020 閑話 その錬金術師は己の真価を発揮する
今回は今までで一番長いです。
「――ネメア様!我々の話をどうか聞いて下さい!」
「はい。どうしました?」
斥候からの報告を聞いてる最中、そう言って声を上げて駆け込んで来たのは、我が領の兵を束ねる隊長その人でした。
濃い茶色の髪と瞳。夫が腕を見込んで連れてきた彼は、南国の出らしくて浅が黒く、日に焼けていていつも精悍な顔をキリリと引き締めています。
そんな彼の顔が、何時も以上に何だか輝いていますが――確か今日は非番だと言っていた気がするのですが、もしかしてまた勝手に出勤していらっしゃいません?我が領はそんなブラックな環境ではありませんのよ?程々にして下さいませ。
それを告げようと口を開くと、
「申し上げます!我が領に、土魔法の使い手が現れました!希望です!これは希望ですよ!」
遮るようにして彼がそう口を開き、しかも「言ってやった!」とでも言いたげにドヤ顔しました。ちょっと鬱陶しいです。
しかも、何とも理解し難い事を言いに来ましたね。なんでしょうか?それは重要な事なのでしょうか?
そう思って周囲を見渡してみれば、彼だけでなく、報告に来ていたはずの斥候と護衛の兵達が、何事かさざめき始めました。
――どうやら私には分からない話のようです。
「土魔法の使い手か――。」
「我が国の者には確か居ないな。どこから流れてきたんだ?」
「それは今はいいだろう。とにかく、協力を仰げば時間が稼げるはずだ。」
「そうだな。問題は、幾ら金を積めばいいかという事だが。」
「???」
なんですか?土魔法の使い手でしたか?しかも金を積むとは、雇い入れるという意味でしょうか?
魔法使いは皆貴族の出です。王族もお使いになられますが、少なくとも金では動いてくれはしないでしょう。何より、事前の連絡も無く訪れる等有り得ません。ですので、あって下級貴族の出ですわね。
ですが、それが一体どうしたというのです??
「土魔法の使い手ですよ、ネメア様!土 魔 法!」
「はぁ。」
隊長は目をギラギラとさせた様子で、重要だとでも言いたげに、続けて口を開きます。ですが、私には全く要領の得ない話で、思わず首を傾げてしまいました。
そこに、説明が足りなかったのかと、彼は「ああ」と呟くと、ようやく理解したようです。私に、幾分落ち着いた様子で――しかし、早口でまくし立てていきます。普段の落ち着いた言動とは雲泥の差がありました。ビックリですわ。
「ゴーレムです。クレイ・ゴーレムですよ、ネメア様。あれで現在の外壁の周囲に、新たな塀を築いてもらうのです。そうすれば、逃げ込んできた開拓民を囲えます!」
「はぁ。」
彼の言う開拓村の民。別名、農民達の事ですわね。
彼らが食料を税として収めてくれるから、我が領の兵達は飢える事無く暮らせていました。当然、それは私も同じ事です。
しかし――そんな彼らに、私達は何も返せていません。治安維持といざという時の彼らの安全確保が我々の仕事の一つです。ですが、行方不明となった女性達も、森に入り込んでいったその家族達も、全部――全部が救出する事叶いませんでした。一人として、です。
悔やんでも悔みきれませんわ。民は、私達にとっては大切な存在ですもの。それなのに、その後も増え続ける行方不明者に、為す術もなかったのです……。
その事へ開拓村からの不満は募っている事でしょう。むしろ、何時爆発してもおかしくない状況で、最近ではかなりギスギスした様子だったと聞いています。
そんな彼らが、今現在、最後の救いを求めてこの街に続々と向かって来ている状況にあります。既に、都市の中ではその事が噂として広がってしまっていますし、余裕のある一家は逃げ出して、とうとう商人達さえもが居を移してしまいました。
我が領の未来は、この一年で暗く暗雲が立ち込めてしまっている状況です。
