143 その錬金術師は弟子を迎えに行く
目が覚めたら、見た事有るような無いような天井だった。
「――何処だ?此処……。」
周囲は薄暗くて、何か甘い香りが微かに漂って来ている。
お香とかそういう類じゃなくて、果物の香りにも思えるが、微妙過ぎて嗅ぎ分けきれなかった。
そっと、身を起こしてみれば、ベッドに寝かせられていた事が分かって、掛けられていた布団が分厚く折れ曲がって眼の前に広がる。
じっとりとした湿気。
それに、思わず髪をかき上げて呟く。
「暑い――。」
喉がガラガラだ。
寝汗をかくくらいには、どうやらたっぷりと綿が詰められているらしくて、重いし熱が籠もりすぎてるしで暑い。
おかげで脱水症状気味だ。喉が乾いているだけでなく、胃も空腹を訴えてきていた。
(腹減ったなぁ。)
胃を撫でながらも周囲を見渡してみれば、取り囲むようにして薄手のカーテンが掛けられているのが分かる。
それを無視して再度天井を見上げてみれば、ようやくそこで気付けた。
(天蓋付きのベッド――?ああ、サイモン殿の城か、此処は。)
それだけ分かれば、とりあえずは十分だろう。
ベッドから滑り降りて薄手のカーテンを掴んで開いた。
その直後に探索魔法を展開して、部屋の中から城の中へ、城中から都市中へと広げて、念入りに確認していく。
(――どうやら、問題は無さそうだな?)
記憶が確かならば、俺は下水道で限界を迎えたはずである。
そこからどうなったかは定かではないものの、こうして目覚めたのだから、多分現状での危険は無いのだろう。
差し迫った危機が無いという事だ。
今居る場所だって、以前泊まる事になった際に宛行われた部屋だと思うし、場所は領主の城の中で確定だから、都市を捨てて逃亡する必要も無くなったという事である。
見た事のある家具も置かれているし、下水道へと入った際に着ていた衣服も畳んで置かれているので、現状は安全も確認されて普段の状況へと戻ったといったところだろうか。
(荷物は――全部あるっぽいな。うん、大丈夫そうだ。)
部屋の中を見渡してみれば、机の上に置かれた衣服の上にはポーチも乗せられている。床の上には、ブーツも揃えて置かれていた。
それらを身に着けていき、カーテン越しに入る光に気付いて外を覗こうと、布地を左右へと引っ張って開いて見る。
城から眺めた感じでは特に緊張感が漂う気配も特に感じられない。
庭を埋め尽くしていた冒険者達の姿も、あちらこちらへと置かれていた篝火の台も見当たらず、至って平素の様子が伺えた。
(どうやら、魔物の掃討は終わったみたいだな。)
一安心、といったところだろう。
ただ、地下下水道の一番奥、そこを分厚い氷で閉ざした直後くらいから、どうにも記憶が曖昧で思考を探ってみる。
誰かの背に負われていたような気もするが、定かではない。
おそらくは共に地下下水道の探索に当たっていた冒険者達の内の誰かだと思うんだが、一体誰だろうか?
後で、確認と礼を入れに行った方が良さそうだ。
(とりあえずは、その前にメルシーを回収しないとか。)
ずっとほったらかしにしていたので、彼女への詫びも入れないとならないだろう。
おっちゃんの店で買い物をしようと約束もしていたし、それも随分と長く放置してしまったからな。
待たせてしまっているし、怒ってないと良いんだが、そっちには不安が残る。
後、預けっぱなしにしていたおっちゃんへもお礼も言わないとだが、随分と迷惑を掛けてしまった。
今度、何かお詫びの品を持っていこう。
(ううん――どれだけ寝ていたかが分からないな。久しぶりの徹夜だったし、結構無理をした気もするから、時間の感覚が掴めない。)
とりあえずは、空を眺めて太陽の位置を確認してみる。
時刻は午前といったところだろうか?陽はまだそこまで高い位置には無いし、沈んでいってもいない。
とりあえずは体調を確りと確認してみよう。
(汗――は引いたな。空腹を感じるくらいで特に問題は無さそうだ。んー、何か食べるかなぁ。)
ここを出るにしても、空腹がちょっと辛い。
そう思って【空間庫】を開こうとしたが、途中で気付いて中断していた。
(――あれ?)
