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291 顔面崩壊

 手につくヌルリとした感触。

 何かが伝い落ちていくそれに、周囲から息を飲む気配と驚愕が感じ取れる。

 何せ、明らかに崩れたのは顔だ。

 姿見に映っているそれは、違和感を覚えて触れた肌を突き刺した指が、どこをどう見ても肉を抉っている自分の姿だった。


「フッ――ハハハハハ!」


 思わず哄笑こうしょうしてしまう。

 俺が死に戻ったのは、単に生存が不可能だったからに他ならない。

 この為に、最初からこうなる可能性だって視野にあった。それを今更になって嘆くわけがない。


「これは傑作だ!あれだけ持て囃されていた顔が崩れてる!」


 貴族や令嬢の多くが目を付けてきたこの『顔』。母親譲りの女顔に、どれだけ悩まされてきた事か――!


「これならもう馬鹿な奴らも寄っては来るまい!」


 そう叫び、心から喜ぶ俺。

 それとは対象的なまでに、周囲は慌てふためいた様子だった。


《きゃあああああああ!?》

《へ、陛下のお顔が――!》

「フフフッ、ハハハ!」


 騒ぎ立てる周囲を他所にして、鏡の中で笑う自分を眺める。最高に笑える顔だった。

 腐敗の速度は日を追うごとに進んでいたのが現状である。例え【時間停止】の魔術を使っていても、開封と同時に腐ってしまう為に、食べ物すら食べる事が出来無くなっていた。

 そうなれば、後に残るのは餓死だ。人間なんて水だけだと一週間が精々しか生きられず、その後は確実に死に至る。

 ――それなら、どの段階で生を放棄したとしても結果は一緒だろう?

 そう思って生を手放した結果が、早くも現れていた。


「これで面倒事へ煩わされなくて済む!以降、伴侶を望む奴のリストからは、顔で選んできていた連中を省け!」


 腐敗防止の処置なんて最初からしていなかった俺。

 何せ、自分で水溶液に浸かり、ホルマリン漬けになるつもりなんて無かったからな。

 この為に顔目当てに言い寄って来ていた連中は、此処に来てその手の平を返してくる事だろう。

 その事がこの上なく愉快で、笑いが止まらなかった。

 そうして、笑いの中である事へと気付く。


「ハハハ――そうか、そうかそうかそうか!霊体でも吸血鬼でも無いのだから、当然こうなるか!正しく今の俺は――ゾンビだな!」


 意外だったのは死へ戻っているとは言っても、俺もまた変質していた事である。

 巻き戻す前の過去では、何時だって吸血鬼として蘇らされてきた。この為に、どう足掻いてもその宿命からは逃れられず、生き血を啜る事へと心を壊してきたのだ。


 それから逃れられる。


 何と素晴らしい事だろうか!


(また心が痛んで擦り切れるかと思ったが、もうそんな事は無いな。勇者や、やって来る他大陸の人間を待ち遠しく思わなくても済む。とても素晴らしい事だ!)


 吸血鬼には『糧』が必要である。

 明確には生き血が必要とされ、実際巻き戻す前では魔物の血を啜って何とか自己を保ってきていた。

 そうでもしないと暴走するし、手当たり次第に生き血を求めてしまうようになる。その後に残るのは――死体と眷属の山だ。


(あの吸血衝動は強かったからな――魔物ですら残っていなくなってからは、勇者を如何にして生きて捕らえるかで苦労したもんだ。)


 我慢強い土属性を持つクドラクですら、一度血の匂いを嗅ぐと治まりがつかなくなるのが吸血への衝動だ。

 それから逃れられたのは確かに『良い』事である。

 ただそのデメリットが、今現在進行形で俺の身に起きているが。


《へ、陛下――。》

《ど、どうかお気を確かに――。》


 そんな俺の様子に周囲で未だ慌てふためいているのは、霊体化したアンデッドである侍女達だった。

 丁度金属製の衣類に着替えさせられていたところで、誰もがその顔に憂いと心配を乗せている。

 心からのものでは無いだろうが、それで揃って表情を変えられる辺りに指導が行き届いているのを感じる。


「私は大丈夫だ。」

《し、しかし――。》


 指先に感じるヌルリとした感触と頬を伝う液体に、思わず驚き固まったのは俺だけじゃないものの、その後に慌てたのが周囲の者達。

 慌てて押し当てられたのは氷の器で、汚れを防ぐ為らしい。今まで魔法も使った事が無いはずの侍女達だが、それはもう見事な連携を見せてくれた。

 そんな彼女達が忙しなく働く中で、俺は言葉を発していく。


「腐り落ちようが『私』は『私』だ。別に気にする事は無い。」

《で、ですが。折角のお綺麗な御尊顔が。》

「構わない。」


 それでも、やや不安気な視線を向けられた為に尚も言葉を重ねて言った。


「大体にしてこれは既に民が通っている道だ。それを私が怖れる理由等無かろう?既に死んでいる身で、身体が腐り落ちたところで何の問題があろうか。むしろ民の身近になれて良いでは無いか。共にゾンビとなれるのだからな!」