「それで、その塀がどうしたのです?防衛に転じるだけでは、今の状況は大して何も変わりませんわ。時間が多少稼げるだけで、結局はジリ貧ですのよ?」
そのくらい、私にだって分かります。
例え塀の中へ開拓民の全てを押し込め、立て籠もったとしても、その後、食料が尽きて暴動に発展するだけです。それでは彼らを助けた事にはならず、意味もまたありません。
しかし、隊長の話はそれだけでは終わりませんでした。その顔には何かに縋るような――希望の光が宿っているようでした。思わず、私も耳を傾けてしまいます。
「まだ、まだお話は終わっておりません!彼と直接、どうか、どうか明日お会い下さいませ――そして、その目で直にご確認下さい。きっと、お分かりになっていただけるでしょうから。私は今から直接彼との交渉に向かいますので、どうか、ネメア様は万全の体調を整えて、明日、挑んで下さいませ!」
「は、はぁ――分かりましたわ。」
「決して、無礼な立ち居振る舞いはなさってはいけませんよ!?」
「ええ、ええ、分かりましたとも。」
何度も念を押した彼は、「頼みましたよ!」と言って駆け出していきました。その後を数名を兵士達が着いていきます。
「随分と、慌ただしいのですね?」
この時の隊長は、とにかく凄い迫力でした。その迫力に押されて頷いてしまったような私なのですが、後に、最高の協力者を得る事となります。
その人物の名は、ルーク。
ただの、ルークです。
しかしながらも、とてもではなく『只人』だなんて呼べない御方でした。
◇
「――本日はお会いできて光栄です、領主婦人のネメア様。日和も良く、工事作業は捗る事でしょう。私も、微力ながら精一杯お手伝いさせいただきますね。」
黒い艷やかな髪。神秘的な赤紫色の瞳。それはともすれば薔薇色へと変わり、陽の光りの当たり具合で、色合いを変化させます。
白い顔に笑みを浮かべる彼は、初対面で完璧な動作を見せ、伝統ある貴族の挨拶をこなして見せ、そうして仕事に取り組み始めました。
その動作はもう、優雅な――うっとりする程に綺麗なもので、柔らかな微笑みは決して崩れる事なく、常に洗練されたものでした。王都でも、滅多に見ない程の完璧さです。
その流れるように行われた礼に、抑揚をつけて口にされるお言葉。
彼は間違いなく上流階級の人間でしょう。少なくとも、その辺に居るような人間ではなく、下級貴族でもありえません。あれは、格式の高い作法でした。魔導文明と呼ばれた時代のもので、夫でも時折失敗する男性の型ですもの。それを知ってる方が一般人というのもありえませんわ。
(美しい方ですが、声の低さからみても男装の麗人というわけではなさそうですわね。正真正銘、この方は殿方のようですわ。)
身に付けている衣類も男物。下はスカートではなく男物のズボンです。男装するにしてもズボンは女物を履くでしょうし、そうでないという事はやはり殿方です。
ですが、呆けて観察している場合ではありません。
私も、慌てて彼の後を追い、貴族の礼を返します。ええ、完璧な作法の方ですのよ。略式ではありませんとも。
「こちらこそお会いできて光栄ですわ、ルーク様。どうか、我が領の問題、解決出来るよう、本日はお願いいたしますわね?」
「はい。」
これに大して、一度作業の手を止めてまで、しっかりとした礼で返すルーク殿。
洗練されたその動作一つとっても、思わず目が奪われます。彼の名は初めて聞きましたが、もしかすると偽名かもしれませんし、知らなくてもその内情報は入ってくるでしょう。
何せ、
「謹んでお受けいたします、ネメア様。」
こんなに礼儀正しく、そして綺麗な方なのですから!
今では貴族のほとんどがこなせない、古くからある礼儀作法。それを叩き込まれた者が、平民や一般の出だなんて、誰が話を信じるでしょうか?
