280 北の大地
かつて青函隧道と呼ばれたトンネルがある。
海底下を掘り抜いて作られたもので、今では古代遺跡となってしまっている場所だが陥没し、通れなくなっている道である。
それをせっせとクドラクが直しながら、氷の竜が居なくなったかつての地と結び直していた。
「冬にはオーロラっていうのが見られるっていうじゃない?一度でいいから行って見たかったのよねぇ。」
なんでも夜空に浮かぶ光の帯、らしい。青だったり緑だったり赤だったりするらしいが、夜空に浮かぶそれは非常に美しいそうだ。
そんな光の帯が出現するらしい土地には、魔導王国時代には暮らす人々も未だ居た。
だが、何時からか氷の竜が姿を現し、それから逃れて南下して来たらしく、今では見捨てられた地なのだと聞く。
そんな場所が、
(此処で暮らしていた、蛮勇の国の先祖達の故郷なのか――。)
戻ってきた最北の地にて、俺はアレコレと考えを巡らせる。
故郷から逃れたとはいえ、一部はやはり氷の竜を許せなかったのだろう。この地に残り、因縁の相手として、自分達を故郷から追い出した憎き敵として戦いを選んだようだ。
実際にそう伝えられており、この地に生まれた人々は代々撃退をやっていたらしい。何時かは倒すと、必ず帰れる時が来ると、ただそれだけを信じて、だ。
(無謀だな――竜に人の身で勝つのはほぼ不可能に近いだろ。それこそ、勇者と相打ち狙いでぶつけるとかじゃない限りはさ。)
師匠ですら撃退が限界。それ以上は魔力が足りなくなり、危険だったようだ。
そんな蛮勇達の戦闘を、少しばかり違和感を覚えた俺。
被害ばかりが広がっていた状況に疑問に思って尋ねて見ると、以前俺が訪れてからというものの、どうやら長であった老人が様々な書物を集めていてその影響を受けたらしい。
多くは農業関連の本だったようだが、鍛冶や戦闘指南書に、そして魔法書の類もそれなりに揃っていた。
思わず、以前の会話が思い出されて来て目が遠くなる。
゛ほう!となれば、魔法を使える者を探すのも一興か!”
直後に無茶振りされて、斬りかかられたのは未だ俺の記憶に鮮明だ。
あの時止めていれば、また違った結果になったのだろうか?
(後から魔法の使い手を探したんだろうな――その為に魔法書が此処にあるのだろうから。)
壊滅するのが此処まで早まったのには、正直悩ましいと言える。
時間軸の管理として、過去と違う現象は検証するのに多大な労力が掛かる。
それは、巻き戻してやり直しという手法を取る為に、どうしても短縮出来ない事だった。
(それに、時間だけを速めても意味は無い。俺自身、動かないとならないのだから――今回も。)
その為に、検証するなら次巻き戻した時の課題に――と、今はただ記憶を焼き付けておいた。
違いと言えば、この地で氷魔法使いを見つけた事だろう。
他にも極一部だが魔法を操れる者が見つかっていたようで、今回は特定の属性を除いた者を戦闘に参加させていたらしい。
ただ、
(それで連携が取れなくなるって、本末転倒だろうに。)
そっと息を吐く。
結果的に中途半端な魔法使いを参加させた事が裏目に出てしまい、壊滅的な被害を出してしまったようなのだ。
一応訓練もする手はずだったらしいが、襲来してくるのが早まってしまっているし、大した効果も上がらなかったようで無駄だったとぼやく者が圧倒的に多い。
「――長の自己中さは今に始まった事じゃないが、付き合わされる方は堪らん。」
「――魔法に気をとられたのか知らんが、フラつく奴が多かった。」
「――いつもどおりの方が未だマシだったんじゃないの?余計な犠牲が増えた感じだよ、全く。」
やっていられないとばかりに口々に愚痴を零す彼ら。
まぁ、この状況では仕方ないだろうという感じだ。
ましてや、今までは力で抑えられていたのだから、不満も一気に爆発するものだろう。
(ただ、それを俺に言われても困るがな――。)
とは言え、これで氷の竜が飛来した理由も分かった。
多分であるが、魔法の訓練で魔力が放出されて、それに気付かれたのだろう。
魔物は魔力に敏感だ。
この『魔力』というものは、人や魔物が魔法を使う際に練り上げて放出するものである為、自然には存在していない。
