017 その錬金術師は常識の違いを知る
「――魔物の氾濫?」
「そうです。」
メルシーちゃんの爺ちゃんは、何と焼き払った開拓村の村長さんだった。
金は対して無いが、その代わりとして宿代を肩代わりしてくれ、更には古着の提供と数日の滞在を負担してくれたのである。
おかげで、あれ程恋い焦がれたお布団でゆっくりと眠れる日々が戻ってきた。襤褸から着替える事も出来て最高である。
(良い子の両親は良い人だ!そしてそんな両親の更に育て親である祖父母はもっと出来た人だ!)
良いね、実に良いね。こういう縁は大事にしておきたいところだ。
打算計算もあってメルシーちゃんを送り届けたわけだが、どうやら俺の目に狂いは無かったらしい。恩を仇で返したどこぞの娘二人とは大違いだった。そしてその両親らしき人物はといえば、お礼の言葉も早々に目の前から逃げるように消えていった。二度と関わるまい。
やはり無駄だったか、とその瞬間には思ったが、メルシーちゃんの印象が悪くならなかっただけマシだと思おう。
それに、
「何で氾濫が起きてるの?てか、起きたってどうやって判断したの?」
「それはですね――。」
どうにも疑問に思う話が舞い込んできたのである。
持ってきたのは、どういうわけか夜分に「すみません」とノコノコとやって来た、都市に入る時にお世話になった兵士さん達である。その中の一人は、なんでも隊長なのだとか。何故来たし?
そう思って話を聞いてると、何でも頼みたいことがあるとの事。切羽詰まった様子に、こちらとしても話も聞かずに門前払いというわけにもいかない。
何より、こちらとしても今は手に職が無い。更には、本職に戻るにも金が入用である。話を聞くだけはいいかーと、とりあえずは聞いてみるだけ聞いてみよう、なんて軽く思っていたのだが。
「森で行方不明者が続出。そこに、ゴブリンの集落があるのを最近になって気付いた、と。」
「ええ。」
「後手後手ですね。」
「そう、後手後手なんです。」
良いのか、それ認めちゃって。
「うーん。」
話を聞くだけのつもりだったのだが、最早つもりだけでは済ませないとばかりに腕を掴まれていて、正直困ってるわけである。
振りほどこうと思えば実は割りと出来たりするんだが、それはそれで非情だろう。
大体、幾ら見た目が細くても、これでもサバイバルで生き残れるくらいの力量はあるんだ。そして、筋肉なんてつかなくても、魔法で強化してしまえば割りとどうとでもなるのである。まぁ持続性は無いので、瞬間的には、になるんだが。
それにほら、ゴブリンの集落くらいなら、別に落とせるというのもある。あいつら戦ってみて分かったけど、見た目通りに知能は低いし正直言って弓矢もまともに使えそうにないお粗末さだった。ぶっちゃけ、森で襲い掛かってきたブラッディー・スライムの方が強敵だろう、多分。
そういうのを考えれば、
(うん。最悪、集落丸ごと氷漬けでいいのかね?あ、でもそうなると、生存者がいた場合は俺が殺した事になるのか?うーん、それは出来ればしたくはないなぁ。)
なんて考えになってくるのである。
殺人にそこまでの忌避感は無い。というのも、盗賊とかなら問答無用で氷像にするくらいには結構ドライなのだ。王立錬金術師になれたくらいのエリートってだけで、馬鹿みたいに強盗が押し入って来た時期があったので、それなりの人数をプチッとやったりしていた。
ただ、それとは違い、ゴブリンにただ捕まってる一般人がいるのなら――それはもう苗床用に連れ攫われた女性達だろう。間違いなく、孕まされたりして腹ボテだったり、孕む為の行為を強いられていて、精神的にも辛い状況にあるはずだ。
そんな人達に、特に罪なんて無い。無いはずなのだ。それなのにトドメを差すような行為は、ちょっと俺もご遠慮願いたい話だった。
そんな事をつらつらと思っていたりしたのだが、
「塀の増設だけでもいいんです。」
