231 巻戻し
――止まっていた時が流れるように。
それまでの事を『無かった』事へとしていく『時魔法』。
その事に気付くと共に、歪んでいた人格も矯正されていって、あれ程嫌に感じていた愉悦の感情は薄れていった。
反面、気付くものもある。思い出す事だってある。知らなくて良かった、あるいは忘れていた方が良かっただろう事も、全て思い出してしまっていた。
(記憶――あれは、過去と未来の記憶だったのか。)
つい先程まで視えていたのは、巻き戻されて繰り返してきた『過去』と、ほんの少し先の『未来』達だ。それも選択を誤り、取り戻そうとしては何度も失敗してきた『例』である。
かつての俺は、時属性への適正を持っていたらしい。それを封じて幼少期にまで遡り、違う属性を育もうと今回は記憶さえも封じて『やり直してきていた』。
(馬鹿だな。)
結果は何一つとして変わらないでいる。あれ程までに何とかしたかった事は、何一つとして上手く行ってはいなかった。
――否、変えられなかったというべきだろうか。
その事が、どうしようもなく心に重く伸し掛かってきて苦しい。押し潰されそうな中で、これまで無かった感情が次々に湧き出してきた。
どうやら記憶と共に感情の一部もまた封じてあったらしく、心がどんどんと沈んでいく。
(悲しいし、切ない――か。それに、自分で自分が嫌になるな、これは。)
何故ならそれは、
(俺の手には、結局何も残らなかった。)
からだ。
メルシーも母さんも、どう足掻いても死ぬ運命にあるらしい。何度もやり直してでさえ取り零し、この手には残らなかった。
師匠だってこの世には留まっていられないし、俺には救う手立てすら無い。
それは例え何度巻き戻しても、見送るしかないという事。
その事実に、抗おうとして抗いきれなくて、結局は『また』繰り返す。
今度もまた、多数の者を見送るしかないのだろう、きっと。
(何で――。)
――そんな事を、今更になって思い出したのだろう。
巻き戻した回数なんて、それこそ数え切れない程にある。
それなのに、誰一人として救えてこなかったのに、思い出してしまった現状。一体、この状況を誰が、喜べるというのだろうか。
(結局『俺』は『俺』のままなのに――思い出したからって、どうなるっていうんだよ。どれだけ足掻いても、それ以上でもそれ以下でも無いし変わらないんだ。変えられなかったんだよ――。)
得意な属性が増えたから何だ?対して役にも立たないし役立つとも思えない。
それに、記憶を取り戻すことがこれ程までに苛立つとは思わなかったし、知りたくもなかった。どうせなら忘れていたかったとさえ思う。
本当に、心の底からそう思ってしまった。
(一体、俺は何の為に巻き戻してきたんだよ――っ!?)
繰り返される過去と未来。変わらず続く現状に同じ道を歩み結果だけが積み上がる。それは、幾度と無く変わらない『死』と『見送り』だ。
それを繰り返すだけだなんて、無駄じゃないか。完全な無駄な足掻きでしかないじゃないか――。
(俺、何してるんだろう。)
誰一人として救えずに、今此処に『居る』俺。
あれ程認めたくないと、みっともなくも暴れまわったりもしたのに、結局は似たような状況を生み出してしまっている。
そうして、封じたはずの記憶を思い出してまで、こうしてここに存在していた。
(無能、かよ――。)
どうしようもなく、心が沈んでいって止まらない。
まさしく『無能』という一言に尽きるだろう状況だろう、これは。
例え違う属性を得られても、俺は何も変わらないし変えられなかったのだから。
本当に――何処までも何時までも役立たずなままだった。
(御免な、皆――また、選択肢を誤ったらしい。)
時魔法の一つにある【巻戻し】。
これで、過去へと戻ってやり直して来てもこれなのだから、相当な無能だと言えるだろう。
結局は同じ事になるのかと、諦観だけがじわりと広がって、苛立つ心を抑えていった。
(怒るだけの価値すら、無いよな。)
俺には大した事は出来ない。それはもう、証明されてしまったようなものだ。
それよりもこの先にある問題の回避をするべきだろう。
――やる事は、山のようにある。
(地上に帰した連中が戻ってくるな――手を貸して欲しいと言ってくるから、その時にアンデッドのままじゃ駄目か。)
