156 その錬金術師は休憩中も振り回される
度々凍らせた道を逸れようとするアルをその度に止めて、なんとか泥濘んだ地面を通り抜ける。
この辺りは元々は川だったはずだが、今じゃ見る影もなく沼地へと転じてしまっていて、そこかしこには深い底無しの溝まであって危険だった。
その底無し沼へと何故か安全であるはずの氷の大地の上から足を踏み外して、あるいは自ら逸れて嵌まり込みまくる護衛対象が一名。
それに付き合わされ、更には無駄に魔力を消費されて、最終的には蓑虫よろしく全身をグルグルに縛り上げた状態で、俺はその護衛対象を引きずって行く羽目となってしまった。
おかげで、腕がパンパンだ。
「――はぁ。」
思わず、溜息が吐いて出て行ってしまう程には疲労が溜まっている。
何せ、人一人分を氷の地面の上を延々と引き摺って来たからな。
腕だけでなく、あちこちにも疲労が溜まって浮腫んでまでいる。
そんな俺へと、
「――なぁ、もう解いてくれても良いんじゃないか?」
護衛対象と言う名の『アホ』でどうしようもない『間抜け』なアルが口を開いて来た。
それに、丁度見つけた乾いた地面の上、張り出した岩の上に腰掛けて眺める。
全く悪びれた様子の無い顔だ。口元は笑みを浮かべたままだし、俺の頬が自然と引き攣って目が釣り上がる。
「そう言ってまた突っ走るつもりだろう、お前。」
これには、
「そんな事しないって!な?これ外してくれよ。」
「……。」
即答でアルから返事が返ってくるが、当然、それを信じられるはずが無い。
何せ、昼も摂らずに沼地を抜ける羽目になったからな!何とか抜けたと言っても、この辺りは安全とは言い難い場所だ。
それなのに、疲れてしまった。非常に、凄く、滅茶苦茶に疲れてしまったんだ。
精神的にも肉体的にも魔力的にも、俺は疲れ切っていて、思わず溜息を吐き出して全身の力を抜く。
「はぁ――。」
陽は徐々に沈んで行っている。
そろそろ野営の準備も始めないとならないところだろう。このまま、夜も動くわけにもいかないしな。
出来れば休みたいところだったが、この考え無しの縄を解いて動くには、まだ少し早い気がするし、任せられるはずも無い。
自分でも目が据わってるのを自覚しながらも、冷たい声で告げておく。
「お前はしばらくその状態で頭を冷やせ――今日だけで何度死にかけたか。」
「ええええっ。」
「文句は受け付けん。人の忠告も警告も全部無視しやがったからな。今からでも底無し沼に嵌って、溺れ死にたいって言うなら止めはしないぞ?」
「うっ――。」
流石にあの状態は『アホ』でも危機感を感じるものだったらしい。
それでも何度も嵌っていたが、だからこその『アホ』としての評価は最早俺の中では揺らがない。
それくらいには、何度も嵌ったんだよ、この『アホ』は!
「とりあえずはしばらく安全だ。野営の準備をしてくるから、そのまま大人しく転がっておけ。」
「へーい。」
どこか不満げなアルを残して、広範囲を探索魔法で確認してみる。だが、この辺りまではアンデッドの影も形も無く、他の魔物も同様に見つからなかった。
これなら多少離れたところで問題無いだろうと判断して、周囲に鳴子を仕掛けては枯れ枝を拾い集めて行く。
ついでに見つけた食べられる野草や薬草も採取して、元の場所まで戻って来た。
そこに、
「おかえりー。」
「……。」
脳天気な声がかかってきて、思わず天を仰いでしまう。
能天気にも程があるだろう、コイツ――。
この状況で、縛られたままに転がったままでいられるとか、どう考えても頭がおかしいだろ。俺が嘘を吐いている可能性とか考えないのか?本物の馬鹿なのか?
大体、普通はなんとかして縄抜けしようとか思うものだろう?何故それもしない!?
(いや、まぁ、こうして大人しくしててくれるのは助かるけど。助かるんだけどっ。)
なんか納得がいかない――っ。
何故、それを昼間にも発揮しないんだよコイツは!
