275 準備期間
この地の死への行進は止まらない。
何処から沸いてくるのか、勇者共による被害が絶えないからだ。
西の国に出たかと思えば、女王の国で出る。自由都市に入り込んでくる事もあるし、北の属国で暴れた回った事もあった。
その度に討伐に向かう羽目になるのが俺である。
おかげ様で城での業務は手付かずな事が多く、最早後回しな状態が続いていた。
(書類が片付かないな――。)
そんな紙の束に半ば埋もれるようにして、ペンを走らせて書き上がった物から順に、横へとせっせと積み上げていく作業に追われる。
副団長が色々と手伝ってはくれているのだが、いかんせん仕事の量が半端なく多すぎて手が回らなくなっていた。
決算の類から何か魔法師団の方はもう丸投げしているのだが、それでも俺には王宮錬金術師としての地位がある。
こちらでも書類業務は非常に多くて、専ら書類作成に追われる日々だ。
(仕事、激務過ぎないか――?)
そうは思うが、替えが居ないのでどうしようもない。
錬金術師としての地位は未だ俺だけしか持っていないし、双子の育成には時間もかかるのにその時間が取れていないのだ。
おかげで誰かに丸投げする事すら出来ないでいる。
(アンデッド化すれば、睡眠時間を削って対処は出来るんだがな――。)
問題は、人前に姿を現す事が出来なくなり、生者に戻ろうとすると反動で苦しむ事になってしまうという点だろうか。
生きてる状態から死んでる状態へ移行する分にはそこまで負担も無いのだが、その逆はましく蘇る事となるので、体力が底を尽いた状態からの復活となる。
この為に朝と夜で気軽に使い分ける――なんて事は到底出来なかった。
(そろそろ次の段階に移らないとならないってのに、参ったな。)
時間が足りない。幾らあっても、足りない状況になってきているのだ。
魔法薬の製造もしておかないとならないし、魔道具の制作もそろそろ始める頃合いだろう。
それなのに、書類に追われているのではこの先絶対に詰んでしまう。
(これは、急いでなんとかしないとなぁ――。)
魔法師団長の地位を副団長へ譲るのはもう決定事項としても、対勇者の方針を打診すべき時だろうか。
既にかなりの犠牲者が出ている状況なのだから、多少のゴリ押しは出来るはずである。
西にあった商人の国は半壊して王国に移動中だし、女王の国はその西から流れてくるアンデッドの対策で追われている。
水際で堰き止めてはいるが、そろそろ限界だろう。此方からも手を出さないとならないし、その相談をすべき時なのは間違いが無かった。
(壊滅させたら困るからな、忙しいけど――仕方ない。)
何せ、死んだら死んだ者達全員がアンデッドとして蘇る状況になるのだ。
この為に女王の国が壊滅すれば、遺体は適切に埋葬出来ずにアンデッドとして蘇ってきて、そのまま王国へと流れ込んで来てしまう。
それは非常に不味い。この国だって国内にアンデッドがまだウロウロしているし、しかも変異種が多い。そこに増えるのはどう考えても許容範囲を超えてしまう。
(なんとかして防がないと――生存範囲も狭まってるしなぁ。)
既に後手に回っている雰囲気は誰もが感じ取っているところである。
腐敗した土地も広がってきているし、滅亡までそう遠くは無い未来だ。確実に、この地は死に満たされる。
(陰陽のバランスが崩れて、死に引きずられる、か――。)
止めたくても止められない、死への螺旋。まるで転がり落ちるかのようにして、急速に死へ向かっている現状。
そんな中で疲れた身体を引きずって、何時ものように俺は地下へと転移する。
(書類は減らす側から増えているから、最早意味が無いしな。明日にでも上と話をしておこう。)
伸びを一つして、息を吐き出す。
尚、地上にある俺の部屋は、どこの馬の骨かも知らない女共が勝手に占拠しているので入る事は無い。
最早彼処は俺の部屋じゃ無いと言っても過言では無いのだ。この為、俺が休む時に使うのは専ら地下深くにある自室だった。
そこでベッドに思い切りにダイブして、内心で愚痴を漏らす。
(ったく、誰だよ勝手に入れてる奴は――。)
何でも最近は男もその中に混じっているらしいし、いっその事そいつらとでもカップリングしてくれれば片付きそうなのに、くっつく気配は無いらしい。
