119 その錬金術師と弟子の距離感
自宅から開拓村までの森の中を往復する度に、何とか森の再生にも目処がついてきた。
今では狭いながらも小さな道が出来ていて、僅かに草木の生い茂らない一本の通り道が完成している。
そんな道の左右、しげしげと覗き込んで見つめるのは、撒いておいた種から芽吹いたばかりの黄緑色の葉っぱ。見た目としては、やや蕺に近いだろうか。
「こんな葉が、スライム除けになるとはねぇ。」
群生しているそれらには、どうもこの辺りのスライムが嫌う匂いを放つらしい。蕺のようでそうでない匂いなのは、突然変異でもしたのだろうか?
どうにも、薬効成分も無ければ毒にもならないという摩訶不思議な草である為に、俺の気を引いて止まないものがある。
「面白いなぁ、これ。茎の部分は切ったら、僅かに水が盛り上がるんだな。匂いは主に葉っぱの部分みたいだが、水溶性じゃなくて揮発性か?盛り上がったのも、水かと思ったら微妙に油っぽいし。」
適当なところに切り口を触れてから離すと、水だとばかり思っていたものが糸を引いて垂れ落ちる。一体、どういう原理でこんな植生になったのか、好奇心を刺激された。
良く分からないこの葉なんだが、教えてくれたのは開拓村で偶々出会ったスキンヘッドの男性である。以前、冒険者組合で声を掛けてくれたやけに面倒見が良い人物だ。どうやら、冬場は仕事が余り無い為に、開拓村の農作業の手伝い依頼を受けて来たらしい。
そんな彼から幾つかの森での注意事項等を教えてもらえた為に、何時も作ってあった鳴子や落とし穴の他、今年からはワイヤーロープを木々の間に仕掛けたりと、低位の魔物が小道に寄り付かないような工夫を色々と凝らしていた。
そうして、早一月。
「――まぁ、こんなもんだろうな。」
気付けば、小道を通るくらいならほぼ安全が確保された状態になっていた。
俺は感慨深く自宅への方向を眺める。
「新たに小屋を建設したせいで、少し時間取られたのがちょっと痛かったなぁ。」
季節は春。雪なんてとっくに溶け切ってしまって無くなっている。
それに伴う問題は、雪の家を失った事だろうか。このせいで、中途半端な寒さの中での作業中、休める場所が無かったのだ。
この為だけに新たに建物を作る必要性があり、無駄に時間が取られたのである。
「まぁ、その内活用法を見出して行くか。」
この辺りは雪が溶け出したくらいだと、まだまだ寒いからな。森の中は特に冷え込むので、動かない間でも体を暖められる場所は必要だ。
勿論、雪の家は崩れる前に、内に貼っておいた毛皮や設置していた煙突なんかは撤去済みである。その上に小屋を建設したんだが――今後、どんな用途で使うかは、おいおい考えていく必要があるだろう。
「ま、これだけ木々が育てば、後は何とかなるだろ。」
雪が溶け切る前にと、毎日のように森の出入り付近から木々の生長を早めてきた俺。
急ピッチで行ったその結果として、ようやく元の密度を取り戻しつつある。
見る限りでは危険と呼べる状態は無く、最悪な事態は回避出来たようにも思えた。
「――うん、盗賊とかゴブリンはどうしようもないが、他はこれでほぼ手打ちだろ。スライムは落とし穴行きだし、中型以降は入り込み難いし。大型が上から降ってこない限りは、まぁ大丈夫かな。」
そんな中で気になったのは、この一月程の間、ずっと家に閉じ籠もっていたメルシーの事である。
余り長い事閉じ込めていたので、このまま過ごさせるっていうのは、ちょっと可愛そうな気もするんだよな。現状では安全も多少確保出来た事だし、偶にならいいかとも思えて、俺は自宅へと戻った。
「染色剤になる物の採取くらいは、教えてやりたいからなぁ。」
彼女が興味を持って食いついたのが、染色だったしな。そこをとっかかりにして、色々と教えていく方が覚えやすいんじゃないかと思える。
染色は別に錬金術師の仕事では無いのがあれだが、その過程に関する知識自体はとても有用だ。是非とも、どうして染まり色落ちがし難くなるのかを知ってもらいたい。
「必要な道具とかは出しておけば良いだろ――おーい、メルシー。ちょっと森の方に行くから、一緒に来ーい。」
自宅に戻ってからすぐ、玄関横の彼女の部屋に向けて声を掛ける。
すると、下の階から声が掛かってきた。
「はーい!今行きまーす!」
どうやら、ダイニングキッチンの方で編み物をしていたらしい。
それを一度部屋に持ち込むと、外套を羽織りながら出てきた。
(今の、マフラーか?)