自然に魔力が流れ込んでいても、いずれは分解されて『魔素』へと転じるのだから、魔力が留まっている所は自然と『何か』が居ると知らせる事になるのだ。
そしてこれは多かれ少なかれ普段から人は行っているとされている。病気への抵抗に、自然治癒力を高める為に、重い荷物を持ったり速く駆けたりする為に、気付かない内に身体能力へと回していたりする。
ただ、それを辿り魔物は人を襲うのも事実。特に魔法を使った後は見つかりやすいという特徴があった。
(多分、知らなかったんだろうな――竜の嗅覚なんてそれこそ異常だし、魔力への感知能力も高い。知らずに訓練で魔力を使ったんだろう。)
実際、抑えていた魔力を解放した途端にすっ飛んできたし、あの竜だけでも魔力感知は得意中の得意だったはずだ。
(裏目に出た――あるいは、無知が招いた、か。)
そもそもとして氷の竜が人里を襲うのは冬も真っ盛りな時期だ。
今のような雪も降らない季節じゃないし、原因があるのは間違い無いだろう、きっと。
そうしてそれは、巻き戻してきた過去の中では見当たらなかった『魔法の訓練』が、原因と見て間違い無いと思われた。
(――今まで冬に飛来して来たのは、餌が足りなかったから、か。だから、途中で逃げ帰ってたんだな。)
そう考えてみれば、色々と辻褄は合う。
動物型の魔物は保護色になって見え辛いし、何よりも一番餌として食われているだろう熊型の魔物だと、冬には冬眠してしまう傾向にある。
竜とはいえ、それを見つけるのは容易では無い事だろう。
それを補う為に目を付けられたのが――おそらく人間で。人の味を覚えて度々襲来していたのだと思われた。
それも、死滅しない程度に抑えてまで、知恵を働かせて。
(で、その竜と戦う奴の中から省かれたのが、あの青年と。)
除かれたのは氷属性だったからだろうか。
氷の竜に氷属性の魔法はまず効果が無いからな。あっても微々たるもので、下手をすれば味方を巻き込むのだから出番はほとんど無かった事だろう。
(まぁ、そのおかげで生き残れたみたいだが――。)
北から飛来してくる竜に対して、果敢にも追い返そうと日夜鍛錬を続けてきたこの地の連中だが、現状は芳しくない。
ほぼ壊滅的な被害を受けているとさえ言えるだろう。それくらいには、戦死者の数が余りにも多いのだ。
いや、死者だと分かる方がまだマシ、と言った方が良いのだろうか?
(食い殺されて残ってない奴も多いみたいだしなぁ。)
行方不明者は多数。
持ち物だった武器だけが残ってるとか、手や足だけがあったとか、そんな状況である。
見つからない連中は、つまりはそういう事なんだろう。
(残ったのは僅かな大人達と、幼い子供や妊婦、そして老人だけ。此処から立て直すのは――ほぼ不可能に近いな。)
そして最大の問題が、難民となっても彼らを受け入れるだけの余裕がもう何処にも無い、という点だ。
水も食料もギリギリ。土地すらもがギリギリで、更には西から大量のアンデッドが押し寄せてきている状況だ。
何処も危険地帯で助かる見込みは見当たらない。再興そのものが不可能な状態だった。
(それでも、サイモン殿は見捨てるのに「うん」とは言わないんだろうなぁ。)
彼は誰にでも無性に優しいというわけじゃないが、出来る限りの者を救おうとする。
おそらくその背景にあるのは、本来引き継ぐはずの王族に対しての考えがあるんだろうが――。
(それも、限界ってものがあるんだよな。)
王とは言え人。所詮はただの人間だ。
なんでも出来るわけじゃないし、状況を覆すだけの力もまた無い。
(北の地がせめて、使えれば良かったんだが――。)
流石は氷の竜が住処にしていた土地だけあってか、魔物の強さは此方の比じゃない。
一つ目の鹿とか二頭蛇とか、知らないのがウヨウヨ居るのだ。未知の魔物だらけである。
何より恐ろしいのが鳥だろうか。
一見すると燕のような可愛らしい鳥だったのだが、それが飛んでいったと思ったら、硬そうな皮膚を持つ角が生えた獣の喉笛を切り裂いていた。
しかも、殺した魔物の血を啜っていて、完全に生態系が狂っている。アレはヤバイなんてものじゃないだろう。
(――流石に誰かを送り込んだりは出来ないよなぁ。)
少なくとも生者では無理だろう。
