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199 解答

「――っ!」


 ぞわりと湧き上がる恐怖心。それと共に強い嫌悪感が拒絶心を伴って思考を塗り潰していき、体が強ばる。

 そこに、


「【静心】。」


 ぽつりと呟かれた声が、魔力を伴って心へと染み入って来た。

 暖かな魔力だ。それが全身にじわりと広がりつつも、一気に跳ね上がっていた鼓動を落ち着かせていき、ついでに呼吸がしやすくなって深く呼吸を繰り返す。

 じっとりと汗ばんだ体が気持ち悪いが、冷や汗によるものだろうか。落ち着いてみれば、そこまで気にかかるものでもなく、他へと意識が向いた。


「――あれ?」


 そうして、気付けば脳内で鳴り響いていた警鐘も消え失せてしまっていて、残ったのは凪いだ海のような、そんな静けさだけだった。

 その事へ、思わず戸惑う。


「何だ、これ?確か、前にもあったような――。」


 そんな風を思っていると、


「三度目だが、落ち着くか。やはり、お前は生者に近いな。」


 聞こえてきた声にハッとして、視線を向ける。

 しかし、先程までの恐怖心は全く無く、以前にも何かをしてもらっていたなと思い出した。

 ただ、


「――どういう意味だ?」


 言われた言葉は理解不能だ。

 少なくとも、疑問や懸念が残る言い方である。

 そうして問うと、


「そのままの意味だ。」


 眼の前に要る存在から答えにならない答えを返されてしまった。

 相手は、かつては師であった人物だ。名はレクツィッツといい、決して本名は口にしない為に、出自も何もかもが不明の魔導師である。

 それでも最高峰である魔導師の彼は、生前から高い評価を得ていた。仮死の魔術陣を多用してまで、滅亡したと思われるこの国への貢献も行ってきており、今では賢者として讃えられ、本が出版されるにまで至っている程の存在だ。

 だがしかし、弟子であるはずの俺やクドラク、それに他の兄弟子達までもを実験台にしてくれており、マッドサイエンティストの面も合わせ持っている。

 そんな相手が口にした言葉。生者に近いというのは、一体どういう意味だろうか。


「俺は近いんじゃなくて、生者そのものだろ?死んでもいないし記憶も抜け落ちていなかった。ちゃんと、母の遺骨の場所は思い出してるぞ。」


 そう告げて見せると、


「ほう――それは僥倖。ならば、お前は違うケースという事になるな。良いデータとなった。」


 そう言って、かつて師だった存在が手元の手記へ何かを書き記していく。

 それを見て、俺は思わずげんなりとしつつも突っ込みを入れいていた。

 こんな状況でも、研究一筋かよ、この人は――っ。


「ちょ、ちょっと――それは無いんじゃないか?なぁ?」


 そんな俺の言葉にも、我関せずとばかりに何かをチェックしていく師匠であったアンデッド。

 生前からマイペースな人だったが、アンデッド化している今はもっと酷い。こっちの話を聞く様子も無いのだ。


「だからさ、違うケースも何も、俺はちゃんと生きてるだろ?こうしてさ――ちょっとばかり、童顔なのか若々しいけども。」


 そう言ってこっちに注意を向けようとしていると、ようやく功を奏したのか、此方に赤く灯る眼窩を向けてくる黒い骨。

 見た目完全に不気味でしかないんだが、それでも不思議とかつての師だった頃の癖とかが見えて、何とも言えない気分になる。


「ふむ、お前が生きていると思うのなら、生きているのだろうな。」


 しかし、ようやく此方に向いたかと思えば、そう言ってまた沈黙。

 ――呼び出しは何だったんだという話だ。


「水掛け論じゃないんだからさ、きちんと話を聞いてくれよ――。」


 別に、三十路近くまで髭が生えない男だって居ないわけじゃないのだ。体毛の濃さは個人差の範疇である。

 顔が青年のままで変わっていない気がするのだって、母親を思い出してみれば死の間際まで少女のように若かったのだし、その母に似た俺だって童顔の部類である。つまりは、若く見えてもおかしくはないって話だった。

 それらに気付いてからというものの、半アンデッドというのがそもそもおかしいんじゃないかという結論が出せたし、母の遺骨の場所も思い出してみれば、師匠の言葉には矛盾も見えてきたのだ。

 そんな俺の答えに対して、何処か満足そうにして見せるクドラクが、確りと頷いて見せた。


「流石ルーちゃんねぇ。脳筋のフランク兄さんとは違うわ。」


 しかし、その口から飛び出して来たのは同意出来ない。決してだ。

 何せ、


「鍛冶馬鹿のあの人と比べるのはやめてくれよ――試し切りと称して、何時も魔物狩りに飛び出して行ったまま数日は行方不明になるような、そんな脳みそまで筋肉が詰まってる人じゃないか。」