(ああ、もう!昼間大人しくしてくれれば、俺だってこんなに疲れる事は無かったのに――っ。)
ジレンマを抱えつつも、野営の準備を着々と進めて行く。
何せ、徐々に周囲は薄暗くなってきてるからな。さっさと火を熾して、明かりの確保をしておかないとならない。
それに、飯の準備も終わらせてしまいたかった。
この為に魔法を使ったんだが、
「出た!次元切り取り魔法!」
使った【空間庫】を見て、無邪気にアルが歓声を上げていた。
そのはしゃぐ姿を見て、一瞬、遠い目になる。
――何だろう、デカイ子供でも居るような気がしてきた。前に港町で暮らしていた頃のスラムの連中見ているようだ。
もしかすると錯覚でも何でも無くて、実際デカイ子供なのかもしれない。
ただ、こちらとしては本当にもう勘弁して欲しいところだ。
そんなののお守りなんて、やりたくは無い。そっと、溜息を吐き出した。
「もう少しだけそのまま大人しくしていろ。」
「うぃっす!」
これに、やたら素直な反応が返ってくる。
その様子を受けて、俺の顔が渋いものになってしまった。
(何を企んでるんだ?一体――。)
現状は面倒以外の何ものでも無い。何せ、上から押し付けられた依頼だからな。俺がやりたくてやってる仕事でも無いし、冗談じゃないと言いたい状況にまである。
普通の旅っていうのは街道に沿って進むもので、その途中に野営に適した場所が大抵は存在している。
それを初っ端から無視して突っ走り、この面倒な事態を引き起こしてくれた奴が、この現状を至って楽しんでいる様子だ。
正直、面白くも何とも無い。むしろ、今直ぐにでもこの仕事を放り投げたいくらいだった。
(いっそ、コイツの飯だけは辛くするか――?確か、唐辛子があったよな?)
開いた【空間庫】の中から幾つかの食材と調味料を取り出して、赤い粉状になったそれも出しておく。
とりあえず作るのはスープでいいだろう。具だくさんにして、昼間散々洗ったせいで多少冷えた身体を温めるのが良いはずだ。
乾かしても、濡れた瞬間に体温が下がるからな。それを何度も繰り返したどこぞの護衛対象と言う名の『アホ』には、おそらく打って付けの料理のはずだ。
そうして熾した焚き火の上に鍋をセットし、皮を向いた食材を次々に投入していく。
そこに、
「肉は!?なぁ、肉は!?」
「ちゃんと入れるから、大人しくしてろ。」
「うっしゃ!」
騒々しいアルに、最早何を言っても無駄かと嘆息しつつ、鍋の中の料理を作り上げる。
出来たのは豚汁だ。豚肉じゃなくてオーク肉の干し肉を使ったところがアレだが、どっちも似たような物なので対して気にしなくて良いだろう。
それを火から外して、口を開く。
「よし、出来たぞ。」
その瞬間、
「おっしゃああ!肉う!」
「ちょ!?」
縛り上げていたはずのアルが、いきなり燃え上がった。
文字通りに燃えてる。真っ赤に火が上ってる辺り、明らかにヤバイ状況だ。
それに気付いて思わず水をかけたが、炎の中から現れた当人は、キョトンとした顔をしていて思わず脱力した。
縄だけじゃなくて服も若干焦げてるんだが、全く気にした様子も無い。安堵すると同時に怒りが込み上げてきて、瞬間、怒鳴り散らしていた。
「何いきなり火魔法を自分に使ってるんだよ!?焼身自殺でもする気か!?」
冗談抜きに火達磨になってた状態だ。ほぼ一瞬とはいえ、酸欠にもなっただろうし、よく見れば髪もチリチリに焦げている。
それを示しながら火傷用の薬を取り出していると、
「え――?縄解こうとしただけだけど?」
すっとぼけてるのか、それとも素なのかすら分かり難い表情で、呑気な言葉が間延びした様子で返って来た。
どこの世界に縄を解こうとして火達磨になる奴がいるっていうんだよ。やっぱりコイツ、正真正銘の馬鹿じゃ無ぇか!
「解くつもりで丸焼きになりかけてんじゃねぇ!」
速攻で突っ込みを入れて、濡れた服を当人ごと乾かしていく。
アホか、アホなのか――!?って、コイツはアホだったな!ちくしょう!
「――まぁいいじゃん。とりあえず食おうぜー。」
そうして、ヘラヘラ笑いつつも、俺が取り出した食器を手に勝手に注ぎ始める。
火傷への手当とかも完全放置だ。目は食い物にだけ向いている。
それに頬を引き攣らせつつ、声を荒げる。
何ていうか、もう、
「色々と納得がいかない!」
流石に感情を抑えきれずに、絶叫するしかなかった。
作ったの俺だぞ?
材料から何から出したのも俺だぞ?
更には野営の準備も場所選びもしたのは俺だ!
それなのに、何故当然とばかりに人が作った物を手にしてるんだよ!?おかしいだろ、おい!
「せめて礼の一つくらい言いやがれー!」
「痛ぇ!?」
投げつけた薬の容器が、アフロ状になったアホで間抜けで馬鹿なアホードの頭へとぶつかり、鈍い音が響く。
そんな暮れ行く空の下で俺が叫んだこの言葉は、遠回りしていたとある冒険者達へと確りと届いていたらしい。
勿論、この時の俺は知る由も無いが、聞かれていた事を知って愕然としたのは、それからしばし先の事である。
2018/12/25 加筆修正を加えました。
何か良い語呂ないかなーと探して、アルフォード→アホードに決定。なんとなくアホウドリを連想したけど鳥頭なところあるし良いかと個人的に納得。




