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257 血の香り

「――匂う。」

「は?」


 いきなり何を言うのかと、書庫で目を覚ましたばかりの俺はやって来た人物へと視線を向けた。

 書庫に入ってきたのはクドラク。その後ろからはツヴァイもまた続いて入って来ていて、寝ぼけたままに片手を上げる。


「おはよう、ツヴァイ。」

《おそようございます、もう昼前ですよ。》


 どうやら寝過ごしたらしい。

 未だ床の上で毛布にくるまっていると、ズカズカと近付いて来たクドラクが一気に捲し立ててきた。


「ちょっとー凄く美味しそうなんだけど。何この匂い食べられたいの?ねぇ、ルーちゃんってば、被虐趣味でもあったの?」

「はぁ!?」


 ちょっとどころか、かなりクドラクが危ない。

 瞳の輝きは爛々としているし、心無しか鼻息まで荒い感じだ。逃さないとばかりに腕を掴まれて、俺は盛大に顔を引き攣らせた。


「そんな趣味あるか!誰が食われたいなんて思うかよ!それも吸血鬼を相手に!」


 盛大に叫ぶ俺に「まぁあああっ」と声を上げ、しかし変態のように匂いを嗅いできたクドラクの顔を押しのけようと、空いている方の手で思い切りガードする。

 何でこんな事になってるんだ!それも朝っぱらから――。


(もしかして、昨夜の血の匂いがまだ消えていないのか?)


