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177 閑話 その錬金術師が居ない会議

 冒険者支部長視点。


 かつてはこの地を幾度となく救い、勇者さえも討伐したとされる稀代の魔法使いレクツィッツ。

 その誉れにより賢者と呼ばれ、今尚多くの人々によって語り継がれておりますが――まさかその人物がアンデッドになっているかもしれないとは、誰もが夢ならば覚めて欲しいところでしょう。

 それ程には、味方だった英雄が敵となる事態は悪夢以外の何ものでも無いですからな。

 最後の頼みの綱だと思っていた人物も、


「師が暴走しているのなら、それを止めるのは弟子の役目――。」


 そう言って出て行ってしまいました。

 ルーク殿のあの時の表情を、私はおそらく一生忘れる事は出来ますまい。

 引き止める事はおろか、慰めの言葉一つ掛けられませんでした。あの目は――死地に向かう者の眼差しですぞ。


(幾ら救世主と呼ばれてるとは言え、生きて戻れるとは思ってはおりますまい。)


 あの瞳にあったのは絶望。それ以外のなにものでも無く、向かう場所はそれを抱く程の存在が居るという事でしょう。

 何より、相手はアンデッドの可能性が高い。それは生者の敵であり、相容れぬ存在で間違い無い事でしょうから、他を人質に取られているような状況では、死地であろうと一人で向かうしか無かったのでしょうか。

 それも相手は高位のアンデッドかもしれないのですから――その脅威は、他ならぬ彼が分かっているはずです。それ故の、絶望でしょうな。


「一体、どうしたらいいの――。」

「ネメア様!」


 この状況の緊迫さをようやく理解したらしく、領主婦人が頭を抱えてよろめき、ソファーの上へと崩れ落ちました。それに駆け寄り、そっと支えるのは侍女達。

 もしも此処にご領主ご自身がいらっしゃれば、また違ったのでしょう。

 代わりとして残っているのが、名ばかりの『代理』では何とも痛いところですなぁ。


(見捨てる事も視野に入れないとなりませんかねぇ?)


 王都より彼の人が戻られるまでには未だ時間がかかります。

 となれば、此処に居る今の面子で、何とかしないとならない事でしょうが、足を引っ張る権力者は現状では邪魔以外の何ものでもない。

 ――なんとかなる等とは、到底思えませんな。


「今は、我々に出来る事をすべきですな。」


 それでも口ではそう言うしか無いのが、何とも辛いところです。

 最大の切り札であるルーク殿は、おそらく生きては戻っては来れないでしょうし、戦力はなんとも心許無くなってしまっている。

 しかし――最低限時間稼ぎくらいはしてくれるはずです。それすらも無理ならば、最早諦めるしか無いでしょうが、時間は後どれだけありますかね?


 賢者が起した偉業はそれこそ数え切れない程あります。


 北一つを取ってみても、飛来する氷竜を撃退しています。地下で繋がっていた道を封鎖して、彼の地より入り込む魔物共の侵入を堰き止めても見せている。

 一番古い記録を漁ってみても、過去の文明が滅びた後、各地にて大量発生したというアンデッドへの対応をほぼ一人で成し得たとありました。


 一体、そんな人物を止める等、誰に出来ましょうか――?


 幾らルーク殿が彼の偉大な賢者の弟子とはいえ、ほぼ不可能な事でしょう、きっと。

 言葉による対話が可能ならば出来るやもしれませぬが、おそらくはその可能性すら残ってはおりますまい。

 アンデッドというのは、それ程に意思の疎通が困難な相手ですからな。幾ら師弟の関係だったとはいえ、情も何も残ってはいないでしょう、きっと。

 ――やはり、絶望しかありませんか。


「確か、彼が向かうのは無関係な者を巻き込まない為、でしたな。」


 そんな彼の言葉を思い出しつつも、言葉を紡ぎます。

 現状、何が出来て、どのように割り振るべきか。被害を最小限に等といえる次元は、とうに超えていると考えた方がよろしいでしょう。

 最悪、都市丸ごと全部アンデッドの仲間入りでしょうか。嫌な展開ですね。


「え、ええ。しかし、無関係とは一体どこまでを差すのでしょう?」

「さて?」


 この最悪の展開を避けようにも、ルーク殿が語った『無関係』――この範囲が分からなければ、避難も何も難しくなります。

 ひとまずは、考えられる範囲で予想するしかありませんか?