目出度くご結婚まで行けば心の底から祝ってやるのにとか思わないでもなかった。
(クソ、世の中上手く行かないなぁ。)
愚痴愚痴と思いつつも、未だやる事が地下の方で残っているからと、休みたいのを堪えつつもツヴァイ達の居る階に向けて足を運んだのだが、
「――ん?」
途端に強い魔力を地上から感知してしまって、思わず上を見上げてしまっていた。
此処から見えるのは、綺麗に削られた岩だけだ。
だがしかし、その岩の手前に【亜空間】を開けば違った景色が映り込む。それとつい先程まで居た場所の空間を繋ぎ合わせると、丁度そこに、
《どうしましたか?》
何時もの甲冑姿――ツヴァイがやって来たらしく【念話】を飛ばしてきた。
それに、
「いや、大した事じゃない。なんか上――王国の城か近くで、変なのが沸いてるっぽいんだよ。」
言葉で返しつつも地上を俯瞰して見下ろせば、闇の中で確かに変なのが動いていた。
《変なの、ですか?》
「そう、変なの。」
変なのと称したそれは、丁度闇夜に紛れるような形で点々と移動をしている状態だ。
覆面なので分からないが、おそらく顔が向いているのは王城の方で間違いは無いだろう。
そこまでを確認してから、魔力を練っていく。
そこに、
《――それは不審者の類でしょうか?》
「だな。どうやら、城が『狙い』らしい。」
ツヴァイから更に【念話】が届いたので、頷いて返しつつも監視を続ける。
多分だが『また』勇者だろう。
丁度、俺が王都を出たタイミングでの感知だ。
何かしら此方を欺こうとする意図が見られるし、余りにも唐突だったので人にはちょっと思えなかった。
(しかし、今沸かなくても良いだろうに――。)
面倒臭い。疲れている時に沸いてくるなと言いたくなる。非常に鬱陶しい。
転移直後に感じ取った高い魔力なんて、それこそ俺が不審に思わないわけがないというのに馬鹿なのだろうか。
(これで欺いたつもりなら、それこそ愚かだな。余りにも不自然過ぎる。)
実際に調べてみれば全身が真っ黒な衣装で怪しさ満点だし、これなら暗殺者として始末してしまっても何処からも文句は出ないくらいだ。
隠密の場合は周囲に溶け込むのが第一。そして、第二は呼吸を自然と合わせる事である。
それなのに、
(暗闇の中での真っ黒は、逆に俺にとっては良く見えるんだよ。)
溶け込むつもりが目立ってしまっているのだから、どうしようもない。
その上ずっと城の周囲をウロウロとしているし、完全に不審者の類となっていた。
この為に【空間壁】を使うと、さっさと腰に携帯されていた武器らしき包みを強制解除させておく。
その瞬間、
「――っ!?」
どうやら気付かれたらしくて、息を飲む気配が伝わってきた。
だが、此方には余裕を与えるつもりは更々無い。既に魔力も練り上げているし、さっさと始末する事にする。
《ちょっと魔法を使うな。》
《了解です。》
この為にツヴァイだけでなく、地下のアンデッド達全員へと向けて【念話】を飛ばしておいた。
始末するにも遠距離からだとやり方は大体絞られる。
だが、それでも攻撃系を放てば【念話】に乗って他のアンデッド達を触発してしまうので、事前通告が必要なのだ。
下手に何も言わずに攻撃魔法や魔術を放つと、何処かで戦闘が起きていると気付いて彼らは警戒体勢に入るからな。
無駄に彼らへ警戒させない為にも、この事前報告は必須だった。
(まぁ、今回は必要も無いだろうが――。)
攻撃魔法や魔術を使わなくても、勇者を討伐する方法はある。
例えば今やってる工程だ。
まず最初に【空間壁】で不審者を囲い込んでしまえば逃亡を阻止出来るし、次に俺の目の前の地面と対象の上空高くに【転移門】を設置して空間を繋げれば、攻撃準備の完了である。
そこから【空間庫】を俺の目の前の【転移門】の上に開き、後は中身を降り注いでやれば完了だった。
全部でたった三つの工程。だが、シンプルであるが故に威力が高い。そんな方法を設置し終えて、
(さて――それでは物理で死んで貰うとしよう。)
予め【空間庫】の中に入れておいた物をセットする。
今回の攻撃手段は魔法でも魔術でも無くて『物理』だ。
下向きに開かれた【空間庫】より、重力に任せて落下していくのは巨大な岩が一つ。
