197 閑話 混乱
「彼を返してくれ――。」
懇願するように、切々と訴えるは一人の男性。
死者達の住処へと連れ込まれ、幾度となく気を失うも、非戦闘員の中では真っ先に立ち直った人物である。
最も、彼の妻は未だに慣れる様子は無くて、アンデッドが現れる度に気絶しているが。
「――そう言われてもねぇ。」
そんな男性に対して口を開くのは、美しき若者だった。
美人と呼ぶに相応しい――だがしかし、男性である。幾ら美しくとも野郎は野郎でしかなく、声は中性的でもなく男の声だ。
そんな彼が悩ましげな溜息を零しつつ、チラリと天井付近に空いている穴へと視線を向けてみせた。
おそらくは、その先に居る人物を思っての事であろう。だがしかし、その意図は全く相手に通じる様子は無く、怪訝そうに返されるだけに終わる。
「――何処かの御婦人と同じく、閉じ籠もって出てきてくれないのよぅ。」
そう言って、言外に「自分のせいではない」と告げつつも、そっと目を伏せる美人。だが、やはり男性である。
一応は、彼自身も思い悩んだ道へと、弟弟子が足を踏み入れた事に何も思わないわけではない。返せと言われた弟弟子も、今頃は惑っている事だろうと、内心では理解もしていたのだから。
しかしながらも、彼は寄り添うような事はしない。自身で答えを見つけない限りは、決して口出し出来ないものである事を重々理解している為に、現状はただ放置するしかなかったのである。
何も知らぬままに仮死の魔術陣を使い、今頃は悩み傷付いてるだろう事へ、少しばかり心配しているだけ。
その為に口を閉ざした彼だったが、
「何故だ?何故、彼は閉じ籠もる?」
何も知らない先の男が、しきりに尋ねてきて、彼は呆れた視線を向けた。
当人に聞こえてるかもしれない状況で、気付かずに話すのだから、正直どうしたものかと悩むところなのだろう。
そのままに答えをはぐらかすように、思案げに片手を頬に添える。
「さぁねぇ――。」
そう呟いて、長く息を吐き出す様子は何処か妖艶だった。
憂いを帯びた表情に、真っ白な肌。その中で目立つのは、赤く色付いた唇と、瞳に妖しく灯る赤い光――。
その光と、赤い瞳が無ければ、それこそ美女と間違える姿だろう。
しかしながらも、やはり男性である。
当然、ただ知人を案ずる先の男には、その美貌は通用するはずも無く――ただひたすらに「何故」を連呼されてしまい、彼は再び溜息を吐き出した。
「今はちょっと無理かしらね――。その内出てくるようになるから、もうしばらく、そこでお待ちなさいな。」
そう言って、踵を返す。
そんな彼に、残された方は追い縋るようにして声を発していた。
「な!?ま、待ってくれ!」
現れた時とは違い、一瞬で消え失せる麗人の姿。
それに対して発した声はただ虚しく響くだけで――徒労に終わってしまった。
薄暗い中で、残された男の声が木霊する。
「頼む――待ってくれ!彼を返してくれ!ルーク殿は、彼は未だ『そちら側では無い』のであろう!?」
そう必死に叫ぶ男性――サイモンだが、答える声は何時までも無く。
ただ、沈黙のみが返ってきて、彼の顔に怒りが浮かんでいった。
「クソっ。」
そのまま、震える拳を握り締めると、近くの壁へと勢い良く叩きつけて顔を伏せる。
まるで、どうしようもない程の焦燥を抱いてしまい、我慢ならないのだと言いたげだ。
彼は手の痛みに頓着する様子も無く、先程消えたように姿を隠した男――吸血鬼クドラクの居た虚空を睨めつけて一つ深呼吸し、冷静になろうと努める。
此処は、死者の楽園だ。
死者の都と呼ぶに相応しい場所で、アンデッドが数多く犇めいている。
そこへと連れ込まれて、一体何日が経過したのか、彼には定かではない。地上とは違って、時間の経過等すぐに狂ってしまうのだから、当然だろう。
その中で、未だ安否が不明な者の身を案じて止まないのは、単に不安だからか。それとも――この状況から脱する切り札足り得ると、思っているからだろうか。
「この穴が、一体何だと言うのだ!」
憤る彼は知らない。
その穴こそ、彼が気遣う相手――ルークの居る先に繋がっている事を。
この為に、ヒントとなるものを提示されていたとも気付かず、ただ足音も高く元の場所へ戻ると、ドカリと腰を下ろして見せた。
そこに、
「――その様子だと、駄目だったみたいですね?」
部屋の隅で毛布を被り、背中を丸めていた女性が顔を覗かせてきた。