部屋にあるソファーの間、低いテーブルの上に、クロッシュともドームカバーとも呼ばれる蓋を被せた丸皿が一つ、ぽつんと置かれていた。
近寄って確かめてみると、中にはフレンチトーストと甘く煮詰めた林檎のコンポートが入っている。
どうやら朝食代わりか、軽食といったところのようだ。微かに漂っていた甘い香りの正体は、これだったらしい。
(食べても大丈夫か?これ――。)
皿を持ち上げて触れてみるものの、冷めきっているし冷たい。それでも、乾燥したりしていない様子を見るに、今朝作ったものだろう、きっと。
問国問題は無さそうにも見えるが、果たして口にするには大丈夫なのかという疑問が残った。
(ぶっ倒れる前、さんざん吐き戻してたしな――もう少し、胃に負担の無さそうなものにするか。)
卵が使われたフレンチトーストは、嘔吐する可能性もある。添えられたコンポートだって砂糖砂糖を使っているし、何より果物事態がちょっとご遠慮願いたい気分だった。
しばし考えた後、水魔法で水を飲んでから【空間庫】の中にある保存食の固いパンを取り出して少し齧った。
後は何も口には付けない。無味に近い物だけを少し胃に収めて、部屋を出て人を探す事にする。
しかし、
(――誰も居ないなぁ。)
城内は閑散としていて、人の気配が薄かった。
どうやら上の階はほとんど人が居ないらしい。扉の向こう側からは微かに感じられるものの、入って良いかどうかまでは不明だし、客人が居る場合も有り得るので素通りするしかないだろう。
仕方無く下の階へと降りて見ると、僅かに気配が濃くなって動き回るのも感じられた。
そこに、
「救世主殿!」
丁度階段を降りきったところで、外に向かう扉の前に居た兵士が二名、こちらに気付いたのか声を掛けて来た。
それへと向けて、
「――魔物の掃討は終わってる?」
口を開いて尋ねて見る。
すると、声を上げた方とは逆の兵士が口を開いたのが見えた。
「はい。三日前には緊急事態宣言も解除され、住民への避難指示も取り消されました。」
それに、思わずホッと息を吐き出して呟く。
「そっか。なら、安全は確保されたか。」
「ええ――全ては、救世主殿と冒険者達のおかげです。お目覚めになられて良かった。」
「心配掛けて悪いな。」
「いいえ、ご無事でなによりです!」
城には泊めてまでもらっている状況だし、平民相手には破格の対応だろう、こrは。
それだけ、信頼してくれているという事なのだろうか?
「それで、サイモン殿はどちらに?」
この質問へは、
「ただいま会議中ですが、会議の場所までお連れしましょうか?」
思ったよりも変な対応をされてしまって「いや、いい」と返していた。
会議中なのに連れ込まれても困る。
俺は部外者だし、これ以上面倒事は御免被りたいからな。このまま、退散しておくのが良いだろう。
その為、
「それよりも伝言を頼めるかい?」
「「は!」」
頼み事を願い出ると、確りとした返答が揃ってもらえた。
なので、軽く頷きつつもサイモン殿への伝言を伝えていく。
「丁重な扱い、痛みいると――それから、安全も確認出来たようだから、家に戻ると伝えてくれ。」
「かしこまりました。」
伝えた内容に、片方がメモを取り始める。
どうやら、口頭で伝えるのも難しいくらい予定が詰まっているようだ。
手が空いた隙きにでも読んでもらうつもりなのだろう、きっと。
それを眺めるも、
「それじゃぁ待たな。」
「お気を付けて!」
兵士達との別れの挨拶を告げて、二人が開いてくれた扉から一歩外へと足を踏み出した。
眩しい日差しに一瞬目が眩んだが、門兵にも挨拶をして大通りへと足を運んで行く。
(さて、まずはメルシーを回収しに行くか――。)
そう思って大通りを進んでいたのだが、
「――ルーグざあああんっ。」
「は?」
歩いている最中に涙声で呼ばれてしまって、思わず声がする方向を振り向いていた。
聞こえて来た方向にあったのは、周りよりも大きくて目立つ建物だ。石造りなのも珍しくて、この辺りでは城を除くと一番頑丈な作りをしているだろう。
そこに掲げられているのは剣と杖のマークが描かれた看板。
何の事は無い、冒険者組合の象徴である。
その建物の中から、回収するはずだった少女の声が聞こえて来て、俺は一瞬固まり、足が止まってしまっていた。
「もどっでぎでぐだざい……いいごにずるがらぁ。ぢゃんど、あまえるがらぁ。」
(メルシー?)
