029 その錬金術師は染色に嵌まる
錬金術は様々な学問の大本であり複合である事は前にも述べた通りである。
故に、薬を作る以外にも色んな事を抑えており、基礎だけ見ても幅広い学問だと言えるだろう。
例えば染色。
これには様々な方法があるのを知ってるだろうか?
花びら染めなんかは、使うのに染色に適した濃い色の花びらと、食酢なんかを使って行われている。火は使わないので花びらさえ量が手に入れば簡単に染められるし、重ね染めにも適しているので、初心者にも向いている手法だ。つまりは、一番簡単な染色方法だと言えるだろう。
他にも、煮出して行われるハーブ染めと呼ばれる手法もある。こちらは色止めと発色の為に媒染剤の明礬が必要だが、加密列(カミツレ――カモミールとも言う)とかで染めるのが有名だろう。花びら染めよりは色落ちし難いという利点があるので、長く愉しみたい人向けである。
そして、花ではなく生の葉を使って染める方法もある。これには手を保護するゴム手袋なりが必須となるので注意が必要だ。有名なのなら藍とかが上げられるだろうか。欲を言えば過酸化水素水があると尚良い。発色が綺麗になって、いわゆるみず色なんかも作れるからだ。
他にも、素材は植物だけでなく虫を使うものもある。割りと、幅広く手法がある染色は、奥が深いのだ。媒染剤だって、明礬以外に銅等の鉱物も使うしな。
――とまぁ、このようにして、染色一つとっても錬金術というのは、とても相性が良いのである。
何せ、素材の入手や選別といったのに精通していて、更にはその保管方法や道具の代用も自作出来るからな。
その上で、様々な活用法を見出す事を得意としている分野だ。故に、どんな学問に手を出すにしても、習っておいて間違いなく損は無かった。
あー、まぁ、何が言いたいかと言うと、冬場の暇さに染色した糸で布製品を作るのに適してるって事である。
「こんなドカ雪が降るとは思わんかったからなぁ。」
俺の記憶にある限り、腰まで埋まる雪が積もる事など無かった。少なくとも、仮死の魔術を使う前の住んでいた港町では聞いた事も無い話である。せいぜいが膝下くらいまでだったし。
それが、少し離れた森の中で(おそらくだが)数百年経ったくらいで気候がガラリと変化してしまっているのだ。
これだけ違っていれば、薬草の効能にも差が出て当然なのかもしれないと思えてしまう。
尚、染色するのに使ってるのは花びらで、こちらには余り違いは見られないのが幸いだった。
「何にしろ、この雪景色はビックリだな。」
寒いのは別段苦手じゃない。これは、得意とする属性も関係しているので当然だろう。
魔法を使う素となる魔素という物質は、大気中のみならず様々な『もの』にも宿る。それは地中だろうが生物だろうがお構いなしだ。勿論、俺自身にも宿っているものである。
ただ、これに適応出来ない者は死ぬしか無い。実際、この世界では過去、魔素が齎された際に死者数が跳ね上がったそうだ。それも、一人の人物が、その魔素を無かったはずのこの世界へ齎したからだとも言われている。
そんな魔素を持ち込んだ者を『勇者』と呼ぶ。
聖職者共は女神共々こぞって崇めているが、俺ら魔術を扱う存在からすると鬼門の存在だ。
何せこいつら、女神という名の邪神の被害者であると同時に、この世界に混沌を招いた存在なんだぜ?
知ってるか?勇者って、異世界の人間だった『何か』なんだ。
その『何か』が『何』であるかなんだが、限りなく人間に近い別物、らしい。
遺伝子がどうとかいう以前に、そもそもとして生物の範疇からも外れかけた動物なんだそうだ。
はっきり言ってしまえば、それは生きたアンデッド。
フレッシュ・ゴーレムっていう血肉や骨、生物そのものを使って造られるゴーレムがあるんだが、それに異界の人間の魂を憑依させて中途半端に蘇生した状態ってのが『勇者』の本性なんだとか。
――聞いただけでも、関わり合いになりたくないよな?何せ、アンデッドって事は、知能が低下している、かなり危険な存在なのだから。
そんな『勇者』だが、今やってる染色に何の関係があるかっていうと、実はこの染色方法、大半が異世界の勇者が齎したものだからである。
それまでは、精々が今俺がやってるような、花びら染めまでしかされていなかったらしい。そこに、勇者が口出しした事で、異世界の技術が広まり、他の染色方法が定着したのである。
勇者は混沌を齎したが、そもそもそいつだって元は人間。異世界だろうが元同じ人間なのだから、知識という面においては、常識さえ通用すれば定着するもんもあるって話だ。
「もっとも、勇者本人はこの世界には馴染めないって話だったけどなぁ。」
何でもここより遥かに発達した文明を築いている世界の住民だったらしい。
そんな世界の人間が、遥かに文明レベルの劣る世界に放り込まれて馴染めるかっていうと――大半はまぁ、無理だろうな。しかも、それまでの人間関係も全部無くなり、更には着の身着のまま放り込まれるようなもんだし。おまけに半分アンデッド状態なら発狂してもおかしくはない。
そんな『勇者』だが、こちらに放り込まれる時点で精神が狂わされてるって話だった。その証拠に、聖水ぶっかけても何にも効果が無かったっていうのだから、正しく人間に近い別物の『何か』なのだろう。
「あちらの知識とか技術はウェルカムだが、当人は不要っていうね――女神を名乗ってる奴は、その当人が欲しいみたいなんだが。」
過去、勇者が召喚された事は一度や二度では済まない。そして、その度に大災害が引き起こされてる。俺の港町も、多分それで流されたんだろうな、きっと。
それを行うのは聖職者共で間違いないだろう。なので、俺にとって奴らは明確な『敵』でもあるんだ。
そもそもとして魔術や魔法を扱う者からすると、女神を名乗る存在は邪悪な存在として認知されている。なので、それを崇めてる聖職者共=害獣なのだ。
今は知らんが、仮死の魔術を使う前の時代、国によっては見つけ次第プチッとしてたくらいである。
だって害悪だろう?それまで無かった魔素を世界に蔓延させ、それに適応出来なかった人間は殺しておいて「試練です」と宣う奴らなんて。おまけに、奴らが『勇者』を呼び寄せる度に、この世界は天変地異に見舞われているのだ。どれだけ犠牲が生まれてるんだよって話だ。
その上で、だ。魔素は様々な種を変質させ、より凶悪な動物を生み出している。
それが、今呼ばれている魔物という者達の正体なんだから、正直堪ったものじゃない。
「凶暴凶悪な魔物を生み出す女神とか、それ邪神だろ?おかしいだろ?変だろう?」
そう突っ込んだ時期が俺にもあったとも。そして、それは魔法使いと魔術師、全員に共通する疑問であり、一部、魔導の深淵を覗いた者からは、世界に破滅を齎す者という発言があった程である。納得だ。
故に、それを崇めてる聖職者とは全く相容れないのが魔法を扱う職業だ。お互い犬猿の仲だと言っても過言ではないだろう。それは、錬金術も含めてそうだった。
「知識と技術は良いが、当人は来ないで欲しいんだよなぁ。」
もっとも、その当人も来たくて来てるわけじゃなく、放り込まれてるわけだが。
その放り込んでいる女神とかいうクソが、どうせなら死滅しないかなぁなんて考える俺は、この時はただ、せっせと生成り色の布を春に向けて染色し続けているだけだった。
女神と勇者との接点は後々出てきます。まぁ、伏線回ですね。