それが、先に設置してあった【転移門】の中へと飲まれていくと、不審者の上空から落ちて黒尽くめなそいつに直撃してそのまま下敷きにした。
「おー、見事に潰れたな。」
綺麗に直撃したらしくて、ちょっとした華が咲いたのが【転移門】越しにも見える。
勿論、これで死ななければ【凍結】を放つつもりだ。
ただそれに対して、
《殺害したのですか?》
ツヴァイからの【念話】が届いてきたので、俺は頷いて返していた。
「ああ――多分『勇者』だろうからな。」
《なっ!?》
瞬間、ツヴァイから怒りが湧き上がってきて、猛烈な憤怒の念が伝わってくる。
しかし、それもすぐに沈静化していった。
《勇者を殺害ですか――?この短時間に?》
戸惑いと共に流れたのは疑問の言葉。
それにも、俺は頷いて返す。
「おう、殺せてるぞ。」
《まさかそんな――。》
疑うのも無理は無いだろう。
勇者の生命力はGが付く害虫でも真っ青な高さだ。
しぶといなんてものではなく、まさしく死んでも再生してくるので、殺すまでには非常に時間がかかる。
(だけど、それは種と仕掛けを知らなければそうなるってだけの話なんだよな。)
良く分からない原理の素である邪神とのパスさえ絶ってしまえば、勇者の討伐は一撃必殺なら倒せるとさえ言えるまでに難易度が落ちる。
特に俺が持つ時属性である【空間壁】――見えない空間そのものを壁としてしまう魔法は、邪神が依代にしている聖剣を取り囲い込んでしまい、勇者からも引き剥がすのに使われている。
たったこれを使うだけでも、勇者は人と同じ方法で死に還せるようになる。なんなら、邪神とのパスを永久に切り続ける事も不可能では無いだろう。
「丁度、こんな風に討伐が出来るようになるんだよ――俺ならさ。」
《え?――こ、これは!?》
「討伐済みの暫定勇者ってところだな。」
丁度開いた先の光景をツヴァイにも見せてやる。
月も出ていない晩で、普通の瞳では真っ暗で何も見えない程の暗闇だ。
だがしかし――半分アンデッド化している事で、片目が闇の中でも見通せる為に俺でも確認は出来ている。
それこそ完全なアンデッドであるツヴァイならば、昼間のように見えている事だろう――それも、巨大な岩によって潰れてしまい、トマトみたいにグシャリとなっている死体がだ。
《い、一体どうやって――。》
これにうろたえた様子だったが、
「さて、一応回収しとかないとな。」
ツヴァイの疑問へは後回しにしておき、俺は移動を開始した。
音に気付いた見張りがすぐにやって来るだろうし、その前にさっさと作業を済ませておかないとならない。
聖剣を所持した勇者なら焼却処分行きで、唯の暗殺者か何かならば『死体置き場』へ【座標転移】してポイ捨て放置である。
今は死体弄りしてるだけの暇も無いし、何よりも疲れているのでさっさと休みたいからな。
この為に、念には念を入れて黒いフード付きのローブを被ってから現場へと移動しておいた。
(――さて、今度のはどうだったかね?)
始末した不審者の上に落とした巨大な岩は【空間庫】の中へ戻せばそれで完了だ。
問題は遺体の方である。
見事にぺしゃんこで真っ赤になっているし、動く気配は無いので死体なのは確実だろう。
周囲に広がっている血の色は濃く、途中で千切れたらしい手首が一本、ピクリともせずにただ転がっていた。
(まぁ、邪神とのパスが切れてればそうなるよな。)
その邪神が依代に使っている聖剣が入っていそうな包みは、確りと【密閉空間】で閉じ込めておいたので、此処に有っても此処には無い状態である。
この為に血まみれにもなっておらず、腰帯から【空間断裂】されたままの状態で空中に留まっていた。
(うん、やっぱりこれだな。)
形状は剣の形で布越しに浮かび上がっている。
それを一応【密閉空間】の【空間壁】を一部だけずらして、様子を伺った。
もし邪神が残っているのなら、あのキンキン声が聞こえるはずだ。とても特徴ある声だし、勇者が死んだ直後なのだから残っているなら声が聞こえるはず。
そう思って、耳を澄ませてみたが――特に何も聞こえない。シンッと静まり返った状態で、ただ不気味な気配だけが周囲に広がっていた。
(もう居ないっぽい?)
