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194 過去

 ――過去。

 忘れたい程の、過去。

 平民向けに読み書きを教えているはずの教会で、神父に叩き出されて詰られる――そんな過去が、おそらく俺の中で一番古い、活動の源だろう。

 でも、同時に忘れ去りたいという思いは、決して消えはしない。

 何故なら、


「――どうせ父親も知れぬ子だ。悪魔と契りを交わしたやもしれん。もしも穢れた存在ならば、神聖な場所へ入れるわけにはいかんからな、立ち去れ。」


 そう言って、閉め出されたからだ。


 どれだけ説明しても、耳を貸さないし何も聞いてはくれない。

 結局は汚らわしい子だと、悪魔の子だと罵られて、閉め出されてしまった。


 冬の、寒い時期だったと思う。

 その事を泣いて母親に告げるくらいには、まだ幼かった――過去の記憶だ。

 そんな記憶が再現され、夢で見るのは、微笑む母の顔。


「では、私とお勉強しましょうか、愛しい子――。」


 そう言った彼女は、故人。

 今は亡き、唯一と言える肉親だ。


「――……。」


 一体、この時何と答えたのかは、覚えていない。

 その為か、自身が発しただろう言葉は、耳には届かなかった。


 だが、母が時間を作ってくれたおかげで、俺は言葉を学べた。

 礼儀作法も、悪意から身を守る術も、魔法や魔術も、全部この時に基本を得たといっても良い。


 しかしながらも、それと同時に幼かった俺に見えて来たのは――劣悪な環境だ。


 それは虐げられ続けて、誰も彼もが敵に回っている世界でしかない最悪で最低なものだった。

 何故?とあの頃はただ疑問に思っていたと思う。

 罵倒されるのが日常茶飯事で、八つ当たりのように暴行を加えられた事も、一度や二度では決して無かったからな。

 それでも、抵抗してはならないと諭され、隠れるようにして過ごす日々。


 正直、理不尽だと思う。


 ただこの一言に尽きるだろう日々だったのだから。

 なにせ、原因は内ではなく外にあるのだ。


 俺が生まれ育った国では、片親というだけで悪し様に言われるような、そんな酷い場所だった。


 それでも、母と二人、暮らせるだけで良かった。

 父親の愛情が薄れるように、贈り物が途絶えてしまっも、まだマシだったのだ。

 ある日母が亡くなる、その日までは――。


「ああ、清々した。」


 場面が切り替わって、口汚く罵る近所の人間が映る。

 噂話や悪態を吐くのは、日中では大体女だ。

 男はその時間、働きに出ている為に見なかったせいで、女性というものを特に嫌いになっていた。

 そんな俺の耳に、更に声が聞こえてくる。


「これでようやく平穏が訪れるねぇ。」

「後は、子供を始末するだけ――。」


 周囲の大人達が口にする言葉に、そっとその場を離れる。

 最初から味方なんていない。

 いない事なんて、とっくに知っていたのだ。

 だから、危険を避けるようにして、人そのものを避けようと――母の遺骨を持って、ただただ国を逃がれた。


 そうして行き着いた先は――魔導王国と呼ばれた国。

 そこで保護されて、しばらくは観察下に置かれて過ごした。

 そんなある日に、


「我が国は実力主義だ。君が頑張れば、その成果に応じて正当な評価が返ってくる。どうせだから、勉学に励むつもりはないか?」


 その言葉に、どうせ裏があるのだろうと思った。

 ただで物事を教えるだって?

 ――奉仕活動をしているはずの聖職者ですら、俺を叩き出したのに有り得ない、と。


(絶対、何か裏があるはずだと思った。だから、利用するだけ利用して、逃げてやるって――。)


 そう思って、でも得られるものは得られるだけ得ておこうと、勉学には励んだ。

 それだけだったのに、


「うむ、良い成績だな。礼儀作法も確りとしているし、彼の国から逃れて来たにしては、君はとても良い子だ。」


 ――片親どころか、一人になっても『良い子』と呼ばれて、狼狽えた記憶がある。

 その後も、他より少し成績が良いだけで、褒められた。

 そうして何時しか――学ぶ事が楽しくなっていたと思う。

 だから、


「進学してみないか。」


 その言葉に、素直に頷いて返せたのだろうか。


(そこで、師匠達と出会ったんだよな――。)


 夢の中で変わらずに微笑むクドラク。

 その瞳の色は茶色で、しかし現実は赤く染まっていて、その違和感に気付いたところで目が覚めた。


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