この為に取り戻すべきなのは、生前の自分自身だ。そして、その時の『人格』が必須である。
少しでも疑いを持たれてはならない。何故なら、疑いを持たれた時点で、生者とは敵対関係になるのだから。
(やり直した過去の中には、それで戦争になった事もある。そのせいで余計な犠牲者が出たし、既に召喚されてる新しい勇者とも結託されてしまった。)
それを防ぐには『俺』が『俺』でないとならない。そうであるべきだ。
少なくとも勇者と手を組むなんて、そんな腐りきった関係なんて取らせるべきじゃないだろう。
何せ、その後に残る結果はもっと最悪なものになるのだから。
(ドロシーもリリィもこのままだと敵に回ってしまう。死なせてしまう。)
あの子達は世間を未だ良く知らない。知らないが故に、周囲に騙される。
その結果、自分の手で弟子である彼女達を殺す事になるなんて――冗談じゃなかった。
(最低な結果じゃないか、そんなの。)
だから、腐りきった感情に染まって、アンデッド化するのだけは真っ平御免だ。
あくまで『過去』は『過去』のもの。それは今の『俺』じゃないし不要な『俺』である。
故に、
(戻れ――時を戻す前の『俺』じゃなく、闇属性への適正がある『俺』の時間へ。)
そう願った瞬間に、周囲の流れが逆巻いていく。
しかし、それはほんの束の間の事だったのだろう。瞬く間に様々な事が起きては、周囲の状況が元へと戻っていった。
一瞬だけ感じられた心臓への激痛は、次の瞬間には凍える程の寒さへと変わり、それすらもがすぐに全身へと広がっていって、暖かさへと転じていく。
そうして凍りついていたはずの体が柔軟性を取り戻すと、生ある者としての正しい状態へと戻っていた。
その事に目を閉じて意識して息をすれば、途端に感じる酷く冷たい空気。凍えそうな程のそれは、しかしやがて霧散して消えていき、やや冷たい空気で収まっていく。
それに、
(生き、返ったか――。)
迷わずに深く、深呼吸して全身へと意識を向けていく。
今の『俺』にとって大事なのは『生者』である事。少なくともアンデッド化した状態では駄目だ。それでは、この先の『未来』が詰んでしまうし、それだけは何としても避けないとならない。
この為に、全身に意識を戻しては問題が無いかを探っていく。
流れる血液の循環に沿い、魔力の動きを感じ取っては隅々まで意識を向けた。心臓の鼓動に、冷たく頬に触れる空気に、そこに死者として蘇った事による不完全さが無いかを入念に調べていく。
指を動かせば、凍りついていた時のような音も、ぎこちなさも無かった。正しく『俺』は『俺』であるようで、心底ホッとして息を吐き出してしまう。
(もう、嫌な感情も浮かんでこないし、これなら大丈夫だろうか――?)
そう思ったところで、側から声が聞こえてきて目を瞬く。
「ルーちゃん……?」
瞬間、湧き上がってきたのは、安堵という感情。
嘲笑でも、加虐性でもないその感情には、思わずホッとする。
「少し、待っていてくれ。」
どうやら、クドラクは大丈夫なようだ。
巻き戻った時間のおかげか、彼にはもう弱々しさなんてものはない。戸惑った様子はあっても、そこには苦痛を伺わせるようなものはなかった。
その事へ安堵しつつも、まだ体の調子を確認し終えてなくて声を返せば、頷いた気配と共に声が微かに聞こえてくる。
「うん……。」
おそらくは今も自身が行使しているだろう『時魔法』で、周囲の状況が不安定なのだろう。その事へ、何処か怯えた気配も伝わってきていた。
時魔法による空間や肉体への巻戻し作業には、まだまだ時間が掛かるだろう。だが、そこまで長くは掛からないはずだった。
「不便を掛けるな……。」
「?」
感じ取れる疑問に満ちた感情。それを無視して修復作業へと入る。
現象はこの部屋の中で巻き起こっている状態らしい。
どうやら巻き込まれ掛けた者が他にも居るらしく、それを把握したのもあって急いで周囲の空間を塞いでいく。
(まずは、次元の修復から。)
その思いに沿って、罅割れていた周囲の空間が微かな音を立てて巻き戻り、修復されていく。
塞がれてたそれらは、次第にだが本来のあるべき『次元』へと戻っていった。