あの燕に対応しきれるとはとてもじゃないが思えない。精々行けるのは、地下のアンデッド達くらいだ。
(クドラクには、適度な所で止めて貰おう。貫通させるのは、此処の連中を何とかしてからだ。)
今の俺でも襲われたらちょっと厳しい。
一部は魔法も使うようだし、氷属性が効き難いであろう彼の地では、俺は完全に戦力外だから防御に徹するしかない。
この為に確認の為に覗いていた【転移門】を閉じると、そっと息を吐いた。
結局は今までと変わらないようだ――。
(――さて、どうするかなぁ。)
王国兵は来て貰っても余り意味が無いので、待機中だったのを解散させてある。
ただこれで、生き残りに対する事で会議がまた紛糾するのは間違いないだろう。
何故なら王国の現状も非常に危ういのだ。
隣国が滅ぶのが確定していると分かっている中で、徐々にとだがアンデッドが流入しようとしている状態である。
とてもではないがそれを止める手立ては無いし、そう遠くない内に滅ぶのは分かりきった事だった。
アンデッドへ呑まれるのが先か、水と食料が尽きるのが先か、それとも暴動で内部から滅ぶか。
――いずれにしろ、残っているのは滅びのみ。不安はその内にでも爆発するだろう。
(それに対して、折角纏まりかけていた国はまた分裂しかけている状態だし。)
何故こうも揃いも揃ってどうしようもないとしか言いようが無いのが、貴族という存在なのだろうか。
彼らの多くは王を支えずに、逃げ場も無いのに逃げる算段をつけていたりと、阿呆も良いところだった。
一部は海原へ船で逃げ出そうとして、海の魔物の餌食となってもいる。
地下へと掘り進め籠城を企んでいる者も居るようだったが、そんな方法がアンデッドとは言え魔物相手に効果があるわけも無い。地上が襲われた時点で終わりだ。
これらのおかげで、
(毎回何時も上手く行くんだけど、納得が行かない。)
なんて思う俺が居たが、何が変わるわけでもない。
淡々と、現地の人々の声を聞きながらも、彼らの無謀な言葉には一応反論を試みていた。
「自殺行為も良いところですよ。それは。」
「分かっている。だが、それでも我々は向かいたいんだ!」
北に位置する、氷の竜が住処としていた島。
今そこの道を繋げていると知り、色めき立った彼らに俺は淡々と現実を伝えていく。
勿論、通ろうとするのを邪魔しながら。
「此処よりも北は遥かに凶悪な魔物が大量に居ます。貴方方が向かった所で、即座に餌にされて終わりですよ。」
「しかし――。」
「しかしも何もありません。勘弁して下さい。救援を受けて駆けつけたのに、それなのに死を選ぶなんて。こっちは次元の狭間に氷竜を飛ばしたとはいえ、完全にロックオンされているんですからね?」
次に遭遇したら確実に喰われるだろう。
何せ、何時、何処で沸いて出てくるかも分からないのだ。
勇者ならば不可能を可能にする為に、次元の狭間だろうが何処からだろうが、時間さえかければ実際に出てくる事も可能だと言われている。
そして、そんな勇者と過去に相打ちとなり死亡したという火の竜と、同等の力を持っているだろう同じ竜種に出来ないとは言い切れなかった。
何よりも、
「どうしてもと言うのなら、人間を辞めて下さい。それなら此方も救助対象から外せますから。」
唯人の身で向かうのが信じられないくらいの愚かさなのだ。
それくらいには、道を繋げている先は危険地帯過ぎる。
「――一体そんなの、どうやって。」
そんな俺の言葉に、そう言ったきりに口を閉ざす白髪の青年。
急遽、新たな長に決まったらしいが、どうも魔力でゴリ押ししてその座を得たようだ。
しかし、流石に俺には敵わないと見ているらしい。力任せに突破しようという気配も無かった。
その様子に対して、俺はそっと息を吐き出しつつも口を紡ぐ。
「それでは、条件を出しましょうか。」
「条件――?」
訝しげな顔をする新たな若い指導者に対して、譲歩案として俺はただ淡々と言葉を紡いでいく。
「死んでも構わない、多少自身が変質しても良い、という方だけ――この先の地でも生きていける力を与えます。それなら、通るのも許可出来ますよ。」
「ほ、本当か!?」
「嘘は言いません。」
単にそのまま行って、魔物の餌になられるのが困るのだ。