そのまま立ち止まっていると、
「お、おい、泣かせるなよ!?」
「ぼ、僕がやったんじゃないよ?単に説明しただけだもん。」
「嬢ちゃんや、そう泣くな。な?」
「これでも食って落ち着けっ。」
何やら慌てたような声と皿が割れたりする音が続けざまに聞こえて来て、思わず体ごと振り向いていた。
今の声、下水道に入った時に組んだ冒険者達じゃないか?一体、何やってるんだあいつら――。
そう思っていると、
「いきなり人の口に食べ物を突っ込むんじゃない!喉に詰まらせるだろう!?」
更に行商人のおっちゃんの慌てた声まで聞こえてきて、俺は目を瞬かせていた。
どうやら冒険者組合に、メルシーだけでなく用事がある人間が全員揃っているらしい。
その事に気付いた俺は、足を運びながらも首を傾げていた。
「――何やってんだ?」
組合の建物の扉を開きながらも発したこの声に、一斉に視線が集中してくる。
それにも構わず足を踏み込めば――思わず笑い出しそうになる光景が広がっていた。
「随分と愉快な事になっているな?大の大人が、揃って女の子一人を前にして狼狽えてるのかよ。」
「うっ。」
人集りを見てみれば、その中心にはメルシーと、寄り添うようにして行商人のおっちゃんが立っている。
更にその周囲を取り囲むようにして、がたいの良い野郎達が大勢でスタンバイしていた。しかも、揃って狼狽えた様子で、だ。
(本当に何やってるんだか――。)
狼狽えた集団の中には全身黒尽くめの男性もいて、片手にはパンを持っている。
そして、ナ↑エアそれをメルシーの口へと無理矢理突っ込んでいた。
「泣き出したからって、食い物を口に詰めるってどうなんだ?」
その様子を見ていると、思わず苦笑いが込み上げてくる。
直後に、
「――すまない。」
と謝罪されて、慌ててそれを止めた。
「いや、責めてるわけじゃない――たださ、対処法としては何か違うんじゃないか、これ?」
「つまり、甘い物の方が良かった?」
「いやいや、そっちの方がマシだとは思うが、それもちょっと違うと思うぞ?」
「ふむ――?」
言葉を交わしながらも、騒ぎの中心に居るメルシーの傍へと寄って行く。
詰まった様子を見せる大人達を尻目にして、口からパンをはみ出した状態で固まっているメルシーは、大粒の涙を浮かべて時折それを零していた。
どうやら、組合の中で大泣きしていたらしい。
泣き出したままに固まってしまっている彼女の茶色い頭を撫でながらも、無事な様子に今更ながら安堵した。
「遅くなって御免な――。」
そっと告げた瞬間、勢いよく飛び込んできた彼女が、腹部へとぶつかって来てたたらを踏む。
何とか受け止めたものの、抱きついて離れない状況に既視感を覚えた。
確か、前にもあったよなぁ、この状況――。
「買い物しようって約束してたのに、放っておいて悪かったよ。」
「――っ。」
しがみついたまま泣いているのか、時折しゃくり上げては小さく声を漏らす。
それを宥めすかしつつも、周囲に向けて軽く頭を下げ詫びておいた。
これに空気を察してくれたのか、口々に何かを呟きながらも、集まっていた者達が離れて行く。
「やれやれだぜ全く――。」
「子供との約束は守るもんだぜ?」
「良いところ持っていかれたー。」
「すみません。」
とりあえずは事態の収拾に目処が着いたらしい。
同じくそう判断したのか、総立ちになっていた職員達も、落ち着いて業務へと戻るのが見える。
その邪魔にならないようにと、隅へと移動しようと足を動かそうとしたんだが、メルシーが動かない。
「メルシー?」
声を掛けてもその場から微動だにしない為に、仕方なく魔力を巡らせて腕力を一時的に上げる。
そのまま、彼女を抱えあげると、隅のベンチへと連れ込んで腰掛けた。
「長い事預かってくれて助かりました。」
「俺の方は構わんさ――。」
着いて来たおっちゃんへと頭を下げ、抱きついて全く離れないメルシーの様子に苦笑いする。
これに、
「メルシーちゃんがとても心配してたぞ?連絡の一つくらい、入れてやってくれ。」
「すみませんでした。」
告げられて、更に謝罪の言葉を口に乗せていく。