それと共に、今まで感じ取れていなかった者達の気配も明確に分かるようになってきて、多数の者の戸惑いと不安、そして安堵を感じ取って目を瞬く。
何時の間に駆けつけたのか、か細いながらもすぐ近くからは馴染みのある気配がある。おそらくはツヴァイだろう。
そこへ切れていた『何か』が再びまた繋がったようで、カチリと嵌り込んだような感覚さえもが伝わってきた。
(多分、もう大丈夫――。)
そう思った瞬間には、多数の感情が流れ込んできていた。
空間の綻びを探っていると、そこに【念話】による声も響いてきて更に目を瞬く。
《黒姫様!私です、ご無事ですか!?》
《おい!誰か担架を運んで来い!場所は南西訓練場だ!早く!》
《某は毛布を持ってくるである!》
《暖かいお湯の準備も!風呂の用意も急いでくれ!後、暖かい飲み物もだ!》
《《全員急げえええ!》》
慌てた様子の【念話】に、今更ながらに驚いて何度も何度も目を瞬く。
そこに映り込んできたのは、黒い甲冑姿のツヴァイと、さっきまでズタボロだったはずのクドラク。
どうやら魔法は上手く使えていたようで、クドラクは衣類まで綺麗に戻っていた。
「ルーちゃん、大丈夫?」
《何処か、痛む場所等はありませんか?》
覗き込む二人から感じ取れたのは、心配や安堵の念、思いやりといったものだろうか。
それらの感情を明確に感じ取りつつも、微かに頷いて返す。
未だ、周囲の修復は完全には済んでいなかった。
危ない位置を空間で区切って、踏み込まないようにする。これだけでも間違って異空間に入らずに済むはずだし、安全は確保出来るだろう。
ただ、盛大に壊れている箇所があるようで、修復してみても幾分脆そうで頼りない。この部分に関しては念入りに修復しておいた方が良さそうで、強めに魔力で補強を掛けていった。
(かなり心配かけたな――クドラクには、後ででも謝っておかないと。)
此処に居るアンデッド達は、誰もが皆優しい。闇属性を持つ今だからこそ分かる事だが、それはこれまでの『俺』では気付けなかった事である。
そんな俺みたいな奴にですら、思いやりだとか優しさだとか、そういうのを当たり前のように向けてくる為に正直戸惑う。
俺には、そんな風に扱われるだけの価値は無いのに。
(巻き戻した過去の中には、使い捨ての駒にした事だってあったのに――。)
それでも、最期まで裏切るような事をしなかったのが彼らだ。
その事を考えれば、成る程、死霊術で縛り上げる必要なんて最初から無かったのだと思える。
(今更それに気付くとか、本当にどうしようもない――。)
巻き戻す前、一番最初に感じた通りに進めるべきだったのかもしれない。
しかし、あの時点で俺は選択肢を誤った。死霊術に頼ってしまった。
(それを避けられた今回は、また違う展開になるだろうか――?)
分からない。これがどう繋がるのかは、現状ではさっぱりだ。
それに、今回はクドラクが居る。
これも『過去』では無かった事だった。
(吸血鬼になっていたのは、俺だったはずなのに――。)
けれども、実際に吸血鬼となったのはクドラク。
そんな彼に対して、俺は相当酷い事をしてしまっている。幾ら苛立っていたとはいえ、あれでは半ば八つ当たりのようなものだ。
焦り過ぎて自分を見失ってもいたようだし――完全にやりすぎだろう。
(まぁ、これで無茶な訓練はしなくなるか。良かったとも言えるけれども、それでもやっぱりやりすぎだよな。後でちゃんと誤っておこう。)
幾らアンデッドが冷気に耐性があるとはいえ、氷の中に閉じ込めるのはどうかという話である。
クドラク自身は暴れれば抜け出せるだろうが、そうなると此処は崩れて埋没しかねない。それをせずに、更には氷の中から俺を救おうとしていたようなのだから、やはり謝るべき事だと思えた。
ただ、その前に周囲の修復と自分の状態の確認が先だろう。謝罪は後回しにせざるを得ない状況し、作業を中途半端には出来ない為に、修復へと意識のほとんどを割いている。
その中でも思ってしまうのは、
(――思い出さなくて良い事まで思い出したのは、どういうわけだろう?)
という疑問。それが、内心で僅かに持ち上がってくる。
封印自体は、かなり強く掛けていたはずだ。それが解けたのは、一体何が原因だったのだろう?
(考えられるのは、死んだせいか?それで、術式が歪んで解けたのか?)