 水で洗って着替えもしたのに、それでも消えていないのだとしたら今のクドラクの状態も納得出来る。

 いや、納得はしてもこの状態は勘弁なのだが。


「いい加減、離れろ!」

「いーやーよーっ。」

《駄目ですね、これは。》

《あっはははははは!》


 若干、理性が吹き飛んだ様子だ。この為に押しのけようとしてもクドラクは動かなかった。

 ツヴァイはツヴァイで、どうしようもないとでも言いたげに見守るだけだ。

 灯り台の刑に処されている古賀音は笑うし、誰も役に立たない。

 仕方なく、


「ええい!そんなに血が飲みたいならこれでもしゃぶってろ!」

「!」


 叫びながらもクドラクの前で【空間庫】を開く。

 中から取り出したのは――昨夜着ていた服。

 血を吸って重くなったズボンと春用のコートで、即座にクドラクの手が伸びてそれらを奪い去っていく。

 そうしてから、


「あ、まーいっ。」

「……。」


 視線が集中しているのも構わず、若干乾いていた血で赤黒く染まっていた箇所に吸い付いては身悶える、一見すると変態の姿が出来上がっていた。


「何だこのカオス。」


 どうやら相当美味しいらしい。表情が恍惚としているし、甘露でも口にしたかのような反応だ。

 味覚が転じているのか、そのまま彼は染み抜き代わりになる程綺麗に服から血液を吸い取り、ニコニコとした笑みを浮かべて此方を振り向く。

 瞬間、その笑みが、ピキリッと音がしそうなくらいに固まった。


「――見た?」

「何をだ?」


 クドラクが血の染み込んだ衣類を啜るのなんて、今に始まった事じゃない。

 実際、森でも彼は俺の血が染みた衣類を欲しがったくらいだしな。今更見たからって何も問題はないだろう。

 そう思っていたのだが、


「ルーちゃんには聞いてない。そこの二人――見ーたーわーねーえ?」

《《――っ!?》》


 ――何故かツヴァイと古賀音の二人が真っ直ぐに飛んでいき、壁にぶつかった音を派手に立てていた。

 そうなるよう投げ飛ばしたのはクドラク。何が彼の怒りに触れたのかは知らないが、投げ飛ばされた二人はとんだとばっちりである。


「それで、何か用か?」


 そんな二人にこれ以上の被害が及ばないようにと、敢えて話しかけておく。

 それにツヴァイからは感謝の念が、古賀音からは《何で自分が……》と恨み辛みが飛んできたが気にせずに流しておく。

 そこに、


「そうそう。お部屋を作ったのよぅ、ルーちゃんのお部屋。皆とお揃いよぅ。」

「――部屋?」


 両手を打ち鳴らして、途端に般若の顔を笑みに変えたクドラクがちょっと怖くて引け越しになる。

 しかも、何故か褒めてとでも言いたげだ。その様子に、思わず固まってしまう。

 ――こういう時のクドラクはちょっと面倒なんだよな。対応を間違えると、機嫌を損ねてしまうから。


「とりあえず、先に見せてもらっても良いか?」


 それでも何とか表情を変えずに尋ねると、


「勿論よ!」


 速攻で返事が返ってきたので、機嫌を損ねないように言葉を選んで発した。


「じゃぁ、案内をよろしく。」

「任せて!こっちよこっち――。」


 一先ず先に見るのは良いらしい。

 手招くクドラクに連れられて、書庫から出る。

 長く天井の高い回廊を通り、階段へは向かわずに横へと逸れる。何時の間にか設置されていた木製の扉があったが、そこを開くと何処か懐かしい空間が広がっていた。


「これは――。」


 漂う木の香り。

 石を削って作り出された作業机の前には、曲線が描かれた脚が美しい椅子が置かれていた。

 座る部分には赤いクッションが嵌め込まれており、触れると柔らかく沈んでいく。その弾力に、見える光景に、懐古の念が込み上げてくる。


「――まるで、師匠の所で暮らしていた時の部屋みたいだな。」

「でしょう?頑張って再現してみたのよぅ。」


 俺の言葉に即座に返したクドラクは、実際に頑張って作ってくれたのだろう。

 記憶にある配置で、壁際には木製の棚が並んでいる。その中には魔法薬や医薬品、それに植物に関する書物がぎっしりとが収められていた。

 他の棚にはビーカーや試験管、乳鉢といった調合に使われる道具も一通り揃えられている。

 足下を見れば、色違いの石がタイル張りにされていて幾何学模様を刻んでおり、此処まで再現したのかと思わず目を丸くした。


「懐かしいな――確かこれ、困難に屈しないって意味があるんだっけ?」


 錬金術師はそれだけで狭き門。弟子になれても、途中で挫折する者は多い職業だ。

 それを憂いた先人達が、弟子となる者に向けたメッセージとして籠めたのがこのタイルらしい。


「石自体が特殊だものねぇ――錬金術で作られる物よぅ。レシピを覚えておいて正解だったわぁ。」


 耐久性もある為に、城等の要所へ使われた事もある品だ。

 流石土魔法使いというべきか、こういった物はクドラクのお手の物だった。


「やっぱりぃ、ルーちゃんは卒業するまでが一番輝いていたと思うのよねぇ。」

「――そうか?」

「そうよぅ。絶対あの頃が一番輝いてたわぁ。身長も良い感じだったしぃ。」

「身長は関係ないような――。」


 クドラクの言葉はともかく、機嫌を損ねないように当たり障りの無い返事ばかりをしておく。

 部屋の中へ所々に置かれている品は、魔導王国特有のデザインの物ばかりだ。

 曲線の多い家具はそれだけでも特徴とさえ言えて、思わず懐かしんでしまうものがあった。


「へぇ、寝室まで作ったんだな。」


 ただ、此方の部屋は見た目よりも別の方向を重視しているのか、懐かしさは無い。

 その代わりのようにして華美な装飾が施されており、何故か刺繍がぎっしりとされていた。

 色は白。枕とシーツだけ空色と、妙な感じがする。


「――なんか、乙女趣味を感じるんだが。」


 そう呟くと、


「良いでしょう?渾身の作よぅ!」


 満面の笑みで答えられてしまい、思わず脱力する。


「やっぱりクドラクの手製だったか、これ――。」

「ふふふっ。」


 これ、絶対に駄目なやつだ。

 どう考えても、彼の機嫌を損ねる。損ねてしまう。


 だが、それでも言わざるを得ないだろう。


 何せこのベッドは――天蓋付きの総レース仕立てで花柄なのだから!