テーブルや椅子はあるが、全てが石造り。クッションなんてものもなく、寝台も石である為に、誰もが過ごし難いと感じている環境だ。
そんな場所では、普段なら決して過ごす事もない女性が、男物の格好のままに尋ねて、疲れた様子で息を吐き出した。
「ああ――。」
「そう、ですか……。」
女性の目の下には色濃くて隈が出来上がっている。頬も痩けて見るからにげっそりとしていた。髪は乱れていて、全く手入れもされていない。
この為にか、かつての美しさは翳りを見せており、痛ましい姿となっていた。
「ネメア――。」
そんな妻の様子に、夫であるサイモンは心を痛める。
領地を失ってからというものの、その責に苛まされ続けていた彼女。その挙げ句にアンデッドの中に放り込まれてしまい、寝ても覚めても気が休まる暇が無い状況にある。
これで何も思わない方が、夫としてはどうかしている事だろう。気遣うように、サイモンは妻へと声を掛けていた。
「身体の調子は良いのか?食事も余り取れていないのだろう?」
これに、
「大丈夫です――何より、貴方が託してくれた殿下がおります故、みっともない姿は晒せませんわ。」
「そうか。」
呟いた彼女が、ほんの微かな笑みを浮かべて見せる。
その腕には、確かに赤子を抱いており、慣れないながらもその世話をしていた。
「陛下に――兄上に良く似ている。」
赤子は、薄い金髪よりも尚色薄く、最早白にしか見えない程の色無き髪色だ。しかし、瞳は新緑を思わせる明るい緑色で、王と同じ色をしている。
そんな赤子を見つめるサイモンの表情は幾分柔らかい。与えられたミルクを飲みながらも、何処か眠たそうにして目を細めているのを愛おしそうに見つめていた。
赤子は、王の血を引く唯一の子だ。
名をネーヒストと言い、遥か昔にあったとされる国の言葉で『未来』を意味する。
第一王子である事から、元公爵家に命を狙われる事は確実だった為に、先の人生が長くあるようにと願いを籠めて付けられた名である。名付けにはサイモンも携わり、様々な文献を引っくり返したものである。
その赤子を抱くネメアに、まるで親子のように親愛を見せる二人だったが、そこに子供特有の甲高い声が掛かってきてハッと我に返った。
「ねぇねぇ、眠そうだし、ゲップを出させたらもう寝かしちゃいなよ。ミルクはまた温めて貰えば良いんだしさ。」
「あ、そ、そうだな。そうして差し上げなさい。」
「は、はい。」
アタフタと動き出す二人。
ミルクを飲ませた後の対応を指示しているのは、ペンギンの着ぐるみを着ている見た目幼児の聖獣、リルクルだ。
彼女とは違う赤子を背中に背負いつつ、彼もまた赤ん坊をあやしている。今は人型を取っているが、本来は獣形態である彼は、起きる度にこの姿を取ってから姿を見せており、今もまた人型である。
その彼が、
「ついでに、お姉さんも一緒に添い寝してやるといいよ。あんまり眠れて無いんでしょ?」
そう言って、下からネメアを覗き込んだ。
その言葉を受けて、ネメアも少し考えてる様子を見せる。
「そうね――そうしましょうか。いざという時に、足手ま纏いにはなりたくありませんし――。」
既に散々迷惑を掛けている自覚がある彼女である。
見るからに憔悴していたが、ネメアがそう口にした事で、男二人は内心でホッとする。
奥の部屋へと引っ込んで行ったのを眺め、完全に姿が見えなくなったところで、取り残されたサイモンが実際にそっと溜息を吐き出した。
「何とかせねばならぬなぁ――。」
現状は、彼にとっては余り宜しくない。
ルーク以外の生者が集められた部屋は、大きい広間のような場所が一つに、出入り口と複数の袋小路となった小部屋で形成されているのだ。逃亡するにも、唯一の出入り口には、常にアンデッドが屯している。
しかも、ただ屯しているだけなら良かったのだが、時折覗き込んできたり、入り込んでくる為に誰も彼もがパニックになってしまったのだ。
その中でも特に黒い骨のアンデッドの登場には、誰もが恐慌を来して逃げ惑う羽目になった。幸いながら危害を加えられた形跡は誰にも無いようだったが、それも何時まで続くかも分からない。
不安ばかりが渦巻き、全員の認識は生きて脱出する事へと全力で傾いていた。
「せめて、安全だけでも確保出来たら良いのだが――。」
そう呟くサイモンは、この地のアンデッドの系統をある程度把握している。不幸中の幸いだったが。
同じアンデッドでも、スケルトンやリビング・アーマー系統はまだ対処も考える事が可能で、いざという時は全力で戦えば倒せないでもないと判断されている。