そう考えてみるも、どうにも腑に落ちない話だった。
まるで、何者かによって強制的に解除されたかのような、そんな反動のようなものがあるのだから。
おかげで、動くのが億劫過ぎて身を起こす事すら出来そうにない。
(まるで、鉛みたいに重い――。)
だがしかし、現状で命に直結するような事が無いのなら、他に考える事が今はあると思考を切り替えた。
何せこの先の未来では、選択肢を間違えた時点で詰む。その際のやり直しの為の素材集めだとか、色々と必要な物も出てくる。
けれども、それ以上に頭の中を占めるものがあって、今はそんな状況じゃないと分かりつつも考えてしまった。
思わず、息を吐く。
何せそれは、
(仮死の魔術陣と、死から蘇る蘇生魔法――。)
この二つの事だったからだ。
これらは何も、失われた魂を繋ぎ止めたり、呼び戻したりはしてくれるものでは無いらしい。
過去の俺がその事を突き詰めて、その結果、師匠と対立までやらかした『失敗例』の中にあった『知識』である。おそらくはだが、最後の最後で伝える為に、師匠が書き記した物の中にでもあったのだろう。
その時の事を思い出せば、苦い感情が心を占めていく。鬱屈した気分で正直言って最悪だった。
何せ、俺は師匠をこの手で死に還したのだから――。
(恩を仇で返してるんだよな、実際。)
例え時を巻き戻せるとはいえ、無かった事に出来るとはいえ、決して許される事じゃない。
何て馬鹿な事を仕出かしたのだろうと、自分で自分が嫌になる程には最低だった。
――どれだけ、酷い奴だったのだろうか『過去』の自分は。
(大体、師匠には非は無いんだよ。あの人はただ、未来を繋げようと必死になっていただけだ。兄弟子達をアンデッドにしたのだって、勇者に取り込まれないようにする為だったし――。)
色々な方法を俺はあの人が残してくれていたのを知っている。その上で、引き継がせようとしていた事も。
(――師匠はもう、限界だった。)
だから、俺では救えなかったのだ。
幾ら長く存在出来るアンデッドとはいえ、感情でこの世に繋ぎ止められているような状況なのだ。その感情が薄れれば、何れ死に戻る。それは、師匠でも同じ事。
(大体、救えるなんて思う方がおかしいんだ。思い上がりにも程があるだろ。俺は、結局は人の範疇からは外れられないんだから――。)
救世主だなんだ言われて、天狗になっていた事もあるが、結局は何も救えてはいない。
所詮、人間は人間でしかなく、弱く脆い存在だ。
(アンデッドになっても、元が人間なら大した強さにはならない。)
せいぜいが吸血鬼とか、リッチ程度になるだけ。
竜種程の強さにまではなれないし、至れなかった。
だからこそ、死神に頼るのだ。
ただ、その選択肢を最初は選んでおきながら、巻き戻せるだけの力があるならと、思い上がったのが『失敗例』の山だった。
そこから分かるのは、完全な愚か者の道を幾度も歩んで来ているという事。
そして、同じ過ちはもう繰り返すべきじゃないという事である。
(選択肢を間違えさえしなければ――死神はこの世に姿を現すんだよな?そしてそれは、俺次第って事なんだろ?)
一度目は師匠の残してくれたヒントを無視して、死霊術で此処にいるアンデッド達を縛り付けた。
その結果、大量に湧いた勇者へ対応出来ずに詰んだ。そして巻き戻して他の者まで救おうと無駄な努力をしてきたのだ。
――本当に、救いようのない馬鹿である。
(過去は変えられない。多少の変質は可能でも、死が決まった存在についてはそれを防ぐ術が無い。その上で今回の選択肢は、一番最初と似たような状況を生み出している――。)
時属性を封じて、魔力も大部分を封じて、最低限だけが使えるようにと残した結果。それによって得られたのは、新たな属性である『闇』だ。
この属性のおかげで、俺は此処に居るアンデッド達を縛らずに済んでいる。彼らの意志で考え、動き、そして対処していく下地が残せていた。
これならきっと、今度は新しい『先』を見れるだろう。
間違えたなら――その時はまた巻き戻しせばいい。どうせ俺にはそのくらいしか出来ない。それに、その力だけならあるのだから。
(出来る事なら、もうそんな事をしなくて済むのを願いたいところだけど。)
多分、また、きっと、繰り返す。
そうして、正解だけを選び取り続けるのだろうから。
(行けるところまで、行くしかないか――。)
無駄な足掻きはもう止めだ。過去に縛られても、どうしようもない。
俺には、変えられるだけの力は無かったのだから。
(前を向こう――いい加減に。)
一人担架で運ばれながらも、思い出した記憶とこれからの『未来』に向けて、俺はそう意識を飛ばしていた。
2019/03/04 加筆修正を加えました。ちょっと情報量増やしました。




