023 その錬金術師は空間魔法を発動させる
――空間魔法を思い出したのは、何時の事だったか。
仮死の魔術陣を使う前に、師匠に叩き込まれて何とか発動させる事に成功しただけのそれは、薬草の葉を一枚と、下手しなくてもメモ用紙一枚で満タンになってしまう程の使えない魔法だった。
ただ、思い出したのが、その中に入れていたのが薬草でもなければメモでもなく――菓子だったという事だ。
「クッキー!甘味!甘いもん!」
そうして、無駄に全力で開いてみたその空間には、だだっ広い中にぽつんと置かれた一枚のジャムクッキーがあった。
「――は?」
整理してみよう。
かつては薬草とかメモ用紙一枚でいっぱいいっぱいだった【空間庫】という魔法。そこへ無理矢理に入れておいたのは、そのうち食べるだろうと取っておいたベリージャムのクッキーが一枚だ。若干崩れ欠けてるが食べれる状態なのは間違い無い。その点だけは安心だ。
しかし、仮死の魔術を使用してから目覚めてしばらく経ち、最近になって開いてみれば、最早使えないなんて到底言えない――まさに、家一軒丸ごと入り込めそうな広さのだだっ広い空間が広がっていたのだ。目が点になってしまってもおかしくはないだろう。
「はい?」
俺としては、ただ首を傾げるしかない状況だ。一体、何が起きた?
とりあえずは、虚しく響くその中に、恐る恐る足を踏み入れてみて、足元を叩いてみる。硬質な感触が、固い靴底へと伝わってきた。
ぃよし、底が抜けるとかそんな事は無さそうだ!
「いざ、参らんっ。」
それを確認してから、落ちていたクッキーをダッシュして拾ってダッシュして戻ってくる。
そうして、入り口である空間の切れ目から再び中を覗き込み、俺はしばし、目を瞬かせていた。
「広がってるのか――?」
果たしてそれは、何故、どうして、何で、という疑問が尽きない話である。
思い浮かぶのは、仮死の魔術陣。あれを起動してから目覚めてすぐ、自身の魔力量が底上げされてるのに気付いた。
森の中で使った探索魔法は非常に広くまでを知る事が出来る優れものと化していたのは記憶に新しい。その余りにも広すぎる距離にしばし馴染めず、感覚を掴み直すのに苦労した程だが、今じゃ重宝してると言っても過言ではないだろう。
そこまで得意じゃなかった土魔術でゴーレムを生み出してみれば、こちらは全くの疲れ知らずで長時間の運営、同時操作も出来た程である。何時から俺は並列思考が可能になったのかと、後になってから悩んだ程だ。
――思えば、この時点でおかしいと思うべきだったんだろうな。
火球を放てば火柱が立ち、最早ファイアーなんてレベルじゃない。それは炎の壁だ。真っ直ぐ天を貫く高温の火の塊である。
そうして、よくよく考えてみれば、魔物との戦闘だって、対して練り込まなかった魔力でのゴリ押しでも、思った以上の効果になっていた気がした。
ええと、つまり、
「全体的に俺の魔法の効果って、上がってる?」
それも、底上げなんてレベルじゃなく、飛躍的な上昇であろう、多分。
それが空間魔法であるこの【空間庫】にも適用されているのだとすれば、この状況にも納得が出来る。
見るからに、その広さはかつての俺の比ではなかったのだ。広すぎてビビったが、単に俺の魔力量に比例してでかくなっただけなのだろう、きっと。
「まぁ、死にかけたら魔力量が上がったって話、あったけどさ――あれって、本当だったんだなぁ。」
そう、しみじみと呟きつつ、クッキーを一齧り。うむ、美味い。
俺の場合は、自分の意志で仮死状態になったんだが、それだってやけに長い事続いたせいか、無駄に魔力量が増えてしまったらしい。
空間魔法の【空間庫】の場合、発動者の適正値と魔力量に応じて広さが決まると言われている。そして、俺の適正値は限りなく低かったはずである。故の狭さだったはずなのだ。
それが、この眼の前に広がる広大な空間――まず間違いなく、これだけでもかなりの魔力量が上がってるだろう。適正値までもしかしたら底上げされてるのかもしれん。
それは、自分の魔力量がどれだけ上がったのかをここにきて、目に見えて理解出来たという事だ。
その事は、俺から若干の余裕を奪っていった。
しばし、空間庫を前にして呆然として固まる。
「これって、下手したら魔人クラスじゃね?ヤバイんじゃね?俺、人間辞めてね――?」
魔人というのは、元々人間だった奴が、何かの弾みでその枠を超えてしまった超越者達の事である。
主に、魔力による自身の強化とかを為せるような奴らだ。ドラゴンとかに単身突っ込んで行けてしまえる強者でもある。
勿論、そこには莫大な魔力量が前提としてあり、完全に人の枠組みから外れてしまっていると言えるだろう。
何せ、一般人と普通に暮らすのが困難になってしまった方々なのだ。一部、勇者とか英雄とかもてはやされた連中も、大体はこの手のタイプである。
俺は――多分、そこまで酷くはないのだろうが、暴発でも起こそうものなら、自分ごと周りが吹っ飛ぶだろう。確実に、間違いなく、得意な水魔法や氷魔法は暴発させられない。永久凍土とか津波とかを引き起こしそうだ。笑って「てへぺろ」では済まされない。
それが今まで有り得た事態だったのを遅れて悟り、瞬間、俺の顔から血の気が引いていった。
「いやいやいやいやいや、これってガチでヤバイやつだ。めっちゃ危険なのだ。うっわ、どうしよう?まさかの俺が英雄クラスとか洒落ならんぞ?」
都会っ子が隠居生活とか、そんなレベルの話じゃない。最早、人の中で暮らしていくのが無理って話だ。
しかし、このまま誰とも接する事無く暮らすとか、寂しくて死んでしまうかもしれん。俺の精神はウサギだ。ウサギなのだ。魔力がどうだろうが、ウサギのままなのだ。
だが、都心は元より、人と共に暮らすのもまた、難しいだろう状況。下手をすれば迫害の対象にもなりかねない。そんな力をよりによって俺が手にしてしまったのである。
「うーわー、何でこうなるんだー!?」
しばし、頭を抱えて悶絶する俺の姿が、壊滅させたばかりの新たなゴブリンの巣の中にあった。
一般人だったはずの人間がある日突然莫大な力を得る。
――大抵は破滅フラグですね、これ。
その辺りに思考が行くくらいには、主人公も能天気じゃいられない状況です。ましてや、戦闘は苦手だと自覚症状があるだけに、今後の展開に頭が痛い事でしょう。
尚、勇者も英雄と呼ばれた一部の魔人も、それくらいにはヤバイのがこの世界での常識だったりします。
怒らせただけで都市が吹っ飛んだりとか、海が割れたりとか、それこそ天変地異みたいな事をしでかせます。まさに人外レベル。そして人災レベル。