だがしかし――壁だろうと天井だろうと床だろうと関係なく、全てをすり抜けてくるゴースト系には、誰も対処が出来ないのだ。
少し前にも複数体が床から天井へと流れて行き、揃って絶叫した程である。
この為にしばらくは姿を見せないだろうと、睡眠を取りに向かったネメアを見ながらも、サイモンはリルクルへと尋ねていた。
「ルーク殿は、やはり尋ねに来ては居ないか?」
これに返ってきたのは、首を左右に振る、否定。
つまりは、来ていないという事である。
既に何度か寝て起きて、食事も両の手では足りない程口にしている。
それでも姿を見せない事に、落胆の色を隠せないままに、サイモンは肩を落とした。
「そうか――。」
一応は途中まで全員が一緒だったのだ。
ただその中で、ルーク一人が途中ではぐれている状態にあり――誰も、彼の姿を見ていなかった。
だがしかし、別に逃げたのではない。
ただ、彼の知り合いがこの地に居て、そちらに呼ばれているから引き離されただけらしく「その内に」という言葉ばかりで引き伸ばされている状況なだけだ。
だが此処は、大量のアンデッドが犇めくのが場所である。そこに知り合いが居る等――どう考えても相手はアンデッドであるとしか思えず、誰もが彼の安否を気遣っていた。
そんな中で、部屋の外の様子を伺おうとしたところに、先程の吸血鬼、クドラクを見つけてあの話となったのが、決死の覚悟で向かってみたものの、収穫は零に等しく、現状は予想の範疇を出ないでいる。
一応は、口頭で無事であるらしいと分かっただけでも良しとすべしか、それとも状況が緊迫していると判断して、助ける算段を付けるべきなのか――サイモンには決断も出来ず、ただその顔には不安が浮かんでいた。
「――何にしろ、この目で確かめない事には信用できませんなぁ。」
そんな彼に見かねたのか、アレキサンドラが呟く。彼もまた、この環境にかなり憔悴しており、見るからに痩せてしまっていた。
彼は勇者を王子から引き離す囮として、壊滅する王都から脱出したものの、肉体的、精神的な疲労が色濃く、しばらくは床に臥せっていた程だ。
何せ、王都から貿易都市までの間に見たくもない惨状を見て来たし、更にはこうして巻き込まれてしまっているのだから、心労続きである。
「同意見ですね。間違っても、話を鵜呑みにだけはしない方が良いでしょう――。」
その彼を巻き込むような事態に引き込んだのが、見た目壮年の若者ロドルフだ。
彼としては、この地を目指して、ルークやAランク冒険者の力を借りようという算段だったのだが――ほぼ失敗と言って良い状況にあると言えるだろう。
彼の顔にも疲労が色濃く出ている。だが、こちらはどちらかというと肉体的な疲労が濃く、精神的にはまだ余裕が有りそうだった。
そんな彼が、更に口を開く。
「何時、襲われるかも分からないのだから、安全策は取って然るべきです。」
その彼の横では「うんうん」と頷く、限りなく黒に近い焦げ茶の髪と瞳を持つ少女、サリナの姿があった。
彼女の後ろでは、御者を務めたディアルハーゼンが土砂を運び出していて、痛む腰をゆっくりと叩いている。近くには壁に穴が空いていた。
「ふう――何にしろ、脱出経路の確保は、最優先事項で良いんじゃないですかね?」
ディアルハーゼンに出来る事は、ほとんどない。せいぜいが肉体労働くらいなもので、戦闘も戦略もからっきしだ。
そんな彼を含め、肉体労働に従事するのは男達。それと、唯一土魔法が使えるサリナは、交代で穴を掘って脱出経路を作ろうとしていた。
当人たちはこっそりとだが――実際にはバレバレで、クドラクはそれに気付いて口を挟むかどうしようか迷ってる間に、先程サイモンに詰め寄られて逃げ出してしまった。
何も知らぬは当人達だけで、真相なんてものは実はこんなものである。
それを知らぬままに、彼らは真剣な様子で話し合う。
「来た道を戻ろうにも、誰も覚えきれていないですしなぁ。」
ディアルハーゼンがそう口にして、再び土砂の運び出しを始めた。
彼の言う通りに、地下はとても入り組んでいて、誰も道順を覚え切れていなかったのだ。
この為に、逃げ出そうにも逃げ出せず、一部はパニックになって彼方此方を走り回ったりもしており、その結果、余計なトラウマを作ってしまってもいた。
しかし、それによって、此処が果てしなく広い迷宮である事を知らせる結果になってしまっていた。
この為に穴を掘るのである。地上へと向けて、ひたすらに。