一瞬だけチラッと見えたのは、幅が少し狭い、細長いシルエットの物だった。
以前与えた毛糸はどうやら無駄にはしていないらしく、簡素ながらも、どうやら初心者が編みやすくて実用的な物を編んでいるようだ。
「結構長く編めてるみたいだな――編み物は途中で飽きる奴も多いのに、メルシーは偉いぞー。」
「えへへ。」
続いている事に感心しつつも褒めてやって、家に引き篭もらせていたメルシーを外へと連れ出してやる。
彼女にとっては久々の外だが、やるのは採取だ。これから遊びに行くわけじゃないし、危険は以前よりも更に減ったとはいえ、森は基本的に甘く見てはならない場所である。
そう思って気を引き締めさせるか――と思ったんだが、久々の外出が嬉しかったのか、俺が手渡した籠を受け取りつつも、彼女の表情は既に浮かれたものだった。
「今日は何をするんですかっ?」
そうして勢い込んで尋ねてくる様子に、初日くらいはこっちで注意してやるかという気にもなってくる。
やる気を削ぐよりも、少しだけ注意しておく程度で現状は良いだろう。
多分だが。
「森の中で、薬草の摘み取り作業だ。危ないから夢中になって、遠くに行ってしまわないよう、気をつけろよ?」
「はい!」
「あと、見つかるようなら染料の材料とか食材も集めるぞ。」
ここに住むようになってから、午前中は大体講義か実技だ。
午後からは好きにさせてはいたが、子供にとって家の中に押し込められているのは、退屈だったのだろう。
それ故か、張り切った様子で俺の周りをウロウロとしていて落ち着かない。
更には、
「じゃぁ、やっと、採取の仕方を教えてもらえるんですね?」
やはり興味がある事に手を出せるのが嬉しいのか、交換条件として弟子入りした魔術や魔法の話よりも反応が良かった。
それならそれで、摘み方だとか注意点だとか、色々と教えておいて損は無いだろうと、俺は叩き込もうと算段をつけていく。
どうせだし、後でハンカチくらいの大きさでも挑戦させてみよう。
「――コケないようになー。」
「はーい。」
そうして、休憩所として建てた小屋目指して出発した。
共に歩く彼女は、大分落ち着きを見せるようになっている。
最近では無理無く笑って見せる事が多いし、いろんな事に興味も持ち始めたのだ。
活動している間にぼんやりとする事も日に日に減って来ているので、傾向としては良さそうにも見えて心配する事も余り無くなりつつある。
(最近では、食事のリクエストを自主的に出来るようになってきたしな。多分、もう大丈夫だろう。)
そんな彼女が履いているのは、真新しい革のブーツ。
以前、メルシーが発作を起こした時に仕上げた一足で、少し大きいものの、足に包帯代わりに布を巻けば靴ずれ防止も兼ねられて、現状では丁度良い感じだった。
もっとも、その靴裏には滑り止めも何も無い状態である為に、ぬかるんだ地面では滑りやすい。この為、こけないように予め注意して様子を見ていた。
「――確かこの辺りは、蓬の群生地だったな。」
休憩所手前まで歩いた所。そこではところどころに咲く若葉が、春の訪れを知らせてくれていた。
スライム避けの蕺もどきはともかくとして、蓬は薬草としても食用としても使える葉だ。
なるべく綺麗で小さめの葉を千切って、メルシーに同じ物を採取するように伝え、籠に入れていく。
「これは、何になるんですか?」
同じく摘み取り作業をしながら尋ねてくる。
それに、俺は手元の葉をクルクルと回しながら返した。
「お浸しとか草餅の材料とか、後は腹痛や下痢の薬、冷え性なんかにも効果があるから風呂に入れたりもするな。」
「へええ。」
「女性向けの薬草だから、覚えておくといい。月の障りなんかに向いてたはずだ。」
「つきのさわり?」
「――まさか、知らないのか?」
コテンと首を傾げられて、俺はどう話すか頭を悩ませる。
色々と多感になってくる年頃だ。下手に口出したり、男の俺がそういう事について詳しく話してしまうのは、それはそれで問題になる気がする。
「あー、ええっと、月の障りっていうのは、女性特有の生理現象だよ。この生理現象については、分かるかい?」
知らない、という事は無いだろうと思って尋ね返したんだが、
「すみません……知らないです……。」
「おう。」
全く知識が無い様子に、俺は思わず天を仰いでいた。
このまま何も知りませんで放置しておくわけにはいかないだろう。男はそれでもいいかもしれないが、女だと色々問題が生じる。
月の障り、月経、生理――呼び名は色々あれど、これらが指しているのは、古くなった胎盤が剥がれ落ち、体外に流れ出す仕組みの事だ。つまりは、少なくは無い出血を伴う現象の事である。
当然、流れ出した血液や古い胎盤を受け止める為の物が必要になってくる。それが所謂生理用品と呼ばれる品だ。
この生理用品というのは、どうやら現代では手作りで作られる物らしい。あちこちを探し回り、ようやく見つけて購入した型紙と、試しにと作った試作品は既にある。
――あるんだが、男の俺では着用感だとか使用に関するデータが一切得られないのだ。この為、実際の所これで大丈夫か?という疑問と不安があった。
「うーん。」
手元のヨモギをプチプチ採取しながら、頭を悩ませる。
メルシーは本当に知らないようで、少し申し訳なさそうにしてはいるが、作業を再開させているので手は止まっていない。
そんな中、しばらく悩んだ末に、誰かにぶん投げる事にした。
正確には、開拓村の女性陣に投げる事にしたのである。
「よし、蓬団子を作るぞ!」
「――はい?」
ただ、諸々の過程をぶっ飛ばして結論だけ述べたせいで、メルシーには伝わりきらずに首を傾げられたが。
執筆途中に寝落ちした結果、変な時間に目が覚めてこの時間の投稿となりました。
眠くならない風邪薬にしとけば良かったと後悔。ちょっと値段上がるんだよね、あれ。安い方に流れるのは心理的にしょうがないんだけども、まさか座った状態でぐっすり眠れるとは思わなんだ。
男性には分からないだろう生理用品。使い勝手だとか漏れの心配だとか、色々な方面で男性ではデータの取りようが無い品です。
手作りの場合、リアルでも布ナプキンという物があります。これは、洗って何度でも使える物ですね。生乾きには絶対注意が必要ですが、かぶれが気になる方等へお勧めだとか(作者は洗うのが面倒なので使った事が無い)。
作中の主人公が試作した物も、この布ナプキンになります。その詳しい作り方は、次回に出てきますが――需要あるんだろうか?