 フランクという錬金術師は、火と土の気が強かったせいか、とにかく頑固者で仕事一筋の真面目人間だった。

 その真面目人間が何に拘ったかというと、作った魔剣や魔斧の性能である。

 その性能を試す為に、何日も掛けて魔物の試し切りを行い、その切れ味や耐久性を見るだけでなく、使い勝手に至るまで只管に鍛冶と魔物討伐に打ち込んでいた。

 それを指摘すると、


「否定はしないわぁ。だからこそ、ルーちゃんとは違うのよねぇ。」


 そうしみじみと呟いて、何処かあらぬ方向を見て微笑むクドラク。

 それに、俺は突っ込みを再度入れていた。


「だから、比べる前提がおかしいだろうがっ。何があろうと鍛冶に打ち込めればそれで良いって考えが、フランク兄さんだったんだから!」

「そうねぇ。そうよねぇ。それがあの人よねぇ。」


 そんな掛け合いをしている俺達の側で、


「ふむ。仲が良いのは今も昔も変わらぬか。とすると、儂の記憶の方が抜け落ちていたか――?」


 そう言って、真っ黒なスケルトンのような姿の――おそらくはリッチと呼ばれるアンデッドに転じたのだろう師匠が、その首をカタリと傾げて見せる。

 その様子に、此方へも思わず突っ込みを入れてしまっていた。


「おいおい――幾ら物理的に頭が空っぽでも、魔導師だった師匠がそれはヤバイだろ。」

「ふむ。それもそうであるな。」


 と、そこに、


「お師匠様ボケたのー?ボケちゃったのー?」


 追随するようにして、クドラクも口を挟んで楽しげに笑って見せた。

 それにも「やはり記憶の保管は必須だな」とか何とか言いつつ、首を傾げたままでいる師匠。

 ――どこか痴呆症を発症した老人のような反応だ。何となく、居たたまれない気持ちになってくる。先程までの怯えが馬鹿らしくなるくらいだった。

 

「クドラクではないのだが、多少記憶が曖昧である点は否定出来んな。仮死の魔術陣を何度も多用しておるし、まぁ抜け落ちも少なくは無かろう。」

「――マジかよ、それ。」

「マジよマジ。大マジ。」


 驚いて絶句する俺とは違って、クドラクはどうやら知っていたらしい。俺の言葉へと肯定の言葉を返して来た。

 そうして、生前そうであったように、骨だけとなった師匠の背後から抱きついては、からかいだした。


「それじゃぁ、介護が必要かしらぁ?今なら女医でも看護婦でも好きな格好でお世話するわよぉ?」


 これに、


「いらん。」


 と一言、にべもなく告げる師匠。

 それでもめげずに、クドラクはしつこく師であった――いや、アンデッド化した師匠へと絡んでいった。


「じゃぁセーラー服とか?いっそ、バニーガールがいいかしらぁ?水着もいいわよねぇ。今ならつるぺたのままだし、スクール水着って手もあるわよぅ?」

「もっといらん。」


 どれも男のそんな姿は見たく無いんだが、それは師匠も同様らしく、生前でもそうだったように速攻で却下している。

 それでも何が楽しいのか、昔のコスプレ集とかいう物に載っていた衣装の数々を上げては、クドラクは全て却下され続けていた。

 その様子を見て、俺は呆れたままに周囲を見る。


(――何だかなぁ。アンデッドの群れの中に居るのに、緊張感が持続しないというか、身の危険を感じられないというか。)


 良い事なのだろうが、何かが違う。

 何せ、此処はアンデッドの楽園。周囲に居るのはスケルトンとリビング・アーマー、そしてゴースト系である。

 中には唯のゴーストではなく、悪霊とか地縛霊とかの類もいるようだが、その多くがどういうわけか人畜無害。

 その事を段々実感してきて気の抜けたところへと、師から思いもかけなかった言葉が投げられて来た。


「クドラクはともかくだ。ルークよ、お前の場合は一度死んでおるし、それで耐性がついていたのやもしれぬぞ。」

「――は?」


 いきなりの発言に、思わず思考が停止する。

 一度、死んでる?

 誰が?

 ――まさか、俺がか!?


「何だよそれ!?」


 そうして声を荒げると、


「やはり、気付いてはおらんかったか。お前は一度、火に包まれて命を落としておる。間違いなくな。」

「え――。」


 思わず絶句して固まる。

 師匠が告げて来た言葉は、それこそ仮死の魔術陣で言われた言葉の比じゃない。

 故に、


「一度死んで、でもこうして生きてるだって?なんなんだよそれ!?復活の魔術は当時まだ研究中だっただろ!?」


 絶叫してしまっていた。

 そこに、クドラクから肯定の言葉が飛び出して来る。

 思わず混乱して、頭を抱え込んでしまった。


「ルーちゃんでも流石に死んだのは覚えてはいないわよねぇ――一応、私が一度看取ったのよ?でも、その後に復活に成功しているの。だから、一度死んで蘇ってるのよねぇ。」

「なん、だよ、それ……。」

「これは事実よぅ?」


 火に包まれてって事は、同期に焼かれた時の話だ。

 だが、それがまさか、死にかけたんじゃなくて、実際に一度死んでから復活させられていたなんて――。


「じゃぁ、俺は本当に、一度死んでから蘇ってるのか?」

「後にも先にも、成功したのはお前だけだがな。」

「良かったじゃない、あの時死んでしまわなくて。」

「……。」


 何も返せない。

 まさか、既に一度死んでいたなんて、そんな事思っても見なかった。


(でも、それなら死者蘇生の方法事態はあるって事なのか――?)