だがしかし、自分の身を守るだけの最低限の力があるなら、後は好きにしてくれと思う。どうせ、王国では保護しきれないのだから。
そう思って、
「破格の条件ですよ、これは。」
告げながら、彼らに促していく。
「この先の大地に足を踏み込んでも、簡単に倒されない程度の力をやるのですからね――その代わりに、人は辞める事となりますけど。」
「人を辞める――?」
「疑問は受け付けません。受けるか、受けないかです。これ以上の情報は決して開示しませんので、各々で考えて下さい――時間は、そうですね、三十分差し上げます。」
これに、
「な!?み、短すぎる!」
「もう少し時間をくれ!」
矢継ぎ早に悲鳴じみた声が上がってきたが、構わずに切り捨てた。
「私も暇じゃありません。王国は今危機的な状況にあるんです。それを知っていながら救援に駆けつけ、尚且時間を割いているのですよ。」
西から流れ込んできているアンデッドの群れは、確実に王国へと近付いている。
そんな状態で、難民状態である彼らに何時までも付き合っていられるわけが無いのだ。
この為にさっさと切り捨てておいた。
「お、おい、どうすんだ。」
「どのみち、強行突破は無理だろ?次元の狭間とかいう場所に放り込まれたくは無い。」
「下手したら、中で氷竜と遭遇するからな。」
「あれはどんな場所かすら不明だ。何せ、真っ黒な空間しか見えなかったし。」
「最悪、足場も無くてただ落っこちるだけかもしれん。」
時魔法の【亜空間】内がどうなっているかは不明だ。空気が有るのか、それとも無いのか、それすら疑問である。
何せ、
(星々が瞬いてる事もあるし、中に入れたものが圧縮された事もあるしなぁ。)
摩訶不思議な場所。
それが【亜空間】で繋いだ次元であり、その狭間とも言われる場所だった。
――そのまま時間は進んでいき、やがて戸惑いながらも話し合っていた彼らは、同じ方面で決意を固めたようで此方に顔を向けてきた。
「分かった、その提案に乗る。」
その言葉へ、確認の為の言葉を投げる。
「全員ですか?」
これに、
「此処に居る者、全員だ。我らはどのような形であれ、彼の地を踏みたい。」
そこまで言って、確りとした視線を真正面からぶつけてきた。
それに、俺は何の感慨もなく淡々と言葉を述べる。
「そうですか――そこまでして求めますか。小さい子まで。」
「ああ、確認もしたから間違い無い。ほら――。」
そう言って、背後の幼い子供達に視線を向ける青年。
瞬間、背後にいた子供達のそれぞれの口から、何とも舌っ足らずな声が飛び出してきた。
「またドラゴンがきたら、おいかえすの!」
「ちがうよー、つぎはたおすんだよー。」
「ドラゴンたべるの。みんなでガブッてやるの。」
「もっとつよくなりたい!」
「こんどはいっしょにたたかうんだ!」
何とも非常に勇ましい事だ。
腕や足だけが残った同胞の姿も見ただろうに、それでも彼らは臆していない。
そんな真っ直ぐに告げて来た彼らへ、
「これはこれは――それならば、ご招待といきましょうか。」
俺は口を開きながらも、塞いでいた片目の眼帯を外してその下の瞳を晒す。
それと同時に発動させるのは【空間壁】。
ただ逃げられないように閉じ込めておく為の檻を形成しておいて、淡々と口を紡いでいった。
「生から死へ。」
「――っ!?」
目を丸くする人々を前にしながらも、ただ宣告していく。
これより行うは『邪法』。
人を――アンデッドへと作り変える、禁術中の禁術だ。
「死して尚この地に留まる永劫の時に、男も女も老いも若きも関係無く、ただ等しく訪れる『死』。それを持って汝らへの力としましょう。」
驚愕を浮かべるが、彼らは了承したんだ。
゛死んでも構わない、多少自身が変質しても良い、という方だけ――この先の地でも生きていける力を与えます。”
゛――その代わりに、人は辞める事となりますけど。”
って。
だから、構わずに練り上げた魔力を放つ。
「【死鬼創造】。」
瞬間、
「「――っ!?」」
俺の眼の前の人々が苦悶に顔を歪めて、苦しみだす。
そうして、
「ふっ――あはははははははははは!」
――嘲笑が響く中、この世ならざる存在へとその身を堕としていた。