そう思って恐る恐る取り出してみれば、間違いなく聖剣だった。
白い鞘に白い柄。更には大きな宝玉が嵌っていて、良くあるデザインの魔剣タイプにも見える。
少し沿った刀身は――曲刀だろうか。剣というよりもサーベルなんかが近い形状である。
(これは――偽装のつもりかねぇ?)
ただ、その見た感じは魔剣に見えなくも無い。
しかしながらも、今俺が目にしている剣には肝心な魔力を伝える『回路』が存在しておらず、更には【密閉空間】で保護をしたにも関わらず宝石には大きな罅が入っていた。
本来ならこの宝玉に魔術陣を刻んで、柄や刀身への回路を組み込み魔法の効果を持たせるんだが、それも無いという事は『魔剣』ではなく別物で間違いは無いのだろう。
(この宝石――魔力の塊なのか。どうも魔石っぽいな?)
色は碧く澄んでいるが、どうにも禍々しい気配を放っている。
既にそれなりの人の血や魂を吸った後なのかもしれない。
(またアンデッドが増えるのか――。)
思わず、息を吐く。
ツヴァイ達みたいな生前の人格と記憶を保持したままのアンデッドならともかく、ほぼ本能だけしか残っていない低位のアンデッドなんて邪魔でしかない。
駒にして使うにも、単純労働の為に使役するのが精々である。
しかも変異種がやたらと多くて、単純労働ですら普通に使う事も出来ない。この為、現状は邪魔だ。
(ったく、勘弁してくれよなぁ。)
死体置き場兼アンデッド待機場となっている場所は、今じゃ何処も一杯だ。これ以上は組体操よろしく這い上がって来かねない程で、新たな穴がまた必要になってきている。
一応は深い穴に落としてある。だが、それでも密集している為に登ってきそうな状態なのだ。
(脱走されると困るのに。)
余りにも多いので、クドラクに頼んで帝国のあった最西端に穴を開けてもらってる。
だが――その内、あちらも満タンになりそうで頭が痛かった。
(これから西からも流れてくるんだぞ?それなのに量産は止めてくれっての。ただでさえ土地の汚染が酷いんだからさぁ。)
犠牲になってアンデッドが――なんて悪循環がずっと続いているのが最近なのだ。
この為にゾンビは大量発生し続けており、植物までもが一部腐敗してきている。
そんな状況を生み出す勇者はまさしく害悪そのものだろう。今回潰した奴も漏れなく聖剣を所持していたので、焼却処分決定である。
もう邪神は居ないようだし、聖剣については此方で回収しておいてフードを外した。
そこへと、
「何奴!」
「警備隊だ!名を名乗れ!」
駆け込んで来た者達が居たので、眼帯を確認してから【光球】を唱えておく。
夜の中に明るい光が頭上から照らし出す中で、松明を掲げた警備隊達へと声を掛けた。
「魔法師団長ルーク・ファン・ゲルツだ。勇者が王城へ侵入しようとしていたので始末しておいた。夜に済まないが、焼却処分を頼みたい。」
「「え。」」
揃って固まる彼らに向けて、軽く首を傾げる。
もしかして、光量が強過ぎたただろうか?