 それなら朗報だ。


 メルシーを生き返らせられるかもしれない。


 だがしかし、


「後にも先にも、成功したのはその一度きりだ。少なくとも、死んですぐでなければ、成功はしないと見て良かろう。」

「私が慌ててお師匠様呼んだのよぅ。つまり、私のおかげねぇ。」


 そう言って、此方を伺うクドラクにも何も返せない。


゛死んですぐでなければ、成功はしない”


 その言葉だけが、頭の中でグルグル回る状態だ。

 正直、反応を返せるだけの余裕も何もあったものじゃない。下手をしなくても、望みが絶たれている!


(聖水を作るのに何時間掛かった?少なく見積もっても二時間――いや、三時間は掛かっているか?)


 その後、氷の棺に入れて此処まで移動してきている。それから【凍結】で冷凍したが――時間は、足りるのだろうか?

 そんな不安を抱きつつも、思い切って尋ねた俺に、


「ルークよ。我がかつての弟子よ。」


 師の言葉が、重く響いてくる。

 当然と言うべきか、直後に突きつけられてきたのは、予想通りの言葉でしかなかった。


「時間的に見ても、蘇生の可能性は限りなく零に近い。そこに加えて、冷凍した事による肉体の損傷、並びに聖水による脳の伝達阻害。いずれもが致命的であろう。蘇ったとしても――良くて短命か、植物人間である脳死状態は免れぬ。」


 それに、


「やはり、無理、ですか――?」


 縋り付くように、思わず言葉を口にしてしまっていた。

 だが、現実は無情。どう足掻いても、師の言葉は覆らなかった。


「不可能とは言わぬが、限りなく零に近いのは間違い無い。そして、その状態で蘇ったとしても――余計に苦しめるだけであるのは、お前ならば分かるであろう?」

「っ。」


 確かにそうだ。

 蘇ってもすぐに死を迎えるしかないなんて、そんなのは辛すぎる。それを見ているしかない方も――切なくて我慢ならないだろう。


(冷凍せずに、すぐに師匠に聞いていれば――いや、聖水を使わずに、アンデッドのままに連れてくれば――。)


 まだ、マシな確率になったかもしれないのにっ。


(やった事が、全部裏目に出るなんて――っ。)


 最低だ。

 本当にもう、どうしようもなく最低だった。


(俺の――全部俺のせいだ。)


 双子達と一緒に、領主婦人に預ければ良かったのだろう、きっと。

 あるいは開拓村という手もあった。あそこにはもう、メルシーを傷付ける親子は居ないのだから、居心地だって悪くは無かったはずである。

 もしくは、貿易都市よりも先に家に向かっていれば、殺されるより早く間に合ったかもしれない。


「クソ――っ。」


 その事を悔やむ俺に、しかし、話は終わっていないとばかりに、声がかかってきた。


「ルークよ。我が弟子よ。」


 未だ後悔に囚われている俺へと口を開くのは、師匠だ。

 それに顔を上げてみせると、


「唯一勇者と相対して生き延びる事が出来、地上の情報を持つ者よ。」

「――何だ?」


 随分と勿体付けるようにして言われて、思わず訝しんでいた。

 しかし、思いもよらなかった言葉が師から続けられて、思わず呆ける。

 正直、何で?と思うくらいの衝撃的な言葉だった。


「そいつを討て。今のお前ならば、勇者であろうとも、間違いなく討てるようになる。」

「――は?」


 言っている意味が、全く理解出来ない。

 勇者を討つだって?師匠でもクドラクでもなくて、この俺がか?

 思わず否定の言葉を上げる。


「いやいや、無理だろ!?俺は既に耐性を付けさせてしまった後だぞ!?それに、戦闘センスは皆無だって、師匠も言ってたじゃないか!」


 俺の戦闘センスはともかくとして、勇者の厄介な点は、この『耐性』にあると言っても過言ではないだろう。

 如何に力が強く、攻撃力が高い存在であろうとも、攻撃が通る限りは倒す見込みが付けられる。

 だがしかし――逆に掠り傷一つも付けられないのならば、倒す事はおろか撤退させる事すらまず不可能になりかねないのだ。

 その状況を俺は作ってしまった後である。それも、得意としている冷気に対する『耐性』という形で。

 この為に「何を馬鹿な」と口にするも、師匠はそれを撤回しようとはしない。

 ただ、中々浸透してこない言葉を否定したまま俺が呆けていると、爆弾発言は未だ終わりではなかったらしく、むしろまだまだ序の口である事を俺は遅れて知る事となっていた。


「此処は、お前の為に存在していると言っても過言ではない――。」


 そう言った師匠から続けられた言葉の数々。

 それに対して、遅れて出た俺の声が、死者達の楽園へと大きく響き渡っていった。


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