何せ、此処には無数のアンデッドが蠢いているのだから、非戦闘員を抱えつつも正規のルートで地上を目指す等、正気の沙汰ではない。ならば非正規のルートを自分達で掘ればいいじゃないかとなったわけである。
――今いる場所が、地上からどのくらい深いかなんて、彼らには知る由も無かったが。
「さぁ、もうひと踏ん張りしますかなぁ!」
「精が出るな。」
「頑張れー!」
何も知らずに、落ち着きを取り戻せた面々は、壁を削っては地上へ向けた道を作り続け、一見無駄に思える努力をしていた。
幸いながらも、水と食料は提供されるのだ。この為に、時間を掛けてでも戻る道を選べたのだが、それが報われる日は恐らく来ないであろう事を誰も気付かない。
そんな中で、
「さっきの話、俺も同意見なんだけどよー、アイツ、助けに行かなくて良いのか?流石にちょっと放置は不味くね?」
運ばれてきた土砂を押し固めるべくして、赤毛の火魔法使いアルフォードが、ちまちまと炎で土砂を焼いては、それっぽい形へと作り上げてぼやいた。
彼の役目は主にレンガ作りだ。否、レンガもどきの作成だ。
壁を削った先では、土と砂の層の他に、粘土の層にもぶち当たったのである。
この為に、水分の多い粘土の焼き固め作業を任されていた。
その彼の言葉に、レンガもどきを積み上げる役目のサイモンの言葉がかかる。
「助けに行くにしても、どうやってだ?何処に居るのかも定かでは無いのだぞ。闇雲に動けば、以前の二の舞であろう。」
その二の舞で、トラウマを確りと植え付けられたのは、言うまでもなく全員である。
当然、誰もがアンデッドとの遭遇を良しとしない。出来る限りは、遭遇どころか視界の隅にすら入れたくないのが本音だ。それでも、サイモンだけはクドラクに突っかかっていったが。
「うー……、あのゴーレム使いさえ何とかなればなぁ。」
尚、同じトラウマでも、ゴーレムをけしかけられて心理的外傷まで負ったのは、アルフォードだけだった。
故に、愚痴る。
彼は、アンデッドの中でスケルトンならば撃退も可能だったのだから、それを封じ込めるゴーレムには良い感情が無い。
しかし――相手がスケルトンであろうとも、この地下のスケルトンらしき存在は、あくまで撃退まで、である。
それも、黒い骨のスケルトンや半ゴースト半スケルトンような相手には全く歯が立たない。
他のスケルトンも討伐ではなくて逃走させる事が可能なだけなので、結局は数を減らす事すら出来ていなかったし、途中からはゴーレムによる包囲網を敷かれた為に、一人ですら逃げ切れないでいたのだ。
そんな彼の愚痴に、
「無理無理、吸血鬼とか死んでも無理。」
「て言うか、アレ始祖らしいよ?吸血鬼の産みの親だし、絶対無理だって。」
パタパタとトンガリ帽子で新鮮な空気を送りながら、時折魔法でも空気を真新しいものへと変えつつ、双子の魔女が揃って「無理」と言う。
「そうかー?」
「「そうだよ。」」
「――流石に、魔法使いがこれだけ居ても、高位のアンデッドには対抗出来ぬか――。」
魔女であるドロシーとリリィの言葉に、戦力差を考えられずに「ゴーレムさえ」と口走るアルフォード。その様子を見ていたサイモンとアレキサンドラは揃って溜息を吐き出し、ロドルフとサリナは呆れた視線をアルフォードへと向けていた。
仮に、ここにルークが戦力として加わったとしても――おそらくは焼け石に水だろう。だが、それを理解出来ている者は幸か不幸か居なかった。
この為に、彼らはルークとの仲が険悪な事にならずにも済むのだが、これまた知らない。
――尚、度々覗いてくるスケルトンは食事を運んで来るだけだったのだが、それに非戦闘員が悲鳴を上げるのが日課である。
見張り番をしているリビング・アーマーには、現状に焦れて逃走を図ったアルフォードが対応も何も出来ずに押さえつけられて、見た目に反した素早い身のこなしに戦闘員達が戦々恐々としたりもしたのだった。
彼らの穴掘り作業は、今しばらく続く。
主人公引きこもり→他メンバーは脱出を決意するも、度々パニックな回。
それを落ち着かせようとして、余計に混乱させるアンデッド達の図。師匠も乗り込んでくるしで、生前の感覚そのままに来ては「あれー?」と揃って首傾げてたのは裏話です。
ヤバそうに見えて実は――な状況ですが、固定概念に囚われてて未だ気付いていない為に起きた事態なので、この為のタイトルになりました。
2019/01/31 加筆修正を加えました。