 ――全く、後手後手過ぎますな。もう少し情報が欲しいところですが、それすらも望めそうに無い。

 下手に刺激して、余計なところで災禍を齎しても何の得もありませんし、高位のアンデッドが無駄に情報を残すとも思えません。あったとしても既に消されているのがオチでしょう。


「新しい弟子に少女を二人を引き取っておりますが――あの二人は無関係だそうですし、それを考えますと、この都市も無関係とも取れますか?」


 弟子にしたという二人の少女。見目麗しく若くも愛らしき者達でしたが、その顔は青ざめ、見るからに可哀想になるくらい怯えて縮こまっていました。

 落ち着けるようにと客室へ案内されていきましたが――さて、本当にあの二人も『無関係』に留まるのでしょうか?

 そんな事を思う私へと、


「そうでしょうか?私にはそうは思えません。」

「おや?何を持ってしてそう思われるのです?」


 即座に返ってきた言葉に、意外と言えば意外な反応がありました。


「――何を持ってして、無関係と見るかで変わってくるでしょうから。」

「ふむ。」


 ここに来て、まともな対応ですか。つい先程まで、侍女達に介抱されていたとは思えない復活ぶりですね。

 しかし、お飾りの『代理』から、まともな言葉が飛び出してくるのは本当に意外でした。余りにも意外過ぎて、思わず表情に出てしまった程です。

 かつて平原のゴブリンすら討伐し終えぬままに、いたずらに森へと兵を差し向けて、結果自滅しかかった者としては随分と慎重な言葉でしょう。

 そんな事を思っていた私に、


「あの少女達は他所の者達ですし、この都市とはそもそも関係がありませんもの。それを鑑みれば、最初から切り離して考えるべきではありませんか?」


 そう口にした彼女は、苦い表情を浮かべて見せました。

 どうやら、こちらの表情から読み取ったようですな。侮られていると理解し、しかしそれを責めない辺り、ご自身のかつての行動を顧みるだけの事は出来ますか。頭の回転も悪くは無いようです。

 ――ふむ?


「これはこれは――随分と鋭くていらっしゃるようで。」

「見誤らないで下さいまし。これでも私、夫の代理ですのよ?力不足は常々感じておりますが、それでも努力は致しております。少なくとも、民を無駄に死なせるような事はもうしないつもりですわ。」

「左様でしたか。」


 貴族としての腹芸は、笑みを貼り付けたままに右手で握手を求め、左手では何時でも殺せるように、でしたか。

 殺すは行き過ぎでしょうが、まぁ言葉での殴り合いと探り合いは必須。そして、隙きあらば蹴落とすのも当然の世界。

 そんな世界で生まれ育っている彼女でしたが、森に兵を差し向けた結果、多数の死者を出した無能として知られてしまっています。

 あの頃は右も左も分からず、何の役にも立たない名ばかりの代理とさえ噂されたようですな。それも、ルーク殿のおかげで起死回生となり『お飾り』で済んだようですが。


(そのルーク殿が居なくなると知り、取り乱しましたか?まぁ、今は落ち着いたようですけれども、表面上のものとこれは取っておいた方がよろしいでしょう。)


 少なくとも、纏め役には向きませんな。ここは、私が確りしないとでしょう。

 しかし、領主婦人等という肩書を分不相応に思っておりましたが――ええ、いいでしょう。少しは認識を改めましょうか。


(唯の茶飲み仲間にはしておけませんな。ここは、共同戦線といこうではありませんか。)