「うーん。」
「あのゴーレムを運んでいただけるだけでも、こちらとしては有り難いので。」
「うーん。」
「――なんなら、氾濫をやり過ごせた後も、宿代をお支払いたしますよ?」
「ううーん。」
「報酬も出ますので、どうか、どうか――。」
「いやいや、そういう事じゃなくてさ。」
「――はい?」
キョトンとされても困る。てか、おっさんのキョトン顔は嬉しくない。そして面白くもない。
ただ、余りにも煮え切らない態度を見せたせいか、なんかどんどんと下手になっていく様子が居た堪れなくて、俺はついつい口を挟んでしまっていた。
別に交渉をする為に流してたわけじゃないんだぜ?俺としては、別に受けてもいいかな、くらいの気分なんだよ。ただ、問題は別にあったってだけの話でさ。
「あのさぁ――氾濫が起これば、あいつら魔力を感知してそれに向かって死ぬまで突き進んでくるって、分かってる?」
「え?そ、そうなのですか?」
「そうなの。それが氾濫と言う名のスタンピードの現象なの。そういう習性をあいつら氾濫の時には発揮しちゃうの。もともと魔物って、魔素に惹かれる性質があるし。」
「は、はぁ。」
何故かポカーンとされる俺。なんとなくいたたまれない。
これはもう、なんというか、認識の差異が酷かった。
その後も、いろいと魔物の氾濫が起きる原因とか、起こった場合の対処法とか、被害がどのようなものになるのかを話したりしたんだが、
「何かいろいろと、話しが合わなくない?」
「おかしいですね――過去の文献でも、そういった話は無かったように思えるのですが。」
「ううん?そうなの?」
ここにきて、俺の中の知識と現代を生きる兵士さん達との間で、話が噛み合わなくなってきた。
お互いに首を傾げつつ、見つめ合う。
いやもう、本当に食い違いが多すぎるのだ。どうしたもんだろうか、これ。
「ええと、もう一度確認するけどさ。」
「はい。」
「魔物の氾濫が起きるのは確定してるんだよね?」
「はい、そうです。我々の認識からすると、得られた情報ではまず間違いないと。」
「ふむ――。」
何故か自信満々に答えられるが、そこで頭を抱えたくなる俺。
いやもう本当、話が合わないというか、認識にズレがあり過ぎるんだ。何でここまで違う?俺が生きていた時代と今の時代では魔物の習性も変わったっていうのか?あと、危機感為さすぎるよね?
「うん――その情報っていうのが、森の鳥獣が姿を消して、入り込んだ者達が帰って来なくなった事と、森の近くの草原でゴブリンの集落が見つかったから、で良いんだよね?」
「はい、それであっていますよ。」
何故かそこだけは自信満々。しかし、俺の方がそこには疑惑を挟まざるを得ない。
なぜなら、
「おう。それだけだと、絶対条件が満たせてないんだよなぁ。」
「はぁ、絶対条件ですか?」
「そう、絶対条件。」
本来、魔物の氾濫には、それが共存関係にある魔物達の数と質、そしてそれを率いる群れのボス的存在が必須だ。そのどれか一つでも欠けていると、普通それは成し得ないのである。
その例外となるのは、ダンジョン等の密閉された空間内で異常繁殖した場合。適度に間引く事をサボった場合に起こる氾濫だ。勝手に溢れてきたようなもんだな。
しかし、この辺りにはそういったダンジョンが無いらしい。俺の記憶でも過去、そういった場所の話は聞かなかったので、これは無いと見ていいだろう。
なので、スタンピードを引き起こす要因が、欠けてしまってると言えた。
(解せん。)
そんなわけで、お互いに延々と情報をやり取りする。
魔物の氾濫と呼ばれるスタンピードが起こる絶対に必要となる条件も伝えたんだが――何故か伝わらない。
その間、ずっと砕けた話し方をしているが、話を持って来られたのはこちらなので、下手に下手に出て足元見られない為にも、これは崩せないので続けていた。