その上、その容姿はとても人目を引きます。引き過ぎます。今じゃ、門の近くをウロウロとする若い娘さんがいっぱいです。まだこんなに我が領に残ってくれていたのかと、ちょっと嬉しくなりました。
しかし、
「私は本当に一般人ですよ。ただの錬金術師ですからね。」
そう言って片目を瞑り、笑ってみせた彼は、どうやら身分をひけらかすつもりは無いようでした。
そのまま仕事へと戻られる彼に、私は現場監督のドワーフへ後を頼むと、邪魔にならない場所まで戻ってその仕事ぶりを眺めさせてもらいます。
しかし――何とも魅力的な男性ですね。夫を持つ身で惚れるわけではありませんが、それでもドキリとしてしまう程には、その立ち居振る舞いは美しいものです。未婚の女性達がこぞって覗きに来るのも分かる話でしょう。
整った顔立ちは人目を引きます。この辺りでは珍しい艷やかな黒髪ですらそうですのに、神秘的な赤紫色の瞳は知的で、それでいて柔らかな笑みを湛えていて、何とも言えない魅力となっています。
ですが、本人は気付いているのかいないのか、その辺の店で売られているような古着を着て、黙々と作業を行っています。それですら動作が一々優雅過ぎて――洗練しているせいで、周囲から浮いてしまっているのです。身分を偽装するにしても、少しお粗末過ぎますわ。
それをそれとなく知らせてみたりもしましたが、彼は「特に問題は無いでしょう。皆さん、普通に接して下さいますから。」と朗らかにお笑いになられ、お気になさらない。
どうやら周囲の言動は、余りお気になさらないようですわね?お忍びにしても、何時バレても構わないスタンス、という事なのでしょうか?
(もし、そうでしたら、これ以上口を挟むのは失礼に当たりますわ。作業の手を止める事にもなりますし、邪魔をしてしまいますわね。)
なら、私に出来るのは、彼の作業が滞りなく進むように取り計らうだけ。その上で、口を挟むのを取りやめ、門から出てこようとする女性達を兵に命じて追い払っておくように伝えておく事でしょう。
そうして、彼の仕事を眺めてる内に、隊長が私に「万全を整えるように」と言ったその意味を真に理解しました。
女性達を追い払った直後の事です。
気付けば、彼の周囲にはたくさんの土の塊が仁王立ちしていました。思わず、驚きすぎて、しばらく口を開きっぱなしにしてしまった程です。隣からそっと、侍女がその事を教えてくれなければ、ずっとそのままだったかもしれません。
「ゴーレムがこんなにたくさん……あの方は、一体どこの宮廷魔術師でいらっしゃるのかしら?」
ほとんどが失伝したと言い伝えられている魔術ですが、中でもゴーレムの製法については、我が国ではお伽噺の中にしかありません。それは、かつて魔導文明と呼ばれた時代に大半の国で逸失した技術です。
遠く離れた小国には未だ残るそうですが、それでも我が国には伝わってはこない技術でしょう。
故に、こればかりはどう誤魔化しても誤魔化しようがないのです。彼には身分は元より、何も隠すつもりは無いのだと言う事で――下手をすると、どこかの王族という線すら有り得るのかもしれません。
(なんて、素晴らしいの。)
ですが、その時にはもう、私の意識は別のところへと向いてしまっていました。
鮮やかな光を一瞬だけ発した魔術陣。そこから周囲の土が見る見る数箇所へと集まって盛り上がり、人の形を作ります。その作られた人型は、彼の指示に従って歩き出し、そして別の場所で崩れ落ちます。
それが何度も行われますが、一度に十体以上が彼に付き従うのです。正直、驚愕過ぎて口がまた開きっぱなしになりましたわ。
これだけでも、一緒に現場に居た我が領きっての生産職、ドワーフの方々を驚かせて熱狂させるだけのものがありました。勿論、私も知らず知らず、心が高揚いたしておりましたともっ。
何という力。何という御業。そして、どれだけ彼は尊いお方なのでしょうか!?
「「おおおおおおおおおおおお!」」
ドワーフの方達が歓声を上げ、しきりに「大魔法使い」と褒め称えます。
しかし、それに一々「違う」と返すルーク殿は、謙遜なのか魔術師である事が誇りなのか、その場で逐一指摘していました。
「魔法使いではなく、魔術が使える錬金術師です。そこはお間違えないようお願いします。私は戦闘職ではなく、みなさんと同じ生産職ですからね。」
「俺達と同じと言うのか!」
「こりゃいい!俺らも負けてられんな!」
「よし、お前ら!生産職の意地ってもんを見せてやるぞ!」
「「おおおお!」
どうやら意気投合したようで、皆さんキビキビと仕事に取り組まれます。最初の方は猜疑的でしたが、今じゃそんな様子は微塵もありませんわね。
――ですが、どこの世界に、戦争の盤上をひっくり返せる程の数のゴーレムを扱う魔法使いを生産職だなんて思う人がいるでしょうか?少なくとも、この場では居ないでしょう。居ないと思います、ええ。
その上、夕暮れ時迫る頃に塀が出来上がると、今度は彼は轟音と火柱が立つ炎の球を生み出して見せ、それによって掘り出された土を焼いて固めてしまいました。ほとんど一瞬です。一瞬の事です。
その時の圧倒的な熱量と炎。驚きました。驚きましたとも。
――ですが、どこの世界にそんな大火炎を生み出す人間を生産職だなんて思うのでしょう?その魔法一つで、人間なんて塵一つ残さず焼き尽くされますわ。
勿論、この場の者は彼を「土と火の大魔法使い」と褒め称えました。そして最初の時のようなやり取りを繰り返します。
コントですか?それは、コントなのですか?