「今回は余裕が無かったとは言え、伝言くらいは頼むべきでしたね。」
「まぁ、こうして無事に再開出来たから、いいだろうがなぁ。もう少し気にかけてやれ。」
「はい。」
俺が来た事で、そろそろ行商として動き始める事になるというおっちゃんは忙しなく店へと戻って行く。
それに申し訳ない思いをしつつも、泣きじゃくっているメルシーの様子を伺えば、どうにも離れてくれそうに無くて頭を撫でて宥めておいた。
丁度冒険者組合に来たのだし、色々予定を終わらせようと思っていたのだが、この状況だと動けそうにも無い。
時折、冒険者達から視線を向けられながらも、頭を悩ませた。
(亡くなった職員についても聞きたかったんだが――下手にメルシーが聞いたら、余計症状が悪化しそうだな……。)
都市の中に魔物が現れたなんて、口が裂けても言えない事だろう。
箝口令は解除されていないだろうし、下手な事は言うわけにもいかないし、聞くにも注意が必要だった。
それに、地下の安全確認も一応済んだとはいえ、あの後どうなったかも気になるところである。
(魔物の処理と、侵入経路の確認と、えーっと他には――。)
思いつく限りを頭の中で整理していく途中、ふと思い出す。
(そういや、結界石ってもう作れないのかね?)
随分前に手に入らないかと考えた物だ。
この結界石という石、割りと魔物の侵入を拒む性質を持つ魔術を刻んでいて、魔導文明時代ではどの街にもあった代物である。
製法自体は知っているんだが、肝心要の素材が問題で、以前は断念した記憶がある。
何せ、素材である魔石が、極一部の強い魔物が持つ物だからな。
例え、小さな物でも馬鹿みたいに高価だし、魔導文明時代では早々入手が出来なかった。
(うーん――何とかならないかなぁ?)
今までは断念していたものの、今回の事態を鑑みるに、最初から無理と捨て置くのもどうかと思ってしまう。
せめて、サイモン殿には掛け合った方が良いんじゃないだろうか。彼は一応王弟だし、兄王との仲も悪く無いのだから、工面出来る可能性もある。
個人での利用はともかく、都市規模なら最初から無理とは判断せずに、後で伝言でも入れておくべきだろう。
(実際に作った事は無いから、作れたらラッキー、作れなくても仕方無いと諦めてもらう事になるだろうけど、言うだけならタダか。)
現代での魔石の価値は不明だが、過去では金貨数千枚で取引されていた高級品。
それを使って失敗したら、それなりの額がパーになってしまって笑えないだろうが、一応案として上げるくらいは良いだろうと思う。
後は、
(あの魔物、何処から流れて来たんだ?)
都市の中に潜り込んだ魔物の移動経路や、進化の過程も気になる。
死体をまだ保管してあるのなら、擬態なのか取り込んだのか微妙なあの葉っぱの形も確認しておいた方が良いだろう。
自然界にある植物をそのまま真似ているなら、それでどの辺りに生息していたかくらいは絞り込めるはずだ。
(考える事は山積みで、やる事も今年に入ってからやけにいっぱいな気がする――。)
泣きじゃくるメルシーを宥めながらも、俺は向けられているとある視線にも気付かないままに、思考を巡らせていた。
討伐して終了なのは、依頼を受けた冒険者達だけです。基本、末端は何も考えていないし動くだけという良い見本達。
安全確認やら不始末に追われているのが、領主や兵士達陣営となります。しかも、同じ陣営側に足を引っ張る不届き者が出ていてとても頭が痛いという状況(会議の内容はこれだった)。
冒険者組合側では、今回の事態を過去のスライム討伐を怠っていた為と判断して、水面下で動きだしている状況にあります。作中には出ませんが、前任の支部長はクビ待った無し(ざまぁはもう書かないよ?)。
主人公としては、これ以上厄介な事態に巻き込まれたく無い&研究者気質が顔を覗かせて色々と考え込んでいる状況です。メルシーの様子も気になるけども、頭の中は安全確保に比重がガン寄りです。何気に酷い。
とりあえず、都市の安全が確保されるにはもう少しかかりそうです。
2018/12/19 加筆修正を加えました。