 前任が仕出かした不始末は、この間のスライム騒動で帳消しです。故の、対等な関係としましょうぞ。

 こちらも戦力は欲しい所ですしな。多少考えられるだけの頭があるのでしたら、最低限くらいは守れる事でしょう、きっと。

 ――もっとも、主導権は渡しませんがね。

 それでももう少し、踏み込んでお話をしてもよろしいと思えます。


「これは大変失礼致しました、ネメア様。しかし、そうなりますと、アンデッドと化したかつての英雄、賢者レクツィッツ氏の考えを読み取らなければなりますまい。」


 そんな私のこの言葉へと、


「それが出来れば苦労はしません――彼の御仁の聡慧そうけいへは、凡人が幾ら知恵を出しても到底及ばないものでしょうから。」


 そう言って、溜息を吐き出されました。

 重畳、重畳。

 自身の分を知るは最も必要な事。愚かなのは自らを上と考え侮り、足元を掬われる事ですからな。

 相手が例えアンデッドと化しているとしても、かつて賢者と呼ばれていた存在を下に見るなど愚の骨頂ですし、それが無いだけ話もしやすいでしょう。

 これなら、最低限を守れるだけのものはありそうですな。


「然り、然り。しかし、だからといって何もせぬというわけにも参りますまい――時間を稼いでくれるルーク殿の努力を無にしない為にも。」

「そうですわ、やれる事はあるはずです。隊長を呼んで来てもらえるかしら?」

「かしこまりました。」


 どうやら現状で何をすべきか、思考も働くようです。

 執事が命令に従って動き、兵士達の取り纏め役でいらっしゃる隊長がやって来られました。

 いやぁ、この前のスライムの時以来ですなぁ。あれから余り時間も経っていないというのに、どうにもよろしくない事が多いようで、お互い目が気遣うものになります。


「では、凡人の知恵を寄せ集めて見ましょうか――少し位は、何かしら出てくるやもしれませんぞ。」

「そうですね、一先ず、現在の戦力等見直しましょうか。」

「凍結薬もこの際ですから使用する方向で検討しましょう。足止めくらいにはなるはずです。」


 ここに今居る面子で出来る事など、高が知れておりますとも。


 どこの世界に、竜と一対一で対峙出来る存在とやりあえる者がいるでしょうか。


 ましてや、この地を救い、賢者とまで称された賢き者が相手。しかも、魔法使いとして多大な力を持つ存在。

 そんな正真正銘の英雄が敵では、大半の者が尻込みしてしまうでしょうな、きっと。おそらく、戦闘となれば士気も何もあったものではありませんか。

 この為に、


「――では、戦闘は避けるべき、と?」

「ええ、まず間違いなく無駄に終わります――攻めて来られたら、その時は真っ先にお逃げ下さい。実力のある魔法使いが用いる範囲攻撃は、それ程厄介です。」

「ヴァンパイア一体に対して、戦士が百名は犠牲になる計算。最低でもそれが二体に、更に眷属と呼ばれるレッサーヴァンパイアや他のアンデッドも居るでしょうな。相手をするのは余りにも分が悪いですぞ。」

「そんな――。」


 現状で出来る事としては、何があったかを知らせる役目を領主婦人へ担って頂きます。

 これは、隊長と私の決断ですとも。最悪の展開を想定するならば、彼女に少数の護衛を着けて王都を目指して貰うのが良いでしょうからな。

 こういった時、身分というのはとても役に立ちますなぁ。生きた証明ともなりますし、これ以上の信憑性を持つものは早々無いでしょう、きっと。

 故に、貴族であるこの方を生かす事は最優先事項です。その為には、他の者は肉壁でも何でもならざるを得ません。

 いやはや、嫌な役目ですなぁ。


(出来れば、そんな事態が無い事を祈りますが――。)


 そんな事を思いながらも、冒険者組合に居る者達の顔を思い浮かべます。

 スライムによる騒動で、既に一人がその尊い生命を奪われたばかり。これ以上、魔物による被害等見たくはありません。

 それでなくとも、常日頃から魔物と戦っている冒険者達にも被害があるのです。彼らを巻き込んで死に向かう等――支部で長を名乗る者としては、最悪でしかありませんな。

 そんな事を思う中で、新たな者達がこの場へと加わってきました。

 おさげの髪と三つ編みの髪で見分けるしか無い程にそっくりな双子。確か名前は――リリィとドロシーでしたかな?


「「お願いします!」」


 そんな二人が、自分達にも出来る事をと、匿う事を願われているというのに頭を下げに来たのです。

 正直、意外でした。てっきり震えて顔も出せなくなるだろうと思っていたのに、この二人はどうやら立ち直ったようです。更には魔女だというではありませんか。

 意外さも突き抜けると、最早何も思わないものなのですね――。


「魔女、ですか。」

「「はい。」」

「それは心強いです。ですが、しかし――。」


 我々の頭にあるのは、死地へと向かってしまったルーク殿の最後の言葉。

 二人を匿って欲しいと頭を下げてまで願った、彼の思いです。

 それを無下にするなど、一体この場で誰に出来るでしょう?