 そう言い放って笑って見せれば、何処か伺うようだった気配も徐々に霧散していく。

 やがて、そこかしこから明るい声が上がって来た。


《は、はい!その通りでございますね!》

《私達も同じでございますものね!怖れる事はありませんわ!》

《ええ、ええ、流石は陛下でございます。英雄らしく、威風堂々としていらっしゃいます。》

「うむ。」


 英雄は余計だが、王らしいという評価は悪くない。

 上に立つ者は舐められたら終わりだからな。家臣だけでもこうして支える姿を見せてくれないと、示しも付かない。


(空気が読める部下が居るのは助かるなぁ。)


 死に戻る際なんて地下のアンデッド達は断固拒否の姿勢を見せたのだから、やりやすさで言えば地上のアンデッド達の方が上である。

 ただ、戦力という面で見ると、未だ地下のアンデッド達には遠く及んでいないのがネックだが。


「――さて、着替えは終わりか?」


 そんな地下と地上を見比べつつも言葉を交わしていく。

 その内この言葉も交わせなくなり、今後は専ら【念話】での会話が主流となるだろう。


《本来は此処まででしたが、もう少しだけお時間を。》

《すぐに済ませますので、今しばらくお待ち下さいませ。》

「分かった――。」


 返された言葉に、クッション性も何も無くなった金属性の椅子に腰掛ける。

 王都の民が完全に腐り落ちて骨になった頃には、植物性と動物性のものは地上から姿を消していると思われる。

 この為に、早急な入れ替えが彼方此方で起きていた。


(当分はこれで大丈夫だな――力を付けた一部が、勇者討伐にも手を出せるようになるだろうし。)


 それまでは、俺は王として民を守らないとならない。

 何せ、強い力を持つ存在に此処の民は進化するからな。豪商だったアレキサンドラはともかくとして、他の面々はそれぞれに特殊な進化を遂げるのが分かっている。

 その彼らとは何時も巻き戻す羽目になっている所で共闘もしているし、今此処で失うわけにはいかないのだ。

 何よりも、


(アルフォードとは、約束もしたしなぁ。)


 というのがある。

 勇者に執着するアイツに何があったのかまでは知らないが、最近は水を干上がらせる事に躍起になっていて、どうやら火魔法の訓練をしているようだ。

 多分、それくらいでしか魔法の上達速度が把握出来ないのだろう。こういう所はポンコツである。

 少し前なら自然破壊をするなと言う所だったが、今ではその自然も水と地面以外は残っていないのだからと放置している。

 何せ、実害が無いからな。精々が池や湖の底に沈んでいるアンデッドが蒸発するくらいで、他には影響は皆無だ。死者しか居ない現状では何も問題が無いと思われる。


(それに、勇者共の補給の場所にされずに済むしな。先に潰しておけば、奴等だって利用は出来ない。)


 アンデッドに汚染された水だろうが、兵器で飲めてしまうのが勇者だ。

 とことんなまでに環境に適応する能力が高いと思う。

 この為、


(侵略兵器として、この上ない適任だよなぁ――。)


 と嘆息する。

 その勇者の数も増える一方で、潰しては潰しては沸いてくるのだから一体どうなってるのかと言いたくなる程だ


(他大陸は邪神を信仰するような馬鹿な国が多いのだろうか?)


 そんな疑問を持つ中、少し前に巻き戻す前の過去との違いが多少見られて混乱もしたが、今では概ね同じ『未来』に向かっているのが現状と見ている。

 この為、そこまで心配はしていない。もし失敗しても、次の『俺』に託すだけだ。

 そんな事を思いつつ、遠くの事へ思考を飛ばしながらも突然持ち込まれた仮面に目を瞬く。

 取り付けられたそれは、片面だけの面だ。それを取り付けられ、姿見で見えた自分の右頬を覆ったそれへと触れる。


「石の仮面か。」

《はい、陛下のお顔に合う物となりますと、直ぐにはご用意出来ませんで――。》

「良い、責めているわけではない。」


 腐敗した箇所を隠す為の仮面なのだろう。この為、ピッタリ合わせないと意味が無いのだと思われる。

 サイズ合わせ等もしていないのに出てきた為、その辺りどうやって作ったのか少し疑問だ。

 だが、どうも俺の像を作って一財産築いていた奴がいたらしい。


「――初耳だぞ?」

《所詮はその辺のどこにでもある石でございますから。材質的に貴族や王族には相応しくないと、これまでは庶民の間で流行っていただけでございまして――。》


 そう説明する執事の言葉に、耳を傾ける。

 どうやら相当評判が良い土魔法使いらしい。

 気になって名前を尋ねてみると、予想外の名前が返されてきて俺は頭を抱え込んでいた。


「サリナの奴――。」


 これに、


《おや、お知り合いでしたか?》


 なんて執事から返ってくる。

 思わず疲れた溜息が出ていってしまった。


「ああ、前王に仕える少し前にな。」

《左様でございましたか。陛下のお知り合いとなれば、今後は更に名が広まる事でしょうな。》

「……。」


 にこやかに返されるも、正直何と返せば良いのか分からない。

 何せ売っているのは俺の石像だ。喜べる程俺はナルシストでも無い。


(何でこうなった――。)


 どうやら未来で共闘する仲間は、逞しく死後の生活を送っているようだった。


 2019/05/05 加筆修正を加えました。


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