いや、それよりももっと前に、敗北していたのだから無駄な足掻きか――?
惨め。
そう、惨めだ。
結局俺は、あの国に居た時と変わらない惨めさを、守りたいものを守りきれないままに抱いて終わる事になるんだから。
それがきっと、俺の運命だったんだろう。
此処でこうして消える、そんな運命なんだ――。
《今はしばし眠りましょう――傷付いた心と魂を癒やして、再び蘇れるその時まで。》
そんな日はきっと、永久にやってこない。
その時目を覚ました『俺』は『俺』であって『俺』じゃないのだから。
違う『俺』が、それも自ら望まずに変質した後の『俺』が、目を覚ますだけだ。
《大丈夫です、私は万能です。貴方にそうであれと願って作られました。その時が訪れるまで、今は安らかな眠りを――偉大なる主よ。》
最後の言葉を理解する前に、俺の意識はただ、闇の中へと沈み込んでいった。
2019/05/22 加筆修正を加えました。