 それでも、


「手伝わせて下さい!えっと、ヴァンパイアを相手にするのは流石に無理だけど――。」

「ちょっとした魔法なら使えるよ!【突風】でも【竜巻】でも【飛行】でも、風魔法なら何でも使えるから!」


 二人がそう言って、何度も頭を下げて来ます。

 弟子入りしたばかりだというのに、もう師を想いますか。

 敵となりえる相手が、絶望的な強さを誇ると知って尚も――。

 

「材料さえあれば魔法薬だって作れるし、作ってる所を見られないなら幾らでも作るって約束する!」

「だからお願い、手伝わせて下さい!」

「「一緒に行けなかったけど、あの人の力になりたいの!」」


 そう言って頭を下げる二人は、とても良い目をしていらっしゃる。

 ルーク殿は、弟子に恵まれましたなぁ。

 メルシーという少女然り、この魔女の二人然り。良き人材が周囲に集まる傾向にあるようです。Aランクの冒険者達からの評判もとてもよろしい。

 それ故に、失われるのは何とも惜しいですな。どうしようもない事とはいえ――逝かせたくはありませんでした。


「――それでは、こうしましょうか。」


 ルーク殿の思いを無駄にしない為にも、この場は取り仕切らせて頂きましょう。

 勿論、今後を取り仕切るのも私ですぞ。領主婦人ではやはり力不足ですからな。指揮官として、こちらに従ってもらいましょう。


「魔女のお二方は普段はメイドとして領主婦人の護衛に。いざという時には、そのまま彼女を連れて逃げて下さいませ。避難経路はネメア様がご存知ですな?」

「「え?」」

「え、ええ――城の事には精通しておりますけど。」

「よろしい!」


 先の言葉を言わせないままに、次の手を。


「後の事はこちらにお任せを。それでよろしいでしょう?隊長殿。」


 これに、


「私に異論はありません。現状、それが最も得策でしょうから。」


 そう言って、褐色の肌をした御仁が頷いて見せました。

 ええ、ええ、彼ならそう言うと思いましたよ。分かっていらっしゃるだろうと――。

 精悍な顔付きに、肉体的にも恵まれただろう、縦にも横にも大きな体躯。戦士としてこの上なく逞しい彼は、きっと、戦場では雄々しく動かれる事でしょう。

 そんな彼は騎士です。兵士ではなく、兵士達を束ねて動く騎士であり、それだけの知恵がある存在です。

 つまりは、忠誠をこの国――より詳しく述べるならば、王へと誓っているという事。更にはその王より派遣されているこの地で、最も何を優先すべきかを理解してもいらっしゃる。

 故の、先の言葉です。畳み掛けさせるのに、彼に視線を向けて確認します。

 確りと頷いて返されたので、一先ずこちらは安心でしょう。


「逃げるなら、足の遅い女の私などよりも、支部長か隊長の方が――。」

「ネメア様。」


 そんな私たちの思いにも気付かずに、口を挟もうとする最高責任者の言葉を遮ります。

 不敬ですよ、ええ。ですが、指揮官の言葉には従ってもらう必要性があります。

 それよりもなぜ、分からないのでしょうね?


 この状況下では、彼女こそ最も生かすべき存在であるという事を――。


 指揮官としての役目は頂きましたが、最も発言力を持つのは、現状ではこの方、領主婦人ネメア様ご自身です。

 名ばかりの肩書だろうとも、それは変わりはありません。故に、逃して情報を拡散して貰うには、彼女が打って付けなのです。


「私は年寄りですぞ。長旅は身に応えます。それに――。」

「我々下々は、上の者の為に日々鍛錬を積んでおります。その上である貴女様を残し、おめおめと生き残れるわけがありますまい。」

「ですが!」


 私達の言葉に食い下がる領主代理。彼女はどうやら優しすぎるようですな。

 しかし、何がなんでも飲んで頂かねばなりません。それが『上』というものですぞ。


「最善を尽くさねばならない状況ですので、一個人の感情は抑えて頂きましょうか。貴女はこの地を治める領主の代理なのですから。」

「それに、現状では貴女様以外に、王へ嘆願を成し得るだけの者がおりません。ですから、どうかご自身が生き伸びる事を最優先して下さい。」

「そ、そんな――。」


 私の後を継いだ隊長殿が、確りと言葉を口に乗せましたが、いやはや良き部下でいらっしゃる。

 彼は本物の騎士ですな。仕えるべきものに忠誠を誓い、本当にその命を捧げている。

 その為、仕える者を生かす事へと全力で挑まれる覚悟が有ります。その為には自らの生命すら惜しまないと――彼の瞳が語っているようで、底知れぬ力強さを見た気がしました。


「どうか、いざという時は後ろを振り返らずに、生き残る道を模索して下さい。それが、我々の為でもあります。」

「――……。」


 領主婦人の説得は、隊長殿へお任せしましょうか。

 一先ず、私は組合へと戻って、対策を練らなければなりません。緊急事態として冒険者達もかき集めないとですね。

 ――ああ、本当に、嫌な役目ですなぁ。死へと向かわせるのですから、これ程嫌な役目はありますまい。


 2019/01/12 加筆修正を加えました。


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