今夜は月が隠れていて暗いので、目が眩んだのかもしれない。
「眩しすぎたか――って、どうした?」
「あ、えっと――いや、何でも無いです!」
魔力量を調節して光量を抑えると、慌てた様子で返される。
それにも首を傾げたが、
「夜半まで我々の至らぬ所に手を貸して頂き、恐縮です!」
「なに、偶々だったから気にしないでくれ。」
敬礼で返されたので、忘れていたので此方も敬礼で返す。
正直、引き潰れた死体の焼却は嫌だろうと思うが、これも仕事だ。彼らに頑張って貰おう。
(綺麗に殺す方法はあるにはあるんだが、出来る限り手の内は晒さずにいたいしなぁ。)
邪神の入れ知恵かは知らないが、段々と勇者が対応してくるようになるし、そうなると非常に厄介なのだ。
この為に、基本的に同じ方法を用いて勇者の討伐は行っている。
女に目が無い奴には、美少女の見た目の『人形』で不意打ちを。
先程のような侵入者には、遠距離からの時魔法を用いて物理攻撃を。
既に暴走中の場合は、人気の無い場所まで誘導してから【凍結】の上位にある【絶対零度】をそれぞれ使って対処している。
基本的に俺一人での対処だ。そろそろ、誰か手を貸してくれないかと泣き言を言いたい。
「――何とも困ったものだな。」
昼間は城での仕事。夜は未来への準備。そして昼夜問わずに沸いてくる勇者の討伐。
そんな忙しない日々の中で沸いてきた勇者の死体を警備隊達に頼んだ俺は、彼らと別れて地下へと【座標転移】して戻った。
これに、
《――流石に城まで接近を許してしまうのは、幾ら地上とは言え不味いかと。》
「確かになぁ。」
どうやらツヴァイがずっと見ていたらしくて【念話】を飛ばして来た。
それに対して、俺も途中から【念話】で話す事に切り替える。
《未だ見てたのか?》
《はい――これはとても便利ですね。軍を指揮する上で重宝しますよ。》
《ははっ。出来れば、そんな未来が来なければ良いんだがなぁ――。》
思わず、苦笑いを浮かべる俺。
何せ、先の未来ではこれを活用しまくるのだから当然だろう。
是非ともその際には、ツヴァイに手を貸して貰いたいとは思っているのだが、その為の訓練の時間すら取れていない。
(疲れるし、死者に戻りたいなんて思う日が来るとは思わなかった。)
巻き戻す前の過去では吸血鬼。完全な人類の敵である。
しかし、今のまま生者として居続けるのも限界だろう。
早いところ上と相談して今の地位の返上をしなくてはならない。
《――それにしても、何時の間にこんな魔法を?》
そんな事をつらつらと思っている中に尋ねられて、俺は軽く肩を竦めて返す。
《それについては秘密という事で。》
《おや、珍しくはぐらかされましたか。》
何時というか、巻き戻す前の過去だ。流石にそれは言えるはずも無い。
仮に告げたとしても、果たして現状で信じて貰えるかは疑問だしな。
何処に目や耳があるかも分からないし、言わないでおくに越した事は無いだろう、きっと。
(それに、巻き戻した後は誰も覚えていないしな。)
覚えているのは大抵俺だけで、それだって魔法で自分の記憶や人格を保護出来るからこその荒業である。
全部が全部覚えられているとは言い難いし、事実抜け落ちた記憶が出た事だってある。人格に至っては、最早何度違うものになった事か分からない。
それらを隠しつつ、必要な素材を地下の奥深くへと運び込みながら、息を吐いた。
(――今の俺でも、既に数え切れない程の『俺』の上にあるんだよな。正直、そんな『モノ』になるまで誰かを巻き込みたくなんて無い。)
この為に誰にも話していないのが、時魔法の一つである【時間遡行】だ。
これに誰かへ強制してまで、共に巻き戻れなんて言えないでいた。
誰だって、巻き戻った時点で『今の自分』が失われると知れば嫌に思うはずだからだ。
実際、過去に巻き戻す際に誰かを巻き込んだ事がある。
だが、その結果は――散々なものだった。
(どうせ俺だけで良いんだよ、こんな思いをするのはさ。理解して貰おうなんて、もう端から思ってもいないから。)
師匠だって、何度も仮死の魔術陣で自己の消失と復活を繰り返していたんだ。そのせいでボケ老人みたいになっていたし、実際記憶の欠落が酷かったようにも見える。
あれと似たような事を強制するなんて、俺には出来そうにも無かった。
何よりも巻き込んだ事によって起きた『結果』は既に過去で経験済みなのだ。また繰り返すなんて冗談じゃない。
(もう見たくも無いんだよ――再会を果たしたのに、拒絶されるのは。)
その為に巻き戻したんじゃない――そう、何度口にした事か。
俺は共に闘って欲しかっただけで、怖がられたくて巻き込んだわけじゃないんだよ。