「俺に少女趣味は無いんだけど?」

「……。」


 束の間の沈黙。

 そして――突如として吹き荒れる魔力。


「お、おい、ちょっと待て。」

「――ンフフフフフフ……。」


 笑ってはいるが、クドラクの目が笑っていない。

 というか、ガチで切れた。やっぱりこれ駄目なやつじゃないかよ、おい!


「落ち着け――落ち着けってクドラク――っ!」


 その後、有無を言わせず担がれた俺は、未だ匂うらしい血の匂いを落とすのも兼ねて、風呂場へと強制連行されて放り込まれた。

 逃げ出したくても逃げ出せない。

 何せ、片手はがっつり掴まれたままなのだから。


「何でこうなる――。」


 抵抗を試みるが、時魔法の唯一の弱点とも言えるものを抑えられていてどうにもならない。


 それは接触だ。


 放出した魔力で吹き飛ばすにはクドラクの魔力は余りにも高く、以前それは訓練場でやってしまった後。この為に対策は既にされているようで、全く効果が無い。

 それどころか大人しくしてろとばかりに掴まれている腕を締め上げられて、俺は悲鳴を上げていた。


「痛たたたたたっ!?痛い!痛いって!」


 幾ら魔力量が増えても、所詮今は人の身。吸血鬼の始祖であるクドラクに敵うはずもない。

 結局は逃げ切れず、そのまま全身を磨かれてしまってぐったりとする。

 その状態のまま、風呂から解放されたのはもう日付も変わった頃の事だった。


「疲れた――。」


 全身から漂う、甘ったるい匂いで噎せ返りそうだ。

 花の香りだとは思うが、精油らしき物を確り塗り込められたせいで、スベスベした肌なんてレベルじゃなくて手がスルッと滑ってしまうくらいには肌が磨き上げられてしまっている。

 その匂いに若干呻きつつも眠りに落ちて――そうして翌日。

 洗われたのがまだマシな方だったと、俺は起きてから身に沁みる事となっていた。

 何せ、


「解せない――なんでこうなった。」

「フフフッ。」

「俺は男だぞ?リボンなんておかしいだろ!」


 姿見の前に無理矢理座らされて髪を弄られる状況にあったからだ。

 逃亡を何とか図ろうとするんだが、その度に機嫌よく笑うクドラクが凄むので逃げるに逃げられない。

 地上の方での仕事というか、潰した村や集落に関する報告があるというのに、全く解放してくれないのでちょっとどころかかなり顔が引き攣る状況だった。


「やっぱりルーちゃんはこっちが似合うわねぇ。」

「そう。」


 この為、クドラクの言葉にも、俺は上の空で返す。

 そんな中、


「どうせだから、もっとおめかししましょうっ。そして、姉妹デビューを果たすのよ!」

「……。」


 後ろで好き勝手宣っているクドラクが、ガッツポーズを取る。

 それに、俺は沈黙で返して、そっと溜息を吐き出していた。

 姉妹もデビューも前にして、そもそも俺は男でクドラクもまた男だ。故に、性別上では兄弟になるはずである。決して姉妹にはなれない。

 何よりも血の繋がりが無いので、兄弟というのでさえおかしな話である。戸籍上だって違っていたのだから、兄弟子と弟弟子という立場はあってもそれは兄弟とは言えないだろう。


(何よりも、何のデビューなんだよ、これは。)


 理解不能だ。不能過ぎて、頭が思考停止する。

 ――その後、着せ替え人形よろしく女物のドレスまで着せられそうになり、クドラクと更に一悶着あったのは、きっと言うまでも無い事だろう。


 2019/03/30 加筆修正を加えました。


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