ただ、最初の方はちょっと驚かれたがな。けれども、こちらの方が話しやすいのか、注意される事も無く会話が続けられている。
「あの森にいたのはブラッディー・スライムだったし、草原にいたのがゴブリンだから、どっちも共存は不可能な種になる。更には、両方を従えさせられる上位種は見込めないはずだから――。」
「ブラッディー・スライム……。」
「?」
何やら愕然としてるが、これもまた認識の差異があるんだろう、多分。
とりあえず、ゴブリンというのは妖精から堕落したとされる亜人種である。対するブラッディー・スライムは魔法生物であり、粘着質な身体を持つ単細胞生物だ。種族からしてまず相容れない点が存在する為、共存はおろか共に行動するという事さえも無い。
そんなこの二者を従えられるのは、おそらくは魔物使いと呼べる特殊な能力を持つ存在だけだろう。
しかしながらも、ゴブリンは知能が低い。そして、粗野である為にペットを飼うといった思考はそうそう生まれない。せいぜいが、バッタとか小さい虫を飼って餌も与えずに死なせるくらいだろう、きっと。
そんなゴブリンと別の種であるブラッディー・スライムだって、普通のスライムとは違って肉食性のかなり好戦的な魔物なのだ。故に、ゴブリンを見かけても逆に襲いかかるだろう。彼らにはゴブリン=餌にしか見えないと思われる。
大体、ブラッディー・スライムはゴブリンよりも強いんだし、格下相手にわざわざ懐いたり服従する事はまず無いと言っていい話だ。そして、こいつらが他種族を従えさせるとかの思考回路があるとも到底思えなかった。
「うーん?」
それでもこの二種類を束ねて、更には人の住む場所を襲う――これはちょっとじゃなくて、かなり無理があるような話だと思うんだよなぁ。
「あれか、進化とか突然変異で従えさせられるだけの新しい魔物でも生まれたとかか?でもそうなると、どんな魔王だって話になるよな?」
「ま、魔王ですか……。」
「無いよね。うん、無い無い。それは流石に無理がある。条件が揃いようもない。」
魔王なんて、それこそお伽噺の中の存在だ。実際に魔物の頂点に君臨したのはいたにはいたそうだが、それだって生態系のトップだった竜の中にたまたま現れただけである。
そんな偶然、早々起きても困るだろう。しょっちゅう起きるようならとっくに人間なんて死滅してる。
大体、こちとら仮死状態からようやく目覚めて、大災害を生き延びれた実感もまともに沸いていないところなんだよ。例え話でも、そんなのと相対する可能性は欲しく無い。
「うん、そこまでの強い反応はあの森では感じなかったし、何よりそんな進化や突然変異がポコポコ起きてたら、再興以前に人類滅亡してらぁな。せいぜいがあそこでは、アンデッドが沸くかも?って程度の魔素濃度しかなかったし。」
そうして、結論づけた事からケラケラ笑いつつも、俺は良いよと請け負っておいた。
「塀の増設、終わるまで衣食住を提供してくれるってんなら、受けようじゃないか。」
「ほ、本当ですか!?助かります!」
これが安請け合いとなるか、それともぼったくりとなるか。
俺はこの時、自分の価値に気付いていなくて全く分かっていなかったが、ともあれ臨時で職を得られる事となったのである。
ファンタジーでよくみる魔物の氾濫の現象。
幾つかの作品で見た共通点は、
①大量の魔物が森やダンジョンにて溢れ出す。
②溢れ出した魔物の群れが何らかの理由で周囲の村や町を襲う。
③壊滅的被害を齎すか、現地住民や主人公達にヒャッホイされて素材と化す。
でした。
③はお通夜ムードになるかお祭りモードになるかで大きく落差がありますね。作品によって違うので、この辺りでシリアスかギャグかで路線が固定されるような気がします。
尚、この作品ではそもそも未然に防がれますのであしからず。それ以前に、そこまでの数の魔物もまだこの時点では揃ってません。故に、ヒャッホイもお通夜もないのです。