ただ、味方が欲しかっただけなんだ――。
(化物扱いは、俺だって辛い。)
拒絶の上での吐かれる言葉に、向けられた怯えた眼差しに、何度心を抉られた事か。
吸血鬼だったから余計に怖れられたのだろうが、だからって約束を違えられて刃を向けられてしまっては、掛ける言葉ももう届かないだろう。
――実際に、届かなかったし。
その上、
(かつての仲間を殺すなんて、最悪だろう――。)
そんな結果を一体、何度繰り返した事か。
そうして怯えられて、人類の敵にされた事も何度あったか。
(殺したくなんて無いに決まってるだろ?最後の最期まで共にあった仲間なら尚更――。)
だから言わないし、言いたく無いし、言えないんだ。
それでも未来には繋げたかったから、こうして何度も繰り返しているわけで。
仮死の魔術陣の製造にも入っているのだ。
(知識は有る。技量も足りてる。材料だってある。だから――。)
時間を掛けて少しずつ、丁寧に作り上げていく。
しかし、どうしても複製が出来る枚数は少ない。
何時だって、たったの三枚しか出来ないのだ。
時間も技量も何とかなる。けれど、材料だけはどうしようもなかった。
(もしも死神に会えなかったら――この三枚だけで、人類の未来を繋げないとならなくなるんだよな。)
その為に必要なのは、生活を安定させる為の魔道具に、攻撃や腐敗から身を守る為の魔道具、水や食料への【時間停止】と、衣料品や魔法薬の常備だろう。
勿論、不測の事態には必ず備えないとならないので、安全の確認が出来るようにすべきだった。
間違っても仮死の魔術陣で死者を出すわけにはいかないし、作るのは丁寧な作業になる。
そんな仮死の魔術陣を使って未来に生き残った人達には、確実に子孫を残してもらわないとならない。
(普通の仮死の魔術陣だと、不能になるんだよな――これを癒やす手段は、魔法薬か、魔術陣の書き換えだったか――。)
前者はともかくとして、後者は不可能だ。
この仮死の魔術陣自体がそもそも不完全な代物だし、そこに手を加えるというのはそれこそ自殺行為に等しい事である。
何せ暴発する。
暴発しかけているのを無理矢理何とか形にしてあるのが、今の仮死の魔術陣の状態だ。
これの修正はほぼ不可能とさえ言われていて、魔導師達の解けない課題とさえ言われている難題である。
俺には原理すらさっぱりなので、ただそっくりに複写するしかない。今頃学んでいるだけの余裕も無いしな。
(魔法薬で代用するしかないけど、こっちはエリクサーがあれば何とかなるはず。)
俺自身、仮死の魔術陣で不能になっている身だ。
その上、半分死に戻っている為に、完全な生者への復活も不可能ときている。
この為に、仮死の魔術陣を使って遥か先の未来で生きるつもりは、俺にはもう無かった。
(そもそもとして、それをして既に巻き戻して来ているしな――。)
自分を生かす理由が存在していないのだから、未来へは『個』よりも『全』に託すべきだろう。
腐敗は防げなかったし、アンデッドの量産も止められなかったし、俺が生き残ってもしょうがないのだ。
増々腐敗は広がりを見せてもいるから、人が暮らせる環境は更に減ってきている。完全に悪循環な状況にあった。
(駄目なんだよな――この状況だけは、何時も覆せない。)
巻き戻す前の過去から変わらない『過去』であり『現在』。
勿論、抗う為に策は講じて来たが、どうしても変えられなかった為に『保険』を今から作っておく必要があると言える。
何せ、俺が死神と出会えなかったら、メルシー達の魂が閉じ込められている聖剣を託す相手が必要になるからな。
最終防波堤が俺である為に、巻き戻しを行った時点でこの世界線での俺の存在は途切れてしまう。
その場合、地下に安置しているメルシー達の魂が入った聖剣は、非常に大きな問題となる事だろう。
あれには魔女達も犠牲者に加わっているし、膨大なエネルギーが溜まっているような状態だ。故に、敵の手に渡すわけにはいかなかった。
(それに、確実にこの地の人類は一度滅亡するからな。苦肉の策だけども『保険』は必須だ。)
それが、仮死の魔術陣でありこの地下の最下層である。
此処ならばきっと、最悪閉じ籠もってでも生きて行けるだろう。
その為の物資を集めて貯め込む。
これは、
(『誰か』が生き残ってくれれば、それで俺の勝ちだ。)
自分という存在をも賭けた、人類滅亡の回避への『保険』。
そこには自分の未来なんて無い事を知っていても、俺は手を止める事はせずに、その後も着々と準備を続けていった。
2019/04/18 加筆修正を加えました。