ですが、知らず知らずの内に、私も彼に期待を寄せていたようです。なぜなら、
「実は、少しお話があるんですがよろしいでしょうか――?」
「はいっ。」
私は何を聞くまでも無く、即答で返事を返していたのですから。
たった一日です。
その、たった一日で、彼は私達の信頼を勝ち得ました。
都市を囲う新たな塀を増設し終え、しかもそれをほとんど一人で成し得る――そんな大魔法使いの彼、ルーク様が、そう言って私との会談を望んで来たのですから、当然でしょう。
断る?ありえませんわ。むしろ、喜んでお受けいたしますとも!
「では、こちらにお越し下さいませ。ささやかながら歓待の席を設けさせていただきますわ。」
急いで兵の一人に城へと知らせをもたせて走らせ、歓待の準備を整えさせます。今日は、なんて素晴らしい日なんでしょう!
◇
道中の移動はゆっくり、当たり障りの無い話を選んでお話しつつ、出来るだけ友好的に見えるよう、全力を持って当たらせていただきました。
きっと、お気に召して下さったのでしょう。彼は出された料理にも舌鼓を打ち、始終にこやかな笑みを浮かべておりました。
ドワーフや兵とは気さくな言葉を交わすのも見ていたので、口説けた口調も知っています。ですが、交渉ごとの上では決して崩さない彼は、まさに貴族の見本のような人です。
「お話というのは、他でもありません。草原にあった魔物の集落についてです。実は――。」
草原の魔物に関しては、とても頭の痛い問題でした。
あの魔物たちが居座ってからというものの、民の不安と不満は日増しに増していくだけです。しかも、それに大して現状では何の手も打てません。
それに、彼は言及してきました。
しかし、それは追及ではなく――手を組まないかというもの。
一も二もなく私は飛びついていましたとも!はしたない?そんな事を考える余裕すらありませんでしたわ!
何せ、それは私のみならず、兵も民も困っていた事なのです。それを多少の準備金で請け負ってくれるというのですから、そこに飛びつかないわけは無いでしょう!?
「どうか、どうかお願いいたします。」
安すぎる依頼料。本当なら有り得ませんわね、これは。
その事に気付いて、からかわれているのかと一瞬思考が過ります。
「我が領を、民を、我々をどうかお救い下さい。」
それでも、祈るようにそう頼み込めば、苦笑いで返される。
ああどうか、前言を撤回しないで下さいませ。我々にはもう、後が無いのです。
「大げさですよ――ですが、しかと引き受けました。どうか、ネメア様は大船に乗った気分でいらして下さい。私が必ず、草原の魔物を排除して見せましょう。」
「は、はい!ルーク様。」
きっと、彼ならばゴーレムの軍勢で容易く踏み潰せる事でしょう。あの炎の魔法でも、まとめて焼き払うくらいはやってのけれるでしょうから、何も心配はいりません。
その後の細かい調整や準備に、一日を費やしました。そうして、草原へと皆して向かいます。
「あれが、ゴブリン――。」
遠く見える、緑色をした人型の生物。
そんな者達が作った集落は、森の木々を切り倒し、枝を尖らせ、周囲に築いたバリケードで見るからに物々しい雰囲気です。
「では、行って参ります。」
そこへ向かうのは、ルーク様ただ一人。
我々は、攻撃に巻き込まれない距離を保って、その場に留まります。
しかし、彼の力はどうやらまだまだ序の口だったのだと――その直後に、私達は知る事となるのでした。




